いろいろ書いてきたこのシリーズ。
次はこれ。
友人に教える。
これは前に書いた「自分の言葉で説明してみる」の亜種。
大学ではテストや課題がある。
これは結構ヘビーなので、みんな四苦八苦する。
この時、教える役を買って出てみよう。
重宝される上に、自分の勉強にもなる。
どういうことか。
教えるという行為は、深い理解を要する。
やってみればわかるが、浅い知識で教えるのは難しい。
よって、教えるための前提として教える内容に対するそれなりの理解が必要になる。
これがために、資料や教科書の読み込みをしなければならない。
教えるためにこれらを読むと、漠然と読むよりは理解が進む、というのもよい。
教えるためには、ポイントを抑える必要があり、教えるための読み方をするようになる。
これが勉強になる。
教えるためには、自分の言葉で言語化する必要もある。
これにも高度な理解が必要。
この段階で理解が浅いことに気づける。
友人に教えている最中に理解の浅さに気づくこともしばしば。
よくわかっていないところがわかる。
何がわからないかがわかる、というのは、勉強する際に重要になるのはいうまでもあるまい。
教えていると、友人から質問をされることがある。
これもまた、深い理解を促す。
そもそも教えるために、出てきそうな質問を想定しながら勉強を進めることになり、この時点でかなり勉強になっている。
それでもなお、自分では気づけない疑問が友人から飛び出すことがある。
こいつは自分の理解の浅いポイントに気づかせてくれる。
質問を受けて勉強をし直すと、より深まる、というわけ。
こういうことを書くと、教える友人がいない、という声が出てきそう。
そういう場合は、友人に見せるつもりでノートを作る、というのもよい。
自分用のメモと称して、ブログか何かに表現してみるのもまたよし。
不特定多数に読ませる文というのは、内容の深い理解も含め頭をかなり使う。
これが勉強にならないわけがない。
ちなみに。
学術界の最高の学位は博士号。
博士は英語でDoctorと書く。
Doctorの語源はラテン語のdoceoに由来するらしい。
doceoは教えるという意味を持つ。
-torは行為者を指す。
つまり教える人という意味。
教えるという行為と知識の関係をよく表していると思っている。
ではでは。
また。
鳥取かなー。
-----
2020/12/06 20:23
仕事上がり。
スタバにて。
Update 2020/12/06
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2020 All Rights Reserved.