週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

教養とは何か、なぜ必要か

その昔、大学生のうちに教養を身につけよう、ということを書いた。
教養〜自分の幅を広げよう(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 2 )

しかし。
教養とは一体なんであろうか。
よくよく考えてみると、なんとなくのイメージで語っている。
数年前、知り合いの大学教員が最近の学生は教養が云々とぼやいていて、よくよく聞くと、教養とは何か、と聞いて出てきたのが名作の漫画で、それは教養じゃないだろ、と嘆いていた。
その人と話した感じだと、学術に共通している古典的な何かを「教養」と言っているようだった。
僕は教養をその教員のようにはとらえていないのだけど、何が「教養」か、については幅があるなと感じ、いつかこれについて書こうとあたためていた。
教養論のような高尚な学術的考察をやる気はさらさらなく、素人の考えを文字にしてみようという試みの類。
そのつもりで読んでいただければ。

教養とは

辞書を足がかりに始めよう。
まずは、新明解。

㊀文化に関する、広い知識を身につけることによって養われる心の豊かさ・たしなみ。㊁(自己の)専門以外に関する学問・知識。(新明解国語辞典 第7版)


次に、三省堂

すぐれた行動力・理解力の成長を助けるものとしての、広い知識と豊かな心(が持てるように自分を きたえること)。(三省堂国語辞典 第7版)

まあ、共通しているのは、広い知識とそれに伴う心の豊かさ、あたりか。

僕もだいたい同じような意味で使っている。
学術的な知識のみならず、文化、というところがポイントで、そういう意味では、漫画だって教養の範疇だと思っている。
文化は時代と共に変わってゆくし、芸術だって教養の一つに入る。
だとすれば、漫画だって広い知識に入りうるのではないか。

ただ。
「広い」知識、という点もまたポイントで、漫画にのみ偏っていたら、教養とは言えないとは思う。
また、作品の内容によってはただただ娯楽の範疇にしか入っておらず、「知識」の部分にハマらないものもあるかもしれない。
あるいは、「文化」、、、そもそも文化とは、、、やめておこう。
とても難しいので、ここではあえて定義せずに先に進む。

一方。
大学業界においては、教養というとカリキュラム上に位置づけられた一般教養のことを指す。
別名をリベラル・アーツといい、専門課程とともに大学教育の重要なものとして考えられている。
リベラル・アーツは、元々は中世ヨーロッパで大学が始まったときに学生が学ぶものの中核にいた。
大学における教養は、時代時代によって意味合いが大きく変わってきた。
自由人に必要な知識からはじまり、紳士のたしなみ、専門教育の前準備、専門知を制御するための必要な何か、などなど。
ようは、教養というのはコミュニティが属する個人に求める何らかの共通の知識などのことを指すと考えられる。
なお、大学における教養教育については教育の仕組みとしてあまりうまく回っていないように感じているが、これは横道に逸れすぎるのでいつかまた別の機会に。


さて。
教養とは何か。
改めて考えてみる。
今のところ、以下を要素とした何か、であることはわかっていただけたと思う。
・幅広い知識(あるコミュニティ内で求められる知識などを含む)
・幅広い知識を基礎とした豊かな心
・未知のものを理解する助けとなるもの
あとは、定義するのではなく、どんなときに役に立つのかを並べることによって定義に変えようと思う。

知っていることで行動や思考が変わる

知識は人の行動や思考を変える。
これに異論のある人はいないと思う。
人の想像力なんて大したことないので、知らないがゆえに間違ったことをしてしまう、ということはよくある。
知識の幅が広ければ広いほど、さまざまな分野でより正しい、より考え抜かれた判断をすることができる。
断片的であれ、幅広く知っていることが多ければ、想像力を働かせてそれを補おう、とすることもできる。

ニュースなんかを見ていると、無知ゆえに人を傷つけている例をよくみる。
SNSなどのネットでも同様。
そもそも、民主主義の社会においては、自分とは関わりのない社会問題についても主権者として政治的な意見を持たなくてはならない。
そういうときにも、教養というやつは大変に役にたつ。

なお、大学教育において一般教養が課されるのは、深くて狭い専門知だけではく教養的な知によって視野を広げ総合的に考える力を持つため。
専門知だけだと偏ってしまい間違うことがある、というのは歴史が証明している。
さまざまな分野の専門知をユーザーとして使いこなすためにも、教養ってやつは必要。

