週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

評価の性質

前に書いた「数値評価は難しい」の続編。
前回は評価のための数値指標を作ることの難しさについて書いた。
今回は数値評価というものの特性について。

仮に評価の数値指標について完璧なものが作れたとしよう。
これで各々をきちんと評価することができるのか。
僕はこれも難しいと思っている。
なぜか。

数値指標というものは、それが公開された時点で、テクニックによって高得点を稼ぐ者が出てくる。
これは数値評価では必ず起こることで、日々の学業試験から進学受験、資格試験まで同様の性質を持つ。
テクで得点を稼ぐ者が現れると、テク磨き競争が始まる。
すると、テク磨きをしていない、本来評価が高くあるべき者の評価が相対的に低くなる。
テクを磨くことに時間を取られるため、本来数値指標で測る対象が本質的に低くなる。
かくして、指標と能力の乖離が起こるようになる。
わかりやすいところでは、TOEICの高スコア者が入社後、期待されていたほどの英語力がない、みたいな例があるか。
よく聞く話。
こうなると、本来高く評価したい者が相対的に低くなり、テクに長けた者が相対的に高評価となり、本来の目的は果たせない。
数値指標の数値上はどうあってもこういうことが起こってしまう。
評価のためだけの本質的には無駄な行動(数値を上げるテク磨き)、というのはどうやっても避けることができない。
評価による競争の宿命みたいなもの。


評価指標の悪い面はまだある。
物事には数値評価しやすいものとしにくいものがある、ということは前回書いた。
それをわかりつつ、しやすい(できる)ものだけ数値指標を導入したとしよう。
すると何が起こるか。
重要だけど数値化できないもの、というのが評価されない、ということになりうる。
評価は、その内容に参加者の行動を回帰させる(引き寄せる)。
評価されない行動は少なくなり、評価される行動が多くなる。
評価されない行動を取り続ける者は、徐々に淘汰される。
かくして、評価指標による競争が起こっている世界では評価される行動のみが起こることになる。

結構なことじゃあないか、と思われる方もいるかもしれない。
しかし、世の中、数値指標を開発するのは難しいけど極めて重要なこともたくさんある。
これらのもの達は、評価しやすい軸の前に次々といなくなっていくことになる。
業界や組織などある世界で、個人の行動や能力の多様性が重要になる場合、それは失われていく。

もちろん、評価者が数値評価のこの特性をよくわかっている場合は、数値評価だけでなく、さまざまな側面について、場合によっては質的に見て総合的に評価するだろう。
ただし。
下手に数字があるため、特に数値評価の高い者の不満がたまることは避けられない。
誰しもが、自分のやっている仕事は価値がある、と思っているもので、それが数値として見えているのにも関わらず、自分よりも数値の低い者よりも総合評価が低い、ということになれば、こうなりがち。
構成員がみんな評価の性質を熟知していればいいのかもしれないが、そんなことは望めない。
しかも、数値評価を重視する者ほど、数値評価は高く、数値外評価の重要性は理解していない可能性が高い。

そもそも、総合評価が同程度でも数値評価が高い者は数値化できない側面の評価が高い者と比較して有利である。
評価者は総合評価するタイプと数値評価を重視するタイプの2種が存在する中、数値評価を重視するのの逆タイプはそんなにいないはずなゆえ。


以上、数値評価の特性を2つ書いてみた。
数値によらない評価も、評価側面をある程度決めてしまえば、ここで書いたような性質は持つ。
まあ評価なんていうのはそんなもの、と思ってゆるやかに使うくらいがちょうどいいというのが僕の考え。


今回はこのへんで。
ではまた。




横浜にて。

-----
2022/06/26 21:05
くれゆく日曜日。
横浜線の車内にて。


雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2022/06/26
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2022 All Rights Reserved.