週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

ちゃんと勉強したけど点数が取れなかった人へ

僕の授業評価は試験による。
100%試験のみ。
これの理由については前に書いた。
読んでない人はこちら『なぜ、テストをするのか』を読んでいただきたく。

さて。
今回はテスト後のハナシ。
やってみると予想外に点が取れなかった、という人が出てくる。
自分では結構勉強した。
なのにこの点数なのは納得いかない。
そんな人たちに、振り返ってほしいポイントを書く。
僕の授業じゃなくとも役に立つことと思う。

勉強時間が圧倒的に足りない

大学の単位は授業時間×2倍の自習時間を想定している。
これはわりと知らない学生さん多いのだが、日本の大学制度ではそうなっている。
まあ、そうでなくとも、授業だけ聞いて他は無勉強なんてので得られる知識なんてたかが知れている。
授業の時にわかった気になっても、その場限りですっかり忘れている、なんてことは多い。
少なくとも資料の見返し、教科書の読み込みは必要。
点数が取れなかった人に問う。
教科書・資料は何度読み返しただろうか。
単位落とした人で、教科書を3回以上読んだ人はいないと思う。
僕の授業・試験に関しては断言できる。
他の教員の授業でも、まあ当てはまるんじゃないだろうか。
教員としては、複数教科書を読んだり紹介した関連書籍を読んだり、そうやって深めてほしいと思ったりしているが、まあそこまでやらなくとも、一冊のしっかりした教科書と配られた資料の読み込みくらいはやりたいもの。

やった気になっている

よくあるのが、このタイプ。
徹夜でやったのに点数が取れなかった。
時間をかけたのにあまりできなかった。
本当にやっている場合もあるのだけど、実はあまりできていない、という場合もある。
例えば、徹夜。
ものすごくやった感が出るのだが、実時間に直すと大したことがない。
疲れてしまってぼーっとしている時間が長い。
これは定期的にやってる場合も同じで、実はスマホをいじっている時間が長くて勉強した実時間は少ない、なんてこともある。
これは勉強に限らず、卒論や仕事に関しても言えることなので気をつけたい。

わかった気になっている

教科書・資料に一通りは目を通している。
もうわかったので試験も問題ないだろう。
なのに、思った以上に点数が取れなかった。
この場合、わかった気になっているだけの場合が多い。
その場で理解すること、と、知識として定着するほど理解することは違う。
授業や教科書・資料でわかった、としても、知識を体系として理解しているとは限らない。
その場で理解したことから派生する、細かな疑問に答えることはできるか。
チェック用の問題を解くことができるか。
このあたりをしっかりと確かめたい。

間違った知識を身につけている

勉強はした。
理解を確かめる問題も解ける。
この場合たまにあるのが、理解が間違っているというもの。
大学レベルの教科書・資料に載っている課題・問題には模範解答がないことも多い。
あっているか心配な場合は友人同士で答え合わせしてみると、思いがけず間違いに気づくことがある。
もちろん、教員に質問してみるのもよし。

言語化、試験テクニックの問題

勉強をして、理解も完璧。
でも点数が取れない場合がある。
試験で問題を解くには、(1)問題で問われていることを的確に把握し、(2)その答えを言語化する必要がある。
これができないと、いくら勉強して本質を理解しようとも、点数は取れない。
これは単位認定試験だけではなく、就活などこれから受ける全ての試験に共通するので最低限のポイントはおさえておきたい。

まず(1)について。
採点していてよくあるのが、聞かれたことに答えていないというもの。
「〇〇とはなにか」と聞かれているのに、〇〇とはなにか答えていない。
この答案はわりと多い。
たぶんうっすらわかってるんだろうな、とは思っても、聞かれていることにしっかり答えていなければ満点にはならない。
問題文をよんだら、聞かれている点を必ず把握し、もれなく答えるクセをつけておこう。

