週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

特別支援教育2024(鳥取大学)

授業内容


第1回  オリエンテーション(4/11)
     特別支援教育の概要(1)
      最初~合理的配慮
第2回  特別支援教育の概要(2)(4/18)
      合理的配慮補足~発達障害
第3回  特別支援教育の概要(3)(4/25)
      制度と現状:特別支援教育の目的~方法・場
第4回  特別支援教育の概要(4)(5/2,予定)
      制度と現状:障害種~




関連情報


自分で勉強したい人へ【準備中】
授業に関する役立ち情報
特別支援教育全般に関する役立ち情報


連絡事項


授業の連絡事項



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Update 2024/04/26
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障害児等神経生理学研究2024(鳥取大学)

授業内容


第1回  オリエンテーション(4/16)
     脳と神経の基礎(1)
       最初~脳と神経のなりたち:ラスト
第2回  オリエンテーション(4/23)
     脳と神経の基礎(2)
       神経細胞の情報処理~神経間の情報伝達:シナプス
第3回  オリエンテーション(4/30,予定)
     脳と神経の基礎(3)
       神経間の情報伝達:主な神経伝達物質の種類~

        





関連情報


自分で勉強したい人へ【準備中】
神経生理学に関する役立ち情報


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Update 2024/04/26
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肢体不自由児等の教育課程と指導法2024(鳥取大学)

授業内容


第1回 オリエンテーション(4/10)
    肢体不自由の概要(1)
     最初~病因・疾患を知る利点
第2回 肢体不自由の概要(2)(4/17)
     肢体不自由の病理:一次障害~ラスト
    肢体不自由教育の歴史(1)
     最初~戦前:光明学校
第3回 肢体不自由教育の歴史(2)(4/24)
     戦前:整肢療護園~戦後初期
第4回 肢体不自由教育の歴史(3)(5/8,予定)
     戦後義務制~




授業で紹介した情報


第1回 オリエンテーション(4/12)
    肢体不自由の概要(1)



関連情報


自分で勉強したい人へ【準備中】
肢体不自由児等の指導・保健・教育に関する役立ち情報
肢体不自由に関する役立ち情報


連絡事項


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Update 2024/04/30
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肢体不自由児等の生理・病理・心理2024(鳥取大学)

授業内容


第1回  オリエンテーション(4/10)
     肢体不自由の概要(1)
      最初~肢体不自由の病理:疾患と解剖・生理
第2回  肢体不自由の概要(2)(4/17)
      肢体不自由の病理:疾患と症状・病因~肢体不自由の病理:全部
第3回  肢体不自由の概要(3)(4/24)
      肢体不自由の教育:目的~ラスト
     身体の構造と機能(概要)(1)
      最初~循環器・呼吸器
第4回  身体の構造と機能(概要)(2)(5/8,予定)
      消化器:最初~

    


授業で紹介した情報


第1回  オリエンテーション
     肢体不自由の概要(1)


関連情報


自分で勉強したい人へ【準備中】
肢体不自由児等の生理・病理・心理に関する役立ち情報
肢体不自由に関する役立ち情報


連絡事項


授業の連絡事項



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Update 2024/04/30
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言語化する力(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 14 )

最近、特に感じるのが、コレ。
大学生の大半はコレが苦手で、歳を重ねればみんなが勝手にできるようになるわけでもないと感じている能力。
すでに本シリーズでも書いた、書く力質問力と似ているが、ちょっと違う。
これらよりはもっと基礎的なところにある能力だと思っている。

