週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

エネルギー充電横浜日記

たまたま。
本当にたまたま。
2週連続で横浜に来た。
贅沢だなぁ、と思わないではないのだけど、今週の分は2ヶ月も前から予定されていた。
年末年始のは、実家の無言のプレッシャーによるもので、まあ仕方ない。

で。
お前、横浜で何をしているんだ、と思われる方もいると思う。
やたらしょっちゅう来ているように見えなくもないので、ごもっともな疑問ではある。
僕も一体何をしに来ているんだろうと疑問に思ったので、自己観察をしてみた。
してみたのだけど、これが、驚くほど何もしていない。

朝起きる、窓際で陽を浴びながら読書をする、カフェに移動する、コーヒーを飲みながら読書をする。
週刊雑記帳に何か書こうとiPadを開く、あぁ何も浮かばねぇ、音楽でも聴こうっと。
で、読書、のち別のカフェに移動して、似たようなことを繰り返す。
夜は飲み屋に移動して、酒を飲みながら音楽流してTwitterいじったり本を読んだり。
ここに思いつきの、映画、飯、買い物が入るくらい。
文字に起こしてみると、本当に大したことはしていない。
鳥取でもできそうなことばかり。

が、しかし。
こっちに来ると元気になって帰るので、きっとなんらかの意味があるのだろうなぁと思っている。
選択肢が多くて自由に振る舞えるからか、ふるさとの懐かしい景色があるからか。
太平洋側の陽の光がたまらんのかもしれないし、バッタリ誰かと会うことがないという安心感のせいかもしれない。
知り合いに声かけてもらって無邪気に食う飲むができる、というのも大きいか。
鳥取にもなんらかの息抜きシステムを構築せねば、と思うんだけど、13年いてもこれがなかなかね。

まあそんなこんなの、息抜き横浜生活の中日。
明日は映画でも行って、明後日ラーメン食べて帰る。

本当はもっと役にたつ何かか、痛快爆笑エッセイでも書きたかったのだけど、今日の僕には全く降りてこなかった。
よって、本当に役に立ったない駄文に相成り。
まあ仕方ない、こんな日もある。
ではまた。




自分の行動観察から、ふるさととかなつかしさの心理学研究をやりたいと思っている。
誰か一緒にやらないですか?
横浜ベースの近くにて。


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2025/01/12 20:26
コーヒーを飲みながら。
南町田タリーズにて。



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Update 2025/01/12
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2024-2025年末年始ドタバタ旅日記

2024年は大変忙しかった。
忙しかった理由は、①厄介な臨時業務、②授業が増えた、③仕事が増えすぎて何から手をければいいかわからなくなった、など、いろいろある。
が、とにかく忙しかった。
特に後半がひどかった。
プライベートは大いに犠牲になり、帰っては寝て、早朝起きては仕事、の繰り返しだった。
土日は臨時業務であまり休めず、ついに年末はクタクタもう何もしたくない、というところまで行き着いた。

そんなわけだから、年末の旅の予定はなかった。
というか、日常の家事、年賀状書き、たまった研究(もはや休みしかできない)、であふれている。
ゴロゴロしたり、ダラダラしたり、酔っ払ったりする時間も確保しなければならない。
ちょっと、旅なんか出ている場合ではない。
加えて、1月2週目の週末に逃避行上京旅に出る予定を組んでおり、年末年始は鳥取でのんびりなはずだった。

まず。
12/28、29。
卒論指導が複数入り、休みはお預け。
これはまあ仕方ない。
29日夜は卒業生が飲もうというので、大いに飲み、酔っ払い。

12/30。
気分が上がらず、ダラダラ。
どーする家康の録画を見ながらひたすらゴロゴロ・ダラダラ。
いいなぁ、この生活、酒でも飲むか、と思っていたところ、実家から入電。
親:「お前、帰ってくるのか?」
俺:「いや、予定はない。チケットも買ってない。」
親:「弟は帰ってくるぞ。」
俺:「予定はない。チケットも買ってない。」
親:「そばは4玉買った。」
俺:「・・・」
帰って来てほしいオーラ全開で、まあ仕方ない、帰るか、という気分に。

こうなると、やるはずだった、日常の家事、年賀状書き、たまった研究をどうするかが問題になる。
31日最終便で飛ぶとして、できるのは1つだけ。
掃除、、、、掃除だな、、。
そんなわけで、年賀状と研究はあきらめることに。
関係諸氏みなさま方、申し訳ない。

31日。
昼前まで寝る。
最終便を予約、旅支度と我が家の掃除。
夕方ギリギリに全てが終わり、最終便にて羽田→栃木の実家。
紅白が終わる直前くらいに到着し、すぐ寝る。

