週刊雑記帳(ブログ)

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エビデンスの話

エビデンスという言葉がある。
ここ20年くらいでよく聞くようになった言葉で、主張されている事柄についての科学的な裏付けのことをいう。
医学や心理学の臨床など、ケースバイケースで進める現場系分野でよく用いられるようになった。
SNSで主張されている言説に対して、エビデンスはあるのか、という指摘をする人も増えていて、そういった文脈でも見ることがあるかもしれない。

さて、このエビデンス
もともとケースバイケース系の現場で、職人技的に経験に頼って仕事を進めていたことへの反省から出てきた。
例えば、お医者さんが患者さんを見る際、経験的にこうするとよい、みたいなものがあって、それで進める治療法があったとする。
ところが、科学的にちゃんと研究してみると実際には思い込みで、その治療法は効果がないということが明らかになってしまう。
こういうことがあるので、科学的にきちんと証明して本当に効果があるのかを確かめることの重要性が言われるようになった。
この時の科学的な研究知見をエビデンス、というわけ。
例では、経験知とエビデンスが乖離しているものを挙げたが、もちろん両者が一致しているものも多い。

ところが。
エビデンスを重視する人たちの中に、少し極端な主張を聞くことがある。
エビデンスのないものは正しくない」という主張である。
研究者の中にさえこういう態度の人がいる。
この主張は正しいのであろうか。
みなさんはどう思われるだろうか。

僕はこの主張を支持しない。
エビデンスが重視されるようになったのは、エビデンスのない経験知や理論、モデルが間違っていることがあるからであって、それら全てが間違っていることを意味しない。
エビデンスがあるものに関しては、その主張の確からしさが高い、と考えてよい。
一方で、エビデンスがないものに関しては、主張の確からしさをエビデンスに求めることができないということだけを意味する。
もちろん、科学の手法で調べることが可能であるならば、エビデンスを得たほうがよい。
しかし、科学は万能ではない。
調べることができること自体、かなり限られている。

エビデンスのない経験知は全く役に立たないのか。
そんなことはない。
科学が発展する以前から、経験を積んだ専門家・専門職は活躍していた。
これは、その経験知がある程度正しく、役に立つということを示している。
理論やモデルについても、論理で緻密に組み立てられているものは多くあり、何十年も経ってから方法論的に可能になりエビデンスが得られ、正しさが証明されたものは多い。
よって、エビデンスなしであっても経験知や理論、モデルは十分役に立つ。
からしさのレベルが下がるだけで、全く間違っているとはならないわけ。
エビデンスがない場合、特に科学的な限界でエビデンスを得ることができない場合、これらに頼らざるを得ない。
たまにエビデンス原理主義者みたいなのがいて、エビデンスなき主張については全て無視という態度を見ることがあるが、ものすごくナンセンスだと思っている。

エビデンスと確からしさについては、おもしろいのでもう少し掘り下げて書いてみたい。
ただ、それはまた今度。
今回は長くなったので、これでおしまい。
ではまた。




f:id:htyanaka:20210726061841j:plain 智頭急行線の車内にて。

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2021/07/25 23:30
明日から仕事。
自宅にて。


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Update 2021/07/25
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