我々は、日常的に、見たり聞いたり触ったり、思い出したり、考えたりする。
その結果として、頭の中にさまざまな「何か」を持つ。
これが、個人の中にとどまっている場合は問題にならない。
問題はコイツを個人の外側に出さなくてはならない時。
そのほとんどは「他者へ伝える」ために必要になる。
しかし、困ったことに、この頭の中にある「何か」。
コイツは、常に言葉として存在するわけではない。
言葉ではない、個人内でしか存在しえない、つかみどころのない形で存在することがほとんど。
コイツをうまく他人に理解できる形の言葉にできるか。
この能力が自分の意見や考えを誤解なく他者に伝えるのに大変に役に立つ。
企画を上げる、上司を説得する、部下を教育する。
いずれにせよ、社会人になるとかなり武器になる力である。
大学生のうちにしっかりと身につけておきたい。

この能力。
大きく2つの要素から成り立つと考えている。
1つ目は頭の中にある「何か」に言葉を充てていく力。
もともと意味を知っている言葉と頭の中の「何か」を対応させながら、近い言葉を割り当てていく。
既存の言葉で足りなければ、文によってそれを補う。
国語辞典がやっていることに近いかもしれない。
加えて、これらを組み合わせて、文法的に正しいまとまりのある言語を紡ぎ出す力までがこれに当たる。
2つ目は自分以外の他者が理解可能なように言葉を紡ぐ力。
他者と自己の頭の中にある「何か」は基本的に両者の間で大きく異なり、自己にしか存在しない「何か」の方が圧倒的に多い。
しかし、他者の頭の中はのぞけないため、他者の知らないことには無自覚になりがち。
その結果、自分の有している知識が他者には不足しているということ状態になる。
そうすると、自分が発した言葉だけでは他者が理解することはできない、ということが起こってしまう。
いわゆる、説明不足というやつ。
自分では理解できてしまうので、どこの説明が不足しているのか全く気づかないということもしばしば起こる。

例えば。
朝起きて大学(学校でも職場でもいい)に行くことを考えよう。
あなたはどうやってここへ来ましたか、説明してください、と言われたとする。
どう説明するだろうか。
もともと、通学に関する行動は言語化されていない。
これをうまく、言語で記述していくことになる。
簡単だろ、と思われる方もいるかもしれない。
が。
これは大変難しい。
よくあるのは、何メートル歩いて、右に曲がって、みたいな記述。
しかしこれは自分の通学中の行動やその思考過程を言語化したわけではない。
内容としては正しいのだけど、頭の中にある「何か」を言語化したものではなく、すんなりとは伝わらない。

言語化は、内的なものであればあるほど、抽象的であればあるほど難しくなる。
自分の好きなラーメンについて、どう好きなのか説明してください、とかはかなり内的で抽象的なので難易度もかなり高め。
他にも、こころとは何か、説明せよ、なんていうのも難問だと思う。
素朴には、こころ、とは何かがわかっている人は多い。
しかし、理解をしているものを言語化して、人にわかるように、となると大変に難しい、ということになる。
誰かが言語化した「こころ」ではなく、あくまで、自分の言葉で説明する。
これは訓練していないとなかなかできない。
特に、現代人はわからないことはスマホですぐ調べてしまうので、誰かの言葉に頼りがちな事が多い。
こうなると言語化した経験が少ないため、なかなか自分の言葉を生み出せない。

と、ここまでが、冒頭に書いた1つ目のポイント、頭の中にある「何か」に言葉を充てていく力。
しかし、難しいのはこれだけではない。
2つ目のポイントであげた、自分以外の他者が理解可能なように言葉を紡ぐ、というのもまたなかなか難しい。
言語化するには、その言語を提示する相手の知識レベルを意識しなくてはならない。
何かを言語化した場合、その言葉を言語化した本人が理解するのはたやすい。
もともと、内面にある何かを言語化したわけなので、言語化されていない自分の内面にある知識と合わせれば、必ず理解が可能。
問題は、他者がそれを理解できるかどうか。

