雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。

大学生のための学び方入門 No.1 はじめに

大学で何を学んだらよいか、はすでにシリーズ化した。
そこで本シリーズではどうやって学んだらよいか、を書くことにする。
こんな風に授業を受けるとお得だよ、とか、
こんなことやるともったいないよ、とか、
そんなことを書いていく予定。
大学の上手な使い方、みたいな感じか。
教員やってるとわりとそういうのに気づく。

まあ、ゆるりと書いていくので試していただければ幸い。




高松市内だったか。
この写真に場所はどうでもいいね。


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2018/07/01 10:16
休日の朝ののんびりモードの中で。
自宅にて。


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Update 2018/07/01
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よい世の中ってなんだろうね

よい世の中ってどんな世の中なのだろうか。
30を超える頃からそんなことを考えるようになった。
歳をとるというのはそういうことなのかもしれない。
いろいろな人のいろいろな現実を見たり聞いたりして、自分でもそれなりに経験をしたり。
そういうのが積み重なると考えるようになるのかな、と思っている。

世の中悪くなったとか、よくしたいとか、そういう言葉はよく聞くのだが、じゃあよい世の中ってなんだろうか。
語る側に明確な像がない場合が少なくない。
結局のところ感情論だったり、自分の利害だったり、そういうところで世の中の善し悪しを語っていることが多い。
これは自戒も込めて。

さて。
10年もそんなことを考えていると、暫定的だが答えのようなものが浮かんでくる。
僕の考える、よい世の中。
それは、
がんばっている人が報われる世の中
極めて凡で青くさい答えで申し訳ないのだが、ここに行き着いた。
ただし、世の中はこれとは逆行する方向に向かっている。
異を唱える人も多いかもしれない。
世の中そんなに甘くない、それでは社会は回らない、と。

真っ向から対立する意見は、新自由主義的な考え。
競争主義・成果主義で結果に価値を置く人達の意見。
日本のみならず、世界中でこの思想が幅を利かせつつある。
結果を出すものこそが報われるべきである。
端的にいうとそういう考え方。

この主張をする人たちには2タイプがいる。
まず1つ目は、結果は正しい努力・やり方から得られるものであると考えているタイプ。
結果が出ないのは個人の行動に起因すると考えている。
この論は前提として、個人の生まれ持った能力差の存在を無視している。
残念ながら、人間には生まれながらの個人差がある。
環境だって生まれながらに差がある。
結果が生まれる土壌が公平ではないのだ。

行動遺伝学という研究分野がある。
ある時点で生じている個人間のばらつきのうち、何パーセントが遺伝的要因で何パーセントが環境要因か調べようというもの。
もしある能力について、1%が遺伝的要因、99%が環境的要因だったとしよう。
こういう場合、環境を公平にしようと仕組みを整えたらどうなるか。
遺伝的要因の占める割合が上がり、環境的要因の占める割合が下がることになる。
もし100%環境を同じにすることができれば、どんな能力についても100%遺伝的な要素ということになってしまう。
本人の努力によらない環境を全部同じにして、かつ本人が最大限努力した場合、結果は生まれつきのもので決まってしまうわけだ。
理論的には。
そんな小難しいことを考えずとも、能力や環境には生まれつきの差があることに間違いはない。
そういうものが存在する状況下で、結果によってのみで報われる報われないに差がつくことがよいことなのだろうか。
考えさせられる。

そしてもう1つ無視している前提が、運の要素。
統計学には分散分析とか重回帰分析と呼ばれるものがある。
もし、ある結果について、遺伝的な能力の要素、環境の要素、努力の要素が全部同じであれば、結果の個人間の差は何によって決まるのか。
前述した統計学で考えるとこいつは誤差ということになる。
誤差とは、全くの偶然でサイコロを転がして生じる差と、同義。
運の要素は歴然と存在する。

