週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

ノートはいい、筆記具はいい No.3

さあ。
このどうでもいいシリーズも最終回(シリーズはこちら)。
この上、何を書くことがるのか、と思われるかたもいるかもしれない。
いや、しかし。
まだまだたくさんある。
今回はマニアック編。

ノートに筆記具で書く、ということをずっとやっていると、当然のことならが筆記具にこだわりが生まれる。
僕の場合は20代中頃だっただろうか。
まず、いいボールペンに手を出すようになる。
書き味とか色味とかそれらがモノによって大きく異なり、これがおもしろかった。
そうなると万年筆に手を出すまでにそんなに時間はかからない。
国産の万年筆に手を出したの皮切りに、いくつかの万年筆に手を出す。
ペン先の材質がどうだとか、形がどうだとか、面倒くさいことを言い出す。
このあたりから、「書くこと」が文字列を並べること、から、手に伝わる感覚も含めて楽しむもの、に変わっていく。

ただ。
万年筆は高い。
そして、万年筆は、その名の通り長持ちする。
そうすると、新しいものに手を出す、というのは永遠には続かない。
お気に入りを長く使い続ける、といういうところに落ち着く。
すると。
次に行き着くところ。
それは、筆記具・万年筆好きとしてはもう既定路線の「インク」沼ということになる。

ご存知ない方のために説明しておくと、万年筆というのはインクカートリッジを差し込んで使う他に、インクをインク瓶から直に吸い上げて使うことができる。
本体にスポイトのようなものを取り付けて、インク瓶から本体に吸い上げる。
使うインクは本体と同じメーカーのものに限定されず、世界中の好きなメーカーのものを使うことができる。
これがね、大変おもしろい。
インク一つで書き味が大きく変わる。
同じ色名でもメーカーによって微妙に色も書き味も違う。
さらに、同じ製品でも古くなったり水分が抜けたりするとやはり色が変わる。
これが本当におもしろい。
こうやって、インク沼というイケナイ沼へとハマっていく。
僕はブルー沼にかなり深くハマった。

そして、このインク沼にハマった人が次に行き着くのがノート。
インクが裏移りしないとか、インク×ノート紙質で書き味がですね。

かくして、文章を作ること、ではなく、書くという行為が目的化したオバカサンが出来上がる、というわけ。
まあ、でも、楽しいのでやめる気はない。

と、いうわけで。
思考を広げる道具として、ノートと筆記具を使ってみてはいかかでしょうか。
まずはそこから入っていただくので構わない。
で、いずれ、ですね。

ではでは。
今回はこのへんで。
ちなみにこの記事は最近入手したJet Streamのパーカータイプのボールペンインクで書いている。
こいつの書き味は、たまらない。




職場で常用している万年筆とインク。
最後まで使い切れるようにインク瓶に工夫があるのもおもしろいポイント。


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2023/11/05 16:34
本日3本目。
鳥駅スタバにて。



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Update 2024/01/21
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わかりやすく伝える人は頭の良い人、なのか

SNSで「難しい言葉をいっぱい言うのは簡単」「わかりやすく伝える方が頭良い」というのを見た。
有名人の投稿だったので、結構注目を集めていたよう。
なるほど、確かに!みたいな反応が多かったか。
さっそく、知り合いの学生さんが、これを引き合いに出してなんやかんや言っていた。

さて。
これは正しいのだろうか。
そうすると難しい言葉は何のためにためにあるのだろうか。
そもそも頭の良さってなんだろうか。
一応僕は心理学もちょっとだけ詳しいので、これについて書いてみようという気になった。
まあ余興、お遊びの類。

まず、頭の良さからいこう。
頭の良い人、とはどんな人なんだろうか。
勉強ができる人?
理解力の早い人?
難しいことを知っている人?
ひらめきのすごい人?
いやいや、記憶力?
コミュニケーション能力お化け?
よく気付ける人、なんてのもあるか。
そして、冒頭の説明が上手な人。

並べてみると、実にたくさんの頭の良さ的なものがある。
実はこの「頭の良さ」、曲者である。
おそらく、人によって「頭の良さ」の意味が大きく異なり定義できない。
この辺りは心理学の知能とは何か論と似ている。
心理学において、知能とは何か、は心理学者間においても定義が多様で一致しない。
知能、という概念自体がつかみどころがなく、何とでも定義が可能だから、というのが原因。
これは、おそらく「頭の良さ」とほぼ同じ。