もう一度、大学へ通学する例を考える。
例えば、家を出て丸の内線に乗って池袋駅で降りて、、、みたいな説明をしたとする。
これが、都内在住の大人なら通じると思う。
しかし、海外の人だったら、鳥取から出たことのない子どもだったら、宇宙人だったら。
もうおわかりのことと思う。
丸の内線、がわからないので、なんのこっちゃさっぱりわからない、ということになる。
自分が他者のつもりで読んだとしても、前提知識は言語化した本人と完全に同じ。
故に、自分では理解可能なのだが、他者にはさっぱりわからない、ということに。
丸の内線の例のように、丸の内線さえ知っていればわかる、というような場合はまだいい。
言語化した言葉が自分以外の誰も一切理解できない、というようなこともわりと起こる。
言葉になっているものが実は頭の中にある何かの一部で、説明が断片的な場合。
そしてこれは、大学生・新社会人の時にしっかり訓練していない人だと現れやすい。
日記ならそれでもいいのだが、一般的な「言語化する力」としては全然ダメ。
気をつけたい。

さて。
この言語化する力。
どうやって磨くのか。

大学生であれば、磨く機会にあふれている。
まず1つ目の頭の中にある「何か」に言葉を充てていく力。
これは、常に自分の言葉で書くことを自らに課すだけでいい。
レポートで他人の言葉に頼るのをやめる。
試験で他人の言葉の丸暗記をやめる。
一旦内容を理解した上で、必ず自分の言葉に言い換えてみる。
それを日々のアウトプットに使う。
これが大変に訓練になる。
レポートや試験でこれをやると、短期的には成績が下がるかもしれないが、そんなの問題にならないくらい力がつく。
授業で理解したものを自分の言葉でまとめて教員に理解があってるか聞いてみる、というのもやり方としてはあり。

さらに技能を磨くのに役に立つのが、ゼミの資料作りや要約課題。
ゼミで文献を輪読する際、必ず発表資料の作成を求められる。
これを作る際、元の文献の言葉からよさげな部分を抜き出して使う、というのは大学生だとやってしまいがち。
これをやめて、理解したものを自分の言葉で書き出すようにする。
文献を読んでは、頭の中に読んで理解した「何か」を作り、それに言葉を充てていく作業をひたすら繰り返す。
これでこの力が伸びないわけがない。
ゼミでの資料作成課題は、この1つ目の力を磨くためにあると言っていいくらい、この力を伸ばす。

2つ目の、自分以外の他者が理解可能なように言葉を紡ぐ力も、日々のレポートが役に立つ。
特に、実験や調査の演習の授業レポートには力を入れたい。
フィードバックをくれる教員であれば、それをもらいにいくというのあり。
そうでなければ、学生何人かで組んで、書いたものを読み合いコメントをしあう、というのでもいいか。
できれば、同じ授業を受けてない者同士がよい。
「この部分がよくわからない」という指摘だけでも、とても有益なものとなる。
その指摘を参考に、言葉を見直してわかるように工夫をする。
この蓄積で、徐々にコツをつかんでいく。

そして、やはりなんと言っても卒業論文
3年生までに言語化する力の基礎的な部分を伸ばしておき、それをベースに論文を執筆する。
早めに取り組めば取り組むほど、教員からのコメントがいっぱいもらえ、それをもとに書き直すことでどんどん力がついていく。
卒業時点では、力を磨いた者とそうでない者の力には大きな差がついていると思う。

なお、卒論でこの力を磨きたい人は、ちゃんと付き合ってくれる教員を選ぶのも大事。
放置系教員を選ぶと、卒論であまりコメントが返ってこないので注意が必要である。


思いのほか、長くなってしまった。
今回はここまで。
ではまた。




鳥取駅前の、アレ。

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2024/03/16 22:03
休暇だよ。
横浜のとあるサイゼリアにて。



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Update 2024/03/16
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学校教員の労働環境の話