最低限の知識が参入ハードルを下げる

幅広く何かを知っている、ということは、それを深く学ぶというのをやりやすくする。
全く知らない、未知の分野ではなく、何となくうっすらと知っている。
そういう分野であれば、さらに深く学ぶのは全く一から学ぶよりもだいぶ楽。
長く生きていると、その分野を学ばなければならない、学ぶなんだほうがよい、という場面にはよく遭遇する。
このときに、全く知らないとそれを避けるという選択になりがち。
ちょっと知っている、ということが、本格的な参入ハードルを下げる。

だいたい、幅広い知識がなければ。
どこにどんな知識が眠っているか、そのことにすら気づかない、というにもなりかねない。
深くなくとも、幅広くものを知っているというのは、どこにどんな知があるのか、その手がかりを知っておくという意味でも重要。

楽しめることが増える

と、まあ、ここまではよく言われていることで、そんなに目新しくもない。
僕が結構重要だと思うのは、実はこれ。
知っていることが増えると、楽しめることが増える。
これは、知的活動を楽しむ、ということだけではない。
もちろん、新しいことを知って知的な活動をすること自体はとても楽しいこと。

ただ。
そういうことではなく、知っていることが増えると、そのコンテンツ以外で楽しめることが増える。
例えば。
知っていることが増えると、笑えることが増える。
どういうことか。
笑い、というのは、既有知識が前提となっている。
知っていることが、ちょっと変化している、その変化の仕方におかしみを感じる。
つまり、多くの笑いやユーモアは、ある事柄を知っているからこそ、おかしみが湧いてくるというものである。
何かのパロディは、オリジナルを知らなければ笑えない。
とあるコミュニティで、ある知識を共有しているもの同士だからこそその笑いがわかる、というのは結構ある。

つまり。
知っていることが増えると、楽しめることが増えると同時に、笑いを共有できる相手も増える。
そして、これは笑いだけに限った話ではない。
持っている知識の幅が広いと、それぞれの知識を誰かと共有して楽しむことができる。
これは、教養の、意外と意識していない側面だと思う。

教養的態度が身につく

最後はこれ。
教養を身につけたいと思ったとする。
しかし、こればかりは簡単にはいかない。
やれることは、読書がメインで、あとは講演聴いたり人から話を聞いたりすることくらい。
読書も何冊も何十冊も何百冊も読むことになる。
で。
たーっくさん読んだあたりで気づくことがある。
それは。
自分の知っていることなんて本当に限られていて、知らないことばかりということ。
この態度が、結構大事だと思っている。

自分が知らない可能性を知っている。
それゆえに、その可能性を考えて行動する。
意見を持つとき、考えるときには、よく調べて学んでからにする。
それでも、自分が知らない可能性を頭の片隅においておく。
僕の主観だけど、この人は教養あるなぁ、と感じるのは、その人の持つ幅広い知識よりも、やり取りの中で出てくるこういう態度の部分が大きい。



と、まあつらつら書いてきたけど、今回はここまで。
教養とはなにか、は結局定義できなかったけど、まあこれはそもそもテーマが無謀すぎたんだと思う。
でも、辞書的な意味、大学における一般教養的な意味を包含した上で、ふんわりと何者で何の役に立つかはわかっていただけたのではないだろうか。
コスパやタイパとは反対のところにいる現代的には逆境にいるコイツだけど、よさ、ちょっとだけでも伝わっていたらうれしい。

ではまた。




智頭駅、だと思う。

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2024/04/22 22:45
寝る時間だ。
自宅にて。



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Update 2024/04/22
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引越し大失敗事件

ご出身はどちらですか?
これは気軽に投げられるわりに答えに窮する問いである。
生まれは福岡県久留米市
ただし、これは母方の実家出産だったせい。
居住地は横浜市で、小3まで。
その後、茨城、栃木と引越し、栃木で高校までを過ごす。
今も実家は栃木にあるので、ご出身は?と聞かれると、栃木なのかという気もしないではないが、ふるさと感があるのは横浜、福岡。
よって、どう答えたものか逡巡している一瞬の間ののちに、・・・ヨコハマです、と答えることが多い。

ややこしいのがこの後で、1つ目の大学で秋田、次に福島。
修士で札幌、埼玉と移り住み、就職とともに愛知へ。
その後、異動というか転職というか、そういうので、福井を経て、現在地鳥取にいたる。

そんなわけだから、引越しに関してはセミプロ並みの技術を有する。
なんたって経験回数が違う。
しかも、親の手伝いがあったのは秋田の1回のみで、それ以外はすべて自分でやっている。
ちょっとしたものである。

