週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

2020年と30代を振り返る年の瀬の話

えらい目にあった。
30代とここ1年の話である。

30代については、今年の40歳の誕生日前日に厳かに振り返る予定も、それすら叶わなかった話は既に書いた。
まあそんなわけなので、ここ一年と30代についてしみじみと振り返りつつ、次の1年の夢と希望を書いてみようと思っている。
年の瀬、最後の大学帰りのスタバにて。
しんみりと、しめやかに。
ただいま嵐のラストライブが始まる刻限。
今日はいつもとタッチを変えて、書きます。

30代のスタートは福井だった。
1年半くらいで鳥取に異動してきたので、大半は鳥取の思い出。
前半は非正規雇用だったので、貧乏との戦い。
低賃金サバイバル術を身につけた。
後半は業務多忙につきえらい目にあう。
教育はちゃんとやりたい、でも時間がない、研究ができない、つらい、の連続だった。
前半の経済的困窮と後半の時間ない、は、プライベートもズタズタにしてくれた。
これは下の世代には味合わせてはいけない、と、強く思っている。

じゃあ、30代は全部ダメかというと、そうでもない。
要所要所で、大事なものを手に入れている。
福井時代に出会った先輩は今でも疲れた時に飲んでもらう仲。
鳥取前半に苦楽を共にした同僚もよき友人として、時々会う。
前半によき先輩的なポジションだった先生とは今も細々と共同研究をしている。
これらはおそらく一生もので、30代で得たとても大事なもの。
正規ポストにつけたのもよかった。
正直消えるか、と思っていた。
後半も人には恵まれてきた。
なんだかんだで、人。
この点では、悪くない30代だったのかもしれない。

では2020年。
こっちは極めてひどい目にあった。
昨年後期くらいから極めて忙しく、今年4月から少しのんびりリフレッシュする予定だった。
月1くらいで旅に出て、ライブやフェスなんかも行こうと思っていた。
結婚はともかく、恋人くらいできるといいな、なんてことも考えたり考えなかったり。
プライベートスカスカ問題は前年から懸案だったので、いろいろと考えていたわけよ。

が、コロナのせいですべて狂う。
まずオンライン対応のせいでのんびりなはずな時間がタイトに。
行動が大幅に制限され、旅やライブどころではなくなった。
リフレッシュはおろか、できていたことすらできなくなった。

何が一番しんどかったかといえば、コロナ前にできていた息抜きまで奪われたこと。
もともと鳥取の人間ではないので、こちらにプライベートな知り合いがいない。
疲れてくると東京に飛んで、友人と会うということでリフレッシュしてきたのだが、それがダメになった。
上京を強行することができないわけではないのだが、子育て世代の友人は誘えない。
結局コロナ後にリアルに友人と会うというのは一度もなかった。
他愛もない話題をしゃべる相手がいない、というのは、想像以上につらいものなのですよ。
結局後半になると、こいつがボディーブローのようにじわじわ効いてきた。
学生は友人ではないし、同僚には家族がある。
本当にしゃべる相手がいない。
わりとそういうのは大丈夫なタイプなんだけど、今回のはちょっと極端すぎた。
結婚してるとか恋人いるとか、そういうのがあればなぁ、というを痛感した1年でもあった。

そんなわけで、大変散々な2020年であった。
他にも嫌なことがたっくさんあった。
年末の現在、限界はとっくに超えているので、なんで動いているのかよくわからないような状態。

ただ。
僕が信念として持っているものに「人の一生の幸せの総量はみんな変わらない」というのがある。
きっと。
きっと、2021年はドカンといいことがあると思うのだ。
さすがに神様もそこまで意地悪ではあるまい。
でないと、ワリニアワナイ。

そんなわけで、2021年に起こるであろう「すごくいいこと」にワクワクしつつ、もうちょっとがんばってみようと思っている。
今年いいことあった人も、いいことなかった人も、ひどい目にあった人も、きっと来年はコロナの分はいいことボーナスがあると思うよ。