そういったわけで、成果に対してのみ報われる社会はよい社会であるとは思わない。


そして新自由主義的な考えを推すもう1つのタイプは、能力のあるもののみががんばる方が全体としての成果が高くなる、というもの。
この成果を社会全体でわけることで、社会全体がよくなると考える。
これは一見よさそうに見える。
が、僕はそうは思わない。
全体としての成果が高くても、それは成果を上げていない者のもとには回ってこない。
だいたい、がんばった側からすると、なぜがんばって得た成果をがんばってない人たちに回さなきゃならんのだ、となる。
いったんは能力ある人が成果を自分のものにしたら、あらゆる手を使ってこれを手放さなくてすむ方法を考える。
この人たちはだいたい社会的地位があり成果の配分を決定することができる。
お金があるので、それを政治に回すことで力を持つこともできる。
あらゆる手段を用いて、自分の元から富が離れていくことを阻止する。
ただ、格差が広がるだけの構造。
全体の成果が高くなっても、これがよい社会かと言われれば、僕はそうは思わない。
全体の成果が高くなった、というのは、数字を使ったマジックの1つだと思っている。
全体の成果の高低は、全体に公平に配分されて初めて意味を持つ。


ロストジェネレーションとか失われた20年とか言われる時代を幸運にもわりとのんびり生きながら、折にふれ「よい社会」について考え続けて、結局これに行き着いた。
がんばっている人が報われる世の中
生まれ持った能力とか運とか、そういうものに関係なくみんなががんばれる世の中の方が総体としても成果が高くなるのではないだろうか。
すると、その部分が報われる必要があるわけだ。
がんばりが報われるって、全ての人に希望のある社会だと思わないだろうか。
何も高成果の人の高配分を認めないわけではない。
ただ、新自由主義的な結果のみに注目した配分は行き過ぎだと思っているだけ。
がんばりって、もう少し評価されてもいい。


じゃあどうやってそれを実現するの、と言われるとなかなか難しい。
だって、がんばっているって目には見えないにくいし、それ自体の評価も難しい。
理想は理想であり、実際の仕組みに落とし込むことはできないかもしれない。
ただ、一つ一つの社会的な事象をこの「よい世の中」基準で判断することはできる。
自分が関わっている範囲の事象も政治的な事象も。
価値観として、こういう「よい世の中観」を持っておくのは大事。
理想が現実に落とし込めないからといって、理想を捨てる必要はない。


社会のこと、政治のことを考えたり判断したりするとき、こういう価値観を持っていると役に立つ。
よい世の中ってなんだろうね
こいつを意識しつつ、映画見たり本読んだり考えたりする時間を大切にしている。





僕はがんばっている人が好きだ。


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2019/07/07 18:50
休暇中。
鳥駅スタバにて。


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Update 2019/07/07
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僕の授業のテスト対策

このネタ。
きっと関心が高いことと思う。
そんなわけで今回はコイツについて書く。

まあ多くの教員がそうだろうが、小手先テクニックで点数を取ってもらってもうれしくない。
なるべく、ちゃんと勉強した結果として、ちゃんと点数がついてくるテストを作ろうと思っている。
僕の授業に特化して書くが、きっと試験のあるあらゆる授業・勉強の参考になることと思う。

全体を勉強する

授業中寝ていた、ついていけなかった、という人はまず全体的に内容をおさえよう。
僕の授業では読書案内の最初に、全体がさらえる読み物を紹介している。
スライド資料を眺めてから、その本を読んでみる。
一度で足りなければ2,3度読んでみる。
一つの本ではなく、同レベルの類書を読んでみるのも悪くない。
これで大概は全体的に内容を押さえることができる。
再び資料に目を通すと、わりとわかるようになっていることに気づくと思う。

さらに深めるための本や、軽く読むための本も紹介しているので、そちらにももを通せば、かなり知識が身につく。
ここまでやれば、単位を落とすことはないと思う。

細部を理解する

全体がなんとなくわかったら細部を理解する。
僕の授業のでは「前回のチェックプリント」を配っている。
このプリントにキーワードが載っているので、コイツらを押さえる。
ここに載っているものに関しては、何それ初めて見る、という状態は避けたい。
また、授業中に板書した事項、線を引いたところも重要。
あわせて理解しておきたい。

