特別支援教育の授業やっていて、必ず扱うのが「合理的配慮」という概念。
2024年からは民間事業者にも義務付けられたのだが、まだまだ浸透しているとは言い難い。
それもあって、頼まれれば民間事業者も含めて積極的にしゃべりに行くようにしている。
本記事を読んでご要望がございましたら、コンタクトしていただいて。
冒頭から早速横道にそれた。
この、合理的配慮。
学生に教えていても、なかなか理解が難しいよう。
なので、今回は受講生を想定して、この概念について説明して行こうと思う。
よくある質問や、理念や思想的経緯なども書く。
特別支援教育との関係についても最後の方で。
合理的配慮とは何か
合理的配慮は、我が国では障害のある人に対する差別防止の文脈に位置付けられている。
簡単に言うと、障害があることによって生じる①社会的な壁を、②本人の申し出がある場合、③過度の負担が生じない範囲で取り除くことを言う。
障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(障害者差別解消法)において行政機関や事業者(民間企業等)に提供を義務づけており、これをしないと差別と認定され、行政指導の対象になる。
具体的な法律条文はコチラ(7条、8条)。
考え方としてはこう。
差別というのは、昔からの考え方では、ある人を他の人と同じように扱わないことを言う。
例えば、特になんの支障もないのにも関わらず障害を理由に施設の利用を断る、というのがこれにあたるか。
もう少しひどいものだと、同じように認められるはずの自由や権利を勝手に制約する、なんていうのもある。
黒人だからバスに乗れない、女性だから選挙権がない、なんていうのもこれ。
この古い差別観には問題があった。
例えば、車椅子の人を考えてみよう。
市役所の構造上、スロープがないような状況だったとする。
この場合、車椅子でない人と同じように扱うと、市役所の窓口に行けないことになる。
そうすると、他の人が当然に持つ、市民としての権利行使ができない。
駅の構造上、車椅子の人が自力で電車に乗れない場合、何もしないと移動の自由が奪われる。
つまり、障害があるという、多数派とは異なる特徴があるのにも関わらず、異なる特徴を多数派と同じように扱うことで、自由と権利が制限されるという問題が生じる。
古い差別観の1番のキモは、差別によって自由や権利が制約されるところにある。
だとするならば、自由や権利が制約されないように、異なる特徴に対しては異なる扱いをする必要があるよね、それをしないと自由や権利が侵害されるから差別になるよね、というのが新しい差別観の考え方。
これに則ると、自由や権利に社会的な壁(社会的障壁)があるのであれば、できる限りでこれを取り除かなければならない、ということになる。
これが合理的配慮の基本的な考え方。
よって、自由や権利を平等に保障する以外の、当事者がただ優遇されるというような、障害のない者との均衡が取れないものは合理的な配慮とはならない。
新しい差別観の根底には、障害の社会モデルの考え方がある。
障害に限らないのだが、この社会の仕組みや制度は、多数派によって作られている。
このため、どうしても多数派に最適化された仕組み・制度となってしまう。
なので、社会の仕組み・制度がマイノリティに合わないから障害などの問題が生じる。
そうなのであれば、社会の仕組み・制度の方が変われば、問題は減るよね、というもの。
詳しくは、「障害とはなにか」を読んでいただけばと。
なお、合理的配慮の考え方・概念は、もともとは宗教マイノリティの問題から出てきたもの。
障害の問題に限らず、あらゆるマイノリティの問題に応用可能である。
が、本稿は障害者の問題に絞って書く。
合理的配慮と環境整備
ここでよくある間違い。
合理的配慮とは、個人の申し出に基づいた、その個人に合わせた配慮のことをいう。
なので、視覚障害者みんなのために点字ブロックを設置しておくとか、車椅子の人のためにあらかじめスロープやエレベータを設置しておく、というのは合理的配慮には当たらない。
このような、全般的なバリアを減らす、というのはとても大事なものであるが、合理的配慮とは区別され、環境整備という。
学びたての受講生が時々間違うので、注意したい。
合理的配慮に対する誤解:①合理的配慮はわがままか
これは、合理的配慮とは何か、の後半に書いた通り。
この社会が多数派によって多数派に最適化された形で作られている以上、自由や権利を保障する義務は多数派を含めた社会全体にある。
基本的な自由や権利の保障なので、わがままや優遇とは違う。
ネットなどでは、わがままだなんだと当事者を叩いている論調が見られるが、今やそれは差別であることを心したい。
条約でも法律でもそう規定されているし、世界的な潮流を見ても、論理的に思考しても、差別であることは間違いない。
実社会で主張する場合、自分が差別主義者として見られるリスクはちゃんと頭に置いておきたい。
差別はいつでも無知から無邪気に起こる。
合理的配慮に対する誤解:②配慮する人の負担が大変すぎる
ニュースで時々合理的配慮義務違反の事例が扱われる。
例えば、鉄道会社へ無人駅での車椅子介助をお願いして、現場駅員が断ってしまった事例。
明らかな合理的配慮義務違反ということになるのだが、ネット論調を見ていると、駅員さんの負担が大変すぎるので配慮はやりすぎでは、というものをわりと目にする。
これは、配慮を義務付けられている主体に対する誤解がある。
配慮を義務付けられているのは、現場の駅員さんではなく、事業者、つまり会社等の組織全体に課されている。