例えば。
その場で、パッと新しいアイディアを思いつく能力。
その場では全く思いつかないものの、時間をおくと誰も考えないようなアイディアを思いつく能力。
斬新なアイディア自体は思いつかないものの、他人の出した思いつきをもとに穴のないプランに詰めていける能力。
いずれも、「頭の良さ」を示す能力だとは思うものの、それぞれは別の能力で、それぞれに長短をつけるのが難しい、というのは「頭の良い」読者であればわかるはず。

難しいことを簡単に説明できる能力、も確かに頭の良さの一つであることは否定しない。
ただ。
「わかりやすく伝える方が頭が良い」かというと違う。
ここまでに書いたように、他の能力と比較してこちらの方がより頭の良さを規定するというのはわからない。
おそらく、それぞれは独立した能力で、比較可能なものではない。
特に、「難しい言葉を言う」よりも「わかりやすく伝える」が頭が良い、という部分はこの色合いが強い。
理由は、主には以下の2点。

まず。
思考は言語にしばられる。
これは心理学をやっている人ならご存知のはず。
言語が内面化したものが思考、というのが教科書的な説明。
どんな言語を操れるのかは、個人の思考を規定する。
つまり、難しい言葉を知っている人、使える人は、それだけ操れる思考の道具が多様で、思考も深く多様になる。
これが「頭の良さ」と関係しないわけがない。
そもそも、なぜ難しい言葉、なるものが存在するのか。
それは、難しくない言葉で表現するよりもその方が楽だから。
かなり分量が必要な説明がたった一言で済む場合がある。
その分、別の説明に時間を使うことができる。
難しくない言葉で表現するとニュアンスが難しかったり正確さが犠牲になったりするから難しい言葉が必要、というのもある。
便利だから難しい言葉が存在するわけ。
なお、難しい言葉を言う人は、難しい言葉がわかる人であることが多い。
これは、難しい言葉のまま難しいことを理解できる人、ということでもある。
これらのことは「わかりやすく伝える」能力とは独立で、これらが「頭の良さ」と関係ないと考える方が無理がある。
頭の良さとしてどちらが優位か、これを問うのがナンセンスであるのはわかるであろう。

問題点の2点目。
「わかりやすく伝えられる人」が必ずしも難しい言葉を理解する能力を有しているとは限らない。
当たり前だが、人は自分の操れる言語能力と理解力の範囲で物事を理解して思考する。
これは、難しいことを理解した上で「わかりやすく伝えている」のではなく、さほど難しくないようなもののみを理解した上で「わかりやすく伝えている」だけの可能性を生ずる。
わかりやすく伝える能力と難しい言葉を操る・理解する能力は別物なので、当然そうなる。
薄っぺらい知識についてわかりやすく伝える能力を、頭が良い、かと問われると、僕はあまりそうは思わない。

そんなわけなので、「難しい言葉を操る能力」を侮ることなかれ。
その過程で「難しいことをいっぱい言う」は出てくると思うけど、決して簡単なことではない。
もちろん「わかりやすく伝える能力」はこれはこれで高度な能力ではある。
「頭の良さ」としては、どちらも独立であり、どちらも大事だよ、というのが結論であり、言いたいこと。

なお。
頭の良さってのはね、こういう一見正しそうなものに簡単に騙されないことについても含まれるのではないだろうか。
まあ僕は、「頭の良さ」なる概念が、いまいちよくわかってないないのだけれども。

余興的お遊び記事はこれでおしまい。
ちなみに、冒頭の発言をした有名人、僕はわりと好き。
そこんところ、勘違いされないよう。
ではでは。
また。




とある雪の日の鳥取市内。

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2024/02/11 15:46
卒論提出ひと段落記念、大休養旅行。
南町田タリーズにて。



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Update 2024/02/11
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研究でやってはいけないこと〜剽窃編(研究をしよう36)