学校の先生の労働環境が悪い。
こういうことが言われるようになって久しい。
これは、だんだんと知られるようになってきたようで、最近は教員志望者が減り、現場で教員が確保できない、といったことも増えているらしい。
数値的なこと、詳しいことは書籍や新聞等に詳しいのでここでは書かない。
詳細について知りたい人は下記の本あたりが参考になる。
◇現状とその分析
「教師崩壊 先生の数が足りない、質も危ない (PHP新書)」
◇問題の背景
「迷走する教員の働き方改革 ―変形労働時間制を考える」

さて。
この問題。
僕もあまり他人事ではない。
僕は大学で教員養成に関わっている。
それゆえ、現場でヒーヒー言っている知り合いはたくさん知ってるし、つぶれてしまった話もよく聞く。
一昔前なら教員一択だったであろう学生が教員になるのを辞めてしまう。
だいたい、対象が違うとはいえ僕も教員であるので、大変さはいくらか共感できる。
そこで、この問題について一市民、一労働者として考えをまとめてみようと思った。
学生に聞かれることもあるので、その解説的な意味合いもある。
なんとか現状を変えたい、という意見表明でもある。
なお、知らない方のために書いておくと、僕のスペックは以下の通り。
・教員養成に関わる大学教員
・知り合いに現場の教員が多い
・労働法はユーザーとしては少し知っている(素人に毛が生えた程度)
この辺りを頭に置いて読んでいただければ幸い。

認識している現状と問題

単純に業務量が多い。
そして人がいない。
そのため現場に余裕がない。
余裕がないから大変な人をカバーできない。
そうすると現場はさらにブラック化する。

全部の現場がこうとは言わないが、ブラック化した現場は増える。
たまたまそこに当たった人がえらい目にあうことになる。
このあたりは僕個人としても目の当たりにすることが多い。
新卒の新人教員にいきなりそんな大変なクラスを持たせるのか、という事例はたくさん見てきた。
なお、僕がそこで働く教員から相談を受けたら、迷わず休職を勧める。
他人のために自分が壊れるのはバカバカしい。

いろいろなところからこういう話を聞いた学生は教員になるのをためらったりやめたりする。
高校生は進路として大学の教員養成課程の学部に進まなくなる。
結果として、教員採用試験の倍率が下がってしまう。

そうすると、実際に教員定員自体も満たせない事例が出てくる。
4月から担任が不在でスタート、産休・育休代替教員が来ない、なんてことが生じる。
教員採用試験の倍率が0を切ってないのだから、満たせないはずはない、という声も聞こえてきそうだが、そうはならない。
ここで足りない、とされるのは、主に非正規の教員。
この非正規の教員は、正規教員候補生でもあるのだけど、ここがどんどん足りなくなってきている。

結果として、人が足りない、いよいよ忙しい、大変すぎても誰も助けてくれない、いよいよ大変。
ブラックな職場の実態が教員志願者の学生に知られ、敬遠され、さらに人が足りない、の負のループ。
まあそんなところか。

何が問題か

ブラックな労働環境は、働き手の健康上大いに問題だが、それ以外にも問題点がある。
1番大きいのは、教育の質が落ちること。

いい教育をするには、準備に時間をかける必要がある。
教材について研究し、教え方を考え、授業の展開を練る。
こういう時間がいい教育に必要なことに異論はないと思う。
だからこそ、大学で教員免許を取得するための科目として、各教科教育の方法に関する授業がある。
教育実習に行けば、指導案を書かされ直される。
よい授業をするには、こういう準備の時間が欠かせない。

他にもある。
教える内容について教科書や指導書を超えて深く学ぶ時間。
子どもたちの発達や学習に関する様々な知見を学ぶ時間。
学校教育の分野やその隣接分野の最新知見を学ぶ時間。
こういう勉強の時間も教員の専門性としては大事になる。

ただ。
忙しすぎるとこれらの時間を十分に取ることができない。
日々、目の前の授業とそれ以外の様々な業務を回すことに追われ、準備と専門性を磨く時間が取れない。
この状況が続くと、当然に学校教育の質が落ちることになる。

