週刊雑記帳(ブログ)

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国会議員の報酬は多すぎない

国会議員の歳費(給与・報酬)を減らすべきだ。
身を切る改革として、国民感情に配慮して、などなど、さまざま理由からこの主張がなされる。
ただ、僕はこの主張には反対。
民主主義という仕組みを維持するために、今の水準の歳費は必要という立場。
今回は、このことについて書いていこうと思っている。

歳費の現状

歳費についてはまず、憲法に規定がある。

第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。(日本国憲法

そりゃあ、我々の代議員なので、それなりの人に就いてほしい。
歳費が「相当額」というのは、まあ妥当だと思う。

じゃあ、この「相当額」がどんなものなのか。
これは国会法に規定がある。

第三十五条 議員は、一般職の国家公務員の最高の給与額(地域手当等の手当を除く。)より少なくない歳費を受ける。)(国会法

基準としては国家公務員の給与が使われる。
「相当額」としては妥当な基準じゃないだろうか。
国会議員が公務員をコントロールしていく、というその立場・職責から考えても、国家公務員よりも有能な人材になってほしい。
給与も当然、それに見合った額ということに。
なお、国家公務員の最高額は、指定職8号俸(事務次官他)の俸給月額1,175,000円(令和4年11月18日、一般職の職員の給与に関する法律)。
この俸給表は、毎年、民間の給与水準について調査の上、官民の差が生じないように改定される。
基本的には国民の給与と連動して決まっていると考えてよい。

実際の歳費額は,国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律で規定。

第一条 各議院の議長は二百十七万円を、副議長は百五十八万四千円を、議員は百二十九万四千円を、それぞれ歳費月額として受ける(令和4年4月22日、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律)。

これを見ると、国家公務員の最高額と国会議員の給与の差は俸給月額で12万円ちょい。
そこまで大きくないことが分かる。

これ以外に手当(国会法第三十八条 議員は、国政に関する調査研究、広報、国民との交流、滞在等の議員活動を行うため、別に定めるところにより手当を受ける。)が支給されるが、これらは経費的な性質のもので給料とは異なるのでここでは論じない。
国会議員の給料が高すぎる、と主張している人たちの中には、歳費として明示している額にこの手当を混ぜていることがあるので注意が必要。
その場合はかなり高額をもらっているように見えるが、あくまで経費なので歳費として考えるべきではない。


つらつらと歳費の現状を見てきた。
この歳費を高いとみるか安いとみるかはばらつくだろうが,妥当な額だというのが僕の感想。
国会議員は任期が定まっていること、衆議院議員の場合は解散などで急に失職することがあること、選挙で勝てないと無職になること、などを考えると、この額はそこまで高額とは思えない。

報酬が高くなければいけない理由

民主主義の仕組みを考えた場合、議員報酬は国内労働者の中で比較したとき高くなければならない。
なぜか。
答えは簡単で、議員になるハードルがかなり上がってしまうから。
これは議員になれる人が限定されることを意味する。
どういうことか。

例えば、議員報酬が自分の収入よりも低かったらなろうと思うだろうか。
いくら国ため、公のためと、崇高な志はあっても躊躇するのではないだろうか。
議員報酬の方が多少高かったとしても、現在の雇用が無期で安定している場合はトータルでは損をすることになりかねない。
独り身ならまだしも、家族がいる場合は家族が難色を示すだろう。
少なくとも生活水準が下がるなどの形で、家族が迷惑を受ける。
議員になる、という極めて大事な民主主義上の権利行使が経済的な問題から難しくなるというわけ。
報酬が低いと参政権の一部が制限される、ということ。

では、議員報酬が低い場合、何が予想されるだろうか。
この場合、議員報酬よりも低い収入で働いている人、収入の低さを別の収入で補える人、といった人たちが議員の有力候補ということになる。
有為な人材を広く世の中に求める、ということは難しくなる。
例えば、事務次官など、国家公務員の幹部級が国を憂えて議員に転身すると、大損をすることになってしまう。
極端な話、議員報酬をゼロにすれば、お金持ちしか議員にならなくなる。
そうなった場合の国の政策は、お金持ちに有利なものになるのは想像に難くない。

もし、報酬が低かったら他に何が起きるか。
おそらく不正や利益誘導が増える。
役得的に得をしようとするものが現れるだろう。
そうでなかったとしても、議員の職務の手を抜いて、副業(場合によっては本業)に精を出す者が増える。
選挙にお金がかかる、というのが本当であれば、議員報酬が低い以上それで補う以外に方法がなくなる。
そして、それをやったもの(もしくは、元々お金持ち)が、選挙で強くなる。
構造的にそうなるので、これは仕方ない。

ちゃんと仕事しない議員が出ても、咎めづらくなる。
あんな安い報酬で働いてくれてるんだから、仕方ないよね、となる。
報酬が少なくなり、ボランティア性が高まれば高まるほど、選ぶ側・選ばれる側双方にそういう意識が現れる。
そして、このような政治がいいものとは思えない。