さて。
今回は、そんな自信と驕りが招いた、悲劇の物語である。

某所から某所へ移動することになった時だった。
お金のなかった僕は、ある悪いアイディアを思いつく。
業者頼まず、トラック借りて自分で引越ししたら節約になるんじゃなかろうか。
早速試算をしてみたところ、だいぶ安くつくことがわかった。
弟を雇って豪華メシをおごってもだいぶお釣りが来る。
さっそく、我が愚弟に連絡を取ってみると、引越し後にドライブがてら家まで送ってくれるのであればよい、とのこと。
この頃の愚弟、ドライブに目がない。
チョロい。

ただ、初めてのセルフ引越しである。
そこは慎重に段取りを決める。
まず、トラックはさすがに危ないので、オートマ・ハイエースに変更。
時間も1往復では危ないので、2往復で予定。
過去の引越し経験と荷物の量から、1往復でも十分だったが、予備で2往復しても余裕なようにした。
仕事後の夕方に弟と合流後、荷物を積み込み。
そのまま出発し、現地で一泊。
次の日の朝、荷物を積み下ろし、昼頃には家に帰還。
もう一往復必要な場合は、すぐに荷物を積み込み出発、夕方前には現地着、積み下ろして、夜遅くなる前に帰宅。
次の日の朝、レンタカーを返却して、そのまま大家チェック。
一日、最後のその地を散歩して別れを惜しみつつ、職場にあいさつ。
愚弟をドライブでもてなしながら家に送り届け、そのまま休暇入り。
なんて完璧な計画か。
予備のリカバリープラン時間まである。

パッキング等準備の時間も余念はない。
当時はわりと忙しく、経験上からも仕事後にコツコツ引越し準備をするというのは難しいと思っていた。
そこで、思い切って引越し前3日を有給にして、かなり早い段階に手続きを済ましておいた。
あとは、そこまでにやるべき仕事を終わらせておけばなんの問題もない。

ここまで聞いたみなさま。
だいたい読めてきた、あれだ、やるべき仕事が終わらんかったんだろ??と予想されることと思う。
が。
そうは問屋が卸さない。
物語は順調に進む。
やるべき仕事については、かなりフル回転で早め早めに取り組み。
なんと、有給取得の3日前くらいまでには終わっていた。
このためにですね、1、2週間くらいかなり無理をして平日・休日の業務時間を増やしたのでございます。

おかげで、計画はトントンと進んでいた、まさに有休に入る前日の夕方のことである。
「やなかさーん。います?」
ボスの登場である。
「あなたさ、あとちょっとでいなくなりますよね。」
はい。
「で、出て行くまでに、これとこれとそれとあれをやって残しておいてほしいんです。」
え??
でも、僕、明日から集中的に引越しの準備、、、、。

と、いうわけで。
そこから3日、フル回転の追加業務こなしモードへ。
寝る以外の全ての時間を追加業務処理に費やし、ようやく有休最終日の夕方、完遂。
完遂と同時くらいに、弟から入電。
駅に着いたから迎えに来いとのこと。
職場からヘロヘロになりながら、駅に到着。
「なんか疲れてるね」という愚弟のセリフを聞きながら、我が家へ帰宅したわけです。

愚弟:「あ、、、あのさ。」
うん。
愚弟:「今日、これから、引っ越すんだよね?!」
うん。

愚弟が目にしたものは、段ボール箱の1つも組み立てられていない、生活感満々の我が家の中。
とてもこれから引越し荷物を積み込むとは思えない、普段の我が家。
本来であれば、ここで我が愚弟はキレ散らかしてもいいところ。
が、僕が史上最高レベルで落ち込んでいて、覇気がない。
あまりにも凹んでいるので、キレどころを失ったみたいで、
「な、、、なんとか、なるよ!がんばろう!手伝うからさ!」
と、励ましモードになる始末。

そんなわけで、そこから荷造りと積み込みを行うも、どうがんばっても時間切れ。
このままだと、2往復どころか3往復の可能性もあるため、仕方なく夜に出発。
朝方に第一便現着、夕方に第二便現着、次の日の深夜(新聞屋とパン屋より早かった)第三便現着。
特に第三便では、ご近所様に迷惑にならないよう、抜き足差し足の慎重な荷物搬入だった。
ほとんど、逆夜逃げ。

