週刊雑記帳(ブログ)

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質的研究と量的研究

心理学では研究を大きく質の研究と量の研究に分けることができる。
これ、心理学だけなのかと思っていたけど、どうも他の分野にも当てはまりそうな気がした。
ので、今回はこれで書いてみようと思う。
心理学ほどクッキリとわかれてはいない分野、どちらか片方が重い分野はあるような気がするので、そういうものだよと頭に入れて読んでいただければ。

量的研究とは何か

簡単に言うと、研究において数値で表現して何かを明らかにする、という種類の研究。
例えば。
質問紙を作って、一人一人のなんらかの得点を計測する。
その上で、大人数のデータをとってきて、その平均値やばらつき、色々な得点同士の関係を見たりする研究がこれにあたる。
数字に落とし込んでいるので、結果がカタイのが特徴。
ヒトとしての性質、日本人としての性質、成人としての性質などなど、とってきたデータを元に、全体の性質を記述することができる。
同じ方法で研究をすれば同じ結果を再現できるはずで、再現可能性を検証できるのもまたいいところ。
研究対象がグループとして持つ平均的な性質をしっかりと調べるのにはこの方法が適している。
数値を用いて客観的に分析・記述するため、科学的な方法と考えられることが多い。

心理学だと、実験法や質問紙法で、数値をとってきて処理をする場合がこれにあたる。
面接法や観察法でも、数値に落とし込んで処理をして論じる場合には量的研究と言える。
逆に、これらの手法を用いても、数値に落とし込まない場合は量的研究とは言わない。
例えば、実験法で特別な状況を作ってその時の対象者の様々な反応を観察して記録する場合、質問紙法で自由記述を求めた内容を検討する場合なんかは、数値化しなければ量的研究ではない。
分析まで見据えて、どう結果をまとめるか、その時に数値で語るかどうかがポイント。

心理学の研究ではなくても、社会学、経済学、生物学、医学など、どこの分野でも使われている。
多くは、統計的な技術を駆使して、確率的に記述をしていくことが多い。

質的研究とは何か

量的研究が数値で対象のグループとしての平均的な性質を記述する方法、であるのであれば、質的研究は数値によらず対象のあらゆる側面、つまり「質」を記述するような方法。
どういうことか。
対象を数値で記述しようとすると、数値化しなかった事柄については切り捨てられることになる。
例えば、対象を身長と体重という2つの数値で表現したとする。
しかし、身長と体重だけわかれば、対象のことは全てわかるかと言えば、そうはならない。
同じ身長と体重でも、筋肉が多くてぜい肉が少ない場合もあれば、その逆もある。
同じ筋肉量とぜい肉であっても、どこにそれらが存在するのか、上半身に筋肉があるのか、下半身なのか、体幹なのか、バランス良いのか。
同じ数字にはかなりの種類のパタンがあり得る。
数値に落とし込む、ということは、数値に落とし込まなかった(落とし込めなかった)情報はなくなるということを意味する。

そこで。
対象について、観察できるあらゆることを記述し、関係ありそうな背景情報も併せて記述しよう、という研究の必要性が出てくる。
これが質的研究という方法。
心理学だと、数値化しない観察法、面接法などがこれにあたる。
社会学や人類学などのフィールド調査なんかもこれにあたるか。
ここで重要なのは、数値化せずに、あらゆる情報を徹底的に記述していく、ということ。
情報量が豊富で仮説を考えやすい、というのが最大の利点。
一方で、記述する対象が少ないため、他の対象でも同様に成り立つかまでは保証できない。
この部分については、他の研究の知見で補いながらロジカルに推論して考察することで補う。

質的研究の話をすると、量的研究に親和性の高い人や科学研究を行っている人からよく出てくる意見が、あらゆるものを数値化しておけばいい、というもの。
しかし、そんなことは不可能である。
例えば、前述の例で筋肉量を数値化したとしよう。
しかし、筋肉が上半身にたくさんついているのか、下半身にたくさんついているのか、まんべんなくついているのかで、同じ数値であっても質は異なる。
じゃあ、部位ごとの筋肉量を数値化すれば、、、に対応しようとするとまあ数値が増える。
キリがないし、そもそも計測の手間を考えるとどこかで現実的でなくなる。