また試験の場合、何の科目の問いなのか、という文脈も大事。
「〇〇病について説明せよ」という問いでも、臨床医学か、障害児教育学か、遺伝生物学か、で問われていることは変化する。
臨床医学なら代表的な治療法や予後の話は欲しいだろうし、障害児教育学なら〇〇病になることで学校で気をつけることなんかも求められている。

(2)については、試験テクというよりは一般的な力になるので、日頃から意識して鍛えておくしかない。
試験においてこの辺の力不足だな、と思う解答で多いのが、説明が足りない、というもの。
自分が知っていることを相手が知っているとは限らない。
むしろ、ほとんど相手は知らないと思った方がよい。
ところが、当然説明すべき内容を端折って解答してしまう。
試験は自分が理解しているということをアピールする場なので、説明はていねいに、抜けなく、でも要点を絞ってコンパクトに行いたい。

言語化ではないが、似た説明不足の解答でグラフや図の説明・必要情報がない、というものもよく見る。
グラフを書くなら、軸が何を指して単位は何で1メモリどれくらいの数を表しているのかが必要。
図の場合でも、描いたものの説明を適宜する必要がある。

なんとなく伝わる、ではなく、明確な意図を持って伝えることを心がけたい。

それでもダメなひとへ

おそらくここまでの全てをちゃんとやっている人は、試験で単位を落とすことはない。
それでも高得点が取れない、と悩んでいる人もいるかもしれない。
ただ。
もしそういう場合はあまり気にする必要はないと思う。
きっと、点数には現れていないだけで、力は確実についていると思う。
試験は万能ではないので、高得点=高知識、とならないこともある。
表層的な試験テクに長けた人の方が深い理解をしている人よりも高得点を出すことはありうる。
高得点がたまたまでなかったか、試験の方がよくなかった可能性だってある。
あまりに気にせず、自信を持ってほしい。


以上、試験についての記事でした。
まあ、僕の単位は上記をやっていて落ちる人はいないと思う。
おそらく本気で試験を作っている多くの先生の単位もそうではなかろうか。

ではでは。
また。




都内にて。


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2020/02/23 23:57
お疲れモード。
自宅にて。


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Update 2020/02/23
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発表時の質問について(研究をしよう 18)

発表につきものなのが質問。
学部生だと慣れていないので、うまく答えられないこともしばしば。
今回はこの質問について、やっておいた方がよいことを書く。

質問にうまく答えるには、瞬発力のようなものが必要。
これは場数を踏むしかない。
ただ、無闇に場数を踏んでも上手に答えられるようにはならない。
少しずつ上達するために、以下のことをやっておきたい。

質疑応答をしたら、発表後に以下の3点をまとめておこう。
(1)質問された内容
(2)自分が答えた内容
(3)理想の答え

(1)は出来るだけ質問時に内容をクリアにしておく。
質問者の言っていることがあいまいだったら、「○○ということか」と聞き返して相手の意図することは何なのかを確認する。
よくわからなかったら、それはどういうことか、と聞き直す。
これは恥ずかしいことではないので、遠慮なく聞き直したい。
質問の意味がよくわからないのに、わかったふりをして関係ないことをしゃべり出す人がいるが、不誠実なので絶対にやめてほしい。
何を言っているのかわからなかった場合や質問の理解が正しいか不安だった場合は、発表終了後、質問者に聞いてみるといい。
ていねいに教えてくれると思う。

(2)は単なる記録。
忘れやすい人は答えた後、簡単にメモをとっておくとよいか。
(2)については間違っていてもよい。
質疑に慣れていないと、間違うことがあるのはやむえない。

ただ、必ず発表後に答え合わせをやっておこう。
(1)に対して(2)は正しかったか。
十分な回答であったか。
これをしっかり吟味する。
その上で、(3)を考えてまとめる。
その時はうまく答えられなくとも、時間をかければ上手な回答を作り出すことができる。
これは、今後研究をまとめる上でロジック補強に活かせるし、質疑の瞬発力を鍛えることにもなる。
自分では気づかなかった研究の価値や穴に気づくこともできるので、この作業はしっかりとやっておきたい。