ではでは。
本年もお付き合いいただきありがとうございました。
家に帰って酒を飲みつつ、最後を締めくくろうと思います。
いい年末、いい新年をお過ごしください。




f:id:htyanaka:20201231190531j:plain ただ、婚活はしないよ。
そういうのはなるようになる。
写真は昨日撮った冬の一コマ。



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2020/12/31 19:02
今年ラストのコーヒーを飲み。
駅前スタバにて。



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Update 2020/12/31
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裁量労働制と大学教員 その1 基本編

大学教員は裁量労働制という仕組みで働いている。
特に国立大学は多くがそう。
ただ、大学教員がこの仕組みを理解しているかというと、そんなことはないように思う。
そこで、今回はこの仕組みについて知っていることを書く。
自分への備忘録としての意味合いもいささか。
ちなみに、僕は弁護士でもなければ専門家でもない。
学内でとある委員会に所属したため、こいつについて少し詳しくなった。
その程度の書き物であることはご承知おきいただきたく。

なお、この制度。
労働者にとって危険があるため、さまざまな制約が課されており誰にでも適用するということはできない。
ただ、使用者にとってはメリットが大きい。
このため、これをいろいろな労働者に適用しようという法改正が議論されることがあるので、今関係ない人も知っておいた方がよいと思っている。

裁量労働制とは

裁量労働制とは簡単にいうと、仕事の進め方や働く時間を上司が指示せず労働者が決めるという制度。
仕事の裁量が使用者(上司)から労働者に大幅に委ねられているため、裁量労働制という。
上司が指示しない代わり、使用者は残業代の支払いをしなくていい。
勤務時間はあらかじめ労使で決めた時間(みなし時間)働いたとみなされる。
多くの国立大学はみなし時間を7時間45分に設定しているため、授業で90分だけ出勤しようが12時間働こうがお給料は変わらないことになる。

研究者にとってはこの働き方は便利。
研究という営みは、どこからが研究でどこからがプライベートか、よくわからないところがある。
職場でこもっていることが必ずしも研究業務が進むことを意味しない。
一気に論文を書き上げてしまいたい時や実験で朝から晩まで作業をしなければならないこともある。
こういう時、自分の裁量で仕事を進められるのはとても便利。
いつでもどこでも研究ができ、気分がのらない時は休むことができる、というのは、研究という仕事では結構大事だったりもする。
よって、研究者にはこの制度、喜ばれている。

裁量労働制のメリット

この制度は労使双方にメリットがある。

まず労働者側。
時間管理されないので働きやすい。
いつ来てもいいしいつ帰ってもいい。
勤務途中の休憩も自由自在。
上司からの仕事の進め方の指示がないのも働きやすくていい。

次に使用者。
こちらの最大のメリットは時間管理と残業代の支払い(ただし、平日の5時〜22時についてのみ)がなくなること。
労基署から怒られる最大の懸案事項が消える。
管理職の仕事が大幅に減るため、そのための人件費も減らすことが可能。

裁量労働制のデメリット

ただ。
問題点もある。

1番は働きすぎを生む可能性が高くなること。
通常、使用者には勤務時間の管理と残業代の支払い義務がある。
時間外勤務は法律や労使協定で上限が決められており、これが残業代の支払いは働きすぎの歯止めになる。
時間外勤務が上限を超えそうで現場が回らなくなりそうな場合、使用者は人員を増やすなどの対応を取らなければならない。
サービス残業などでごまかすと、労基署監督官がやってきて行政指導をしたり、悪質な場合は書類送検刑事罰の可能性がある。
ちなみに法的に決められた上限を超えて残業をさせると、サービス残業ではなかったとしても違法で行政指導や刑事罰がありうる。

このように、一般の働き方の場合、外からの力によって働きすぎに歯止めがかかる。
ところが、裁量労働制の場合これがない。
よって、働きすぎ(過労死)を生みやすい危険な制度ということもできる。
このため、裁量労働制は適用や運用にあたって、さまざまな規制的な仕組みが用意されている。

一方、使用者にとってはデメリットらしいデメリットは見当たらない。
使用者が労働者を管理できなくなってしまうので、労働者や職種によっては合法的にサボられてしまう、というのがあるかもしれない。