教育の質、に効く要因はこれだけではない。
教員採用試験の倍率が下がるということは、人材の質が低下することも意味する。
まあ、もちろん、現場で時間をかけて育てればいいのかも知れないが、少なくとも採用時点での質は低くならざるを得ない。
教員というのは、それなりに勉強が好きで、専門的知識が豊富な人にやってほしいものだが、そういう人がどんどん減ってしまう。
せっかく教員になって現場で専門的素養を身につけたとしても、ブラックな現場に耐えられなくなってしまえば人材が流失してしまう。
現場の教員集団の持つ人材の質の低下は否めない。

さらに。
教員の定員が満たせない、ということはもっと深刻な問題を引き起こす。
定員が満たせていないわけだから、担任がいない、教科を教える専門性を有する教員がいない、といった事態が生じる。
これの深刻さはいうまでもないと思う。
公教育において、必要な教育を受けることができていない、ということでもある。

そういうわけで、教員の働き方の問題は、教育の質の問題、ひいては教育を受ける権利の侵害につながる、社会において極めて深刻な問題である。

どうしてこうなったか

要因は複数。
1番は、労務管理の問題。
公立学校の教員は残業代が出ない。
通常の労働者は、労働基準法により、実労働時間に対して対価の賃金を払わなくてはならない。
労働者の賃金の保護性の優先順位は高く、賃金未払いに対しては労基署の指導が行われやすい。
賃金を払わなくてはならないということは、どのくらいの時間働いたかの管理もしっかり行われる。
時間外の労働には、時間数や働く時間によって通常より割増の賃金を払わなくてはならない。
そして、無尽蔵に残業させられるわけではなく、きちんと上限が決められている。
これらのいずれかが守られていなければ、労基署の行政指導の対象になる。
民間企業では、指導により悪いイメージがつくことを嫌うし、悪質な場合は刑事事件になるのでまともな経営者はこれを避ける。
やらせる仕事を減らしたり、上手いやり方で負担を減らしたり、人を増やしたりする。
それに、時間外賃金が多くなれば、業務に対して人が足りていないことが一目瞭然だし、時間外賃金に使うお金を使って新たに人を雇おう、となりがち。
つまり、残業代には、働いた時間に対価を払う以外に、長期労働を是正する効果がある。
しかし、公立学校の教員はこの残業代が法律により支払われない仕組みになっている。

はるか昔、公立学校の教員に残業代の支払いを求めて訴訟を起こされたことがあった。
裁判所としての判断は、払え、というもの。
しかし、教員は労働者ではなく聖職だから残業とかそういうものではないでしょ、という考えをもとに、時の政治家は新たな法律を作ることで残業代の支払いを回避した。
それが、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)。
4%多く給与を払う代わりに残業代の支払いはなし、という代物。
なお、4%は当時の月平均残業時間が8時間だったことに由来しているらしい。
これが1971年の話。
ただ、先述したように、残業代には長期労働の抑制効果がある。
その抑制効果がないまま、時間が過ぎることになった。

その間。
教育に要求されることは増えてきた。
よりていねいな子どもとの関わりや保護者対応、増える学校行事、授業以外の教育業務、部活動の全員参加などなど。
しかし、残業代が出ない仕組みであるため、適切に長期労働が抑制されない。
最終的に積もり積もった業務量と要求される労働量がいよいよ限界に達しつつある、というのが現状だと思っている。
50年は、チリが積って山となるには十分すぎる時間。


他にもある。
教員の定員が埋まらない、という話。
これが非正規教員の話だというのは、前の項で書いた。
なぜ、この非正規教員が足りなくなるのか。
これは、学校教員の志望者の減少とリンクしている。