合理的配慮の要件③である、「過度な負担が生じない」とは、組織全体で見た場合ということ。
末端の駅員さんが少なく彼らだけでは過度な負担であっても、大手鉄道会社全体であれば人数的にもお金的にも合理的配慮をする負担は大したことがないことが多い。
なので、合理的配慮を全社として提供できるような体制を整えて置く必要がある。
冒頭にあげた鉄道会社の車椅子介助の事例では、鉄道事業者は直ちに謝っているので、本社担当部局は問題を理解している。
おそらく、現場職員への研修や情報提供が徹底されていなかったのだろう。
体制があまかったのだとすれば再発防止策が講じられただろうし、現場のミスなら駅長以下本社より怒られたことと思う。
ただ。
この種のニュースが出るたび、当事者に冷淡で配慮する側に同情的なネットの論調を目にすると、まだまだ合理的配慮の概念が一般に行き渡っていないなぁと感じる。
過度の負担とは何か
さて。
よくある誤解から先に書いたが、要件③にある「過度の負担」とは何か、というのが気になることだろう。
受講生からよくされる質問もこれで、具体的な基準はないのか、というものはよく出てくる。
具体的な基準については、定めようがない。
これは、事業規模や財務状況、求められた合理的配慮の内容によって、過度かどうかは個別事例ごとに変わるからである。
例えば、車椅子の人から駅にエレベーターがないから降りれない、配慮してほしいと申し出があった場合。
これが大手鉄道会社であれば、全体の人員に比して配慮はそこまでの負担ではないから、過度な負担とはならない可能性が高い。
ただ、求めたのが地方の小さな私鉄で、人員的にも経営的にもムリな場合は、過度な負担となる可能性がある。
同じことを求めても、両者にとっての負担が大きく異なるのはおわかりいただけることと思う。
このように、一律に「過度な負担」の基準を設けるのは難しい。
ただ、過度な負担を判断する観点はある。
以下がその観点。
・事業への影響の程度
・実現可能性
・費用・負担の程度
・事業規模
・財務状況
これらの観点について個別の状況を考慮に入れて過度な負担かどうかを判定する。
もちろん、合理的配慮を提供する側と求める当事者の側で判断が異なることもあろう。
この場合は、行政へ相談して不当な場合は指導してもらう、場合によっては訴訟に訴える、などをして事例を積み上げていくしかない。
このあたりの事例集については、行政がホームページ上で公表しているので、それらも「過度な負担」を考える参考になる。
本人の申し出がない場合
合理的配慮において忘れてはならないのが、本人の申し出がある場合、という部分。
配慮というのは、先回りしてどんどんやる方がいいように考えがち。
しかし。
それは本人の意思に反しているかもしれない。
配慮なんかなしに、みなと同じに扱ってほしいこともあろう。
先回りして、本人の意思なしに最初から異なる扱いをする、というのは差別的にもなりかねない。
まあ、これは障害の有無に関係なく、誰であってもそうではないだろうか。
放っておいてほしいこともある。
自分でどうにかしたいことだってある。
特別扱いしないでほしいことだってある。
誰であっても、自分のことは自分で決めるのが基本。
なので、配慮の申し出なしに先回りして配慮することは義務づけられていないし、すべきでもないと思っている。
特別支援教育と合理的配慮
最後に、特別支援教育との関係について。
特別支援教育という制度は、インクルーシブ教育の理念が根底にある。
インクルーシブ教育とは、障害者のある者とない者が共に学ぶのを基本として、障害のある者が地域の教育システムから排除されない仕組みのことをいう。
意味なく障害のあるなしで教育の場をわけたりせず、みんなで共に学ぶのが基本。
でも、ただ共に学べばいいかというとそういうわけではなく、障害のある子どもの個々の教育的ニーズ(支援の必要性)を埋めながら、その子が最大限能力を伸ばすことができるように教育するというのが大事という考え方である。
その子の能力を最大限伸ばすのに必要があれば、特別な学校の存在も否定はしていない。
そういう場合であっても地域の教育システムの中で誰も排除することなく教育を受けられるようにしよう、という理念である。
過去の記事では、「インクルーシブ教育と統合教育」が参考になるかもしれない。
このインクルーシブ教育。
障害者権利条約において、その内容が定義されている。
その中で、インクルーシブ教育の実現にあたり確保するものの1つとして、合理的配慮が提供されることが明記されている。
つまり、特別支援教育において、合理的配慮の提供は必須のものということである。
よって、特別支援教育の授業の中で大きく扱う内容になるわけ。
さらにいうと、合理的配慮は法律上、行政機関等や事業者に義務づけられたものでもある。
つまり、公立学校であっても私立学校であっても、合理的配慮の提供義務が生じる。
やはり、特別支援教育で大きく扱わざるを得ない重要な内容なのである。
ぜひ、きちんと理解していただき、障害のある者と関わる際、間違わないようにしたい。
さて、だいぶ長くなった。
今回はこのへんで。
ではまた。
津山ですな。
たぶん岡山へ向かう最中の一コマ。
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2026/08/03 22:08
寝る前に。
自宅にて。
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