自分の言葉で説明する

コレ、結構大事。
理解度を測る一つの方法として、自分の言葉で説明してみる、というのがある。
理解した気になっていても、意外とできないもの。
理解が甘い場合もあるし、言語化能力が甘い場合もある。
前者の場合はその事項をしっかりと勉強し直す。
後者については、それ自体が大学での大事な学習の一貫。
後者の能力はちゃんと磨いておくことで、あらゆる大学の試験・レポート、社会に出てからの説明に役に立つ。
自分なりの言葉と言われても、と思うかもしれない。
基準は、同じ授業を受けている友人に説明できるか、というのを使ってみるといい。
意外と難しいが、理解は進む。

僕の授業では、「前回のチェックプリント」「課題」「章末問題」にて問いを設定しているので、コイツを使ってこの辺りの学習をしてほしい。

一番やって欲しくないのが、模範解答の丸暗記。
コレは点数は取れるが、試験後その知識はほぼ役に立たない。
TOEICなどを含めた全ての試験に言えることだが、試験の点数>自分の能力となるような勉強法は避けたい。
このような勉強法は小手先のテクニックに終わってしまい、長期的にみると伸びない。

質問に来る

どうしてもわからなかったら、ポイントをまとめて質問に来よう。
1対多の授業ではわからなくとも、1対1ではわかることが多い。
教育の基本は1対1。
コストの関係で仕方なく1対多になっている。
どんどん質問に行って理解を深めたらいいと思う。
これは大学に在籍していることのメリット。
ここで説明した質問以外の方法は大学生じゃなくともできる。
質問だけは在籍している学生しかできない。
うまく使っていきたい。

ただ、僕はこういう姿勢な上に授業数が多いので、試験前は捕まりづらい。
質問に関しては、このエントリも読んでいただいて、うまく捕まえてほしい。


以上が僕の授業のテスト対策。
ここまでやった人で、今まで単位を落とした人の記憶はない。
ぜひがんばっていただいて。

この中から、自分の得意な勉強スタイルを探していくのも大学での学びの大事なポイントだと思っている。
ちなみに僕が大学生のころは、教科書を何度も読む、と、教員への質問でだいぶかわした。
成績が高いことへのこだわりはなく、知識として定着させることに重きを置いた。

もちろん、時間が足らず落単、期末に反省する、といったことも多かったか。
その辺はみなさんと同じ。




横浜だと思う


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2019/07/07 19:41
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Update 2019/07/07
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IQとはなにか

IQという言葉、一般的によく使われるわりに、どういう数字かを知っている人は少ないよう。
うちの学生さんもしっかりと理解している人は多くない印象。
よく質問もされるし、今回はIQについてくだいて説明しようと思う。

IQと知能

IQとは「知能」というとらえどころないものをテストによってなんとか数値化したもの。
日本語では知能指数という。
そもそも知能ってなぁに、というのが難しく、100人の専門家に聞くと、100通りの答えが返ってくると言われている。
そのくらい定義が難しいものを無理やり数字に落とし込んだものがIQである。
なので、IQテスト自体も何種類も存在し、それぞれの定義に沿って問題が作られている。
時代とともに知能観が変わるため、同じ系統のテストであっても何度も改訂される。
テストの内容が違えば測られる知能も変化する。
当然、異なるテスト間での数値の比較は無意味である。
まあ、そういったもの。

IQテスト間での共通事項

そんな何種類もあるIQテストであるが、ほとんどのテストで共通していることがある。
それは100が平均であることと、数値が高ければ知能が高いということ。
そして、100から離れた数字であればあるほど、全体の中でレアな存在であること。
この3点はほぼどのテストにも当てはまると思う。
例えば、テレビなんかで「IQ180の天才!」なんてのを見ることがあるが、上記の3点を考えると数値の意味もなんとなくわかると思う。

2系統あるIQテスト

では。
具体的にIQの数字はどういう意味を持つのだろうか。
実は同じIQテストでも質の異なる2系統がある。
1つ目が精神年齢という概念を持ち出し、実年齢との割合で数値を出したもの。
2つ目は統計的な技術を使ってテスト点数の値を調整したもの。
両者は前項で説明した共通事項の3つを満たすが、意味と数値の性質が異なる。
1つずつ説明していく。