教育現場は非正規雇用(有期雇用のフルタイムもしくは時間雇用)の教員が結構いる。
問題は、学校教育がこの非正規の教員にかなり頼っていること。
フルタイムの有期雇用だからといって補助的な業務というわけではなく、普通に担任もするし、部活などの分掌もある。
で、この非正規教員は誰がやっているのか、と言えば、正規の採用試験に受からなかった人がメイン。
もちろん、退職教員や、非正規的な働き方を望んでいる人もいるが、需要に対してかなり少ない。
すると、正規教員になりたいけど、採用に至らなかった人が非正規雇用の教員となる。

昔はこの方式でも非正規教員を十分集めることができていた。
これは、教員になりたい人が多く、非正規で教員をやりながら正規の教員採用試験合格を目指すという人が多かったから。
人が余っているのをいいことに、採用に至らなかった人材を活用して非正規教員を戦力に組み込んでいた。
しかし、教員採用試験の倍率が下がっている今、採用試験に落ちても他の自治体の採用試験に受かるなどして、非正規教員候補生自体が激減している。
教員採用試験に落ちた人が全員非正規教員候補生になってくれるわけでもなく、待遇がよい他業種他職種に正規採用が決まってしまう、ということも多い。
そのため、非正規教員候補生はいよいよ少なくなる。
まあ、そりゃそうよね、という話でしかない。

ただ、こうなると、現場はさらにブラックになる。
すると、また教員志願者が減って採用試験の倍率はまたまた下がり、、、の悪循環。
まあそんなところだと思う。

どうすべきか

僕が考える対策は以下の3つ。
やりがい・魅力の発信なんていうのは、意味がないのでやめた方がいい。
目指す人は最初からそんなことわかっている。

(1)給特法の廃止と残業代の支払い

何よりも、給特法を廃止し、一般の公務員と同じように残業代を払うようにするのが早道だと考えている。
残業代を支払うことで、どんな業務で長期労働になっているのか把握できる。
その上で、不要な業務を削り、適正な人員配置を行う。
どうあっても残業代が減らなければ、必要に応じて人員を増やす政策へとつながる。
残業代による長期労働の抑制効果をしっかりと働かせるのが1番大事だと思っている。

政府や与党の案だと、給特法の「4%」を現状に合わせて増やして、というのがあるようだが、ここまで書いてきたようにこれだと問題は解決しない。
別にお金が欲しいわけではなくて、長期労働が過ぎることが原因なので、それに対する解決策としては適切ではない。
問題に対して対策が全く合っていない案だと言わざるを得ない。

学校教員の働き方を裁量労働制にしたらいいんじゃないか、という案も目にした。
裁量労働制とは、労働者に業務のやり方を任せて(使用者が指示や命令をあまりしない)自由に働いてもらおうという制度(詳しくはこちらを読んでいただいて)。
その代わりに、あらかじめ決められた時間を働いた時間とみなして、残業代は出さない。
業務に対する裁量(やり方・労働時間等)を与えて自由に働かせようというもの。
ただ、この制度は働きすぎの危険があり、対象業務はかなり限定的。
教育業務において、自由裁量が働くとは考えにくく、大学教員であっても研究がメインでない者の裁量労働制適用は認められていない。
学校教員が、自由裁量で、今日は疲れたから早く帰ろーっと、とか、今日は午後からでいいやー、とか、そういう裁量を有しているとは思い難い。
それに、業務量がここまで多い状況で、自由裁量を働かせるのは難しい。
なによりも、残業代による長期労働抑制の原理が働かないため、問題は解決しない。


(2)労基署による監督

さらに。
公立学校の教員は労働基準監督署の管轄になっていない。
地方公務員法によって、労働基準監督業務を担うのが労基署ではなく人事委員会(もしくは首長)とされている。
公務員の業務の特殊性からこうなっているらしい。
これを改正して、労働基準監督業務を労基署の管轄にしたらいいのではないかと考えている。
すでに、私立の学校、国立大の附属学校については、労基署の管轄になっている。
地方公務員でも業務によってはこうなっており、公立以外の学校教員が労基署の管轄でも問題ないことからも、わざわざ管轄を労基署から外す必要はないのではないかと思っている。
もう内部に自浄作用があるとは思えないので、労基法違反については外から指導してもらうのがいいのではないか、ということ。
これについては、関係法令や制度を熟知しているわけではないので、把握していないアナがあるかもしれないケド。