裁量労働制の制限

この制度、前述のように働きすぎの危険がある。
また、残業代支払いを免れるために悪用される恐れもある。
よって、そうならないようにいくらか制限がかけてある。

まずは適用できる者が限定されている。
「専門業務型」と「企画業務型」の2種があり、大学教員・研究者は前者。
「専門業務型」が適用できる業務は、この仕組みが必要なものに限られる。
大学教員・研究者だと、研究が主たる業務の教員、研究業務のみの者がこれにあたる。
ちなみに専門業務型裁量労働制で雇っていた労働者に対象業務外の業務をやらせていたとして、専門業務型裁量労働制を無効として実態に合わせた賃金の支払いを命じた判例がある。
エーディーディー事件(大阪高裁)

さらに労使協定を結ぶ必要がある。
労使協定とは労働者の代表と使用者が結ぶ約束のことで、裁量労働制の場合この書面について労基署への提出が必要。
この中で、みなし時間を設定する必要がある。

実際に労働者に裁量がある必要もある。
上司が具体的な指示をしない、勤務時間を指定しない、などがこれにあたる。
たまに教授が助教や任期付き教員・研究員に時間指示(何時までには来て何時まではいるように等)を出していることがあるが、あれは違法。

なお、裁量労働制においても休日勤務、深夜勤務(平日5時前と22時以降)の割増賃金の支払い義務は免除されていない。
これはJrec-Inの記事が役に立つか。

以上、だいたいの概要をつらつら書いた。
次回、同業者に向けて詳しく書いてみようと思う。




羽田空港にて。

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2020/08/23 18:40
今日はいい夫婦の日だってさ。
鳥駅ドトールにて。


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Update 2023/12/01
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四十路記念日

去る9月1日。
僕はめでたく四十の大台に乗ることになった。
四十といえば、中学生の時の人生計画だとすでに中3の息子がいて、本気のキャッチボールをしている、というはずの年齢。
いろいろと思うところがあり、散々だった30代を振り返りつつ、その日を厳かに迎えよう。
このように考えていた。

さて。
時は8月31日月曜日。
いつものように、早起きをして仕事に向かった。
が、体調がすぐれない。
いつもの朝食、すき家の牛丼ミニツユ少なめを食すも、なんだかしっくりこない。
なんだろう、この違和感、と思いつつ職場についたものの、いよいよ体調がおかしい。
頭がぐるぐるするというか、めまいのようなものがする。
お腹もゆるくなっていて、違和感が半端ない。
これは、ダメだ、少し休もうと研究室のソファーに横になり2時間ほど様子をみる。

2時間後、のこのこ起きてみるも、体調は絶不調。
体温を測ってみると38℃近くある。
ああ、そういうことね、と帰宅を決定。
フラフラしながら満身創痍で無事帰宅。
寝床につくことになった。

この後がまた悲惨だった。
お腹のゆるさはマックスになり、ご飯は全く食べられない。
熱も39℃台まで上昇し、もう何もできない。
困ったことに寝ることすらできないくらい、お腹、熱、めまいにやられた。
当然、30代の振り返りどころのはなしではない。

そのまま、9月1日の誕生日を迎える。
もう前日朝食べたすき家の牛丼(ミニ、ツユ少なめ)以外何も食べていない。
が、それでもないお腹のゆるさは絶好調で、体温も絶好調。
あまり寝れないまま、夜は明けた。
午前中様子を見てみるも全くよくならないので、病院に電話。
コロナかなぁと思いつつ、ドキドキしながら病院へと向かった。

感染性胃腸炎ですなぁ。」
かかりつけ医大先生のありがたいお言葉。
おそらく細菌で、血液検査の数値としてはかなりひどい値が出ているとのこと。
点滴を打ってもらい、しばらく安静にしてね、というアドバイスをいただき、帰宅と相成った。
結局、その日は何も食べられず。
次の日の夕方くらいに、ようやくプリンが口に入るようになりました、とさ。