1、2日。
あけおめ。
実家でひたすら読書。
免疫系に詳しくなる。
2日遅くに横浜ベースへ移動。

3、4日。
カフェでひたすら読書。
腸に詳しくなる。
4日は友人と飯を食うなどもした。
で、今(4日夜)、カフェでこれを書いているところ。
映画に行こうか、週刊雑記帳を書きためようか、次の本を読もうか、などと考えている。
5日もおそらく、似たような時間を過ごしたのち、最終便で鳥取に戻る予定。

そんなわけで。
年明け早々、何の役にも立たない平坦な駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
今年は、のんびり過ごしたいなぁ、ワークライフバランスのライフの部分を充実させたいなぁ、危機的なプライベートの状況をなんとかしたいなぁ、などと考えております。
変わらず、お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

ではまた。

追伸:冒頭の内容を覚えている方はおわかりのことと思いますが、来週も横浜ベースです。
ちょっと贅沢な気もするけど、キャンセルできないチケットなので仕方ない。
暇な方、予定あえば飲みませう、食いませう。





羽田空港かな。

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2025/01/04 18:52
コーヒーを飲みながら。
南町田タリーズにて。



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それでも書けないアナタへ(研究をしよう42)

いよいよ卒論も追い上げ。
もうじゃんじゃん書きたい。
でも、書けない。
大昔に、論文を書くという記事を書いたのだけど、あれを読んでも書けない、いう人はいると思う。
今回はそういう人たちに向けて、ちょっとしたヒントとやったほうがいいことを。
次回、卒論添削頻出事項を書いてみたいと思う。
なお、このシリーズはレポート課題をこなす大学生・高校生全般にとっても役にたつことと思う。
ぜひ、卒論生以外も読んでいただいて。

方法から書いてみる

何から書いたらいいかわからない人におすすめなのが、方法から書く。
方法はやったこと、もしくは今やっていることをそのまま人に説明すればいいので、お手軽にかける。
その分野の学術雑誌についてはここまでに詳しくなっているはずなので、それらを手元におく。
で、それらの論文ではどんな項目が共通に書かれているか、そのあたりから記載されているかを把握する。
あとは自分のやったこと、やっていることを記載していくだけ。
方法というのは対象がはっきりとしているので、言語化も1番容易なもの。
言語化・書く技術に長けた人ならわりとサッと書けるハズ。

今、調査等真っ最中な場合は、調査終了時にならないと書けない数字などは「xx」などの伏せ字にして、調査終了時に記入するといい。
例えば、以下。

研究協力者の人数は男性xx 名、女性xx名(平均xx ± 標準偏差xx 歳)であった。

言語化・文章化の技術としてはそんなに高くないので、この段階で早めに指導教員に見せて赤入れしてもらうと、少しずつ書く力が上がり、別の箇所を書くときに役にたつ。

方法に何を書くかについては、読者が研究を真似して再現の検証が可能にするため、というのが1つの基準となる。
あとは、論文を読む〜方法前編論文を読む〜方法後編に書いてあることが参考になるか。

方法のあとは結果も書ける。
やっている最中のもの、やる予定の分析について、伏せ字で書いてしまい、ちゃんと結果が出てから正式な数字を書く。
図表についても、ここにこんなのを入れる、というようなメモ書きを書いておく。
例えば、

分散分析の結果、Aの主効果が有意〜云々〜であった。
(ここに表2←平均値と標準偏差、優位差がわかるやつあとで作る)

のような感じで。
書きながら、結果の書き方、図表の作り方については、別記事が必要だなぁと思ったので、これについてはいつか書こうと思う。

段落等の構成を考える

次はイントロ・考察。
ここが書けない人が多い。

基本的に何を書けばいいかわからない状態で書くのは難しい。
そこで、1つ1つの段落で主張したいこと(以下、メッセージと書く)をまず書く。
これはシンプルなほうがいい。
その上で、これらの段落のつながりはおかしくないか、つまりロジックの構造を考えていく。

これ。
研究をしようのヘビーな読者はどこかでみたことある、と感じた方もいるのではないだろうか。
そう、これ、研究計画を立てよう(前編後編)で書いたことと同じ。
具体的なことはこれらの記事と研究計画を立てる〜実践編あたりを参考にしていただいて。

1つ1つの段落で書くことが決まったら、実際に段落のメッセージを文章にしていくという作業に入る。
これについては、次の項目で詳しく書く。
もちろん、研究計画がしっかり立てられている人はこの作業はいらない。

なお、1つの段落のメッセージが決まったら、全体の段落メッセージが全部完成しなくても書き始めてしまっていい。
書くことは考えることでもある。
書いているうちに、別の段落のメッセージが浮かんできたり、今書いている段落のメッセージが変わったりする。
その都度、段落のメッセージを書き換えた上で、段落・論理構造を吟味すればいい。