研究には、絶対にやってはいけないことがある。
学部生、未熟な院生レベルだと、これがよくわかっていない場合がある。
よくよく振り返ると、学部生向けにあまりこれに関する授業や講習がなかったりする。
ただ、これ、研究業界でやると犯罪に準じたヤバさがあり、処分を受けることになる。
例えば、論文提出後、卒業前に見つかれば、不正認定で留年は間違いない。
卒業後・修了後に見つかれば、卒業や修了、学位の取り消し処分がなされる。
悪いことをわかっていて軽い気持ちでやったとかなら本人が悪い、ということになるが、そもそもどこまでがダメかがわからん、ということなら、学生にも少し同情の余地がないではない。
ただ、こんなのは知っていて当然な上に、学則にやっちゃダメって書いてあることがほとんどなので、知らなかったでは済まされない。
なので、今回はこれについて書く。
いつもは読み飛ばす人も、こればっかりはしっかりと読んでおいた方がいい。

さて、今回はその剽窃編。
書くことと研究計画に関する不正、と思っていただいた結構。

論文の基本

論文が不正にならないためには最低限以下を満たす必要がある。
(1)自分のアイディアで計画を立て、自分で実施する
(2)自分で表現する

これは何も研究に限った話ではない。
あらゆる表現物やお仕事は多かれ少なかれこれらを満たす必要がある。
特に、(2)については、守らない奴らを罰する法的な枠組みがたくさんある。
そのくらい重要な事項であることを頭に入れておきたい。

これらを守らないのが、研究不正となる。
卒論生・院生は、基本的に自分で考えて自分で書け、というのが基本的な守るべき事項ということなる。

剽窃とは

文部科学省(2014)は盗用を以下のように定義している。

盗用
他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又 は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること。

剽窃は上記文書の中では言及がないが、一般的に他人の著作を自分の著作物の中に無断で使うことを指す。
盗用のうち、文書に関する部分を特に剽窃と言うと考えていただいて構わない。

何がアウトで、何がセーフか

まず、コピペ。
これは1発アウト。
1行でもコピペがあったら、アウトと思って欲しい。

次に、コピペしたものの一部表現を変える。
これもアウト。
基本的に大部分が同じなので、ダメ。
一部を他人著作から流用しているのでアウト、と言うことになる。
いや、これくらいバレないだろう、と思われるかもしれないが、バレる。
これについては、コピペはバレるを読んでいただいて。

基本的に、自分で書く、表現する、というのが必須。

次に出てくるのが、本や論文をコピペではなくて、真似して打ち込むこと。
これは、やり方の違いであり、コピペと変わらない。
他人に代筆してもらった、もバレにくいがダメ。
何度も言う。
自分で表現しなくてはならない。

セーフなものは何か。
まず、他人の言うことを論文で使いたい場合。
これは、引用という方法を使う。
原典を明示して、お作法に習って引き移す、もしくは要約する。
分量書き方その他いろいろお作法があるが、それに従っていれば剽窃には当たらない。
やり方に関しては、レポートの書き方本にあるので、それを参考にしてほしい。
この辺りが参考になる。
なお、剽窃・盗用・引用については、レポートの書き方本の基本として書かれており、論文を書くにあたりこれらの本の内容くらいは頭に入っていることが想定されているため、不正した場合、知らなかったが通ることはまずない。
聞いていないだけで、たいがいどこかで繰り返し説明されているはず、となる。

論文の表現としてどんなものがあるか、を複数の論文で確認する、というのはあり。
論文の表現や構造、というものはあって、自分の書いた表現がそれに当てはまっているかがわからない。
「示す」という表現は使っているのか否か、どういう時に使っているのかなど。
基本的に自分で書いていることを前提として、その表現の細部を確認して改めるというもの。
論文の表現技法を学んでいるだけなので問題はない。
盗んでいない、というのが大事なポイント。

詳しくは、論文の書き方本を読み込んでいただいて。

なぜバレるのか

教員がなぜ気づくのかについては、コピペはバレるを読んでいただいて。
これはすぐわかる。
こちとら、書き手のプロであり、読み手としてもプロであり、教育のプロでもある。
なめてはいけない。

では、いつバレるのか。
自分の指導教官をスルーできても、普通は複数人審査教官がいる。
副査だったり指導教官以外の主査だったり。
指導教官にバレた場合であれば、提出前であればキツイお説教ともに書き直しを命じられてことなきを得る場合も多い。
問題は、指導教官以外の教員にバレた場合。
これは、提出後審査のプロセスに入っていることが多く、不正認定の上、卒業延期となる。
おそらく、組織の教員全員に不祥事と共に名前を共有されることになる。