(3)余裕をもった正規教員の配置とOJT

非正規教員が集まらない、というのはもはや教員という職に人気がないので仕方ない。
よって、少し余裕をもって正規教員の採用を行うべきだと思う。
一定数、育児休暇やら傷病休暇やらが出ることはわかっている。
これをあらかじめ見込んで、正規教員を採用する必要があるのではないだろうか。
他業種へ転出した人材はなかなか戻ってこないので、早いうちに採用して人材を安定させる。

また、新人をいきなり戦力として使うのではなく、一定期間を教育期間と位置付け、副担任や少し軽い授業負担などにする。
その期間にOJTとして、教員としての技能を磨いてもらう。
2−3年後に一人前の教員としてフルに業務を任せる。
これなら潰れる人はグッと減ると思う。
どこの業界でも新人の間は教育期間として、各種サポートをするのが普通。
いきなりベテランと同じような業務をあてて潰してしまうのは、教育現場の大きな問題だと思っている。
人気がないのだから、せめて飛び込んできてくれた人を大事にしてほしい。

もちろんこれをやるには、国レベルで教育業財政の制度を整えなければならない。
しかし、我が国の外国と比した低過ぎる教育歳出を考えるに、やるべきタイミングだと思う。



おしまい

というわけで、つらつら書いてきたけど、もうおしまい。
長くなったけど、大事なことなので許していただいて。
教育は、次世代の育成であり、我が国の行末がかかっている。
ケチるべき分野ではない、と思うのだが、いかがであろうか。


ではまた。




羽田空港かな。

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2024/03/16 22:03
休暇だよ。
横浜のとあるサイゼリアにて。



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つれえぜ、一人親方研究室(教育奮闘記10)

医学部や工学部だと、1つの研究室に教授を頂点として、准教授・講師・助教等の教員がいて、さらに複数スタッフがいるということが多い。
この仕組みを講座制というそうで、昔はこの方式をとることが多かった。
いわゆる博士講座と呼ばれる方式で、教員数の積算もこれを単位に定められていたらしい。
この博士講座を「研究室」と呼び、今でも医学部・工学部で博士課程を持っているとこのタイプ研究室構成になっていることが多い。

このタイプの研究室。
教授の役割は、研究室の運営が主となる。
どんな研究費を取ってきて、どんな研究を進めていくのか。
研究の進め方はどうやって、成果はどんな感じで出していくのか。
全体を統括して、教育も含めた研究室運営を中心にことを進めていく。
まあ会社で言うところの、部や課の単位で部課長に当たるお仕事と考えればいいか。
もちろん、その運営方針の中で、研究や教育の実働として動くこともある。

准教授・講師・助教の場合は、もう少し実働に近いことを行う。
教授の方針に従って小グループ単位で研究を進めたり管理したりする。
学部生・院生の指導を実際に行うのもこの人たちの比重が大きい。
研究の実働としての役割も大きく、バリバリ研究を進めるのもこの人たち。
もちろんお雇い研究者(ポスドク研究員)や博士課程の院生への指示・指導もする。
民間でいうグループリーダ的な人と思えば外さないか。

一方で、お雇い研究者(ポスドク研究員)もいる。
言ってみれば研究のプロで、職人のような存在。
その見習いが博士課程の院生か。
見習いの段階で、かなりできる。
研究室の後輩の相談に乗ったり、研究の助言をしたりする。
身近な存在として、教員よりは気軽に教えを乞うことができる。
ま、気難しい人もいるけど、平均的には外れていないと思う。