記念すべき四十路の誕生日に、飯は食えず点滴を打ってウンウン言うというのはさすがに予想不能だった。
厳かに迎えるはずだったこの日の予定は全ておじゃんとなり、極めて波乱の幕開けとなりました、とさ。
まあ、四十路に起こるであろう全ての厄災がこの日に済んでしまった、と考えることにする。
なお、8月31日の前日に食べた大好きな海鮮丼は、3ヶ月が過ぎた今も怖くて口にできないでいる。

いやしかし、コロナじゃなくてよかった。
本当に。
ではまた。




f:id:htyanaka:20201221081228j:plain 久松山かな。

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2020/12/13 18:44
疲れましたなぁ。
鳥駅ドトールにて。



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Update 2020/12/13
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本の紹介,「‪心の理論―心を読む心の科学 ‬(子安 増生,岩波科学ライブラリー)」

‪心の理論―心を読む心の科学
子安 増生(著)
難易度:☆☆


心の理論という言葉をご存知だろうか。
心理学の世界では知らない人がいないくらい有名。
僕も発達心理学発達障害系の授業で必ず扱うトピック。

心の理論。
簡単に言うと、他人が何を考えているかを知るという心理的な能力を指す。
エスパー的に他人の心を読むとかそういうことではない。
もっと単純な他人の心についての話。

例えば、Aさんが大切な本を自分の本棚にしまって出かけたとする。
Aさんが出かけている間、Aさんのお母さんがやってきて、本棚の本をちょっと借りていった。
Aさんが帰ってきて、その本を読みたいと思った。
Aさんはどこを探すだろうか。

そんなの本棚に決まっているだろう。
多くの方がそう考えることと思う。
では、なぜ、我々はそう考えるのか。
それは、Aさんの心「大切な本は本棚にある」を知っているから。
本当はお母さんが持っている、というのも知りつつ、Aさんの心はそうなっていない、というのがわかっている。
だから、Aさんは本棚を探すと答えることができるわけ。
このような他人の心を読むことができる能力を心の理論という。

この心の理論。
ちびっ子は発達していない。
よって、上記の例に正しく答えることができず、Aさんはお母さんのところに本を返してもらいにいく、と答える。
自分の心とAさんの心が分離できないわけ。
自閉症の子もこの心の理論が難しいと言われている。

長くなった。
本書はこの心の理論について、一般向けにわかりやすく解説した書。
心の理論が出てきた研究史から、理論的枠組み、その発達と自閉症との関係まで、詳しく解説する。
内容は平易でわかりやすく、心理学の知識がなくても読める。
教養レベルの心理学や発達心理学の知識があるとより楽しめる。
バロン・コーエン(自閉症と心の理論を結びつけた学者)のモデルを詳説しているため、専門的に勉強したい学部学生や院生、隣接領域の研究者も楽しめる。
巻末に文献一覧があり、ここからさらに専門的な文献にあたることも可能なのがまたよい。
もちろん、幼稚園や学校の先生にもオススメ。

授業の副読本紹介とこの記事を書くために読み直したけど、改めていい本だと思った。
このトピックに興味ある人だけでなく、心理学に漠然と興味を持っている人にもオススメ。

では。
今回はこの辺で。




f:id:htyanaka:20201206215415j:plain オレ、こういう画、好き。
横浜の片田舎にて。

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2020/12/06 19:14
仕事がりに。
スタバにて。



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Update 2019/12/06
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友人に教える(大学生のための学び方入門13)

いろいろ書いてきたこのシリーズ。
次はこれ。
友人に教える。
これは前に書いた「自分の言葉で説明してみる」の亜種。

大学ではテストや課題がある。
これは結構ヘビーなので、みんな四苦八苦する。
この時、教える役を買って出てみよう。
重宝される上に、自分の勉強にもなる。
どういうことか。

教えるという行為は、深い理解を要する。
やってみればわかるが、浅い知識で教えるのは難しい。
よって、教えるための前提として教える内容に対するそれなりの理解が必要になる。
これがために、資料や教科書の読み込みをしなければならない。
教えるためにこれらを読むと、漠然と読むよりは理解が進む、というのもよい。
教えるためには、ポイントを抑える必要があり、教えるための読み方をするようになる。
これが勉強になる。