他にもある。
最近では論文を公表しよう流れがあるため、卒業後指導教官が公表するために内容を見直すことがある。
この過程でバレる。
僕が卒論生の論文を公表する場合、中身のチェックはかなり入念にする。
引用している場合、引用元の内容と照らして言い過ぎではないか、までかなりしっかりチェックする。
公表してから何か不備があると、学生の名前にも傷がつくので、そこはかなり慎重にやる。

他者からの指摘でバレることもある。
なんらかの事情で、論文が剽窃した元の著者の目に触れてしまうことがある。
その結果、これは自分の論文の盗用なのでなんとかしろ、と大学に垂れ込まれる。
こうなるともうどうにもならない。
著者以外の第3者が指摘することもある。
代筆していた人が告発する場合などもあるか。
最近は、剽窃をチェックするソフトウェアがあって、それでバレる可能性もある。
博士レベルだと、ひどい不正をやらかした人がきっかけとなり、過去の論文チェックが行われ、、、みたいなパタンもある。
怖いですな。

卒業後・修了後の場合は、不正認定委員会あたりにかけられ、認定されることになる。
時効がないので、いつバレるか全くわからない、ということに注意が必要。

バレるとどうなるのか

卒業・修了前だと、組織に処分され卒業・修了が延びる。
所属学部・学科では、不正の人ととして、名前が共有される。
ただ、これは教育上の措置であり、教育しようとしているだけまだいい。

では、卒業・修了後はどうなのか。
さかのぼって、卒業・修了が取り消され、学位が取り消しになる。
その時点で、職についている場合、これがどんな影響を与えるか、わかるだろうか。
特に、学位が仕事上重要な場合、それはそれは大変悲惨なことになる。

まあ、そんなわけで、不正はするなってこと。
こんな爆弾を抱えて生きていくくらいなら、留年・卒業延期の方がまだマシだと思わないだろうか。
不正をせずに、能力を身につけて卒業・修了した方が、社会に出ても活躍できるだろうし。


長くなった。
ではまた。




大雪の鳥取市内にて。


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2024/01/21 14:10
休日の大事さを噛み締めながら。
ドトール鳥駅にて。



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谷中研究室に関するQ&A:学部編

研究室(学部ゼミ)配属について、よくある質問をQ&Aとしてまとめてみました。
ゼミを決める時の参考にしていただければ幸いです。
なお、大学院修士編、もいずれあげる予定です。
また、研究室のあれこれについてはこちらにも書いています。
まだの人はお読みいただいて。

Q:特別支援教育には興味ないのですが、大丈夫ですか?

大丈夫です。
障害に関することの他に、心理学・発達の分野で研究ができます。
教科教育について、その学習過程を心理学的に研究、特別支援的な観点(できない、に注目するなど)というようなテーマもありえます。
脳波計などを使って、生体から信号を計測するような研究もできなくはありません。
テーマに関してはかなり幅広く設定できます。

Q:特別支援の免許を取らないのですが、ゼミに入れますか?

問題ありません。
過去のゼミ生を見ると、免許なしが半分くらいいます。
なんなら、僕の授業を一つもとったことないという強者ゼミ生も何名かいます。

理由としては、心理学がやりたかった、発達研究がやりたかった、脳に興味がある、特別支援学校以外の仕事を志していて、障害のことを勉強(研究)したいと思った、などがあります。
幼児教育関係、小中高の教員志望組、研究志向、あたりの学生さんはわりときます。

Q:ゼミでは何をやりますか?

メンバーが順番に論文紹介をしていきます。
興味ある論文を自分で探してきて、メンバーと内容を共有する、というのが基本スタイルです。
3年生前半は研究論文の読み方、方法論の勉強、様々な分野の勉強などが中心になります。
これらを主な目的として、ゼミでの論文共有(発表)をしていきます。

3年生後半は、自分の卒論のテーマ決めるために、引き続き論文紹介していきます。
この時期は、ゼミで発表するために論文を読むのではなく、日常的にたくさん読んでいる論文の中から選りすぐりをゼミで紹介するような感じでしょうか。
3年最後に、研究計画の初版完成を目指します。
必要に応じて、方法論の勉強会なんかをやったりするのもこの時期。

4年生は前半に論文紹介と研究計画発表を。
後半になると卒業研究進捗報告会、大相談会と化します。

通常のゼミは以上のように進みますが、これに加えて、異学年合同のゼミ、というのを月1くらいでやります。

Q:どんな能力が身につきますか?