ヘロヘロになりながら、レンタカーをギリギリの時間で返却。
と、次は大家さんチェック、なのだが、これが、まだ荷物がだいぶ残っている。
多くは、最後に自分の車に積む予定のものだが、捨てるものも大量にある。
迫る大家さんチェック。
もはや戦場である。
迫り来る退去時間。
階段を登る大家さんの靴音。
ピンポーン。
あ、あの、退去時間1時間ずらせないでしょうか?
大家:「ダメですね。とりあえずさっさと全部外に出して。」


この後、無事(?!)部屋の受け渡しを行い、外に出されたゴミを処理センターに数往復運び、残った家財道具を車に積み込み。
愚弟を約束通り家まで送り届けたところで力つき、熱を出しましたとさ。
あとから気づいたのだけど、この間3日間弱、ほぼ寝てない。

軽いトラウマ級の出来事だったため、その後、セルフ引越しなんてバカなことはせず、セミ・セルフ引越しという工夫された手法を開発してですね。

そんなこんなの、久々、なんの役にも立たないお話。
ではまた。




たぶん、鳥取市内。


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2024/05/06 17:16
休暇だよ。
蒲田タリーズにて。



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本の紹介,「沖縄のこころ: 沖縄戦と私(大田昌秀,岩波新書)」

沖縄のこころ: 沖縄戦と私
大田昌秀(著)
難易度:☆☆


1945年春。
東京大空襲から半月ほど過ぎた頃、沖縄戦が始まった。
4月に米軍が沖縄に上陸、6月に事実上沖縄から日本軍が消滅。
その悲惨さは耳にしたことがある人も多いと思うが、ちゃんと知らない、という人もまた多いのではないだろうか。

この本は、そんな沖縄戦について、その始まりから終わりまで、当事者視点を交えながらなぞった新書。
著者の大田昌秀さんは、1990年代に沖縄県知事をやっていた人。
沖縄県知事としての印象が強い人も多いことと思う。
元々は社会学者で、琉球大学の教授をやっていた。
この本は、その琉球大学在籍時に書いたもの。
沖縄返還の年、1972年に発刊された。

この本がおもしろいのは、大田さん自身が沖縄戦の体験者であるところ。
学者として第三者的な視点から書かれた他の本とは一味違う。
大田さんは元々沖縄県の生まれ。
沖縄師範学校(現在の教育学部)に在学中、軍に組み込まれ、一兵卒として従軍した経歴の持ち主。
千早隊という情報部門の兵士として、軍内情報伝達を担って戦った従軍記に、学者らしい客観的な事実を交えて、沖縄戦を描く。
戦争以前の沖縄が持つ歴史、本土との関係などの背景情報も適宜提供され、興味深く、一気に読み進めることができた。

本格的な戦闘が始まる前、戦闘中、その末期。
社会はどのような空気感であったか、戦場はどんな感じなのか、そういったことが生々しく伝わってくる。
民間人も巻き込み、県民の実に4分の1人が亡くなった、壮絶な沖縄戦を振り返ることができる名著。
戦争の本質を知ることができる。

戦争を肯定する時、そのリアルをあまり意識せずにその意見を持つことが多い。
が、そのリアルを知ると、戦争に対する見方はまた違ったものになると思う。
おそらく、戦争を経験した先人たちは、そのリアルを知って欲しくていろいろと書き残している。
この本も、そういった大田さんの想いを汲むことができる。

なお。
基地問題で沖縄がフォーカスされることも多い。
冷笑をもって基地問題に対する県民の声を受ける県外人もよく見る。
ただ、この前史を知っても同じような態度が取れるだろうか。
無知は罪とはよく言ったもので、ちゃんと知った上で、沖縄の基地問題を考える必要があると改めて強く思った。

内容についてはあえて詳しくは書かないが、読んで損はない本。
現代の日本を生きる者の教養として、読んでみてはいかがだろう。

では、今回はこの辺で。
また。




ニコタマの河原でボーッとしながら撮ったやつ。
たぶん。

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2024/04/29 17:27
GWだけれども。
職場にて。



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Update 2024/04/29
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卒業研究学術論文化奮戦記(教育奮戦記11)

僕の教育の方針として、卒業研究・論文指導は1つの大きな柱として力を入れている。
正課として用意されているゼミ時間の何倍も使って指導しているし、研究の質についてあまり妥協したことは言わない。
研究室配属の前から、研究の質として、外に公開できるレベルのものを書こうぜ、と言っているし、それに共感して入ってくるゼミ生が多い。
なおかつ、僕の研究のネタを与えることはせず、自分の興味に基づき研究のネタ探しから求める。
卒論としては、結構ハードモードな運営。
ハードなことは僕自身ものすごく認識していて、代わりと言ってはなんだけど、仕事上の優先度は最優先で対応したり、一緒に勉強しよう、という姿勢ではいるようにしている。

