週刊雑記帳(ブログ)

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数値評価は難しい

厳密な数値評価、客観的な評価、評価指標の開発。
成果主義、GPA、PDCA
評価を厳密に客観的に数値で行う、というのは世の中で多く行われるようになった。
特に、組織経営、国家経営をする人、数値評価で高得点をとる人はこの傾向が強い。
数値評価を行い、それに基づく論功行賞等のアクションを行う。
これ自体は悪いことではない、と考えている人は多いことと思う。
しかし、本当にそうだろうか。
悪い部分はないのだろうか。
今回はそんな話。

まず。
なぜよいと考えられるのだろうか。
客観性、公平性、見える化(科学性)などが大きいか。
数字にはこれらのものがある、と「なんとなく」信じられている。
そのため、説明力があり根拠として使いやすい。

ただ。
客観性があり科学性を持った数値指標を作ることはそんなに簡単なことではない。
〇〇という力を測る数値指標と書いてあるのに、数値化の仕方を見るとそんなものは測れていない、ということはよくある。
そもそも、質の異なる多様な現象を数値化すること自体が大変難しい。
指標として数値化する際、手間の問題から切り捨てられるものが出てきたり、あるものが過大評価されたり、ということは起こりがち。
ものによっては、数値化自体が不可能で、一部または全部が数値化できないということもある。
このように、現実世界の数値でないものを数値化してできた数字というのは、限界や、場合によっては大きな問題を含む。
なお、心理学系の研究でこの手のものを作るときには、見たいものが測れているか、安定して測ることができる指標か、というのはかなり厳しく検討する。
かなりの手間をかけて作成し、中身の精査をした上で、限界点を意識しながら数字を評価する。
数値の怖いのは、一般的な理解として、数値化された時点で客観性や科学性を持つと思われること。
指標の限界点や問題点が意識して扱われることはまずない。
このため、安易な評価指標の作成とそれによる評価は、現実を見誤る可能性がある。
この辺り、実際に自分が数値評価される側になると実感としてわかることもあるかもしれない。


そもそも厳密な数値評価がよいとされるのは、その客観性や公平性にあるのではないだろうか。
しかし、何を評価するか、を決めるのは結局は人である。
そして、決める側・導入したい側にいる人間が不利になるような評価指標が決められることはまあない。
その点から考えても、客観性や公平性は限定的。
というか、評価の導入そのものが、導入したい側にいる「誰か」が考える望ましいことに行動を変えさせたい、評価の低いものから高いものへと配分を変えたい、というモチベーションによるものなので、そもそもに客観性・公平性の考え方とは相容れない。
評価指標に特定の「誰か」の価値観が入り混むことは避けがたく、それを構成員全員の納得する形にすることはなかなか難しい。


百歩譲って。
構成員の全員が納得するような、精巧な評価指標が出来上がったとする。
この場合、今度は評価に手間がかかるようになる。
評価指標において様々な側面の情報を拾おうとすればするほど、項目が多くなる。
見なければならない側面が増えるわけだから、これは必然。
効率性のための評価だったはずが、評価のための時間が増え効率性が失われる、ということが起こる。
評価の側面が増えるということは、質の異なる側面の数値同士を比較・統合する、なんてことも起こる。
しかし、質の異なる数値は比較や統合なんてできるものではなく、それ自体が評価指標の信頼性・妥当性を下げることになる。
もちろん、客観性や公平性も。


以上、つらつら書いてきたが、数値評価にはこのように理屈上の問題点がある。
万能なものではない、という意識を持って使いたいもの。
そういうものである、と理解した上で、適度に使わないと間違うと思っている。

評価というものの性質にも書きたいと思っていたが、長くなったので今回はおしまい。
また、気が向いたら続きを書こうと思う。
ではまた。




みなさん、季節です。
鳥取かなぁ。


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2022/06/12 22:45
帰ってきた。
鳥取市内にて。


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Update 2022/06/13
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