なお。
段落のメッセージについては、段落の頭で明示しておき、論文が完成するまでは消さないほうがいい。
書いているうちに段落のメッセージがわからなくなる、というのはよくあること。
何を書きたいのか、というのは、書く技術が未熟なうちは忘れてしまいがち。
書いているうちにどんどん脱線してしまい、段落のメッセージがぼやけるというのは本当によくある。
慣れるまでは明示しておきたい。

段落で伝えたいことを意識して文を並べる

段落のメッセージが決まったら、これを文章に落とし込む。
基本は、メッセージに説得力をもたすこと。
先行研究や世に出ている各種統計から根拠を与えられるといい。

例えば、AはBである、ということが段落のメッセージだとする。
そうすると、段落ラストでは、AはBである、ということを読者に納得させるように文を綴るというのがお仕事になる。
まず、「AはBである」という主張を導入する。
これは、問いかけの形でもいいし、可能性でも、言い切りでもいい。
今まで、たくさん読んだであろう論文たちが、どのように切り出しているのかを参考に、自分に合った表現を使う。
その後、根拠を並べることになる。
先行研究の例示、各種統計による根拠の明示、など、説得力をもたす文を構成していく。
ゴールは、AはBである、という主張に説得力をもたすこと。
このように、AはBである、としめてもいいし、書かずともわかるだろという文運びであれば、あえて書かないというのもあり。

段落の頭と最後については、段落間の関係も意識する。
前の段落を受けて、次の段落メッセージが当然来るだろう、と予想されるようなものの場合は特に問題はない。
ただし、次の段落メッセージが意外なものだったり、視点や流れを変えるものであれば、それを相応の接続詞を使わなくてはならない。
段落の接続は、段落頭に担わせる場合と、前の段落の後ろに担わせる場合の2つがある。
どちらでも構わないので、読者によって読みやすいようによい方を使いたい。

これは段落内の文についても同様。
自分が読者だったらと仮定して、当然次にこれが来るだろう、という文を並べたいが、そうでない場合は接続詞をしっかりと意識して書きたい。
なお、接続詞が多すぎる場合は、当然次にこれが来るだろう、という読者期待を裏切り続けているので、文章としては読みづらくなる。
文や段落の構成を見直すことも視野に、文・文章を直したい。

辞書を引こう

文字を綴るのに、辞書を引かない、という人が増えている。
悪いことは言わない。
逐一、辞書をひこう。
ちょっとでも使い方に疑義が生じたら、とりあえず辞書をひく。
これだけで、文・文章はグッとよくなる。
辞書をひくことの重要性は論文に限らないので、この際スマホに辞書アプリを購入することをおすすめする。
Google検索ではなくて、辞書に聞くというのが大事なポイント。
この辺りは、辞書をひこう(大学生のための学び方入門20)にも書いてあるので、参考にしてほしい。

徹底的に読者視点で

文章は、人に伝えるために書くものである。
よって、徹底的に読者視点に立って書け、というのはよく言うこと。
初めて出てくる用語が説明されていないということはないだろうか。
説明が不足しているということはないだろうか。
勝手に自分だけが知っている知識を前提に書いていないだろうか。
この辺りを徹底的に意識する。

段落構成や段落内の文の構成もそう。
この段落の次にはこの段落のメッセージが来るだろうな、という読者の期待にそって書くというのは大事にしたい。
文の場合もしかり。

この過程はものすごく難しい。
ただ、身につけると書く力がものすごくつく上、発表や説得といった、様々なシーンで役にたつ。
自分の思考から自分を切り離して想定他者を置く。
そして、その無知な想定他者にわかりやすく伝える。
書く力、伝える力の基礎として強力な武器になるので、卒論の中で磨いてしまいたい。

声に出して推敲する

意外と力を発揮するのが、声に出して推敲するというもの。
言語の基本は音声言語である。
黙読していた時には気づかなかった引っ掛かりが、音読すると出てくるというのはよくある。
引っ掛かりを感じたら、文か、文の構成か、接続か、のいずれかがおかしい。
声に出して、その原因を突き止めておかしなところをしっかりと直したい。
なお、どんなおかしな点があるのかについては、理科系の作文技術に詳しく書かれているので、それを参考にしたい。
読まずに書いているのであれば、先にこの本を読んだ上で論文執筆をしたい。


以上、つらつらと書いたが、詰まっている諸君の助けになれば幸い。
検討を祈る。
ではまた。





雪の鳥取市内。

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2024/12/30 20:42
コーヒーを飲みながら。
鳥駅スタバにて。



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Update 2024/12/30
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教育はサービス

数年前、Twitterで教育はサービスだよ、とつぶやいたところ、主に学生クラスタから反響があった。
こちらから見えない形で反応しているものが多かったので、クソ、何言ってやんがんだ、バカタレ!!とお怒りの反応だったんじゃないかと思っている。