さて。
今回は、そんな卒論大変、という話ではなく。
このような運営方針で卒論生を指導していると、書かれる卒論、結構おもしろいものが出てくる。
本職が、業績増やすために書いたであろうテキトーな論文より、はるかにおもしろい。
せっかくやったわけだから、これを世に出したい、と思うようになった。

そんなわけで、ここ数年。
仕上がった卒論をもとに、これを学術論文として公開しよう、ということをがんばっている。
ただ。
僕の研究論文への姿勢から、卒論だからそれなりの質でもいいよね、みたいなことにはならない。
論文は、できるだけていねいに時間をかけて、質については妥協はしない。
少なくともうちの卒論生の見本になるレベルくらいまでには質を高めたい。
そういう意識で取り組んでいるのだが、これがなかなか大変。
今回はその奮戦の記録を書いていく。

まず。
卒論の提出段階で、即投稿論文や紀要論文のクオリティになっていることはない。
卒論生にとってはなんていったって初めての研究。
スケジュールの見積もりは甘いことがほとんどで、ギリギリのスケジュールで仕上げてくる。
試験論文としてのクオリティとしてはなかなかであっても、それをそのまま、というレベルではない。
そこで、ここからさらに時間をかけて直していく、ということになる。

が。
卒論関係の審査が終わって卒業までは1ヶ月あまり。
引っ越しやら卒業旅行やらで、卒論生は大忙し。
よって、直しについては卒業後に繰り越しということになる。
自分で直したいか、おまかせにしたいか聞くと、だいたい半々にわかれる。

じゃあ、卒業後直せるか。
これもなかなか厳しい戦いが待っている。
ほとんどが卒業後は新社会人となる。
そうすると、思っていたよりも社会人生活が大変、ということに。
論文の直しにほとんど時間を割くことができない。
なるべく待つようにするのだけど、1年くらいでギブアップとなることが多い。
まあ、これは仕方ない。
だいたい、論文を公開したいというのは、僕の側の勝手な願望であり、卒業生にはあまり関係ない。

論文の直しを僕におまかせしたい、もしくはギブアップ、となると、僕が引き継ぐことになる。
ところが、これが思っていた以上に大変。

完成度の高い論文の場合、引用元と引用部の整合性が取れているか、結果の記述が手元に残っているデータと齟齬がないか、このあたりの確認をしていく。
この段階で、不明な引用文献が発覚したり、結果の記述によくわからない箇所があったり、手元にデータがなかったり、なんていうことが見つかる。
これを、卒論生に問い合わせることになるのだが、卒論生としても時間がたってしまって忘れてしまったり、ファイルが見つからなかったり、ということが起こる。
卒論生に問い合わせてもよくわからない箇所は、生データから分析し直したり、記述を変更したりして、なんとか形にしていく。
想像よりもはるかに時間が取られる。

完成度がそこまで高くない論文の場合はもう少し大変。
僕の研究室の教育方針により、テーマ設定が自由なため、まず僕が内容についての勉強をする、というところからスタートする。
引用文献・参考文献、その他文献を読み込んで、知識をセットしていく。
過去の卒論生のテーマがかぶったことはほとんどなく、僕の研究分野の研究テーマを選ぶこともないため、1つの論文を仕上げるのに新しく読む論文というのはかなりの数になる。
その上で、論文に足りないところを埋めていく。
うちの卒論はイントロのロジックはわりとしっかりしている(本人たちも自信を持っている)ので、時間さえかければなんとかなる。
が、時間は結構かかる。
感覚的には、進めている共同研究について、論文化するハズの主任研究者が書けなくなったので代わりに書くことになった、というような感じが近いか。

分析が足りていない、という場合はさらに時間がかかる。
が、これは時間さえあればなんとなかるのでいい。
問題は、データが足りていない、追加の実験・調査が必要な場合。
これを埋めるのは現体制では時間的にほぼ不可能で、こうなるとお手上げとなる。
最初からわかっていればまだいいのだが、作業の途中でこれに気づくと悲惨。
そこまでにかけた時間はそのまま無駄になってしまう。
研究に興味ある学生さんと共同研究などできないか、など、いろいろと試行錯誤を繰り返しているのだけど、うまい解決方法は見つかっていない。


