週刊雑記帳(ブログ)

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核は抑止力になるのか

核抑止力、という言葉をよく聞く。
核戦力を持っていると、相手から攻撃されない。
特に、核による攻撃。
まあそんな意味らしい。

核で攻撃すれば、こちらも核で攻撃する。
やれるもんならやってみろ。
そうやって力で牽制し合う。
お互いが大ダメージになるので、うまい具合に力が釣り合って、攻撃を受けることも戦争になることもないという理屈。
僕は専門家でもなんでもないので、小市民的な理解だけど、まあそんなに外れてはいないと思っていた。

一方で、日本は唯一の被爆国であることから、核に対して非核三原則を持つなど、核に対しては否定的な態度をとってきた。
ただ、時間がたって記憶が薄れたせいか、最近は抑止力として核を配備すべきといった論を目にすることがある。
政治家や政党界隈から出てくることもあるので、昔とは世論的な空気も変わってきたのだと思う。
今後、そういう方向に議論がいくのかもしれない。

素朴には、核は抑止力になる、と理解していた。
ただ。
ひねくれ者ゆえ、本当にそうだろうか、と思い立ち、ちょっと考えてみた。

まず。
なぜ、核が抑止力になるのか。
これは、相手が核を使ってきた時に、もしくは理不尽に攻めてきた時に、こちらも核で攻撃するぞと脅せるから。
相手としては、核が打ち込まれたらえらいことになるので、使えないというもの。
ウクライナが核を持っていたらロシアは攻め込めただろうか、という論がこの考え方に基づく。
まあ実にわかりやすい理解だと思う。

ただ。
日本にとって、その戦略は使用可能なのだろうか。
日本に核を配備する場合、あくまで「抑止力」であり、使うことは想定しないと思う。
どんなことがあっても使わない。
でも「抑止力」になるので持つ。
アメリカと核を共有するにせよ、独自で持つにせよ、こういう理解でまずは導入ということになろう。
日本は被爆国でありその恐ろしさを知っているので、使うことを前提に導入することは世論的におそらくできない。

さあ、この時。
配備された核は、抑止力を持つのだろうか。
おそらく、持たない。
相手国が、日本は核を配備するだけで使えない、と認識していたら脅しにならない。
中国にしろロシアにしろアメリカにしろ、 僕らも世界各国も、これらの核保有国は万が一の時には核を使うだろうな、と思っている。
だからこそ、抑止力になる。
抑止力を持たすためには、使う覚悟がいる。
いざという時に使う覚悟を持って導入することが必要がある。
そうでないと脅しにならない。
しかし。
あの、広島や長崎の悲惨さを知っている我々に、そんな覚悟を持つことなどできるだろうか。
核で、相手国の人たち(しかも、政治的指導者以外が多数となる)を殺す、ということを許容できるだろうか。
おそらくできないし、すべきではない。
少なくとも僕は広島や長崎の原爆、太平洋戦争末期の無差別都市空襲について怒っているので、同じことを許容するなんてことはできない。
日本だとそういう人の方がまだ多いのではないだろうか。
ということは、我が国においては核は抑止力にならない。
もしそうでない、というのであれば、万が一に使う気があるということで、それを正面から議論せずに導入することは危険極まりない。

では。
使う覚悟を持って、核を配備したとしよう。
その場合は、抑止力を持つのだろうか。
これについても、僕は抑止力が無効化されることがあると思っている。
核が打ち込まれようものならば、国は大ダメージを受ける。
だから、相手からの核反撃を恐れて、核攻撃や戦争を避けようとする。
合理的で、理性的で、国民のことを考える指導者であればそうであろう。
ただ。
もし、国民のことなんて考えない指導者であればどうだろうか。
核で攻撃を受けても、自分はどこにいるか所在不明にしておいて、核を避ければいい。
国民が核でやられてもある程度はやむなし。
こういう指導者が上に立っている場合、もはや抑止力は限定的になる。
民主主義的な価値観だと国民のことを考えての指導者当たり前だと思いがちだが、その価値観で動いていない国はいくらでもある。

もう一つある。
抑止力が生まれるには、前提として、双方の指導者とも理性的で合理的に考えて判断をしていなければならない。
しかも常に。
理性的で合理的に考えるからこそ、攻撃したら核で攻撃されてえらいことになると考えることができる。
一国のレベルだと、常に理性的で合理的だと思うかもしれないが、そんなことは全くない。
日本もアメリカも、昭和の初期、合理的だと思ってやったことが結局戦争に結びついてしまった。
最近のロシアなんかをみていると、まともだと思っていた権力者がにわかに不合理な判断をしてしまう、なんてことは簡単に起こるのがよくわかる。
指導者だって人間だし、国だって人間が作っている組織に過ぎない。
不合理な判断、理性的でない判断は起こりうる。
抑止力が抑止力でなくなった時、それは単なる力になって行使されうる。

とまあ、核抑止力に関して少し考えてみた。
本日は広島原爆投下78年目の日。
平和記念式典で広島市長が「核抑止論は破綻していることを直視する必要がある」と呼びかけた。
これを聞いて、漠然と考えていたことを文字におこしてみた。

では。
今日はこの辺で。




津山にて。

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2023/08/06 18:34
今日はのんびりモード。
鳥駅ビドフランスにて。



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Update 2023/08/06
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