週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

大学教員ってどんな人?(大学教員・研究者という生き物3 )

どんな人が大学で教えていているか。
今回はそんな話を書いてみる。

高校までの教員はわりとわかりやすい。
大学で教えることの勉強を多少なりともして、免許を持った教えることのプロ。
じゃあ大学はというと、かなり違う。
そもそも免許なんてないし、アイデンティティとして「教える人」を最優先に持っている人はいそんなに多くないと思う。
そもそも大学のポストによっては教えなくていい人すらいる。

じゃあどんな人が多いかといえば、一番多いのは研究をする人。
研究者と呼ばれている。
研究が好きで、マニアックに一つの分野を深く調べている。
まだ人類の誰も知らないことを調べて、ワクワクしたりゾクゾクしたり。
ずーっと一つのことだけを考えていて、浮かんできた新しいアイディアを論文にまとめたり。
研究するために大学教員になった、というタイプはかなり多い。
たいていは大学院に進学して、研究のトレーニングを受けている。

研究者ではないが実務に長けている人なんかもいる。
例えば、学校教員としてのキャリアがあり、おもしろい実践をしてきたその分野の有名人。
医者、弁護士、公務員、技術者などなど、多様な分野のすごい人がいる。
細々と研究的なことをやってきた人もいるが、あくまでメインではない。
実務経験の部分が買われて大学教員になっている。
資格的な職業人養成の場合、その学生教育には欠かせない人材。
大学教員をやりながら、兼業でそれぞれの専門的なお仕事を継続しているケースも多い。
研究者教員の場合、次の転職先も大学ということが多いが、実務家の場合は元の職業に戻って行くことも少なくない。

他にもおもしろい人たちがいる。
例えば、芸術家。
実務家のちょっと変わった部類だと考えることもできる。
僕の知っているところだと、彫刻家、音楽家、書家なんかがいる。
芸術系の大学だと多数派になると思うが、そうでない大学でも必要に応じていらっしゃる。
文学の作家なんてのもここに入るのかな。
このタイプの教員は現役でその道の活動をしていることが多い。
研究室で彫刻を彫っていたり、コンサートを開いたりしていて、研究者教員からすると少し違った世界が広がっている。

さて。
紹介したいろいろなタイプの大学教員。
共通していることが一つある。
それは、何かの専門家であること。
狭い範囲で深くその専門を極めてきた人が大学教員というわけ。
だから、幅広く知識を持った、教えることのプロである高校までの教員とはちょっと違う。
大学というのは最先端の専門的なことも学ぶところなので、教えることのプロであることよりも専門家であることの方が優先されて人材が配置されているのだね。
高校までに比べて教えるのが下手な人が多いのはそういうこと。
そもそもアイデンティティが「教える人」よりも「専門家」に寄っていることが多いので、教えるということにどれくらい力を入れるかは本人次第になる。
時間は有限なので、「教える」に力を割くと専門分野のお仕事の進みが遅くなる構造になっていて、なかなか難しい問題。
教育と専門領域の話は長くなるので別立てでそのうち書こうと思っている。

ではまた。




高松市内にて。


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2018/10/21 18:17
お仕事後に。
鳥取市内にて。


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Update 2018/10/21
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論文を読む〜方法編前編(研究をしよう 8)

論文の中にはその研究で使われた方法について、詳しく記述する欄がある。
今日はここの読み方について。
イントロに比べるとわかりやすい。
が、それなりの技能・知識が必要なので、ここを読みつつ、必要だと思う知識を別途勉強する、という作業も考えなくてはならないのがココ。

さて。
まずこの方法の章。
何のためにあるのか。
これは研究の正しさを判定するためにある。
これ、研究とは何かで書いた、3要件のひとつ。
読み手に方法を示して、こういう風にやりました。
正しい方法ですよー。
と主張しているはずなので、本当かいな?と考えながら読むことになる。
つまり、読み手は記述されていることに対して、本当に正しいのか?を判定するために読めばよい。
書き手は方法論の甘いポイントをうまくごまかしている場合があるので、ここを見破る。
コレは書き手が無意識・無自覚でやっている場合もあれば、意図的にやっている場合もある。
基本的にウソはアウトだが、ウソじゃなければ読み手が判断可能なのでギリギリ許される。
あえて、多少の問題点をはらんだまま論文を公表して、後の研究に評価を委ねる場合もある。
つまり、玉石混交の状態。
なので、しっかり読んでその研究の正しさを判定しなくてはならない。

さて。
この方法の章、もう一つ大事な役割がある。
これは、研究の再現を可能とすること。
最悪、ウソを書かれる場合がないわけではない。
その方法でちゃんと研究をやったが、たまたまその結果が得られただけかもしれない。
こういう可能性については、その論文の研究のみで検証することは不可能である。
そのため、この部分については後の研究に託すことになる。
その方法論で同じようにやれば、同じ結果が得られるはず。
同じ方法で何度やっても同じ結果が得られることを、再現性があるという。
研究においてはこの再現性が極めて重要。
だって、そうでしょ?
とある研究者がやった研究のみでしか得られない結果にはほとんど何の意味もない。
研究とは知識の普遍性の発見や一般化を目指すものなのだ。
そういう意味で、再現性の検証が可能なように方法が書かれていなければならない。
記載が不十分で、再現性の検証が不可能、という論文は結構あって、読み手はこの点をきちんと指摘できなくてはならない。