まあでも。
最初にも書いたように、卒業研究は結構おもしろいものが多い。
どうにかして世に公開していきたい、という想いはやはり消えない。
そんなわけだから、もう少しトライと失敗を繰り返してみたいと思っている。

そんなこんなの、卒論論文化奮戦記。
たぶん続編はない。
では、また。




東京都内にて。


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2024/04/06 19:29
ちょっとだけ仕事でて、のちに休暇モード。
鳥駅スタバにて。



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Update 2024/04/06
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障害とは何か

障害とは何か。
今回はこれについて書いてみる。
僕の障害観と考えていただいてかまわない。

世の中、障害という言葉があふれている。
発達障害、知的障害、視覚障害聴覚障害
障害という言葉はついていないが、特別支援教育には肢体不自由や病弱といった障害種もある。

さて。
障害というものをどう捉えるのか。
世間の素朴な理解としては、「できない」に注目することが多いか。
「できる」人が多い中で、「できない」人がいる。
見ることができない、聞くことができない、歩くことができない、文字が読めない、などなど。
「できる」が一般的な中で、なんらかの事情で「できない」を持っている人がいて、これを障害と捉える。
多くは疾患や怪我などから生じると考えられており、健康でない状態から生じるものという捉え方。
これを医学モデル、といい、障害を個人に由来するのものとして捉える、古くからある考え方である。

一方で、「できない」を社会の仕組みに求める考え方もある。
これを社会モデルという。
例えば。
足が悪くて歩けなかったとしよう。
しかし、車椅子という道具が社会にあれば移動はできる。
その社会において、エレベータがあらゆる施設に設置され、段差が全て取り除かれ、移動に関してなんの問題も生じなければ、移動に関しては障害がある、とはもはや言えない。
同様に、歩けなかったとしても、歩ける人と全く同じ生活を送れる社会であれば、障害は生じない。
このように、社会の仕組みが障害を生んでいる、という捉え方が出てきた。
この社会モデルが現代的な障害の捉え方で、障害関係の国際的な宣言・条約、各種法規・制度はこの考え方を基礎に置くようになってきている。

と、まあ、ここまでは知っている人も多いことと思う。
障害関係の教科書を読めば、必ず書いてあるし、授業でも必ず習う。
ただ。
教科書的な記述はこの辺りで止まっていて、これ以上深められていることは少ない。
社会が障害を生み出しているので、生み出さないように社会を変えていけばいい。
そのために、環境を整備したり、個別に配慮したりしよう、という流れの記述が続くことが多い。

まあ、それはその通りなのだけど、ここではもう少し、障害の捉えを深掘りしてみたい。
社会が障害を生み出す、だから障害を生み出さない社会にしよう。
こういうことを言うと、必ずでてくる意見が、配慮しすぎるのは大変、コストがかかりすぎるから無理、とかそういう否定的なもの。
これらの意見に対してのカウンターとしては人権等の権利保障の観点からのものが多い。

今回はちょっと角度を変えて。
そもそも、なんで社会において障害が生まれるのだろうか。
こう問いかけると、たいがい出てくるのは「足が動かない」「目が見えない」等の医学的な何かがあって、それが社会において不利になるから、という答えが返ってくる。
医学モデル的な理解。
しかし、医学的な何かが起点となって、社会において障害が生じる、というのの本質はどこにあるのだろうか。
なぜ、医学的な何かがあると、社会において障害が生じてしまうのだろうか。

これは、社会がマジョリティによって作られるから。
社会というものは、多数派によって平均的な人間に合わせて作られている。
一方、「足が悪くて歩けない」「目が見えない」「文字が読めない」などの特性を持った人は、マイノリティーであることが多い。
そのため、多数派によって作られた社会にてうまく適応できない、ということが起こる。
これが障害である、というのが僕の障害の捉え。

この捉え。
簡単な思考実験をしてみると容易に理解ができる。
例えば。
ある社会において足が悪くて車椅子の人が9割で多数派だったとしよう。
すると、社会の構造や仕組みを作る人が車椅子に乗っていることが多いわけなので、自然と段差は無くなるし、階段による上下移動を前提とした構造は作られない。
車椅子であることがなんらかの不利に働くような構造や仕組みは無くなるはずなので、そもそも社会において障害が生じない。
目が見えない人が多数派なら、視覚による情報伝達手段はほぼ使われないだろうし、文字が読めない人が多数派なら音声による案内が街にあふれることになる。
つまり、障害というのはマイノリティである個人の持つ特性が、マジョリティの作った社会に合わない、ということが本質である。
この構図は、障害のみにとどまらず、性的マイノリティなどさまざまなマイノリティの問題に共通している。