精神年齢と実年齢の割合によるIQ

まず1つ目がコレ。
精神年齢とはテストで測られた知能の年齢。
IQテストを作成してたくさんのデータを取ると、各年齢・月齢の平均点数というのがわかる。
このデータベースを使って、新たにテストを受けた人の点数から、いったいどの年齢の人の平均値に近いかを調べると、その人の知能の年齢がわかる。
これを精神年齢という。
受けた人にはそれぞれ本当の年齢(実年齢)がある。
これらを利用して以下の式でIQを求めたのが、この系統のIQ。
IQ=精神年齢/実年齢×100

平均が100になり、点数が高いほど知能が高くなる値であることは、式を見れば容易に理解できると思う。
後々調べてみると、平均付近ほど人数が多くて、離れれば離れるほど人数が減ることがわかった。
考え方がシンプルでわかりやすい。

さて。
この系統のテスト。
数値の特性上、問題点が存在する。
それは何か。
異年齢(実年齢)間の数値の比較が難しいのである。
例えば、実年齢15歳で17歳の精神年齢であった場合、
IQ=17/15×100=113
となる。
一方で、実年齢5歳で精神年齢6歳の場合、
IQ=6/5×100=120
となる。
たしかにIQは15歳の方が低く出るのだが、本当に5歳児の方が知能は高いのだろうか。
そうとは言い切れない、というのがわかると思う。
実施時の実年齢によって数値自体の質が変わってしまうのだ。
ちなみに実年齢4歳で精神年齢6歳の場合、IQ150の天才が出来上がる。
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人、という言葉もある。
発達に早い遅いはつきもので、この後精神年齢がゆるやかに実年齢に近づいていく、なんてことはままある。
まあそういうこと。

統計手法による調整タイプのIQ

精神年齢と実年齢の比によるIQの問題点を埋めるために、違った発想をする必要が出てきた。
そこで考え出されたのがこのタイプ。
定義は以下の通り。
各年齢(月齢も含めて細かく区分する)ごとにIQの平均値が100、標準偏差が15になるようにデータを調整した値
もう少し簡単に言うと、IQとは各年齢の平均値が100で平均から±15の範囲に約68%の人が入るようにデータを調整した値。
ちなみに標準偏差とは全データのばらつきを示す統計用語。
平均±標準偏差の間に約68%のデータが、平均±(標準偏差×2)の間に約95%のデータが入る。

ちょっと難しく思うかもしれないが、そんなことはない。
僕らは数値を扱う時、平均値やばらつきを変える操作をよくやる。
例えば、100点満点で平均値が50点のテストがあったとする。
できる人できない人が見た目でパッとわかるように0点を平均値にするには、全て人のテストの点数から平均値50点を引けばよい。
全部50点下がるわけだから、平均値も50点下がる。
その結果、平均が0になって、±○○点という点数に変換される。
平均を100にしたければ、さらにその後全データに100を足せばよい。

ばらつきについてもそう。
間違えて1000点満点のテストを作ってしまったとしたら、テストの点数を10で割れば100点満点に直る。
これは0〜1000点の範囲にばらついていたデータを0〜100点の範囲のばらつきに変換しているのと同義である。
理屈は同じで、全データを標準偏差の値で割ると、標準偏差は1になる。
標準偏差が1の全データに15をかければ標準偏差は15になる。
このように平均や標準偏差は全データに同じ操作をすることで自在に変えることができる。

少し話が逸れた。
IQに戻ろう。
定義で書いた通り、IQとは平均値が100、標準偏差が15になるように全データを調整した値。
高校まででおなじみの偏差値が、得点を平均値50、標準偏差10に調整した値なので、それと比較して理解していただければイメージしやすいと思う。
ここで注意したいのが、この手の値は、どんなデータの集まりかによって変化する。
そりゃあそうだ、平均値を使っているのだから。
どういうことか。
全く同じ問題の算数の実力テストを考えてみよう。
ある人の点数が50点であったとする。
しかし、この点数がごく普通の公立小学校の3年生の集団での50点と超難関私立小学校の3年生での50点はその意味が大きく異なる。
前者の中で比較すると50点は普通だったとしても、後者の中では低い得点であることが考えられる。
すると50点を偏差値にした場合、後者の集団の中では前者に比べて低めの値を示すことになる。
わかるだろうか。