教えるためには、自分の言葉で言語化する必要もある。
これにも高度な理解が必要。
この段階で理解が浅いことに気づける。
友人に教えている最中に理解の浅さに気づくこともしばしば。
よくわかっていないところがわかる。
何がわからないかがわかる、というのは、勉強する際に重要になるのはいうまでもあるまい。

教えていると、友人から質問をされることがある。
これもまた、深い理解を促す。
そもそも教えるために、出てきそうな質問を想定しながら勉強を進めることになり、この時点でかなり勉強になっている。
それでもなお、自分では気づけない疑問が友人から飛び出すことがある。
こいつは自分の理解の浅いポイントに気づかせてくれる。
質問を受けて勉強をし直すと、より深まる、というわけ。

こういうことを書くと、教える友人がいない、という声が出てきそう。
そういう場合は、友人に見せるつもりでノートを作る、というのもよい。
自分用のメモと称して、ブログか何かに表現してみるのもまたよし。
不特定多数に読ませる文というのは、内容の深い理解も含め頭をかなり使う。
これが勉強にならないわけがない。

ちなみに。
学術界の最高の学位は博士号。
博士は英語でDoctorと書く。
Doctorの語源はラテン語のdoceoに由来するらしい。
doceoは教えるという意味を持つ。
-torは行為者を指す。
つまり教える人という意味。
教えるという行為と知識の関係をよく表していると思っている。

ではでは。
また。




f:id:htyanaka:20201206215120j:plain 鳥取かなー。


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2020/12/06 20:23
仕事上がり。
スタバにて。


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Update 2020/12/06
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本の紹介,「15メートルの通学路(山本 純士 ,角川文庫)」

15メートルの通学路
山本 純士(著)
難易度:☆


久々のこのシリーズ。
紹介したい本は結構あるんだ。
ただ、書くにあたっては本を読み直しているので、ちと時間がかかる。
忙しいと、なかなかね。

言い訳はすんだので本題。
みなさんは病弱教育という言葉をご存知だろうか。
特別支援学校には視覚障害聴覚障害、知的障害、肢体不自由、に加えて病弱、という区分がある。
世の中には病気が原因で一般の学校で教育を受けられない子どもたちがいる。
病院に入院しており学校に通えない、頻繁に病院に通わなければならず地域の学校に通えない、等々。
このような子どもたちの教育を受ける権利を保障するための仕組みとして、病弱教育というものが行われてきた。
病院の敷地内や隣接地に病弱の特別支援学校を作り、そこに通う。
病弱の特別支援学校の学級(地域の学校の特別支援学級の場合もある)を病院内に設置し、院内学級として教育を行う。
これらの学校に所属する教員がベッドサイドに出張して教育を行う、という方法もある。

この本は、そんな病弱の特別支援学校の先生が書いた物語調のノンフィクション。
病弱の学校に異動になるところから始まり、病弱教育の現場での奮戦を短編小説のような要領で描く。
これがとてもおもしろい。
病気を抱える子どもやそれを心配する親族、一癖も二癖もある教員たち。
それらの個性がぶつかりながら、リアルで少しほろ苦く少しほっこりするストーリが展開される。
死と隣り合わせの子どもたちと周りの大人たち。
これらに教育の本質というか、生きるということの本質というか、そういったものを感じることができる。

表題になっている15メートルの通学路は、その中の一つの物語のタイトル。
小学1年生の女の子が入院している病室から教室まで通う廊下の距離。
これが15メートルだった。
もう手の施しようのないくらい重い病だった彼女。
やがて死に行く運命の彼女。
そんな彼女にとって教育とはなんなのだろうか。
教員としての苦悩と葛藤が描かれており、非常に考えさせられた。
途中で登場する、病気でなければ入学する予定だった地元の学校の校長先生もまた素敵でよかった。

