週刊雑記帳(ブログ)

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大学教員の評価は難しい

大学教員を評価することはできるのか。
政府は数値評価を重んじるし、研究業績主義の研究者なんかは、できると無邪気に信じている。
ただね、僕は大学教員の評価、かなり難しいと思っている。

まず。
よく聞く主張としては、研究業績こそが大学教員の評価、というもの。
一見正しく見えるのだが、これ、僕は間違っていると思っている。
なぜならば、大学教員の業務は研究だけではないから。
むしろ最近は、研究をする時間がないことが問題になっているくらい、研究以外の業務量が多い。
本来、人事評価とは、やらせている仕事・やらせようとしている仕事に対して行うもの。
業務時間における研究の比重が落ちている状況で、研究に偏重して評価するというのは違う。

では、大学教員、どんな業務があるのか。

まずは、教育業務。
「教員」というくらいだから、当然、業務の中心は教育であり、評価もそうあるべきだと思っている。
元々の大学というシステムの設計では、主に研究をやっている者が、その専門性を活かして学生を教育する、という建て付けだった。
この設計が理想通り動いているのあれば、研究のみの評価でいいのだろうが、実際にはそうはなっていない。
あまりに授業や教育の質が低いというのが問題になり、ここ数十年、これらの改善というのが大学の一つのテーマになってきた。
それでは、この教育を評価すればいい、ということになると思うのだが、これは大変難しい。
教育は何をもって「よい」とすればいいのか。
すでにここからよくわからない。
授業を受けた直後に学生が感じる「よい」を重視すればいいのであれば、授業アンケートを使えばいい。
が、実際には、卒業後によかった、と感じるかもしれない。
極端な場合だと、数十年後に「よい」と思うかもしれない。
学ぶ意欲が高い学生が思う「よい」と楽に単位を取りたい学生が思う「よい」も違う。
受けた直後はものすごく満足度が高いが知識としては何も身に付いてない授業と、誰に教わったかも覚えていないが卒業後も使っている確かな基礎力が身に付いている授業、どっちが「よい」授業なのだろうか。
後者を評価するにはどのような指標を用いればいいのだろうか。
本当に難しい。

技術的にも難しい。
授業や教育の良し悪しを評価できる指標を開発できたとしよう。
すると今度は別の問題が生ずる。
1つの授業を担当して「とてもよい」実践をしている教員と、3つの授業を担当して「よい」実践をしている教員、どちらの方が高く評価されるべきなのだろうか。
組織の都合で専門から外れた分野についてがんばって「まあまあ」の授業をしている人と、ど専門の分野について特にがんばることもなく「まあまあ」の授業をしている人、同じ評価になるのだろうか。
これもまた難しい。
大学教員は、受け持ち授業数や専門分野と授業の対応が人によって大きく異なる。
同じ大学・学部であっても、その辺りは多様になりがち。
どれをよりよい、と評価すればいいのだろうか。
僕にはよくわからない。

授業以外ではどうか。
授業外の指導に時間を割く、学生相談にのる、質問対応、などなど。
これもまた、たくさんある。
どうやって、評価の指標にのせればいいのだろうか。

そもそもに、人を育てることの評価が極めて難しい。
最初からそこそこできる人をそこそこできる人として送り出すのと、全然できない人を平均くらいにして送り出すのとでは、後者の方が教員としてすぐれている。
最初からやる気がある人が自力でできるようになって卒業するのと、全くやる気のない人が教育の中で少しやる気になって卒業するのとでは、やはり後者の教育の方がすぐれている。
しかし、これを教員の評価として数値化するのは不可能に近い。


大学教員の業務は研究と教育だけではない。
各種運営・雑用もある。
入試の取り仕切り、入試問題の作成、教育課程の編成、学内ハラスメントの相談、対外的な評価対策、国際交流関係、人事・労務管理などなど。
こんなものもあるのか、というくらい多様なものがたくさんある。
それぞれに質・良し悪しがあるのは当たり前のこと。
そして、個人ごとに、これらの負担の軽重もある。
この業務はこの人がいないと回らない、みたいな職人的な人もいて、でも業務と研究・教育が全く結びついていないこともある。
それらをどう評価したらいいのだろうか。


ここで書いたことは、どれも大学組織にとって重要な業務である。
みんなが一様に同じ負担、同じ質の業務を担っているのであれば、評価もしやすい。
しかし、実際は負担度合いも担当業務も多様。
もしすべてが完璧に評価できたとして、今度は質の異なるそれらをどう総合的に評価すればいいのだろうか。
とても難しい問題である。

さて。
評価には評価を受ける者の行動を回帰させる性質がある(詳しくは評価の性質を参照していただいて)。
例えば、研究業績のみを評価対象とすれば、それのみを重視する者が増え、それ以外の業務へのモチベーションは下がる。
少なくとも、研究以外の業務をきっちりとこなす教員は、評価されず損をする。
すると、長い目で見れば、評価にのらない行動は組織内から消えるか、質が低下することになる。
大変良くないと思うわけです。

そうでなくても、全方位的で多様な評価は、コストがかかる。
お金もないし、めんどうだし、お互いの業務を尊重して、評価なんかほどほどにすればいいと思っている。
誰かが運営・雑用を担ってくれるから、研究したい人は研究に割ける時間が増える。
教育に力入れたい人が一定数いると、学生のためになり、大学のためにもなる。
評価なんて余計なことをせずに、そうやってお互いの仕事の多様さを認めて尊重しつつ、各々が大事だと思うことや与えられたことをしっかりやる。
誰も損をしないと思うのだけど、この意見、なかなか理解してもらえない。

今回は、研究業績は評価可能な感じで書いた。
が、研究業績ですら評価の難しさをはらんでいる。
いつか気が向いたら、これについても書こうと思っているが、長くなったので今回はここまで。

ではまた。




川崎のどこか、かな。

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2023/01/08 20:17
休暇中。
鳥取ドトールにて。


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Update 2023/01/08
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