IQテストではとある年齢集団の中で数値を求める。
例えば、10歳0ヶ月〜3ヶ月の集団のデータをたくさん集めておいて、その平均と標準偏差をつかって、その年齢の個々人のIQを求めるといった具合。
この項の冒頭で述べた定義、もう理解できるだろうか。

IQはなんのために使うのか

IQはもともと知的に遅れがある人を探し、教育的な対応をするために作り出された。
この発想は今も生きていて、IQは知的障害の判断の材料にされる。
教科書的にはIQ70以下を知的障害の目安として使う。
最近はIQそのもの値ではなくて、それを知能の領域の得意不得意を見るためにも使われる。
IQはとある知能観に基づいて複数で構成された質の異なるテストの総合点。
当然同じIQでも、どの領域も平均的にできる場合もあれば、領域によって出来不出来がはっきり見える場合もある。
これを分析することで個人の心理特性を把握し、支援に生かす、というような使われ方をする。
むしろ今はこっちが主流か。

あとは、IQが高い人についてのあれこれ。
よくテレビなんかでIQ170の天才!とか紹介される人が出てくることがある。
あの数値、受けたテストの種類や時期で意味が変わるというのはここまで読んだ人ならわかるだろう。
IQテストは学校で一斉に受ける以外は、困っている人が診断や支援のために受けるのが普通。
なので、メディアで紹介されている「天才」のIQは今のものではない可能性が高い、と思っている。
目にするたびに、どのテストをいつやった時のIQなんだろう、と考えてしまうのは職業病だと思っている。

ちなみに。
IQが高い、というのは無条件でよいことでうらやましい、と思いがちだが、これも違う。
標準に合わせた学校制度の中では、高すぎるIQを持った人は困難を抱える可能性がある。
学校のレベルが彼らのレベルに合わない。
一日中、簡単すぎるレベルの授業に付き合わされる。
想像以上に退屈で苦痛だと思う。
しかも、それをつらい、と訴える場もなければ、適切な支援も知られていない。
贅沢な悩みだと取り合ってもらえないばかりか、反感を買ったりいじめられたりする危険もある。
これは、医療の対象にはならないので、心理とか教育とかのフィールドの人のお仕事なのかなと思っている。

まとめと本の紹介

さて、つらつら書いてきたが、そろそろおしまい。
もう少し勉強したい人のために本を紹介しておくので、興味ある人は読んでいただきたく。

なお、IQの説明に出てきた、平均や標準偏差、その集団の話。
これは、心理系ではよく出てくる言葉で、知っておくと便利。
世の数字を読む基礎素養として全ての人に大事だと思うので、もし読んでいる人が大学生・院生さんならこの程度の言葉が説明なしに理解できる程度の初歩の統計学はやっておいたほうがいいと思う。

ではでは、また。


文献

知能指数―発達心理学からみたIQ (滝沢 武久,中公新書)
IQってホントは何なんだ?(村上 宣寛,日経BP社)

はじめての統計学(鳥居 泰彦,日本経済新聞社‬)




横浜の片田舎にて。


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2019/03/23 12:03
休暇中。
九州のどっかにて。


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Update 2019/03/23
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大学教員就職物語(大学教員・研究者という生き物6 )

業界外の人に会うたびに聞かれるのが、どうやって大学教員になるのか、という質問。
どうも日常接している職員さんですらよくわかっていない人がいるよう。
そこで今回はこのトピックで書いてみる。
聞くも涙、語るも涙。
なるの、結構大変なんだ。

大学教員になるための前提条件として、専門家である必要がある。
よくあるルートとしては研究者ルート。
大学学部卒業後、2年大学院の修士課程に行って修士号を取り、さらに3〜4年の大学院博士課程で博士号をとる。
大学院を勉強するところと勘違いしている人がいるが、これは間違いで、あくまで研究をするところ。
研究しまくって研究能力と専門家としての知識技能をみがく。
その証明として修士号、博士号の学位を得る。
ある一定の専門性が身についたところで、ようやく大学教員になるためのスタートについたことになる。
博士課程修了で、標準最短が27歳。
ここまでは奨学金で借金背負いつつ、お金は稼いでいないことが多い。
同世代がプライベートを充実させていく中、人によっては地味にしんどい時期でもある。