では、まだ瞬発力がない状態で、質問に備えるにはどうしたらよいか。
これは想定問答集を作っておくとよい。
発表資料をなるべく早めに作成して、練習をする。
その時に、第三者の視点を持って質問も考える。
自分で研究の弱いところ、わかりにくいところはわかっているはずなので、そういう穴を見つけては予想質問としてリストアップしておく。
ここは突っ込まれたくないな、というポイント必ずあるはずなので、そこに切り込んでくる質問なんかも予想してリストアップしておく。
そして、それに対する回答をあらかじめ考えておく。
回答をする際、口頭で説明するのが難しければ、あらかじめ図を作っておいてスライドの最後に隠しておくのもよい。
最初から質問が来ないように本編を工夫するのも手。
自分だけで想定問答を作れなければ、仲間うちで発表練習をして、そこで質問をしてもらうのも有効である。

ついでに、卒論発表会レベルでの頻出質問を以下に挙げておく。
・この研究の(学術的な)意義は?
・先行研究と比べて何が新しいのか?
上記の質問にすらっと答えられないのは不勉強と言われても仕方ない。
あらかじめ、質問されるもののとして考えておいてほしい。
なお、「何でこの研究をやったのか」という質問も頻出する。
これに対し、個人的な経験や想いを答える人がいるが、これは間違い。
この質問の意図は、研究の意義・新しさを問うてると考えてほしい。

では。
健闘を祈っています。




にこたま、にて。

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2020/02/09 20:54
休暇中。
スーパーいなばの車内にて。


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Update 2020/02/09
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谷中研究室のメリット・デメリット

うちの指導方針やらなんやらは、 前に書いた
今回はもっとシンプルに、どんないいこと・悪いことがあるの、というのを書いていく。
ゼミ・卒論指導は大学教育の特徴だと思っているので、かなり力を入れている。
基本的には時間をかければかけただけ、自分の能力が磨かれるのがうちの研究室の特徴だと思ってほしい。
ただ、あまり時間をかける気がない人はやめておいた方が無難だとも思っている。

メリット

いろいろな力がつく

ロジカルな思考力

卒論指導全般にわたってここが鍛えられる。
基本的にアドバイスはしても答えは教えない。
テーマをこちらから与えることもない。
論文の読み込みから研究計画、まとめる段階に至るまで、自らロジカルに考えることになる。
なので、この部分はかなり鍛えられることになる。
大学出てからもかなり役に立つ能力になると思う。
ちなみにロジカルな思考力とは何かについては、こちらの記事も参考にしていただきたく。

書く力

卒論指導は添削を細かくやる派から全く見ない派までさまざまな教員がいる。
僕の場合は求められればかなり細かく見て、コメントを返す。
これを複数回やることで、書く力がかなりつく。
この書く力。
研究論文やレポートに特化したものではなく、ビジネス系に共通した汎用的なもの。
こいつも、社会に出てから武器になる。
書く力については、こちらの記事も参考になる。

統計的素養

うちの研究室では論文をたくさん読むことになる。
研究論文は精読の上、完璧な理解を求める。
その過程で身につくのがこれ。
たくさんの方法論を調べ学んでいくことになるので、その中で使っている統計的手法に詳しくなる。
世に出てどう役に立つかは、こちらの記事を参照のこと。

プレゼン力

研究をまとめる段階で身につくのがこれ。
研究発表は、企画の立案、成果の紹介、根拠に基づく結論の主張、など、高度なプレゼン力が必要になる。
卒論をネタにプレゼン能力を鍛えていく。
マジメに取り組むとかなり力がつくと思う。

研究のイロハ

うちはコースの他の研究室よりも大変だと思う。
読む論文数も数十本は当たり前。
研究に使う労力は結構なものになると思う。
そのため、卒業するころにはそれなりに研究のイロハがわかった状態になる。
卒業後、研究知にアクセスすることが可能になる。
本来大卒とはそういうものなはずなのだが、研究のイロハがわからず出ていく人の方が多いので、これはアドバンテージになると思う。
これも、別記事に書いている。