と、ここまで書いたところで結構な分量になってしまった。
ということで、今回はここまで。
次回もう少し具体的なことを書く。




高松港にて。


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2018/10/22 17:57
日が暮れるのが早くなった。
鳥取駅スタバにて。


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Update 2018/10/22
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書く力(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 8 )

このシリーズもそろそろ終盤。
今回は、書く力。
コイツは前に書いた、読む力ロジカルな思考力の兄貴分。
ここでいう書く、とは小説やエッセイなどを書くということではない。
説得力を持った文章を書く、ということ。
こいつがね、社会に出てから大変役に立つ。
何かを主張して意見を通したいことは社会に出るといくらでも出てくる。
この時に、説得力のある文章を書けると強い。
企画書、提案書、研究論文なんかがこの類。
プレゼンや対話で相手を説得させることもできるが、その場合でも資料としてしっかりとした文書があるのとないのとでは全然違う。
で、この力を手に入れるにはそれなりの訓練が必要。
いくら文を綴るのが得意でも、訓練や経験なしに書けるものではない。

書く力。
まずは前提として、ロジカルな思考力が必要。
説得力のある文章とは、ロジカルな文章であると同義である。
ロジカルに思考した上で、表現されたものがこの手の文章ということもできる。
なので、ロジカルな思考力が身についてないと、こういう文章は書けない。
また、ロジカルな文章を書くということは、まず自分の書いた文章を批判的に読むということでもある。
批判的に読んでみて、批判に耐えられない弱いところを書き直していく。
この過程でもロジカルな思考力を使う。
そんなわけだから、書く力にはロジカルな思考力が必須。
ただ、書く力を高めていく中でロジカルな思考力が育っていくようなところもあるので、ロジカルな思考力がまだまだだなぁ、と思っている段階でも、書く力の訓練をすることにはかなり意味があると思っている。

書く力はロジカルさのみで成り立っているわけではない。
伝えるための作文技術みたいなものがある。
コレは物語を綴るのとはまた違った技術。
文をどうわかりやすくするか。
文意が2通りになっていないか。
複雑になりすぎていないか。
段落ごとにきちんとまとまっているか。
こういうテクニックをしっかり押さえているだけで、グッと読みやすい文書になる。
説得力のある文章の1番の目的は伝えることにあるわけだから、テクニックで少しでも伝わるようになるのであれば積極的に使った方がよい。

さて。
ではこの能力をどう磨くか。
コレは大学のレポートや卒論をうまく使いたい。
ただ、漠然と文章を書いても意味がないので、まず以下から「論文・レポートの書き方」に関する本を3冊読もう。
論文・レポートに関する本
この中の、戸田山が前者の、木下が後者の、小笠原が両者を浅く解説してくれている。
どれか一つなんてケチなこと言わず、とりあえず全部読むことをオススメする。
その上で、レポートや卒論を書いてみる。
レポートだったらなるべく知ってるよアピールじゃなくて、自分の意見を表明することを心がけたい。
教員と仲良くなって、評価後レポートに赤を入れて返してくれと頼んでみるのもよい。
文章書く力を磨いているので、時間あるときに赤入れて返してくれと頼めば、教員によっては喜んで返してくれる。
卒論も同様。
卒論に関してはレポートよりも添削してもらえる可能性が高い。
研究計画の段階で背景を書いて赤入れてもらったり、卒論を早めに提出して何度か赤入れてもらえば、これはかなり勉強になる。
卒論を提出ギリギリに出して満足な添削を受けられずに卒業する学生も多いが、これはすごくもったいない。
実験や調査の演習系の授業も卒論と同じような使い方が可能。
ただ、これをやってくれない教員もいるので、教員選びはわりと大事である。
早めから研究室に出入りして、学会誌に論文を投稿してから卒業、なんてコースをたどれば、これはその過程で相当な文章力がつくことは間違いない。
が、これは学部学生ではそうそういない。
院生でこのタイプは普通にいるので、院生でこういう訓練をしていない場合には危機感を持ったほうがよいかもしれない。

まあそんなわけで、大事だなぁと思った人はがんばって磨いてくだされ。
社会に出てから、やっててよかったと思う時がきっと来るよ。




高松港にて。


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2018/10/06 19:56
コーヒーを飲みながら。
イオンの方のスタバにて。


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Update 2023/12/01
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日本の研究力低下についての雑感