そして、修士の院生、学部の卒論生と続く。
修士の院生は1度卒業研究を経験している身近な先輩として、学部生にアドバイスをする。
学部学生と距離がかなり近いので、修士の先輩に仲のいい人がいると、いろいろと教えてもらえる。
具体的にどうやって分析をするのか、パソコンの使い方、その他、教員には聞きづらいことも含めて、学ぶことができる。
背中を見て学ぶことができるのも、ちょっと上の先輩の背中がちょうどいい。

このようにして、システマティックに研究を進め教育するシステムが整っている。
もちろん、最近は予算減による人員減でこんな理想的には進まないものの、各々が役割を担いながら研究と教育が進んでいくスタイルは変わらない。


さて。
地方国立大学や私立大学には、この講座制のようなスタイルでない研究室が存在する。
学部によってはむしろこっちの方が主流かもしれない。
その組織に教員が1人ポツンと存在し、1つの研究室を運営している。
同じ分野の教員はいない場合が多く、隣接分野の教員すらいない場合がある。
まるで親方一人で職人仕事をこなすように見えるため、これを僕は勝手に一人親方研究室と呼んでいる。
一人親方は、必ずしも教授とは限らない。
准教授のこともあれば、講師・助教のこともある。
そもそも組織に同じ分野や近い分野に他の教員がいない。
いたとしても、独立して存在しており、研究や研究指導を分担して行う体制になっていない。
職位は、上下関係を意味するものではなく、業績と経歴をもとにしたラベルくらいの意味しか持たない。
これはこれで、自由にできる、フラットな組織、上司ストレスフリーな日々などなどいいことも多いのだが、タイトルから外れるので今回は書かない。

さて。
この一人親方研究室。
結構大変なのでございます。
1番は、上記に挙げたすべての役割を一人で担うことになるところ。
ほとんどの場合は、学部生しかおらず、いてもごく少数の修士課程院生がいる程度。
仕事としては博士院生やポスドクがいるところとは違うので楽な気もするが、そうでもない。
学部生への研究指導としては、教授・准教授・講師・助教、プラスしてポスドク・博士院生・修士院生の果たす役割をすべて担う必要がある。
これはわりと大変。
研究のノウハウは基本的に研究室に蓄積しない(毎年メンバーが刷新されるため)ため、これを蓄積させるためには工夫がいる。
PCの操作や論文の読み方、書き方の基本なども含め、逐一イチから全部自分で教える必要がある。
うまい方法はないだろうか、と、試行錯誤する日々。

他にもいろいろある。
一人親方研究室ということは、研究指導だけでなく、研究面も自分がプレイヤーである必要がある。
と、同時に運営も自分でやらなければならない。
研究面でも役割分担がないので、自分で全てをやらなくてはならない。
ポスドクから助教・准教授・教授のお仕事を全部一人でカバーということになる。
多忙を極める割に、研究業績は大したことにならない。
内実がわかっていない人から見ると、サボっているように見える。

そもそも一人親方状態の場合、同僚に同じ分野の教員がいないことが多い。
すると、その組織における学問分野のカバー範囲が広くならざるを得なくなる。
卒論生の研究テーマ、担当授業、組織主導のプロジェクトの担当割り振り、などなど。
何らかの事情で、1番近いところの教員がいなくなると、そのカバーまでやってくることがある。
地味なところでは、研究内容を議論する同僚が組織にいない、というのもある。

そんなわけで。
つれぇぜ、一人親方研究室、ということに。
事情が違う同業者の方々、ぜひいじめないでいただいてですね。
なお、こうは書いているものの、僕自身はわりとこの状況を楽しんでいる。
たださ、全然研究していないね、とか言われたら泣いちゃう。

ではでは。
今回はこの辺で。




いつぞやの神宮球場で、東京音頭中。


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2024/02/04 16:25
のんびりモード。
鳥駅ドトールにて。



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Update 2024/02/04
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