他にも教育とは何かを深く考えさせられるお話がたくさん。
教員だから子どもの味方になれる。
そんなのは教員側のエゴなのかもなぁ、なんてことを読みながらぼんやりと考えた。
僕はこの本を何度か読み返しているが、読むたびに違う何かを得ているような気がする。
そんな不思議な本でもある。

特別支援学校の教員を目指す人には必読の書。
それ以外の学校の教員を目指す学生さんや現職の先生にもぜひ読んでほしい1冊。
もちろん教育とは全然関係ない人たちにもオススメ。
いろいろと得るものが多いと思う。

ではでは。
今回はこのへんで。
たまっている本の紹介記事、ぼちぼち書いていく予定。
長い目で見守っていただいて。




f:id:htyanaka:20201130233250j:plain たまプラーザかな。

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2020/11/30 23:27
ギリギリセーフ。
自宅にて。



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Update 2020/12/13
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高校教員(僕のなりたかったもの6)

さあいよいよ、今の僕を見て予想つくものが登場。
高校教員。
こいつになりたい、という時期がかなり長いこと続いた。
ただ、なりたい、と思った時期はかなり遅い。

僕はちょっと変わった経歴を持っている。
大学に2つ通っているのだ。
一つ目はさる地方国立の工学部系。
一年で辞めて同じく地方国立の教育学部に入り直している。
この辺の話は、飲み会ネタなので、お酒を飲んだ時にでも聞いていただければと。

2つ目の大学を選んだ理由の一つとして数学の教員免許というのがあった。
もともと友人に教えるのは嫌いではなかったため、あったらいいなというのが理由。
ただ、進学の主目的は別にあったので、あくまでサブという位置付け。
もともと金八先生が好きだったので、まあ選択肢の一つとして取っておくのもいいか、くらいな軽いノリだった。
当時の教員免許状には期限がなかったため、こういう思考になったのかもしれない。

大学に入ってからもそんな緩やかな動機のまま時間が過ぎていった。
転機は大学4年生になってから。
夏前に教育実習へ行こうことになる。
これが大変おもしろかった。
母校実習として高校に4週間帰ったのだが、とても楽しい。
同級生が附属校実習でヒーヒー言っている中、かなり自由に伸び伸びとやらせてもらった。
だいたい何をやっても素晴らしいとしか言われないし、新任教員の要領で授業を任せてくれるし、放課後は部活動三昧。
実習の課題が休日にはみ出ることは一切なく、都内に遊びに行ったり部活に出たりとやりたい放題。
研究授業もかなり攻めた内容をやらせてもらい、賛否両論だったものの、本当に楽しかった。
そんなわけで、学部4年生というギリギリの段階で高校教員が将来の進路候補として踊りでることに。

ただ。
大学院には行きたかった。
もともと、高校生の頃から大学院には行く予定で、学部で教養を院で専門をというコンセプトで学部時代を過ごしてきた。
大学院に行くお金もバイトでコツコツ貯めていたので、大学院に行かないという選択肢はなかった。
そこで、少しペンディング
院に進んでから考えようということになる。

その後。
いろいろあって他にやりたいことが出てきた。
でも高校教員も捨てがたい。
そこで、さらにペンディングすることに。
ストレートの高校教員なんてたくさんいる。
社会人経験のある高校教員になろう。
そういう教員だって必要だ。
本気でやりたいことをやって、30歳の時にもう一度考えよう。
その時やっている仕事と高校教員を比べて、高校教員がよければ転身すればいい。
そう考えたわけ。

そんなわけで20代は頭の片隅に高校教員になりたい、というのがくすぶり続けていた。
そして30歳。
僕は大学で教員をしていた。
これがわりと楽しかったので、そのまま現在に至っている。

ただ、大学の教員と、高校の教員はやはり仕事の性質がちょっと違う。
時々、高校の先生になりたいなぁ、と思うことがないわけではない。





f:id:htyanaka:20201103180408j:plain 横浜、かなぁ。

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2020/11/02 16:21
今日は休暇なのだ。
鳥駅スタバにて。


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Update 2020/11/02
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