ちゃんとやる(時間をかける)と、学部レベルとしてはかなりいい線の研究能力が身につくと思っています。
と、同時に、研究したトピックに関しては、学内では1番詳しくなっているはずです。

ただ。
卒業研究、卒業論文は、あくまで教育上の教材と位置付けています。
これは、世間の大学教員の中ではマイノリティになるかもしれません。
作品としての研究の質の高さ、よりも、その過程で身につく研究以外の各種能力というのを重視しています。

人によって時間をかける領域が異なるため多様ですが、論理的な思考・説明などをする力はわりとみなさん身についている印象があります。
論理性と地続きなのが、問題発見解決の能力。
これもいいセン行きます。
他には、プレゼンする力、物おじせず質問する力、書く力なども鍛えられます。
副次的なものとしては、データを読む力、統計的素養、パソコンを操る力、なども。
全然エクセルができなかった学生が、卒業後職場でエクセルのエキスパート扱いされている、と報告を受けたこともあります。

Q:厳しい、と聞きましたが本当ですか?

うーん。
あまり、厳しくないと思います。
少なくとも、管理したり怒ったり、というのはないです。

厳しい、という部分を挙げるとすれば、研究全般に対しては理想論を言うので厳しく見えるかもしれません。
研究の質の部分に妥協して、いーよいーよ、なんてことは言わないので。
ダメなものはダメ、アマイものはアマイ、と言います。
その部分は厳しく見えるかもしれません。

厳しい、と言われるのは、たぶんゼミ生自身の研究を見る目が厳しくなるから。
ゼミ生自身の要求水準が上がるので、やることがたくさんになって他より忙しくやっているのが外から見ると厳しく見えるのだと思っています。
基本的に「好きにしたらいいよー。でも、それやると、こうなるよー。それでもいいなら、やったらいい。」というような、感じで選択はゼミ生にしてもらっています。

Q:放置、と聞きましたが本当ですか?

放置、ではなく、管理しない、が正しいです。
緩やかな注意喚起はしますし、指導は定期的にします。
求めれば最優先で対応するので、密にやりたい人はかなり密に、そうでない人は疎に。
そんなふうに進みます。

それを放置というのであれば、放置なのかもしれません。
なお、放置っぽいからやめたのに、これなら先生のところにしておけばよかった!というのは言われたことがあります。

指導では自由と自主性を重んじていますが、求められれば、時間は僕の研究よりもはるかに高い優先度を持って対応します。
ただ、アドバイスはいくらでもするけど、僕が決めて学生は指示通りやる、というのはしません。
それでは教育にならないので、意図的に避けています。

Q:能力に自信がありません。ついていけるでしょうか?

時間が使えるのであれば、気にしなくて大丈夫です。
ちゃんと育てます。
逆に、育ちたくない、育てられたくない、という場合はミスマッチなのでやめておくのが無難だと思います。

それと。
研究で伸びる伸びないは、これまでの学業成績の高低とはちょっと違うと思っています。
試験テクに長けていて成績が高かった学生が研究では伸び悩む、というのはよく見ます。
逆に、成績はそこまで良くないのだけど、研究ははまる、という場合もあります。
なお、大学教員は学生時代成績がよくなかったタイプが一定数います。
僕もGPAがあったならばそこまで高いタイプではなかったと思います。

Q:他にウリはなんですか?