さて。
今回は改めてこう主張する。
教育とはサービスである。
まあ、サービスにもいろいろな意味があるので、ここでは奉仕、と捉えていただくとより正確か。
おまけ、という意味ではないので、そこは誤解なきよう。

まず、ありそうな反論が、それが仕事なんだからサービスもないもんだ、というもの。
おっしゃる通りだと思う。
仕事でやっているわけだから、職責を果たすべきである、というのはその通り。
プロとして教育業務を粛々とこなすべきである。

ただね。
教育というのは、終わりが見えない、やろうと思えばいくらでもすべきことが出てくる営みである。
授業の準備なんていくら時間を使っても完璧なんてことにはならない。
できる学生をもっとできるようにするための働きかけなんて無限にあるし、やる気のない学生をやる気なってもらうような工夫、もやはり無限にある。
どこまで行っても、ここでおしまい、というポイントがない。
もともと、教育というのは本質的にそういう営みのことを言う。
まあ家庭教育なんかを考えるとわかりやすく、時間だろうがお金だろうが、かけようと思えばいくらでもかけられるのが教育、というのがわかるのではないだろうか。

それでいて。
教育をする側には直接的な見返りは特にないのがまた特徴。
教育にいくら時間を使おうが、お金を使おうが、教育を受ける側には能力が伸びるというメリットがあるものの、教育をする側には特に直接得るものはない。
むしろ時間等の資源を使った分、教育する側の教育以外の側面の成果が阻害される。
大学教員だと研究に使える資源が減るし、幼少中高の先生なら時間使った分だけプライベートの時間が減る。
職業教員ではなくて、仕事において先任者が教育する場合はもっと大変で、時間をかけた分、自分の仕事にかけられる時間は減ってしまう。
にもかかわらず、教育の成果なんていうのは極めて見えづらいので、教育に対する組織からの評価は著しく低い。
もちろん教育の重要性をよくわかっている評価者もいるのだけど、なにせ見えづらいので評価にのらないことの方が多い。
教育ほど第3者評価が難しいものはあまりないと思っている。

すると。
教育に対しては悪目立ちしない程度にほどほどに取り組むくらいが本人とってはお得、ということになってしまう。
ほどほどに教育に資源を使って、評価されることに最大限資源を注ぎ込む。
個人の戦略としては、それが1番お得なのはおわかりのことと思う。
かくして、教育ほどほど・評価軸特化型ギラギラ勢が「デキる」職業人として幅を利かせることに。

しかし。
学校でも、会社でも、どこでも、教育熱心な人間というのはいるもの。
こういう人たちの教育に対するモチベーションは、自己の評価や利益というところから超越している。
教育した個人の能力が上がることにより、組織や社会が良くなる、という公的なモチベーションによる場合。
教育を先人としての義務と考え自らに職責として課している場合。
教育した個人が成長すること自体がうれしい場合。
自己の評価や利益に結びつかない形の、様々なモチベーションに支えられて教育に力を注いでいる。
教育は本質的に奉仕の側面が強い、というの、おわかりいただけただろうか。
これが「教育はサービスだよ」とつぶやいた真意。

周りにそういう先輩・上司・教員がいたら、そういう目をもって接してみるといいと思う。
どんなモチベーションであれ、あなたに伸びてほしい、と思っていることは共通している。
うまく関わって、自分を伸ばすための機会として活かしてほしい。
このタイプの人たちは、離れた後でも困った時に力になってくれることが多いので、相手の立場を理解してよい関係が築けるとなおよいか。

では、今回はこの辺で。
また。





たぶん、12月の横浜。


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2024/11/04 19:14
コーヒーを飲みながら。
鳥駅スタバにて。



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Update 2024/11/04
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卒業研究の遅れは取り戻せるか

ずっと昔に、卒業研究のスケジュールを考えるという記事を書いた。
今回はこれに関連して。

こういうスケジュールを示すと、必ず出てくるのが、
「後から本気で遅れを取り戻すんで、今は就活がんばります!」
というタイプ。
そんなことは可能なのか、について、書いていく。

まず、前提として。
前に書いた卒論のスケジュール。
朝から晩まで卒業研究三昧というような生活を想定して書いてはいない。
平日の日中、1−4限(90分×4時限)の時間を卒業研究に使うくらいのイメージで書いている。
遊ぶ時間も、バイトする時間も、就活の勉強をする時間も、あるという前提。
なお、僕の個人的な意見としては、研究だけしていろとは全く思っていない。
むしろ、大学生というのは特別な時間なので、研究だけしているのはもったいないという考えの持ち主。
ただ、卒業研究の教育効果は絶大なので、ちゃんと取り組んだ方がいいとは思っている。

