週刊雑記帳(ブログ)

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卒論・修論で病むのはばかばかしい(研究をしよう19)

大学も後半ともなると、卒業に向けて卒論に取り組むことになる。
修士の院生は修論
これは思いのほか大変で、人によっては精神的に参ってしまうことがある。
今回はそうなりそうになった場合の話。

そもそも研究とは、とーっても大変な営みである。
まず、自由度が高い。
ゴールは曖昧で自分で設定する。
正解も特にない。
様々な特殊技能も必要だし、学ぶことは果てしない。
計画も全部決めて、実行していかなければいけない。
書いてて思うけど、うーん、大変。

特に卒論生にとっては初めての研究となる。
修論生もほんのちょっと経験がある程度。
するといろいろとうまくいかないことが出てくる。
調査・実験がたまたまハズレで結果がちゃんと出なかった。
そもそも研究はうまくいかないことがつきものなのだが、そのあんばいがわからない。
計画通り進められず焦ってしまう。
そもそも計画がうまく立てられない。
研究論文をちゃんと読める(批判できる)レベルに達している場合、自分の研究が自分の求めるレベルに到達しない、ということもある。
批判能力と研究を創造する能力はやや異なっており、後者は経験がないので前者に比べ遅れて成長する。
理想に現実が追いつかない。
それにしんどさを感じる。
これらのことが原因でだんだんと病んでいってしまう、というのがよくあるパタンか。
真面目な学生さんに多い印象。
研究そのものではなく、教員と相性が悪い等の間接的な理由で病んでしまうこともある。

さて。
そうならないように、どうしたらいいか。
1番はなるべく早い段階で、教員に相談しよう。
指導教員と特に仲が悪いわけでなければ、指導教員がいい。
指導教員は研究の先輩でもある。
指導学生がしそうな失敗はたいがいしているし、そうでなくても過去の指導学生の先例がある。
きっと、何かいいアドバイスをくれるはず。
そもそも、研究技能についてはどんなにがんばっていようと卒論生・修論生レベルだと大したことはない。
自分でがんばった末に行き詰まってしまったら、少し相談してみると思いもよらなかった道が見えてくることがある。
指導教官に話すことで問題点が整理されて、研究の方向性が見つかることもある。
完璧なものしか教員に見せない、なんてことは考えず、ある程度がんばったところで未熟なものでもいいから見てもらって相談に乗ってもらった方がいい。
研究自体がいい方向に行くし、鬱々とした気持ちも晴れることが多い。

では、すでに精神的に参っている場合はどうしたらいいか。
これについても、教員に隠さず話してみるのがいい。
わざわざ相談するとかではなくても、研究の相談に行ったついでに、少し精神的に弱っているんだ、と伝える程度でも可。
この場合、指導の仕方が少し変わることもあるし、弱っていることに対してもなんらかのアドバイスがもらえることがある。
別に原因が研究でなくても問題はない。
最近の大学はこの辺りのサポートをしっかりしようとしていて、サポート機関があったりすることも。
精神的に参るなんて風邪引くようなものなので、誰でも起こりうる。
あまり気にせず、まず相談してみるのがいいと思う。

別に相談相手は指導教員である必要はない。
指導教員が怖い、関係が良くない、相談できるようなキャラじゃない、等々、相談相手として適さないことは考えうる。
そういう場合は、誰か仲いい教員や優しそうな教員にねらいを定めて相談しているといい。
きっと力になってくれることと思う。

次に。
指導教員と相性が悪くて弱っている場合。
実はこれはよくある話で、ハラスメントでもない限り、どちらが悪いという性質のものではない。
なので、相性問題で病みそうなくらい悩んでいる場合は、研究室を変更するのはアリだと思っている。
指導教員には話しづらいと思うので、それ以外の信頼できる教員に相談してみるといい。
きっと悪いようにはならないと思う。

研究はおもしろいし、学ぶことも多いと思っている。
が、それで自分を追い込んで病んでしまうのはちょっと違う。
病みそうな場合、すでに病んでいる場合は、自分だけでなんとかしようとせず教員をうまく使っていただきたく。
研究ごときで病んで潰れてしまうのはばかばかしい。
いや、ホント。

ではでは。
また。




智頭ですな。


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2020/06/07 23:30
休暇中。
自宅にて。


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Update 2020/06/07
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