マジョリティによって作られる社会がマイノリティに合わない、というのは仕方ない部分がある。
人間の想像力はそんなに強くない。
自分以外の人が持つ何かについて想像することはそんなに簡単ではない。
その結果として、最初に出来上がったものがマイノリティに合わないというのはどうしようもない。
ただ。
だからと言って、マイノリティはマジョリティの作った社会に合わせろ、というのはどうだろうか。
たまたまマジョリティであった人が、こちらもたまたまマイノリティであった人に、数の力で何かを押し付ける、というのは乱暴で正当性がない。
想像力が及ばないことが要因でマイノリティに合わない社会が作られた。
だったら、最初に出来上がったものがマイノリティに合わないことがわかった時点で、マイノリティの声を聞いて手直ししていけばいいし、構造や仕組みを直し難い場合は個別に配慮したらいい。
コストがかかろうが、少々手間がかかろうが、障害が生じる背景を考えるに、そうすべきものだと思っている。
ここまで掘り下げると、マイノリティに対して「わがまま」「自分勝手」というような批判は出てこないのではないだろうか。

以上、僕の障害観を文字にまとめてみた。
これは今の考え方で、いろいろな事を知って考えていくうちにまた変わるかもしれない。

では今回はこのへんで。
また。




たぶん鳥取市内。
散歩中に撮った。


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2024/04/06 21:26
本日2本目。
鳥駅スタバにて。



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Update 2024/04/06
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谷中研究室に関するQ&A:大学院編

前回は、学部生に向けてのQAを書いた。
今回は、大学院進学を考えている人向け。
基本的な指導スタイル等は変わらないので、学部生向けQA カテゴリー:谷中研究室も読んでいただければ。

Q:どんな人が向いていますか?

研究をやりたい人、研究能力を身に付けたい人、が向いています。
いきなり博士課程を持ったバリバリやっている大学院・研究室はハードルが高い。
でも、能力を身につけて、博士課程に進みたい気がないわけではない。
そういう人がお試しとして来るのはありです。
他分野・隣接分野の学部生で、心理学や特別支援教育、関連分野の研究がしてみたい、というような場合も想定しています。

博士課程に進む気はなくても、現場で研究をしたい、社会人をしながら趣味的に研究に関わりたい、というような人も歓迎します。
一緒に研究を楽しみたい、という理由なんかはとても喜びます。

Q:どんな研究ができますか?

基礎系の心理学研究はかなりはば広く対応できます。
発達心理学認知心理学、生理心理学、障害児心理学、などはいけます。
元々脳機能研究の人間なので、その系統の研究も場合によってはできます。
変わったところでは、医療職(コメディカル職)の研究ファーストステップとしての大学院、というのもありだと思います。

特別支援教育関係も、心理学的な手法を使うのであればいけます。
もしそうでないのであれば、教育学系の同僚を紹介するのでお気軽にご相談ください。

この記事の1番下に、過去に指導した学生(学部生がメイン)のテーマ一覧が載っていますので、イメージわかない場合はこちらを参考にしてください。

Q:社会人なのですが、働きながら通えますか?

大学としていろいろと仕組みを整えています。
授業時間の特例や、長期履修の特例など、いくつか社会人向けの制度があります。
他にも、いろいろとありますので、これは個別にご相談いただいた方がいいと思います。

Q:大学院のイメージがわかず、進学するかどうか踏ん切りがつきません

そういう人のために、研究生という制度があります。
正規ではない形で研究室に所属して、研究をする制度です。
進学する前に研究生になってから、という方もたまにおられます。
社会人やりながら両立できるだろうか、というのを試すこともできるかもしれません。

Q:特別支援学校の教員免許状を取れると聞いたのですが本当ですか?

学部卒業時点で特別支援学校の教員免許状を持っていなかった人が、院に進学してきてこれをとったという人は過去に複数います。
大学院に所属しながら、学部の教職科目の授業を受け、教員免許状の単位を満たす、というやり方です。
院の最中に教育実習が入ることになるため、負担は高めだと思います。
時間をかければ、他の科目や校種でも可能かとは思いますが、あくまで裏技的なやり方です。
時間割との兼ね合いもありますので、詳しくは相談してもらってからの方がいいと思います。

Q:行きたいと思ったら、まず何をすればいいですか?