では、本題に入る。
卒業研究の遅れは取り戻せるのか。
これは、ほぼ無理だと思っていただいていい。
うちの実績値だと0%である。
他の研究室も含めて、いろいろな事例を集めてみても、ほぼ0%。
遅れは取り戻せない。
ギリギリになって、睡眠時間を削って、えらい目にあってなんとか提出まではいく。
ただ、遅れが取り戻せているわけではないので、本来時間を使うべきあらゆる工程を省いた末に出てきたもの。
やはりちゃんと時間を使った人との差は全く埋まらず、クオリティとしてはどうやっても低くなってしまう。
そして、本来、研究活動の中で得るはずだったいろいろなものは得られずに終わってしまう、ということになる。

なぜ、そんなことになるのか。
まあ、これはちょっと考えたらわかる。
平日の日中時間を使うことを前提として考えたスケジュールがこの記事
各指導教員が示すラフなスケジュールも大体同じような前提をもとに作られている。
当たり前なのだが、2ヶ月遅れれば、その2ヶ月分の時間をどこかで確保しなくてはならなくなる。
例えば、2ヶ月の遅れに対し残り半年あれば、平日の作業時間を2時間くらい増やして追いつくという計算になる。
これが、残り半年で、遅れも半年分であれば、純粋に平日の時間を倍にしなければならない。
これが半年続くとか、超人でもない限りかなりきつい。
残り3ヶ月で半年分遅れているとかとなると、理論上不可能になる。

いや、オレはできる!という人もいるかもしれない。
が、人間の集中力というのはそんなにもたない。
単純に作業時間を2倍にすれば、作業も2倍進むのかというとそうはならない。
研究のような知的作業は特にこの傾向が強く、時間使ったわりに進まない、ということが起こりがちになる。
焦りも生まれ、精神衛生上も極めてよろしくない。

じゃあ、1つの工程を時短で!という意見もあろう。
これもかなり難しい。
時短は、何度かやったことがある経験者がやることである。
卒論生の多くは、研究活動自体が初めて。
1つ1つの工程について、思っていたより時間がかかった、という場合がほとんどで、思ったより早く終わることはほぼない。
やったことないのに、最初から時短を考えるのがなかなかカッコイイ。
が、その通りうまく時短できるスーパーカッコイイ人には出会ったことはない。

そもそも。
卒業研究というのは、多くの大学生にとって、年超えの超長期でプロジェクトを進める初めての機会。
だから、勝手がわからず、期末のレポート課題に毛が生えたくらいのイメージで考えて突き進んでえらいことになるのだろう。
半年のレポートならなんとかなることもあるかもしれない。
が、超長期のプロジェクトは、進捗を間違えると越えられな時間の壁に阻まれてしまう。
悪いことは言わない。
1ヶ月遅れくらいならともかくとして、数ヶ月遅れになっている場合は、就活に全振りみたいなことはしない方がいい。
就活に軸足を置きつつ、研究も細々と続けて遅れが致命的にならないくらいにしといてほしい。
それに、就活などで長期間研究をやらないと、再開時は続きから研究をスタートとはならずに、思い出すところから研究がスタートになる。
これも想定していない時間ロスの1つだと思う。
このあたりも含めて詰まるポイントについては、卒論生はどこで詰まるのかにも書いているので、参考にしてほしい。

さて。
なんでこんな記事を書いているのかといえば、毎年毎年卒業生の要望があるから。
えらい目にあって、その教訓を後輩に伝えたくなるらしい。
飲み会などで伝えたくてたまらないのだが、当の下級生には全く危機感がなくて、伝えきれない。
よく考えたら、自分もそうだった、とそこで気づくらしい。

なお、冒頭の就活がんばってから遅れた分は後から取り戻すと言うタイプ。
卒論が全部終わった後で、よく伝えることがある。
遅れを取り戻すことができるんなら、就活前に研究の計画を前倒しで進めることも出来るハズ。
でも、それができなかった時点で、遅れを取り戻すのも難しいんだよねー、と。
だいたいは、ハッとしてその通りと言う。

まあ、でも、それも含めて卒業研究ってところもある。
ただ、苦しんだ思い出よりも、楽しかった思い出を残してほしいなぁ、と思ってこの記事を書いている。
それに、卒論から学べるものを最大限学んで出ていってほしいとも。

では、今回はこの辺で。
また。




横浜のあそこのあれ。


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2024/10/14 19:55
今日はお休み。
鳥駅スタバにて。



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Update 2024/10/14
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学部生を学会へ連れていく(教育奮戦記13)

学部学生を学会へ連れていく。
数年前から新たに始めた教育実践。
もともと、研究好きなゼミ生が現れて、学会に興味を持ったのがスタート。
その後、誘ってみると、わりと行きたいと言ってくれるゼミ生が多いので、定期的に声をかけることにした。
参加学生はゼミ生がメインで、2、3年生がメイン。
ゼミ生以外を連れていくこともある。
4年生にも行ったらいいと勧めるものの、大忙しで無理ということが多い。