テーマが自由

テーマの自由度が高いのはうちの特徴。
こちらからテーマを押し付けるようなことはしない。
特別支援教育発達心理学、心理学、脳科学あたりがかすれば、何をやってもかまわない。
特別支援関係じゃないとダメ、免許がないとダメ、と思っている人もいるようだがそんなことはない。
半分は特別支援の免許は持ってないし、幼児教育系から進んで来る学生さんも多い。
心理学コースでないと心理学ができないと思っている学生さんが多いようだが、うちでもできる。
脳波計、脳血流計測装置、視線計測装置、実験心理学の設備(実験室)、各種解析ソフトもあるので、その辺りで研究したい人も受け入れ可能。
ヒトの脳は湖山地区だとうちしかできないんじゃなかろうか。

その他

教員との垣根が低い
教員に感情の起伏がない
チョコレート・あめ

デメリット

基本的にメリットの裏返しがデメリットになる。
僕の把握していないデメリットもあると思うので、所属している先輩に聞いてみるのもよいかも。
希望があれば紹介するので声をかけていただきたく。

ヘビー

研究に取られる時間はかなりのものになる。
これはテーマが自由だったり、求める水準が高めに設定してあることによる。
過多はあるものの、ほぼ毎日なんらかの研究活動を行うことになると思う。
そもそもライトにやりたいと考えている人にはオススメしない。

自由度が高すぎる

うちは前述の通りテーマの自由度が高い。
自由度が高いのはテーマだけではなく、進め方も含めてあまり教員は口出しをしない。
自分で計画し展望を持って、自分の責任で進めていくことになる。
このスタイルが向かない人はちょっとしんどいかもしれない。
全く取り組まなくてもなにも言わないが、その結果研究が出来なかったら、それは自分の責任と考えてもらう。
一生懸命やってうまくいかない場合は、ちゃんとサポートするからその辺は安心していただきたく。

研究を見る目が厳しくなる

4年生も半分を過ぎてくると、論文の読み込みがかなり進む。
この結果、研究を見る目が厳しくなってくる。
他人の研究について批判的に読めている証なのだが、これが自分を苦しめることがある。
自分の卒論についても見る目が厳しくなり、要求水準が上がる。
でも研究能力という点では発展途上中。
よって、自分の研究が自分の要求水準に乗らず苦しむ。
まあ、これは仕方ないことなんだけど、苦しいっちゃ苦しいので、デメリットかな。

以上、メリット・デメリットでした。




鳥取市内にて。

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2020/02/02 23:59
休暇中。
自宅にて。


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Update 2020/02/02
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学会へ行こう(2020年度ver)

学生さんに学会参加を促す記事の2020年度版。

学生さんにとって学会というと、なんかすごいところな気がするらしい。
が、そんなことは全くない。
分野にもよるが、卒論生や院生も発表している。
大人数の前で格調高く発表していることもあるが、ポスターの前に立って対話型で発表するスタイルもある。
このタイプの発表の場合、学部生であることを言った上で興味あるから教えてほしいと頼むと、ていねいに教えてくれると思う。
たっくさんの発表があるので、その中でおもしろそうなものを見つけて卒論のテーマを考えるのは悪くない方法だと思っている。
ぜひ、ヒマを見つけて足を運んでみよう。
このネタはそのうち研究をしようシリーズで扱う予定なので、詳しくはそちらを読んでほしい。

うちのゼミ生が関係しそうな特別支援、心理学、脳科学系がメインに思いつくものをあげておくので、参考にしていただきたく。


特別支援教育関係

特殊教育学会(福岡)[リンク仮]

期間:9/19(土)〜9/21(月・祝)
歴史ある特別支援系の学会。
実践系が多い。
参加者も現場の人が多い印象。

LD学会(大阪)

期間:10/10(土)〜10/11(日)
LDを中心に、広く発達障害に関する演題あり。
最新知見から教育講演(分野を勉強するための講演)まで幅広く演題がある。
他の学会と比べて、勉強のために現場の先生が多く参加している印象が強い。
勉強組は発表はしないため、演者に比べて聴衆が圧倒的に多く、うまくやらないと会場からあぶれて聞きたい講演が聞けない。


