何年か前に、政権に意見をいう研究者に対して、なんで日本の政府のすることにいちいち反対するのか、と文句を言っている人を目にしたことがある。
とある与党議員さんが、特定の研究分野に対して、反日的な研究分野に研究費を出すのはどうなのかと発言していたこともある。
日本学術会議という日本の学術の代表的な組織の委員を決める際、学術会議が推薦した新しい委員のうち何人かを政府が任命しなかった、ということもあった。
今回は、政治と学問の対立の「なぜ」を書いてみようと思う。
ついでに、政治と他の力との対立まで話が広げてみたい。
まず。
政治と学問は、対立するものである。
これは、両者の目指す目的が異なるので、当たり前のこと。
政治は、「社会をこうしたい」という目的があって、さまざまな様々な力を行使していく。
「社会をこうしたい」の源泉としては、その社会・文化の価値観があったり、宗教があったり、社会の対立や主導権争いがあったり、民衆や権力者の感情があったり。
こういう様々な背景の中から、「社会をこうしたい」という方向性が生まれ、時の政治権力があらゆる力を使ってこれを成し遂げようとする。
ポイントは、理性や事実だけでなく、主観や直感、感情などをごちゃまぜにした何かが、政治の源泉であること。
一方で。
学問分野の目的は、学術・研究の方法を用いて、もっともらしい事実を見つけては積み上げていくことにある。
知識を作っていく作業、と言い換えてもいい。
そのために、かなり専門的なトレーニングを積んで、コツコツと小さな知識を積み上げていく。
もちろん、積み上げたものは間違っている可能性があり、分野内の構成メンバーが議論や批判、再現性の検証を行いながら、ちょっとずつ真実っぽい知識を作り上げる。
長い間の積み重ねで、正しい、とされていたことが、全く新しい視点や証拠でガラガラと崩れることすらある。
この辺りは、別シリーズにも書いているので、よろしければ読んでいただいて。
さて。
この、政治と学問の目的の違いを前提すると、対立は必然的に生じる。
政治が「社会をこうしたい」と力を行使する際、それが学問的な事実に反する場合なんかはわかりやすい。
社会問題を考える際、事実認定が学問的な理解と異なる場合なんかもそうか。
そもそも、政治権力とその背景にある力の源泉(例えば、政治権力の支持者)は、学術的なトレーニングを受けていない。
当然、素朴で直感的な理解で問題を認識し、改善しようと力を行使することはありうる。
学問的な理解とは異なることをわかりつつ、政治的な目的を達成するために権力を行使することもある。
こういう時に、政治と学問が対立することになる。
対立しやすい分野、というのもある。
例えば、憲法学。
憲法は政治の行使できる力を規定していたり、できないことを規定したりしている。
政治権力にとっては、憲法さえなければこいつもできるのに、ということはよく起こる。
そこで、解釈でこれを「いいや、これはできるんだ」と言い張ることも出てくる。
それが、憲法学における学術的理解や解釈と大きく異なれば、憲法学者が政府に対して異を唱えるというが起こる。
憲法という法の性質上、対立しやすい。
これが顕在化したのが、2015年の集団的自衛権の安保法制の時で、政権与党側が用意した参考人の憲法学者すら、国会で憲法違反の意見を述べた。
学問的には間違っていることを、政治権力がやりたくなる、というのはあること、というわかりやすい例。
これは歴史学なんかもそうで、歴史学の緻密な研究の末に作り上げられた学術的な理解に、政治家が素人的な素朴な知識を披露したり、その知識をもって歴史学のこの研究者は反日だ、なんてことを言い出す、なんてことが起こりやすい。
僕の研究分野である、脳機能や基礎心理学は、たまたまそういうのが起こりづらいが、それでも学術的にとっくに否定されている「脳科学的事実」をもとに誤った政策が進められそうな時は、反対意見を表明せざるを得ない。
もう1つの専門である、障害児教育分野にいたっては、いつ対立が起きてもおかしくない分野である。
このことは、同じ学問の世界でも、理系の研究者にはわかりづらいらしいが、考えてもみてほしい。
医学・生物学の知識積み上げを完全に無視して、ワクチンは効かない、とか政治権力が言い出したら、医学生物学界隈の研究者はその政治権力に反対意見を表明するのではないだろうか。
工学分野で、それは危険でしょ、ってわかっていることを政府が進めようとしたら、やはりそれはおかしいと意見を表明すると思う。
このように、学問と政治の対立、というものは生じやすい。
ただ。
このような政治権力との対立は、別に学問に限ったことではない。
マスコミは事実をみんなに知らせるのが仕事なので、対立しやすい。
権力が分立している司法や独立機関とも対立は起こりやすい。
アメリカのトランプ政権なんか見ているととてもわかりやすく、しょっちゅう別の立場の何かと対立している。
ここ最近だと、独立しているはずのFRB(中央銀行的な制度)の議長と対立の末、圧力をかけ、ついに刑事捜査の対象にしてしまった。
これも、政治権力がやりたいこと(FRBの例だと、金利を下げたい)と独立機関の目的(FRBの例だと、通貨と物価の安定)の対立の構図。
では。
こういう対立をどう評価したらいいのか。
これは、僕は餅は餅屋を基本に評価したらいいと思っている。
事実に迫るのであれば、学問の世界の専門家の言うことには一定の正しさがある。
独立性が規定された組織が政治権力に対立するこというのであれば、その組織が目指す目的に照らして主張は最善のことを言っているはず。
そう評価すると大きくは間違わない。
政治は権力を行使して社会を良くする・変えるという意味では、価値判断を含むので「誰か」の主観に引きづられがち。
政治というのは守備範囲もやたら広いので、1つ1つの事実認定は甘くなる傾向がある。
その結果、間違うというのは往々にしてある。
他の何かと対立している場合は、「政治の間違い」に気づくチャンスになると思って、対立している相手の主張を評価してみるのがいいと思っている。
政治権力と対立している何かに反射的に「反日」なんてレッテルを貼って、政治権力と一緒になって敵視するのは、あまり賢明じゃない。
政治家本人でこれをやっている人がいるのだとすれば、それは民主主義国家の政治家としては政治家の資質に欠けるとも思っている。
ずいぶん長くなった。
今回はこの辺で。
また。
倉敷かな。
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2026/01/25 19:36
仕事が終わって。
鳥取駅南モスカフェにて。
Update 2026/01/25
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