これは、学生・教員双方から驚かれる。
院生ならともかく、学部学生はハードルが高いのではないか。
内容が高度すぎてわかる気が全然しない。
学生側としてはこんな意見が多い。
教員側も似たような意見。
加えて、声をかけても来てくれない、というのも聞く話。

僕が勧める学会は、ポスターセッションがある学会が多い。
これがあることが学部生に学会参加を勧める大きな理由になっている。
ハードルは思っているよりも高くなく、卒論に向けていろいろと学びが多い。
チュートリアルとか教育講演があるとおススメ度が上がる。
これらにプラスして口頭発表を聞くというスタイルを想定している。

なぜポスターセッションがいいのか。
これがあると、学会の会場を歩いたりプログラムを眺めたりするだけで分野横断的にやられている研究たちを知ることができる。
これがねらいの1つ目。
教科書でその分野の知識を知ることはできるのだが、現在その分野でどんな研究が行われているか、流行っているかは、教科書からではわからない。
学会誌を定期的に読む、専門書を定期的にチェックする、くらいしか現在の研究の流行りを知ることはできないのだが、これは研究者か院生でないときつい。
学会に参加して、ポスター会場を眺めるだけでも、一体どんな研究が行われているのか、ざっと知ることができる。
こうやって、将来の卒論のテーマ探しをやってもらう、というのがねらい。

ポスターにはもう一ついいことがある。
これは、発表者と対話的にやり取りをしながら研究内容について聞くことができるところ。
ポスター会場を歩きながら、興味持ったポスターの内容を教えてもらう。
内容は通常高度で、書籍や論文ではよくわからないようなものでも、対話形式だと理解が可能なことが多い。
たいていは、相手の知識レベルに合わせて教えてくれるので、口頭発表や書かれたものから学ぶよりも格段に入ってくる。
まわりの院生や研究者が質問をしているのを聞くのも勉強になる。
他人の質問、それもレベルの高い者の質問は質問力を鍛えるのに有効。

それでも、学部2年生、場合によっては3年生でも早いんじゃないか、と思われる方もいるかもしれない。
が。
これもねらいの一つ。
学会に連れていく場合、全くゼロの状態で連れていく、というわけではない。
2年生の場合は、心理学の方法論を一通り扱った上で、それ以上の学年の場合は論文なんかはいくらか読んでいる状態で行く。
その上で、教室で学んだものの実際の研究を見に行こう、というスタンスで連れていく。
こうすることで、学んだことのうち身についているものを利用して研究を理解することができる。
ただ、学部2、3年生だと、発表を聞いてもわからないことが結構出てくる。
統計や、方法論、語学の壁などもあるか。
質疑についていけないということもあろう。
わからないことを経験してもらう、というが結構大きなねらい。
わからない部分、自分に足りていない部分がわかるので、帰ってきてから勉強をして、次に学会に行くときにはもう少し基礎力をあげて参加してくれる。

他にもある。
ポスタ発表は研究の論理構造を学べる。
口頭発表だと、研究プレゼンの技術を学べる。
特にうちのような地方国立大で博士院生やポスドクがいない部局の場合、先輩の背中を見て学ぶことができない。
学会の院生や若手研究者など、歳の近いキラキラした人たちから学べることは多い。

しかし。
いちばんのねらいは別のところにある。
学会発表だと、学部の時の卒論のネタが結構発表されている。
院生や社会人になった本人が発表していたり、教員が代わりに発表していたりと、さまざまだが、数はわりとある。
それらを見てもらって、そのクオリティを目指して卒論に取り組もう!とモチベーションを上げてもらいたい、というのがねらいの1番大きなもの。
中にはものすごくしっかりした卒業研究ベースの発表があり、おどろいて帰ってきたりする。
自分もやれる、と思って研究に打ち込んでもらい、成長してもらいたいなぁ、と思って連れて行っている。
研究は打ち込んだ時間、みたいなところがあるので、卒業研究がとてもいい研究で学会発表どころか、学術誌への発表だっていける、というのはある。
プロが適当にやった研究よりも、思い入れが強い卒論生が全身全霊で打ち込んだ研究の方がいい、というのはあっても不思議ではない。
まあ、その辺りに願いを込めて、連れていくという取り組みをしている。

なお、学会前準備教育として、学会へ行こうシリーズを読んでもらっているので、実践しようと思った同業の先生、これらについてもご活用いただければ幸い。

では、今回はこの辺で。
また。




横浜かな。


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2024/09/14 14:33
アイスティーを飲みながら。
鳥駅ドトールにて。