心理学(障害児者の基礎系含む)

日本心理学会(東京)

期間:9/8(火)〜9/10(木)
基礎から臨床まで幅広く演題がある大きな学会。
どの分野の演題もだいたいは揃っているので、幅広く眺めたい人にオススメ。
基礎だと、実験系、質問紙調査だけでなく、脳波・MRIの脳機能系まで、幅広くある。
障害児者の心理についても基礎から支援まで幅広くあり、ためになる。
お目当ての分野を学びつつ、他の分野についてもおもしろそうなものを拾っていく、というような楽しみ方ができるのもこの学会の魅力。

日本教育心理学会(浜松)[リンク仮]

期間:9/19(土)〜9/21(月・祝)
心理学系では伝統ある学会。
統計の専門家も多く参加するせいか、数字を扱う研究は比較的しっかりしたものが多い。
教育現場への応用や実践的な研究もある。
チュートリアル(方法論等を教えてくれるセッション)がいくつもあり、それらを見に行くのもあり。
教育心理学的な観点から、障害児がらみの発表もある。
研究者から実践家まで楽しめる。


日本発達心理学会 [リンク仮]

期間:3/2(月)〜3/4(水)※2020年度情報不明
発達心理学に関する演題が、基礎から応用・実践まで幅広く出ている学会。
特に乳幼児が多い印象。
もちろんそれ以外もある。
障害児心理も発達を絡めた演題が多数。
発達の人はだいたいこの学会に来る。
ゆるい空気感なので学部学生でも参加しやすいと思う。
僕のメーン学会その1


脳科学・医学系

日本神経科学会(神戸)

期間:7/29(水)〜8/1(土)
日本の神経科学・脳科学の最大の学会。
基礎的なものが多く、MRIを用いたヒトの脳機能研究から、サルのニューロン記録研究、ネズミの研究、ゼブラフィッシュの研究まで幅広く。
発達障害や精神医学的な病態解明のための基礎研究も多数ある。
海外からビックネームを呼んでの講演もある。
この分野は国際的に研究交流をするので、英語での発表が基本。
ポスターは日本語でやり取りできる。
厳しめのコメントをされることも多く、ガチなディスカッションに出くわすことも。
それはそれでおもしろい。
僕のメーン学会その2


Human Brain Mapping(カナダ,モントリオール)

期間:6/26(木)〜6/30(火)
MRIや脳波といった、ヒトの脳機能研究のみを集めた国際学会。
かなりマニアックに脳機能研究の最先端を知ることができる。
発達障害精神疾患を中心に、脳機能研究がある。
方法論の最先端や、チュートリアルも多く、脳機能研究をやっている人には役にたつ情報だらけ。
北米と世界中の都市を1年おきに回っている。
たまに例外はあるケド。
僕のメーン学会その3


日本小児精神神経学会[リンク仮]

期間:①6/27(土)〜6/28(日)、②11/7(土)〜11/8(日) 子どもに関する神経疾患やら精神疾患やらを扱う学会。
医学より。
発達障害を含め、疾患について医学的な観点からの発表が多い。
臨床的な内容もあれば、疾患の基礎理解のための研究もある。
脳機能研究も少し。
年2回開催。



他にもいくらか知っている学会はあるけど、あとは個人的に聞いていただきたく。
ではでは。




旅先で飲む酒はたまらん。
旅先でなくてもたまらん。


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2019/12/20 21:17
仕事上がりに。
鳥取市内にて。


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Update 2019/08/10
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授業の内容は教員によって違う(大学生のための学び方入門6)

前回、授業の内容を疑え、と書いた。
今回はこれに関連する内容をば。

大学における授業の内容は、実施する教員によって異なる。
ちょっとだけ違う場合もあれば、それこそ全く別物になってしまうこともある。
なぜそんなことが起こってしまうのか。