教員へのアクセスのハードルが極端に低い。
お菓子の供給がある。
くらいでしょうか。

酒カスなのでねだると酒も飲めます。




修繕中の姫路城。


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2024/01/20 18:57
久々鳥取休み。
ドトール鳥取駅にて。



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Update 2024/01/20
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なぜ指導教員は前と言っていることが違うのか(大学教員生き物シリーズ)

なぜ指導教員は前と言っていることが違うのか。
卒論生・大学院生と話していると、時々こういうことを言われることがある。
これは結構よくあることらしく、場所・人を問わず、聞く。
そういえば、僕も院生時代、これに覚えがある。
え、それ、先生が言ったからやったのにー。
なぜそれやったのか?はないんじゃない?
そのことは前に先生に言って、うんって言ったじゃん!!
聞いてないとはひどい。
まあこんなところか。
前回と言っていることが真逆じゃん、なんてこともあるかもしれない。
なお、これは、指導教員に限らず、世の上司にも共通していると思うので、「指導教員」を「上司」に読み替えて読んでいただいてもそんなに外さないと思う。

さて。
指導される側だった僕や友人たちも時々ぼやいていたこと。
でもね、これ指導する側になると、なんで起こるかがよくわかる。
教員側は、それ以外の人が思っているのの数倍は忙しい。
一人で何件も指導学生を抱えており、他に授業もやっていて、事務仕事も多い。
特に、指導学生の部分が大きく、同時並行で全然違うテーマを数件指導している。
するとね、誰に何を言ったか言っていないか、このあたりがわけわからなくなりはじめるのだ。
もちろんそうならないように、工夫はする。
学生ごとにカルテメモのようなものを作ったり、前の指導した時に使った資料を見直したりもする。
ただ、そのメモも完璧には取れないし、メモする前に別の緊急案件で中断されたり、別の学生が間髪入れずに質問に来たりする。
そうなると、記録も残らず、振り返ることにも限界がでてくる。

それでも、なんとかなることは多い。
同じ資料に目を通してその場で考えれば、指導する内容はだいたい同じところに行き着く。
それで、その場で一生懸命考えながら、前に言ったことを思い出しつつ、指導する内容をその場で紡ぎ出す。
大体はこれで問題は生じない。
ただ。
人は気まぐれな部分もあれば、見落としもある。
前回うっかり見落としていた箇所があり、でも今回はそれに気づいて、その結果指導内容が異なるところに行き着く。
しかも、見落としていた事実自体に気づくことができない。
そんなわけで、言っていることが違う!ということになってしまう。
他にも、他の人への指導内容や指導で言った記憶が混ざってしまって、それがその場で思いつく指導内容を変えてしまうこともある。
日々指導しているので、与えられる文脈情報が刻一刻と変化している。
その結果、我が愚脳が導き出す出力内容も異なったものになってしまう。
おそらく、スーパー優秀と思っていた指導教員にもこういうことが起きていたのだと思う。
なお、これは自分の研究でも起きることで、Aだと思って作業を進めていたものの、作業しながら考えて行くうちに「これはAではなくてBなんじゃないか」と、考えを変えることはよくあること。
研究という営み自体に、そういう要素がある。
かくして、言っていることが違う指導教員が出来上がる。
僕は、これは避け難いとある程度あきらめていて、学生さんにその旨を伝えて、自分が前回言ったことの確認から入ることもしばしば。
間違うこともあるので、そういうことが起きたら指摘するように言ってある。

さて。
じゃあ学生(あるいは、上司に相対する部下)はどうしたらいいのか。
もうこれは簡単で、コイツ(指導教員か上司)は覚えちゃいないので、そのつもりで話す、資料を作る、に尽きる。
お前のこの指摘に対応して、こういう作業をやって、こうなった、とみせる。
まあ、ドラマやアニメでいう「前回のあらすじ」のような説明を少しつけるようなイメージ。
僕は自分の能力のポンコツさには全幅の信頼を置いているので、すまん忘れた、前回オレ何言ったっけ?と聞けるけど、そういう人間ばかりではない。
そこで、指導教員(や上司)にあらかじめ共有したい文脈情報を与えてしまう、というやり方。
これ、わりと有効で、僕が上司や共同研究者とやりとりする時にはこのやり方をするようにしている。
すると、結構スムーズに物事が運ぶ。
これはわりとオススメ。
あらゆるシーンで役にたつちょい技。

まあもちろん、そのくらい指導教員(あるいは上司)の側でどうにかしろよ!という意見はあると思う。
スジ論としては極めてごもっとも。
ただ、やってみるとどうも難しいのだ。
これはポンコツな側の僕だけでなく、スーパーエース級能力なはずの指導教員であっても起こる、というのがその難しさを物語っている。
まあ、スーパー優秀な人にはスーパーな量のお仕事・指導学生がやってくるので、やはり能力の限界を超えてしまうということなのだと思う。