さあ、この後すぐに大学教員、と思われるかもしれない。
が、そうは問屋がおろさない。
昔々は大学院修了後すぐに教員になれていたらしいが、今はそんな人はあまりいない。
キビシイキビシイ就職活動を生き抜かなければならない。
どのくらいキビシイのかと言えば、たぶん大学生が経験する新卒の就活よりよっぽどキビシイ。
昔は出身研究室の指導教官が紹介してくれた、とも聞くが、今は博士あまりの時代な上に、公募による選抜が一般的。
これがね、まあ落ちまくる。
‪1勝100敗! あるキャリア官僚の転職記 大学教授公募の裏側‬ という本があるほど。
しかも競争相手は他大学ですでにバリバリ教員やっている人も含む。
ただ優秀であれば受かる、という代物でないのだ。
が、このあたりは次回書く。

まあそんなわけで、院生が終わるまでに正規ポストを射落すなんてことはなかなかない。
すると、どうするか。
とりあえずの職として、非正規任期付きの大学教員か研究員(ポスドクという)におさまり、その間に技能磨きと就活を行うことになる。
これがなかなか曲者で、収入が安定しない。
他の業界と同じように非正規はおしなべて待遇が悪い。
研究業界では特にバラツキが大きく、年収200万円台から正規並みまで幅広い。
だいたいは、ポスドクを数年、非正規教員を数年くらいやる。
ポストを異動するときに収入が3桁万円落ちることや、職位が落ちることもザラ。
大変なんです、ホント。

そこまでして、大学教員に必ずなれるかというと、そうでもない。
需要に対して博士人口が多すぎるので、優秀なのにどうやっても就活うまくいかないということが起こる。
研究が盛んな分野は研究が仕事のポスドク・非正規教員(研究専任)のポストはたくさんあるものの、教育の需要は研究と比べるとかなり少なくなるので、正規ポストは得難いということも起こる。
そうこうしているうちに、耐えきれなくなって他業種転職する組や高齢非正規組が現れる。
このくらい競争が激しくなると、就活がうまくいく要素は運の要素が相当大きくなる。
優秀なのに就職できない、運の要素が大きい、の詳細はまた次回書いてみようと思う。

まあそんな過酷な世界。
他業種の人にはなかなかわかっていただけない。
わりと大変なんです。




羽田空港にて

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2019/06/02 18:17
休暇中。
鳥取北ジャススタバにて。


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Update 2019/01/27
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投資マインドを読む(雑学・読書のタネ2)

日本は自由で民主主義な国である。
細かい主義主張は別として、この国において根底のところで共有できている思想だと思う。
では、資本主義、はどうだろうか。
日本は紛れもなく資本主義国家のなのだが、この部分についてはどうも思想として共有できていないように思う。
でも、個人個人の思想はどうあれ、この国は資本主義の仕組みで動いている。
この仕組みは、お金がある人がアイディアや労働力のある人にお金を回し、それで儲かったお金の一部を分けてもらうというもの。
お金を回した人と実際に働いて稼いだ人の両方が儲かる仕組み。
だから、働いてお金を稼ぐ方法だけではなく、お金を回してお金を稼ぐ方法の両方を知っておかないと、知らず知らずのうちに損をすることになる。
この国に暮らす以上、リテラシー程度にはその仕組みを知っておきたい。
もちろん、知った上で資本によらず労働によってお金を稼ぎたい、というのはアリだと思うが、仕組みをよく知らずにそれを主張するのは違うと思っている。

今回はその仕組み・マインドを学べる本を数冊集めてみた。
どの本もなるほどなー、と思いながら読んだ本たち。
このトピックが初めての人は、きっと得るものが大きいと思う。



「お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践(勝間 和代 著)」

このトピックについて知り合いにまず勧めるのがこの本。
お金にはどういう意味があるのか。
銀行に貯蓄をするということはどういうことなのか。
銀行はどうやって儲けるビジネスモデルなのか。
投資をするということはどういうことなのか。
このあたりをかなり簡単に読むことができる。