大学の教育内容は高校までのようにシステマティックに統一する仕組みがないというのは前回書いた。
それどころか、そもそも大学においてはその分野で「教えるべき内容」を定めることができない、と思っている。
どういうことか。
大学においては同じ名前の授業を担当する場合であっても、教員によって考えている学問観や大事だと思うポイントがずれている。
場合によっては各学問分野の定義すら異なることがある。
そして、最先端ゆえにそれらは日々変化している。
そんなわけだから、少なくとも各教員が教えたいその分野の内容についてはある程度のばらつきあると思ったほうがよい。
そして教員は専門家。
専門家の知識は狭くて深い。
よって、深く教えたいのだけどそれは難しい場合も出てくる。

例えば。
僕が教養の心理学を教えるとする。
僕の専門は脳と心理学で実験的手法がメイン。
これに、発達心理学や障害の基礎研究のために質問紙法を用いた研究をやることがある。
すると、どうやっても脳をベースに置いた心理学の基礎理論とその発達をからめた話がメインになってしまう。
心理学には臨床心理学という、心の不具合とそのケアをメインとする分野があるのだが、教養の心理学の中にその知見を含めるかと言えば、おそらくあまり含めない。
社会心理学や現場よりの教育心理学なんかについても、それは応用だと思う部分については薄くしか扱わないと思う。
これは僕の専門性ゆえの心理学観から来る。
これが絶対的に正しいとは思わないし、出来るだけバランス良く他分野のことも教えようとは思うものの、やはり僕の色がかなり色濃くでてしまう。
これが、臨床心理学者だったら全然違う心理学観の下の教養心理学の内容になる。
こればかりは、大学の教育の特性だと思った方がよい。

それに。
臨床心理学や社会心理学の内容を大事だと思って教えようとしても、どうやっても浅い授業になってしまう。
これは仕方ない。
本人がその分野の研究をやったことがないので、どんなにがんばっても論文だけの知識ということになる。
深く教えたくとも、やったことがない人とやったことがある人では、教えることの深さが全然違う。

それでは大学生はどうしたらよいか。
まずは大学の授業とはそういうものだと意識する。
その上で、授業名と同じテキストを複数読み込むとよい。
できれば、専門が違う編者のものを選んでみよう。
4冊くらい読むと、どこが共通していてどの辺がばらつくのかわかる。
同じ内容についても複数の視点から迫ることができるので無駄にはならない。
最近は各大学のシラバスが公開されているので、それを比べてみるのもおもしろい。
同名の授業でもこんなに違うのか、でもこの辺りら共通しているね、というのがわかる。
シラバスは力を入れて書くところが増えてきているので、テキストや参考図書、勉強の仕方など役に立つ情報も載っていることがあるので、参考になる。

自分が力を入れて勉強したい分野についてはこの姿勢がかなり大事。
特に、小規模校で専門の教員が少ない場合にはかなり有効。

ではまた。




鳥取にて。


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2020/01/04 20:38
休暇も終盤。
たまプラーザにて。


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僕の授業の目的外使用

今日はちょっとへんな記事。
僕はこの大学で特別支援学校の教員免許状に関わる科目を担当している。
以下は科目の一例。
病弱児等の生理病理心理
病弱児等の教育課程と指導法
肢体不自由児等の生理病理心理
肢体不自由児等の教育課程と指導法
障害児等神経生理学研究(大学院)
などなど。
ちょっとみると特別支援学校の免許を取らない人には興味がわかないかもしれない。

ところが、これらの授業。
本来の目的以外でも、こういう人たちの役に立つなぁ、というのがある。
今回は、そんな僕の授業の目的外使用法を紹介する。

心理学を学ぶ人

心理学を学ぶ人にオススメなのが、「肢体不自由児等の生理病理心理」。
この科目は神経系の基礎をかなり扱う。
もちろん脳機能も厚い。
こころは脳と表裏一体の関係になっているので、心理学科などでは必ず脳の科目が用意されている。
うちは心理学科ではないため、脳の基礎講義はないが、この科目で代用することが可能。
なお、とってもおもしろいと感じた人で物足りない人は、大学院科目「障害児等神経生理学研究」がオススメ。
学部生でも正課の教育に支障のない範囲で聴講を許可することがあるので相談のこと。