ではでは。
また。




羽田空港にて。


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2024/01/21 14:10
休日の大事さを噛み締めながら。
ドトール鳥駅にて。



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Update 2024/01/21
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僕の研究変遷記〜修士編前半

前回(学部編)の続き。

大学学部は幅広く学び、いざ院の修士へ。
進学先は北の大地の大きな大学。
ここの医学系の大学院だった。
研究室は脳の電気生理学系の研究室。
高次脳機能学分野、という字面のイメージだけで希望を出し、ここに配属となった。
今考えると、正気かちょっと疑われるレベル。
先生も知らず、なんの研究をしているかもよくわからず、「脳の研究がしたい!」という純粋素朴な動機で選んでいる。
だって、周りに外部院進する人なんかいなくて、知らなかったんだもん。
願書や入学案内にも、1年後期から研究室配属って書いてあったから、そんなもんかなーって思っていた。

で。
いざ入学してみると、すぐに研究室に配属となり、めくるめく研究生活がはじまる。
電気生理学。
詳しくない人のために書いておくと、我々の身体の中にある神経細胞は電気信号を出すことで難しい知的活動を実現している。
本当に、ピコピコ電気信号(1m秒くらいの速さ)を出して、それを伝えて、次の細胞たちが電気信号を出したり出さなかったりすることで、脳機能が実現されていく。
この記事を書いている間も、僕の脳の神経細胞たちはピコピコ電気信号を放出。
その、生体の電気信号を記録して、それを研究しようという分野が電気生理学という分野。
1つの細胞の1つのタンパク質に注目して電気的なふるまいを明らかにしようという研究分野から、頭皮上にダダ漏れに出てくる電気信号を記録して分析しようという分野まで、幅広い。

僕の入った研究室は、電気信号を細胞そのものから記録しよう、という研究室だった。
対象はニホンザル
おさるさんに何か課題をやってもらって、その時の電気信号を記録することで、高次脳機能はどう実現しているのか、ということを研究するところだった。
ニホンザル電気生理学的手法をメインとしながら、それ以外の手法も利用しつつ、総合的に研究をしていた。
ネズミだったりマーモセット、リスザルの行動を見たり、なんてのもあった。

なーんも知らずに、能天気に選んだ研究室生活がスタート。
1番の思い出は「サル当番」。
当然なんだけど、サルを飼っているわけだから、その世話がある。
月に数回、研究室のメンバーが交代でサル部屋の掃除などを行う。
その主担当が「サル当番」。
これが結構キツくて、結構おもしろかった。
サルにはそれぞれ個性があって、しかも人間との間に順位付けもある。
1番えらそうなおサルが研究室で1番長い先輩のおサルで、たぶん新人の僕よりもエラい、という認識の持ち主。
掃除してたら、水はかけるは、餌を奪おうとするは、で、それはそれは太えやつだった。
誰にでもそういう態度をとるわけでないのがまた腹立たしく、先輩が来ると極めて従順にしおらしくしている。
まあ、こういう、普段見られないおさるの世界を垣間見ながら、月数回、サル当番をこなす。
数時間くらいかかり、当番が終わると1日サル臭くなる、というものだった。

研究者としては失格なのかもしれないが、サル当番をしているとサルに情が移ってくる。
どうも、サルを対象とした研究というものが思いつかなくなってしまった。
そんなもん、入学前に考えておけよ、という話なのだが、そうなってしまったものは仕方ない。
サルの前頭葉系の論文は読むものの、なかなかイメージがわかない。
修士もまだ始まったばかりだというのに、えらいことである。

そんなこんなで、前期も試験期間が終わった頃の話である。
ボスがミーティングで急にこんなことを言い出した。
「幼稚園児の脳機能を計測したい。ヤナカ、行かねぇか?」
どうも、大型研究費のネタで子どもの高次脳機能の研究をするというものがあったらしく、でも、研究室のメインはおさるで、メインでやる人がいなかった。
スーパーエースみたいな先輩がサルをやりながらヒトの幼児もやっていたのだけど、専念する人が欲しいとのこと。
「あ、やります。」
持ち前の能天気さで引き受けることに。
「わかった。でも計測装置がないから、とある企業の研究所に出張してくれ。」とボス。
聞けば埼玉の山奥にあるとのこと。
「出張ってのは、どれくらいの期間行けば?」と、聞くと、
「データが取れるまでずっと」とボス。

そんなわけで、僕の専門分野はサルの電気生理学、から、幼児の脳機能計測、へと変更。
北海道の冬を経験することなく北海道を去り、その後戻ってくることはなかった。

今日はここまで。
次回は修士後半編。
では、また。




、、、よこ、、はま??