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独学で心理学を学びたい人のためのガイド〜中級編 その2

このシリーズ、中級編の後編。
専門の心理学を学ぶためには、心理学の各論をある程度の深さで網羅的に学ぶのが大事であることは前回の記事で書いた通り。
これが中級編1本目の柱。
なお、これは別に心理学に限った話ではなく、どの学問分野であっても同様。
特に、ある程度歴史があって分野の知識が体系だって整理されている場合は、この体系的な専門知をしっかりと学ぶのは極めて重要である。
これについては前回に相当詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。

今回は中級編2本目の柱について。
このレベルでは、心理学分野の研究や実践のための知識・技能も身につけたい。
そして、独学で学びたい人が学ぶのを忘れがちなのがこの部分でもある。
心理学部や心理学科を志した人も、この内容について入学前から知っていた人あまり多くなく、入学後に用意されていたカリキュラムによって初めてその存在に気づく、ということが多いのではないだろうか。

そもそも。
その分野の専門性を大学で深めるということの先には何があるのか。
どの分野でも、ゴールに卒業研究や大学院での研究活動がある。
つまり、教科書に載るような知識を作る、その活動を最上級に位置づけている。
分野の専門性を大学で身につけた後、その後のキャリアにおいて研究活動とどう関わるか、については分野ごとにばらつきがあるものの、職業人としてその分野で働きながら、研究活動も行う、という分野はわりとある。
例えば、医学系であれば一定数の臨床の人が研究もやっているし、工学・技術系でも企業の技術職の人が研究発表していることはよくある。
これは、教育業界も一緒で、学校には研究部があって研究活動を細々とやるし、学会発表に学校の先生が出てくることもよく見る話。

心理学についてもこの傾向は強い。
自分が研究をせずとも、教科書ではなく専門書や研究から新しい知見を学んで日々の活動に活かすというのはよくやられている。
もちろん、職業研究者ではない心理学分野で働く職業人が、自分の仕事に関連して研究を進めることもよくある話。
つまり、心理学分野の専門性を身につけるということは、研究についての知識・技能を身につけるということでもある。
このことについては、専門外の独学の徒はなかなか気づくことができない。

加えて。
心理学では、実践系の知識・技能というのもある。
心理学の専門学部・学科では、これについての実習科目がかなり手厚く設けられている。
これについては、なかなか独学で補うのは難しく、自分の中でこの部分は弱い、ということを意識しておく必要がある。
実践的な知識・技能については、助言をくれるエキスパートが身近にいて、手を動かしてみたことに対して直に指導がないと身につけるのがかなり難しい。
僕は実践家ではないので、この部分についての独学の方法は残念ながら持ち合わせないので、紹介できない。
しっかり書籍で学んだ上で、そういう現場のアルバイトなどを見つけてきて、意識して本職に教えを乞うくらいしか思いつかない。
書籍については、臨床心理学系の教科書から、心理アセスメントや療法系の専門書に行き着くことができる。
が、書籍だけではどんなにがんばっても専門技能は身につかないということは頭に置いておきたい。
実践系は間違うと人を傷つけるだけに、現場か専門教育の場で詳しい人から直に教えてもらわないとコワイ、ということは意識しておきたい。

そんなわけで。
研究や実践の知識・技能について、その学び方について、いくつかにわけて学び方を書いていく。
なお、実践系については、基礎的な能力以外は書かない。
前段落にわずかに書いてあるので、そこを参考にしていただいて。

心理統計

実践や研究の基礎としてかなり重要なのが、心理統計。
これは心理学の専門外の人には見落とされている点。

当たり前のだが、教科書に書いてある内容にはしっかりとした心理学研究が存在する。
これは概論系から専門各論系まで、すべてに当てはまる。
心理学研究では心について平均像を探し出し、それらについて記述をするものが多い。
多くの心理学を学びたい人が知りたいことも、平均的、一般的な心理学的特性なのではないだろうか。

ここで問題が起こる。
心理学では、その研究対象は心という曖昧なものである。
そして、その性質には必然的に多様性が存在する。
つまり、扱う研究対象のばらつきはもともと大きいことが予想されている。
すると、データから得られた平均値のような値が、ばらつきの中で偶然生まれたものたのか、そうではなくなんらかの意味を持つものなのか、その見極めが必要になる。
こういった問いに対して、有用な道具立てとなるのが統計学
その他にも、Aという心理特性とBという心理特性の関係、とか、どの程度ばらつくのか、とか、数字にどのようにまとめることができるのか、など、統計学が道具として使える場合はかなり広い。
もちろん実践系でも広く使われている。
こういった、統計学について、心理学でよく使うものを体系的にまとめたのが心理統計という科目である。

この科目は非常に重要で、心理学系の大学学部ではこの科目についてわりとしっかりやっているところが多い。
公認心理師のカリキュラムでも基礎科目に位置づけられており、独学の徒もしっかりと学んでおきたい科目。

