大学教員になりたいなぁと思って修士課程に進学も、かなり早い段階で萎えた話は書いた。
だいたい、早く結婚したい。
博士課程なんて行っている場合じゃあない。
当時北の大地に渡っていた僕は、土地の重要性についても痛感していた。
やはり故郷の横浜に住みたい。
横浜は無理でもすぐに行ける距離のところがよかった。
そんなわけで、動機は純じゃないなれど、普通の就職活動を行うことになった。
で、何をしたいのか。
過去になりたいと思っていたやつらはもうすでに興味を失っていた。
高校教員のみは生きていたのだが、なるにしても一度社会人を経由してからがよかった。
全く別の分野でバリバリやって、30歳前後で高校教員に転身かそのままキャリアを続行か、考えることにしていた。
何にするか。
いろいろ考えた。
どうせなら自分の強みを生かしたい。
数学やプログラミングは遠ざかっていたため武器にはならない。
英語は当時は苦手意識がやや消えた程度でこれも強みとは言えない。
かろうじて役に立ちそうなのは、研究くらい。
状況を分析して、問題点を洗い出し、解決策を考える。
これに加えて、学生時代から新しいことを提案するのが好きだった。
企画だ。
経営企画か商品企画か。
どっちも楽しそうだし、強みや特性も生きる。
企画しかない。
企画系文系総合職でサラリーマンをやろう。
と、まあこういうことになった。
そんなわけで、修士1年生の冬明けから会社説明会やらなんやらをゆるく受け始めた。
研究がメインだったのであまり就職活動は激しくなく、合説1回に単独企業説明会も数回。
ソニーと電通、リクルートを受けたのを覚えている。
電通の鬼十則に共感したりもしたので、僕も大変若かった。
採用試験も数社受けた。
鉄道大手、広告・人材開発大手、あたりか。
バリバリな総合職キャリアになるのを想像して。
ところが。
各社選考が進んでいる最中に、企画系バリキャリサラリーマン化計画は突如として終了する。
企画系とは全く異なったところから、不思議なポストを打診された。
給料も待遇も仕事内容も将来設計も、どれをとっても魅力的なオファーだった。
よって、僕の企画系サラリーマン就活物語は終わりを迎えた。
このオファー。
その後小説より奇なりなストーリ展開で、企業人になること自体がなくなることになるのだが、この話はここでは書かない。
今でも、あの時企画系で受けていた企業の選考の方が早かったら、違った人生だったんだろうな、と思う。
僕にはこういうポイントが他にもいくつかあるのだが、それも今回のスジからは外れるので書かない。
では、今日はこの辺で。
また。
夏が、やってまいりました。
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2021/07/17 20:54
今日は暑かった。
鳥駅スタバにて。
Update 2021/07/17
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