ちなみに、心理学科では医学総論的なことも履修することが多い。
これに関しては、「肢体不自由児等の生理病理心理」に加えて、「病弱児等の生理病理心理」を受けることで、大体の内容をカバーできると思う。
大学院で心理系に進みたい、将来こころのケアの仕事に興味ある、教員としてのそういうこともできるようにしておきたい、という人は履修して見るといいと思う。
なお、いずれもテストは厳しい。


幼小中高の教員になりたい人

特別支援の免許はいらない人で、教員になる人は病弱系、肢体不自由系の授業は取らないことと思う。
ただ。
障害があろうがなかろうができる限り地元の学校で教育を受けよう、という、インクルーシブ教育の流れが進んでいる。
特別支援学校に通うレベルの重い障害のある幼児児童生徒でも、通常学級で学んでいることはある。
また、特別支援学級を担当するには特に免許が必要なわけではなく、幼少中高の学校に所属する教員の中から選ばれて担任をすることになる。
つまり、特別支援教育は特別支援学校の教員でなくとも教員なら誰もが経験する可能性があるということ。
そこで、少しでも在学中に特別支援教育について知っておきたい、という人にオススメなのが、「病弱児等の教育課程と指導法」「肢体不自由児等の教育課程と指導法」。
前者の方が入門要素が強く、後者の方が詳しい。

「病弱児等の教育課程と指導法」は慢性的に病気を持つ子の教育制度と実際について扱う。
特別支援学校(病弱)だけでなく、特別支援学級や通常学級の話も多い。
入退院を繰り返す子どもに気をつけること、院内学級の実際、子どもに多い疾患と注意点などなど、特別支援学校の免許を取らない人でも役に立つ内容がたくさん。

「肢体不自由児等の教育課程と指導法」は「病弱児等の教育課程と指導法」よりも詳しく、特別支援教育の方法を学ぶ。
一般校でも特別の支援を要する子どもがいる場合は個別の指導計画や教育支援計画を立てることになる。
この辺の仕組みと具体例について、肢体不自由を中心にしながら見ていく。
もちろん、仕組みの基本を学んだ上で、他の障害種に当てはめるのも可能。
僕の特別支援系の科目では一番最後に聞く位置づけのもの。
免許取らなくても役に立つ内容だと思う。

人体の不思議展

ラストはコレ。
「肢体不自由児等の生理病理心理」は神経系、骨、筋肉などを中心に、「病弱児等の生理病理心理」はそれ以外の系統を中心に、かなり詳しく身体の仕組みを解説する。
どうやったらこの内容で授業がおもしろくなるか考えた結果、人体の不思議展的な授業にしようというところに至った。
目指せ、NHKスペシャル人体の不思議、くらいな気分でやっているので、生物学とか身体のこととかに興味ある人にオススメ。
質問コーナーが充実しているので、かなりマニアックな質問を持ってきても答えてもらえると思う。
実は医学系に行きたかったんだ、とか、小学校で理科を力入れて教えたいんだ、とか、理科の免許を取ろうと思っている、という人にオススメ。


以上、僕の授業の目的外使用について、でした。
実は僕のに限らず、どの先生の授業もそう言った使い方が可能なので、受講した友人や担当教員から情報を仕入れてみるといいと思う。

ではまた。




高松港にて。

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2020/01/12 22:31
仕事後。
取り駅スタバにて。


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授業を疑ってみよう(大学生のための学び方入門5)