学び方としては、以下の2段階。

(1)心理統計の基礎を学ぶ

まずは書籍で心理統計のことを知る。
書籍は、心理統計で検索をかけてでてくものが使える。
「よくわかる心理統計」
あたりが古くから読まれている。
その他にも、
「心理学統計法 (公認心理師の基礎と実践)」
「心理学のための統計学入門」
なんかも、書いている人からみて悪くなさそう。
(ただ、内容を熟読してないので、そこまで良し悪しは判断できない)


僕のゼミで心理統計を学ぶ時は、上記の本ではなく、以下のやり方による。
まずは基礎として。
「はじめての統計学」
「入門はじめての分散分析と多重比較」
論文読みと並行しながら、論文で出てくる統計的記述の「わからない」をモチベーションとして、上記2冊を読む。
内容は心理統計ではないものの、平易でわかりやすいため、教材としてはこちらを使っている。

その上で、さらなるトピックとして、以下をすすめることが多い。
「伝えるための心理統計: 効果量・信頼区間・検定力」

さらに、論文を読みながらわからない統計手法について、以下のシリーズ・本で学ぶ。
心理学のための統計学シリーズ
「SPSSとAmosによる心理・調査データ解析 第4版―因子分析・共分散構造分析まで」

(2)心理統計の技能を身につける

世の心理学系では、統計学の書籍による理解、だけではなく、道具として実際に使用できるところまで教育することが多い。
具体的なデータを実際にソフトを使って分析する、その技能を身につけるということ。
僕はこの辺はあまり重視しておらず、卒論をやる段階で身につければいいと思っているのだけど、世の心理学系大学学部のカリキュラムとしてはそうはなっていない。

身につけ方としては、そのタイプの演習本をひと通り試してみる、というのがよいか。
分析ソフトとしては、SPSSとRという2つがあり、それぞれについて教科書が出ている。
SPSSの方が楽チンだがソフトウェアが高価、Rの方がプログラミング的でとっつきづらいが慣れると楽で無料、という特徴がある。
心理統計の専門家はRを勧めることが多い。
「Rで学ぶ心理統計」とか「SPSSによる〇〇分析」のような本が世に出ているので、それを使うと学べる。
「ソフト名 心理統計」でAmazon検索をかけて、基礎っぽくて評価のよいものを選ぶとよいか。

心理学研究法について知る

研究論文を読んだり書いたりする上で重要なのが心理学研究の方法論。
心理学ではこれがしっかりしており、早い段階でこれを知っておきたい。
各論心理学を学ぶ上でも、どうやって調べられた知見なのかを知ることは、学びや知識に深みを与える。
また、卒業研究を進める上で、方法論を知らなくては着想にすら至らない、というのは言うまでもないだろう。
そういう理由からか、公認心理師のカリキュラムでも基礎科目として心理学研究法と心理学実験が位置付けられている。
心理学専門の学部教育では、これらについて座学で学ぶだけでなく、実習や演習形式の授業も用意していることが多い。

どうやって学ぶのか。
オススメは、以下の1冊。
「心理学研究法 (ライブラリ心理学の杜 3)」
これをまずしっかり読む。
その上で、必要に応じて各方法論別に書かれた本に進む。
だいたいは、方法論だけでシリーズ化されているので、シリーズの中から各方法論についての本に行きつくことができる。
古くから読まれている本だと、以下。
心理学マニュアル・シリーズ
最近のシリーズだと、以下がある。
心理学ベーシック「なるほど!〇〇法」シリーズ

論文を読んでみる

ここまで書いた、心理統計と各種方法論。
これを実践形式で読めるのが研究論文。
心理統計にしろ、各種方法論にしろ、研究において必要だから学ぶ、という側面が大きい。
なので、これらについて学びながから、研究論文をも読んでみる、というのは有効な方法。
心理統計にせよ、方法論にせよ、教科書で読んでいるだけでは道具として使う、という部分がイマイチよくわからない。
具体的なイメージがわからないから、学び方も浅くなってしまいがちだし、モチベーションもわかないとなってしまいかねない。
これを避けるためにも、心理統計や方法論を学びながら、同時並行で研究論文を読んでみる、というのはオススメ。
実際こういうふうに使うんだね、というのがわかると、がぜん勉強が楽しくなる。

なお。
この段階では論文は検索かけて連れてくるよりは、各論・概論などの教科書で引用されているもの、紹介されているものを選んで読むのがいい。
論文には良し悪しがあって、中級段階だとその見極めができない。
統計や方法論を学ぶという目的では、プロのセレクションが入った良質な論文の方が有効。



残りは上級編。
いつ書くかはわからない。




オレ。
鳥取市内にて。


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2024/11/25 11:36
コーヒーを飲みながら。
川崎市内にて。



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Update 2024/11/25
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