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2024/01/07 19:01
年末年始休暇が終わってしまう。
丸善の3Fにて。



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Update 2024/01/07
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1週間徹底的のんびり休暇日記

今シーズンの年末年始は暦の並びがとてもよい。
いやー、極めてよい。
12/27(水)まで授業だったものの、12/28(木)まで勤務したら12/29(金)から休暇入り。
明けの1/4-5は木金平日であるものの、大学の粋な計らいにより授業はなし、休暇奨励日になっている。
しかも、成人の日で1/8(月)までお休みときている。
ここのところの我が身を振り返ると、仕事に次ぐ仕事でややエネルギー切れ。
こころのエネルギーが枯渇に近い。
神様は言っている、、、、休め、とことん休め、と。
そんなわけであるから、1週間、徹底的にのんびり過ごすことにした。

ただ、29(金)からまるまる休めるかというとそんな簡単でもない。
まず年賀状を書き、年末の片付け等を行い。
初日朝早くから18切符で鈍行旅、とも思っていたが、そうはいかず。
年賀状がオワラナイ、片付けもオワラナイ、はみ出た仕事もオワラナイ。
結局、夕方くらいの汽車に飛び乗り。
めくるめく、ロング・バケーションがスタートした。

チェックポイントは2つ。
晦日に栃木(実家)、年明けに横浜(別荘)。
それ以外は自由。
初日は東海地区に投宿。
その後、えっちらおっちらと鈍行で栃木に向かい、31日夜遅くに実家着。

正月はのんびり(ぐったり、とも言う)とした時間を過ごし、動かず食っちゃ寝、食っちゃ寝。
寝る以外になーんもしなかった。

2日夜に横浜へ移動。
この時点では最終日以外なんの予定もなかった。
3日、タリーズで読書とぼんやり。
4日、タリーズで読書とぼんやり。
5日、タリーズで読書とぼんやり。
6日、タリーズドトールで読書とぼんやり。
ここまで書いてて思ったのだけど、ここ数年稀に見る贅沢な時間を過ごした。
さすがに、このあたりでもったいなさを覚え、6日はラーメンに行って、のちお酒を入れる。
7日はいよいよもったいなさを覚えて、丸の内丸善に向かう。
本を物色し、ラウンジスペースで読書とぼんやり。
まあやっていることはほとんど変わらない。
新しいことと言えばつけ麺を食したくらい。
振り返って見てみると、まあなんと生産性のない時間であったことか。
しかし、生産性なるアホな近視眼的概念に大変反発をしているので、これで、いい。
わざと、と思っていただいて差し支えない。

ちなみに。
8日は予定ありでわりと忙しめの休暇。
午前中から友人とそのお子さまと会食をし、これからの日本経済と今シーズンのヤクルトスワローズの行末について議論するなどした。
その後、品川まで移動し、元同僚の友人と酒を飲み、今後の日本の大学教育と研究について意見交換するなどする。
で、今、羽田空港でこの記事を書いているところ。

いやー、究極に無駄で生産性のない楽しい休暇でありました。
時々やりたい。
ではまた。



おまけ

読みまくったおかげで少しだけ賢くなった。
ヒトの身体の構造と機能に詳しくなり、漢字を書くことのメカニズムに対する知識が深まり、幣原喜重郎という人と戦前外交史に触れ、失敗から学ぶという事例を知り、法とは何かということを考え続けている人の考え方に感心し、呼吸と運動の関係に思考を巡らすなどした。
世の中、知らないことだらけだなぁ、と改めて認識をした回でもあった。




川崎かな。


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2024/01/08 19:01
年末年始休暇が終わってしまう。
羽田空港にて。



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