このように、高い報酬には、(1)経済的な理由で議員になれない人を減らす、(2)高い報酬に見合う働きを期待する、(3)報酬は十分あげているのだから不正なことはしてくれるな、という意味合いがあると思っている。
これが僕が議員報酬は減らすべきでない、と考える理由。

なお、一部地方議会の議員については、すでにこの問題が顕在化している。

よくある議員報酬高すぎる論への反論

論1:諸外国との比較

諸外国と比べて、日本の国会議員の報酬は高すぎる。
わりとよく見る主張。
これは2つの点から、間違っていると思う。

まず、元のデータの正しさの問題。
日本のデータは歳費以外の手当・経費を含んでいることが多い。
「報酬が高すぎるから下げろ」との主張の場合、高さを強調するあまり、このように高く見える計算をしがち。
そうであっても、諸外国の報酬額が同じ計算方法ならいいのだが、それが同様であるかどうかがわからない。
そもそも制度自体が違うので、経費的な「手当」は別の仕組みで実現されている可能性があり、それがどのように精査されているのかわからない。
このあたりは、その国の制度を一つ一つ精査した上で数字を算出しなくては意味がなく、政治学者などの専門家しかできないはずなのだが、出典がそうなっていないものが多い。
比較自体、ナンセンスなものが多い印象を受けている。

続いて、2つ目。
仮に、データが正しいとして。
諸外国に比べて高いこと、低いことに、一体どんな意味があるのだろうか。
議員候補者は、日本国内の日本人である。
国内の物価、平均的な年収、将来の生活設計、文化や労働関係の制度・慣習。
これらによって、その国の人が求める報酬のレベルは変わる。
転職が当たり前の国と、無期雇用の獲得が難しい国では、同じ報酬額でもその価値は異なる。
福祉が高度に発達している国では、将来に備えるための報酬はあまり必要ない。
このように、報酬の価値は国によって大きく異なるので、国際比較自体が無意味だと思っている。

元々、日本国内に住む日本人の中から、有為な人材に国会議員になってもらうという話。
そう考えると、国会議員の報酬は同じく日本国内で得られる他業種の報酬額との比較で決まるべき性質のもの。
歳費の現状の項目でも書いた通り、元々そういう仕組みになっている。


論2:財政的な理由

我が国の財政が厳しいので支出を抑えるために必要、というのも聞く。
ただ、効果のわりに弊害が大きいというのが僕の考え。
衆議院の定員は465人、参議院の定員が248人(公職選挙法第4条)。
ざっと、700人。
一人当たりバッサリ1000万円(約半分)くらいカットしたところで70億円にしかならず、たいした節約にはならない。
日本の一般会計予算が100兆円くらいなので、焼石に水というか。
節約できる額に対して、ここまでに書いた弊害の方がはるかに大きい。

気持ちよくお金出して、しっかり働いてもらう方がいい。

国会議員の人数を減らす論も、同様の理由であまり意味がないと思っている。
議員が減るということは多様性が減るし、議論による政策・予算の調整が減るので、民主主義的にはマイナス。
これは、気が向いたら別のところで書く。


論3:報酬に見合う働きをしていない

これはね、お気持ちはよーくわかる。
寝ている議員さん、へんなこと言う議員さん、自分の欲得に走る議員さん。
あれで、この報酬額かよ、と思うことはある。

ただ。
だから下げたらいい、は反対。
まず、ダメな議員さんに合わせて下げたら、報酬額はその議員さんのダメな行動に合わせられることになる。
議員としての働きの水準をそれで認めることになってしまう。
あくまで、求める仕事の水準があって、それに合わせて報酬額が決められるべきもの。
求める仕事の水準は理想的な方がよく、安易に下げるべきではない。
ダメな議員に文句を言うことができるのは、期待する仕事に対して相当の報酬を払っているからだと思う。

反対の理由はもうひとつ。
報酬を下げよう、で注目されるダメ議員の後ろには、真面目に一生懸命、しっかりと仕事をこなす議員さんもいる。
そして、しっかりと仕事をこなす議員の姿というのは、あまり目を引かれない。
議員報酬を下げるということは、ダメ議員に釣られて、こういう議員さんの報酬を下げることでもある。
報酬下げの議論をするときは、ダメ議員を思い浮かべるだけではくて、評価している議員さんを思い浮かべるのも大事だと思っている。
そうすると、安易に下げよう、という発想にはなりにくい。
ダメ議員は、期待される水準の仕事をしていないという評価なわけだから、選挙で落とすというのが筋。


まとめ

報酬下げ論。
その多くは感情的なものだと思っている。
感情からスタートして、もっともらしい理屈を選んでくる。
ただ、こういう場合、論理的に物事の良し悪しを判断しにくくなっているもの。
一度立ち止まって、自分の感情を認識した上で、論理的に考える。
これは、あらゆる社会的な問題を考える上で有効。
まあ、なかなか難しいのだけど。


すごい長くなってしまった。
今回はこの辺で。
ではまた。




横浜だよ。
帆船だよ。


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2023/01/15 15:58
コーヒと休暇。
鳥駅スタバにて。


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Update 2023/01/15
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