授業の内容は正しくないかもしれない。
いきなり何を言い出すのか、と、思われるかもしれないけど、大学の授業はそのつもりで聞いた方がいい。
どういうことか。

まず、高校までの学習内容について。
小中高で教えられることは文科省によってかなり厳密に決められている。
専門家が複数人参加して、専門的にゆるぎない内容を選んで、難易度・系統性も考えながら慎重な議論の上に構成される。
こうして出来上がった「教えるべき内容」に基づいて、各出版社が教科書を作る。
教科書の執筆についても、その分野の専門家が複数人集まって行われる。
教科書の後ろの方に執筆者一覧が載っているが、専門分野の結構な大御所から教科教育の専門家、学校の先生まで幅広くかなり多くの人が参加していることがわかる。
もちろん、その執筆段階でも入念なチェックが行われる。
そして、いざ教科書が出来上がってもそのままは発行されない。
次は文科省のチェック(検定)が入る。
ここでも専門家が複数人参加。
いろいろなクレームをつけて対応を求められる。
こうしたプロセスを経て作られるので、教科書の内容は基本的に正しい。
少なくとも、その時代においては。
これに加えて各教科書会社が出しているしっかりとした指導書があるので、教員が授業する段階においては間違いが起こりにくくなっている。
もちろん、各教員の力量で間違っていることを教えていることはある。
でも、基本的に間違いにくい仕組みにはなっている。
そして、どの教科書で学んでも基本的には同じ内容を学べるようになっている。
これも高校までの教育の特徴。

一方で大学。
大学は各学問分野の最先端のことを学ぶ場所。
それがゆえに、高校までの検定教科書のようなものを作ることができない。
それどころか、その分野の教えるべき内容を統一することすらおそらくできない。
が、これは長くなるので次の回に改めて書く。
そんなわけだから、教えるべき内容について、組織的なチェックが入らない。
ここに間違いが入り込む余地がある。
うっかりミスで自分の作った資料が間違っているなんてことはまああるし、
使用している教科書にミスを見つけて授業中に訂正の指摘をすることもある。
だって人間だもの。

教える教員はプロなんだから間違うなよ、というツッコミもあることと思う。
ごもっともな意見だと思うが、これも難しい理由がある。
そもそも大学の教員は研究者等の専門家である。
この専門家の専門領域というのは一般の方が思うよりもずっと狭い。
例えば、僕が教養の心理学を教えるとしよう。
ところが、僕が直接研究している分野の知見が教養の心理学にどのくらい入り込むかと言えば、おそらく15回のうち1回程度。
自分の研究の話はといえば教養レベルだとスライド数枚になるのではないか。
専門科目だともう少し多くなるかもしれないが、やはり自分の専門分野の話ばかりできるわけではない。
専門科目ではあるものの、組織のマンパワーの問題で専門外の教員が教えている例もある。
ここにも間違いが入り込む余地がある。
もちろん、間違わないように各教員それなりに注意をするのだが、限界はある。
専門分野から離れれば離れるほど間違いに気づきづらくなる。

でも一番は、大学で教えられる知が最先端である、ということに由来する間違いがあること。
日々研究は進んでいる。
授業で教えられることはその時点で正しいとされるものに過ぎない。
明日新しい発見がなされ、授業の内容が正しくなくなるかもしれない。
話している内容に重要な論理矛盾を含んでおり、指摘次第で正しさが覆ることがあるかもしれない。
専門分野で論争が起こっている場合、教員は自分の側の知見を正しいと思って話すが、それは正しくないかもしれない。
大学の知というものは出来立てほやほやであるため、そういうことが起こりうる。

まあそんなわけだから、大学の授業の内容(これは本の内容も含む)はそういうものであるという意識で聞かないと間違う。
盲信は危険。
おかしいと思ったら複数の文献をあたって調べてみよう。
間違いだと思ったら教員に質問してみよう。
学生さんの指摘で重要な間違いに気づいたら、教員としては青くなると同時にこれが知的な刺激になる。
きっと教員冥利に尽きることになるのではあるまいか。
大学の知というのは、そうやって発展してきた側面があるので、遠慮はいらない。
間違いを指摘して怒るような教員は大したことないので、ばーか、とでも思っておけばいい。

ではでは。
今回はこの辺で。




川崎の秘境駅にて。

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2019/12/29 18:48
休暇中。
二子玉隠れ家スタバにて。


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Update 2019/12/29
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