まずはメールにてご相談ください。
必要に応じて、見学に来ていただく、zoom等でミーティングする、などを提案します。
メールアドレスはホームページの下の方にいます。




高松港にて。


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2024/01/20 19:44
本日2本目。
ドトール鳥駅にて。



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Update 2024/01/20
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学会で懐かしの先輩と再会した話

先日、学会に参加してきた。
主な目的は調査。
せっかくなので、参加したいという学部学生数名を連れて、いざ大阪へ。

学会というのは、同じ分野で研究しているさまざまな古い知り合いにも会えるイベントでもある。
学会前夜は、数年前に卒業した卒業生と飲み、2日目の夜は元同僚と卒業生と飲む。
同じ分野にいる人はわりと多く、学会の会場では結構知った顔と会ったりする。
前任校の元同僚、昔職場で一緒だった人、なんだかよくわからないけど知っている人、というのも存在する。

さて。
そんな学会。
おもしろそうなとあるシンポジウムに参加した時のお話。
プログラムによると大昔お世話になった先輩が登壇者とある。
この先輩は、脳研究やっていた頃の実験パートナーで、お互いの実験の補助をする間柄だった。
僕とは違い、本格派研究者で、かなり優秀。
ただ、優秀ゆえ、大忙しで、長いことお会いしていなかった。
記憶があるのはコロナ前、それもだいぶ前。
論文では名前を見るものの、本物は久しぶりだった。
せっかくなので、ごあいさつでも、と思ってシンポジウムに向かった。

ただ。
僕は何事もわりとギリギリマン。
今回も例外ではなく、余裕をもってシンポジウムの会場に向かえばいいのに、時間ギリギリに会場に滑り込んだ。
学会をご存知ない方のために説明しておくと、学会のシンポジウムとは何人かが振られたテーマで口頭発表。
その後、討論をふっかける役とか司会者役あたりが質問をして、会場の聴衆からも質問を聞いて、場合によっては全体で議論というスタイルの発表。
いくつかのテーマをまとめて、シンポジウム全体でまとまったメッセージを出そう、というような代物。

そんなわけだから、当然、発表者はまとまって前の方のテーブルに座っている。
僕のところからは背中しか見えない。
ただね、先輩が見つからないのだ。
そうこうしているうちにシンポジウムは始まる。
司会者は発表者を紹介しているので、どれかが先輩っぽいのだけど、全然わからない。
ふむー。

背中先生たちは4名いる。
そのうち、後方2名は顔見えて、違うことがわかる。
すると前方左背中氏か前方右背中氏のどちらかが先輩か。
そのうち右背中氏は、とってもおじ様感があり、到底先輩とは思い難い。
すると、左背中氏なのだが、これは若いけど、、、雰囲気が。。。
うむむ。

頭フル回転させること数十分。
右背中氏のとってもおじ様風格はかなり激しく、やはり先輩とは思い難い。
だいたい、背丈が違う気がするんだ。
すると、左背中氏。
人は会わないうちにこんなにも雰囲気を変えるのか。
と、思ったその時だった。
左背中氏、振り返る、顔が見える。
、、、、先輩ジャナイ。
え、すると、、、、右背中氏、が先輩ってこと??
そういえば、お子様も生まれ、偉くなったとも聞いていた。
え、そういうこと?
確かに、よく見ると、面影がないこともない、、、ような気もしてくる。
いやしかし、そんなに風格あるおじ様にご成長なさったということなのか?
そういえば、僕だってここ数年で白髪が増えた。
ハタから見たら、おじ様に育っているのかもしれない。
そうか、そうなのか、等しく時が過ぎ去ったのか。
時は人をかくも変えるのか。
ああ、神様。

そんな、驚きと戸惑いの感情ジェットコースターもさとりの境地へと行き着き。
ふと、前方諸背中先生たちから目を外し、僕の横の補助椅子で発表を聞いている、遅れて入ってきた聴衆の1人に目をやると。

先輩である。
まごうことなき、先輩である。
実験パートナー時代からほとんど変わらない先輩である。


なんでも、電車が遅れに遅れて、シンポジウムの最初に間に合わなかったんだそう。
で、右背中先生は、全くの別人でございました、とさ。
いやー、、、驚いた。
いや、ほんと。


そんなこんなの、学会一コマ、なんの役にも立たない小話。
ではまた。





横浜的などこかで。

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2024/03/17 18:32
もう帰る。
羽田空港にて。



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