研究者に対して。
取材を申し込みたい。
話を聞いてもらって、アドバイスを欲しい。
原稿を依頼したい。
一緒に研究をしたい。
なんかの会議の構成メンバーになってほしい。
講演を頼みたい。
そういった需要は一定数あるようで、僕にもそういう話がいろいろとやってくる。
研究者仲間でもよく聞く話。
ただ、どうも研究者側の事情がよくわかっていないようで、それはないよー、といった話も聞く。
そこで、研究者側の事情というやつを書いてみようと思った次第。
トラブルにならないために、依頼を受けたもらうために、少しは役に立つかもしれない。
なお、大学生や院生も、読んでおくと教員側の裏事情がわかって付き合うコツがちいとばかしわかるかもしれない。
ここでは、研究者である大学教員を中心に書く。
大学教員であってもアイデンティティが研究者でない場合もあるので、そこは注意が必要。
この辺りについてはまた別の機会に書いてみようと思っている。
また、僕の考える一般的なイメージで書くので、人によって姿勢がだいぶ違うというのもお忘れなく。
分野やその人の抱える仕事量、置かれた立場、社会貢献に対する考え方でも、外の仕事に対する考え方は大きく変わる。
なるべく、一般的にこうだろうなぁ、というものを書くつもりだが、かなり個人差があることは頭の片隅に置いておいてほしい。
さて。
大学教員はわりと忙しい。
何十年か前の大学教員のイメージのままの人だと、ひまそうに見る人もいるが、今はだいぶ忙しくなった。
大学にいない時間が多いからひまそう、という話も聞くことがあるが、出張で飛び回っていたり、家で仕事していたりするので、そんなにひまではない。
本務の教育やその準備、組織の運営上の仕事、会議など、まあわりとやることがある。
他にも、学会の仕事や学会誌の査読・編集など、組織外の仕事を抱えていることが多い。
この辺りについては、過去の「大学教員・研究者という生き物」シリーズを読んでいただければわかるだろう。
ところが。
研究者たる大学教員の大きなお仕事は研究である。
多くの場合は、組織による業績評価は、発表した論文で行われる。
組織外の研究者仲間の評価もやはりどんな論文を書いたが大きい。
大学院の博士課程に進んで学位を取って大学教員になった研究者教員の場合、アイデンティティの柱が研究者である。
そのため、自己評価は意識的にも無意識的にも自分が書いた論文で行われる。
研究はしているけど論文になっていない、というのは、基本的には、研究そのものをしていないと評価されることになる。
まあ、研究というのは論文発表までが1サイクルなので、どうしてもそうなってしまう。
小説家が最終的な物語を完成させない、映画監督が撮影はすれどまとまった作品として公開しない、というのと似ているか。
つまり、論文を書く、というのは、研究者にとってさまざまな意味で極めて重要な行為で、これを書けないというのはものすごく苦しいことであることが多い。
この辺りの意識は、研究者以外の人に理解してもらうのがものすごく難しいなぁ、と感じているのだが、研究者と仕事をする上ではかなり大事なことなので頭に入れておいてほしい。
問題は。
研究以外のお仕事で大忙しなため、研究に使える時間が限られていること。
研究時間がない、というのは当事者からはよく聞かれることで、統計的な裏付けもある。
日々の業務の合間にいかに研究時間を見つけるか、ということを考えならががんばって時間を捻出して研究をしている大学教員は結構いるんじゃないだろうか。
研究というのはまとまった時間が必要で、時間の要素は研究の進捗に大きな影響を与える。
研究をしなきゃいけないのに、別のことに時間を取られて時間がない、ということの苦しさ。
これは、卒論・修論を真面目にやったことがある人であればわかることと思う。
卒論・修論の場合は〆切があるので、未熟ながらも何とかなることが多いが、我々の場合は、発表する論文数が減ることになる。
これも、仕事を頼む側が頭に入れておくとよいこと。
そんなわけだから。
組織外の人から仕事を頼まれる時、受けやすい仕事とそうでないものにわかれる。
まず、1番受けやすいのが、研究のお仕事。
共同研究をしましょう、というのはウェルカムなことが多い。
ただ、ここで気をつけてほしいのが、研究は論文発表までがセットになっていること。
研究をしましょう、でも論文はあんた(大学教員)が書いてね、という話だと、自分の専門性がドンピシャで、書くこと自体にそんなに時間を取られないものに限られる。
この場合でも、研究費を出すから、という話だと、応相談ということになるか。
他の人を雇ったり、自分の研究にも使える機器を買うのと引き換えに、その研究を論文まで持っていく、というのはあり得る。
一方で、自力で論文まで書くから、助言等一部お願いしたい、だと専門性がドンピシャでなくても可能なことが多い。
1番困るのは、論文書くと近づいてきて、最後で投げ出して書いてくれないパタン。
これをやられると、研究者側としては使った時間が全て何もしていなかった時間に化けてしまうのでとてもつらい。
まあ、そういうものだと理解して、お互いの信頼関係を壊さないように付き合ってほしい。
次に、専門性が生きるお仕事。
これも受けやすい。
その研究者が直接やった研究について聞いたい、みたいな話だと、いいと言ってくれることはあるか。
学会のシンポジウムを企画するとき、先生の論文を読みまして、ぜひ話題提供を!みたいなことはよくある。
一般向けでも、その研究者の研究内容を理解した上で「この仕事をぜひ先生に」みたいな頼み方はできるだけ協力したくなる。
ただ、学会のシンポジウムと一般向けの仕事はちょっと違う。
学会のシンポジウムは、聴衆が研究者のため、シンポジウムで発表することが次の共同研究につながることがある。
それに、研究者同士だと持ちつ持たれつなところがある。
その点、一般向けだとそういうのはないので、全然知らん人がやってきて、無料で引き受けて、とか言われると、だいたいは断ると思う。
その研究者の論文を読み込んだ上で、頼む仕事の社会的意義をうまく説明して理解してもらえると引き受けてくれることもあるかもしれない。
が、その仕事に関わった時間は純粋に研究時間が減ることになるため、積極的に数をこなしたい仕事ではない。
最後が、社会的意義のある仕事。
行政の委員会とか、地域貢献のお仕事とか、そういう、自分の仕事上重要というわけではないのだけど、大学教員や研究者として社会的な意義を感じてボランティア的にやるものがある。
これらについては、多少研究分野とずれていても、専門分野が近くてできそうなら引き受けてもらえることがある。
ただ、一度参加して、あまりに時間を取られるとか、あれやってこれやってが過ぎて負担だった、とかということになると、次はないと思う。
また、一度えらい目にあった外の仕事というのは、自分の代わりの人として同僚や知り合いの研究者を紹介するということもしない。
この系の仕事の場合、依頼する側はなるべく研究者の時間を奪わない、というのに気をつけるのがポイントになる。
マスコミ系の仕事で、時間を取られてえらい目にあって2度と取材は受けん!と怒った研究者を何人か見たことがある。
あとはギャラかそれ以外のエサで釣るしかない。
人間なんざ、欲深い生き物なので、すごいギャラふっかけられれば受けてもらえるかもしれないし、名誉欲をくすぐれば心が揺れるかもしれない。
知的好奇心の高い人たちなので、そのあたりを攻めるのもありか。
ただ、多くの大学教員からはこう言った声をよく聞く。
「お金はいらないから、時間がほしい、、、、」と。
ではでは、今回はこの辺で。
また。
横浜にて。
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2025/03/30 14:01
コーヒーを飲みながら。
長津田駅タリーズにて。
Update 2025/03/30
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