そもそも。
何を数値化しようか、と考えるのに、質のデータが必要である。
先の身長と体重の例の場合で考えよう。
筋肉とぜい肉によって体重と身長の数値では足りない、というのは、見た目の質的な情報から考察している。
どこに筋肉がついているかが重要、というのもそう。
見た目や解剖学の数値でない情報、すなわち質的な情報から考察している。
おわかりだろうか。
我々はどんな量的データを取得するか考える際、よく知られている質的データを参考にしているのである。

この辺りは、プロの研究者であっても、量的研究だけをやっている人が質的研究の本質を理解せず研究を否定する、ということがあるくらいで、両者の溝は深い。
ただ、ここで見てきたように、質的研究には量的研究にはないよさがあり、両者は相補的である、というのが本質である。

量的研究がいい場合と悪い場合

研究の目的や仮説から、何を数値化すればいいかが明確である場合には、量的な研究を選ぶ。
量的な研究の1番の利点は、数値で語るため出てきた結果がカタイところ。
再現性の検討ができるのもまた、量的研究のいい面。
よって、可能な場合は量的研究を選ぶ、というのが基本である。

例えば、量的研究の先行研究がたくさんあり、それを受けて自分の研究をする場合。
この場合は、わざわざ質的研究を選ぶ必要性がない。
分野に質的研究がたくさんあり、そこから何を数値化すればいいかが十分考えられる時も、量的研究を選ぶ。
他には、質的研究の先行研究がたくさんあって仮説が考えられるものの、それが万人に当てはまるのかの実証研究がまだ、という場合も、量的研究一択、ということになるか。

一方で、何を数値化して計測すればいいか、そのそのあたりすらつけられない場合は量的研究は難しい。
基本的には、量的質的の各先行研究の知見を用いて、ロジカルに数値で実証可能な仮説を導くことができるかがポイントとなる。
可能であれば量的研究一択、無理であれば質的研究が向いている。

質的研究が向いている場合、質的研究ではダメな場合

裏を返せば、量的研究が不可能な場合が質的研究の出番、ということになる。
あまりに対象のことがわからず、何を数値化すればいいか全くわからない場合はこれ。
量的研究が全くなく、質的研究も限定的で、まだ量的研究で何を数値化するか考えられない場合も、質的研究を選択するのがいい。
他には、量的研究はたくさんあるものの、数値化されて研究されていること以外に何らかの要素を考え直さなくてはならない場合、質的研究を選ぶ、というのもなくはない。
つまり、量的研究ではダメな何らかの事情がある場合が、質的研究が第一選択肢ということになる。

逆に。
量的研究でてきるものを質的研究でやるのは禁じ手。
研究の目的が、仮説の実証である場合、質的研究では目的を達成できない。
万人に当てはまるか否か、という結論を目指す場合も、質的研究では不適。
質的研究がすでにたくさんあり、そろそろ量的研究で調べられるような一般的な仮説を立てられるような場合も、あえて質的研究をやる必要はない。
このように、質的研究をやるためには、量的研究ではダメな積極的な理由づけが必要。

なお、質的研究であっても、結果から一般的に成り立つであろう知見(知見の一般性)の提供まではやる。
というか、研究である以上、一事例の特殊な記述にとどめるというのはあまり意味がなく、その事例の記述から一般性のある知見を導き出すところまではやらねばならない。
量的研究と質的研究の違いは、質的研究では知見の一般性が仮説レベルであるのに対し、量的研究では実証レベルまで行くところ。
質的研究では、対象が極めて少ないため、知見が一般性を持つかどうかは論理的に考察・推論する以外にやりようがなく、それがこの手法の限界である。
結果の確からしさのレベルは質的研究の方が量的研究の知見よりは低い。
よって、量でできる場合は量でやれ、というのがセオリーということになる。

まあ、データを用いた仮説の提唱までが質的研究、仮説の実証が量的研究といったところか。
新たにデータを取得せずとも仮説の提唱が可能な場合も、データを取得するタイプの質的研究は必要ない。
このあたりを頭に入れて、量的と質的、どっちの手法がベストかを考えて選んでほしい。



長くなった。
今回はここまで。
では、また。





散歩中に立ち寄った、鳥取空港にて。

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2025/05/10 18:24
コーヒーを飲みながら。
鳥駅スタバにて。



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Update 2025/05/210
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