銀行にお金を貸してもほとんど儲からないが、銀行はそれを又貸しする事で金利分儲ける。
で、あるならば、お金がある人は銀行が儲けている金利分のいくらかは自分の取り分にできる。
住宅ローンなど、銀行から金利を払って借りるということが、資本主義社会においてどういうことなのか、についても学ぶことができる。



「改訂版 金持ち父さん 貧乏父さん:アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学(ロバート・キヨサキ 著)」

このトピックではかなり有名で先駆的な本。
日系人アメリカで書いた本の翻訳本。
真面目で労働収入も悪くないのに貧乏な父さんと、同じくらいの労働収入なはずなのにお金持ちな父さん。
一体何が違うのか、を解説することで、資本主義社会における、投資の重要性を考えることができる本。
勝間さんの本の内容をもう少し深く、という人にオススメ。
もちろん、この本から読むことも可。


「投資家が「お金」よりも大切にしていること(藤野 英人 著)」

前2冊と毛色が違うのがこの本。
普通の金融・会計的な投資本ではない。
この本ではあらゆるお金が動く行動を投資と捉える。
消費も、寄付も、株式投資も、会社への貸付も。
そして、自分の好きなもの、応援したいものにお金を入れよ、と主張する。
そうすることで、好きなもの、応援したいものにお金が回って、
それらが発展することになる。
意訳すると大体そんなことが書かれている。
確かにその通りで、この本にはすごく刺激を受けた。
同時に、お金持ちは社会的にかなり有利な位置にいるということも感じた。
この視点、知っているのと知らないのとでは大違いだと思う。



以上、投資マインドを読むためのオススメ本でした。
読んでおいて損はないです。





東京駅かな。


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2018/11/07 08:00
出勤途中。
汽車車内にて。


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Update 2019/05/26
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本の紹介,「理科系の作文技術(‪木下 是雄‬,岩波新書)」

理科系の作文技術
木下 是雄(著)
難易度:☆☆


すべての大学生に早い段階で読んでほしいと思っている本がこれ。
「理科系の」とは書いてあるものの、内容は理科系に限られない。
報告書や論文などを含め、すべてのビジネス系の文章をわかりやすく書くための技術を解説している。
わかりやすい段落構成はどうすればよいか。
わかりやすい文とはどういうものか。
レポートや卒論ではこれらの作文技術がものをいう。
そして、社会に出てから書く企画書や報告書など、組織の中で何かを伝えたいときに書く文章においてはこの技術が大いに役にたつ。
大学で書かされるレポートや卒論はこれらの文章技術を学ぶという意味合いが大きい。
このような作文技術について、エッセンスをまとめたのがこの本。

文章の組み立て方、わかりやすい表現、意見と事実の区別など、大学で学ぶべき作文技術についてはほぼこの本で学ぶことができる。
特にパラグラフについては詳しく、このトピックだけでも読む価値があると思う。

大学ではレポートをたくさん書かされることになるが、この知識を知って書くのと知らずに書くのとでは大きな違いがある。
やみくもに書くのではなく、早い段階でこういう知識を入れて、実践練習として課題レポートに挑みたい。
レポートの数だけ、自分の文章はよいものになっていくはず。
その集大成として卒論を望むことで、この手の文章を書く力はかなり鍛えられる。
社会人になったときにかなり役に立つ力を手に入れることと思う。

なお、この本。
最近マンガバージョンが出ている。
マンガバージョンは文章力が未熟な会社員と上司のやり取りを軸にストーリーが展開する。
いきなり新書版が難しい人はまずはマンガバージョンから、というのもいいかもしれない。
マンガバージョンは簡単な代わりに情報がやや薄いので、常に机の上に置いて使うというような使い方は難しい。
まずはマンガバージョンでハードルを下げて新書版を読み、新書版の方を作文技術の辞書のような感じで机上に備えるような使い方がベストか。

ちなみにこの本。
僕も大学生の時に読んだ。
出版されたのは僕が生まれたくらいの頃なので、かなり長きにわたり多くの人に読まれている。
どれだけいい本かわかるだろう。
すべての人にオススメしている一冊。


ちなみに、作文技術を学ぶには以下のリンクも参考になる。
論文・レポート・発表に関する本
よかったらどうぞ。




ニコタマにて



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Update 2019/05/26
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