どうも、相対的に日本の大学の研究力が落ちているらしい。
他の国の発表論文数の伸びに対して日本のは伸びが悪かったり、影響力のある論文が相対的に少なくなったり。
正確な数字やそれを元にした議論は世の研究者がやってくれているので、そういうのはここでは書かない。
代わりに、現場にいる当事者の1人として雑感を書いてみようと思う。
あくまで雑感なので、厳密な数字や分析があればきっとそっちの方が正しいと思うので、そちらの方を信用していただきたく。

さて。
研究力が落ちている、ということに対して、これは当たり前だよなぁ、と思っている。
昔の(と、言っても僕は経験したことないので、伝聞と大学生の時の学生としての経験にはなるが)大学に比べて、教員のやる仕事が明らかに増えている。
つまり、研究に当てられる時間が減っている。
これに、研究費の減少が追い打ちをかける。

まず、教育。
これにかける時間は明らかに増えているし、それが求められている。
例えば、昔は出張で休講になっても、補講になる授業は少なかった。
が、これがお上の意向かなにかで15回必ずやらなくてはいけなくなった。
シラバスをしっかり作ったり、教育に関する研修をすることも増えた。
ちゃんと授業評価をやって、自己満足の適当な授業はなくすような取り組みもされるようになった。
つまり、教育をもっとしっかりやりなさいということだ。
僕はこれ自体はすごくよいことだと思っている。
が、昔に比べてこれに時間を取られることは間違いなくて、研究に充てていた時間は減る。
研究の質を少し落として、その分教育の質を上げようよ、という構造。
研究の質を落とさずに教育の質を上げるというためには、人員を増やすくらいしかないと思うのだが、そうはなっていない。
むしろ、国からの配分予算の減少によって教員はどんどん減っている。

この人員削減はさらに研究時間の減少を招く。
教育面だと担当授業が増える。
人員減による担当授業の増加は、通常の授業に比べて負担が重いことがある。
研究者は本当にごく狭い範囲について深い専門性を持っている。
元いた人の代わりにその授業を担当するということになった場合、ど専門から外れる可能性が高い。
そうすると、質の高い授業をするためにはかなりの勉強と最新知識のアップデートが必要になる。
これには相当な時間を必要とする。
ど専門や守備範囲の専門分野であれば、自分の研究活動をしっかりやることでこれらを兼ねることができるのだが、ど専門から外れれば外れるほどこれらに費やす時間が必要になる。
これはひょっとすると同じ業界人でも、近い専門分野の同僚教員がいる研究大学の人にはピンとこないかもしれない。

人員減は校務などの研究・教育外の仕事も増やす。
入試やカリキュラム作成、広報、学内の情報セキュリティなど、大学には結構な数の仕事がある。
人員が減ってもこういう業務は減らないので、仕事が回ってくる量が増える。
またまた時間が減るということになる。

昔に比べて増えた教育・研究以外の仕事も多い。
地域貢献や産業界との連携、大学改革、研究費不正使用に対応するための事務手続きの増加、多様な入試、教員免許更新講習、社会人学生のための休日講義などなど。
どれをとってみても一つ一つはこれからの大学として大事なことだと思うのだが、それなりに時間は必要である。
当然研究時間はさらに減るということに。

研究費減少の問題も大きい。
統計データだけ見ると、全体の研究費は増えているように見えるものもある。
政府はこのあたりの数字を前面に主張するが、これはちょっと違う。
僕らが減っていると考えているのは、大学から無条件で配分される自由に使える研究費。
昔は100万円近くあったらしいが、最近は地方国立だと50万円でもかなりもらっている方ではないだろうか。
10万円台や一桁万円、ひどいところだとゼロというところもあるらしい。
これでは研究ができない。
そこで登場するのが、コンペでとってくるタイプの研究費。
競争的資金と呼ばれるもので、科研費なんが有名。
時間をかけて分厚い申請書を書いて、勝ち抜くともらえる。
この申請書書きがまた大変。
大変な時間がかかる。
大変な時間がかかっても質のよい研究計画ができるので、それはそれで悪くないのだが、コンペで勝てなかった時が悲惨。
1円ももらえない。
昔だったら、大学からもらっている自由な研究費を使ってコンペで落ちた研究を細々と進めることができたのだが、今の水準だとこれが厳しい。
申請書で書いた研究計画に費やした時間はほぼムダということになる。
ちなみに採択率は科研費で3割弱くらい。

時間の話ばかりを書いたが、それでもちょっとでも研究費あるんなら研究できるのでは、と思う方もいるかもしれない。
ただ、思っている以上に、研究にはお金がかかる。
アイディア一つで、論文が書ける分野があったとしても、論文を出版するのにはお金がかかる。
英語の雑誌なら、投稿料と英文の校正料で最低数万円はかかる。
最近よく使われる、誰でも論文を見ることができるタイプの雑誌は、出版に20ー30万円かかることもザラ。
この時点で、そもそも年間研究費を超過してしまう人が結構いる。
論文を出版する、というだけでも難しい。
つまり、工夫でなんとかなるレベルの研究費水準ではないのだ。

研究には他にも大量にお金がかかる。
学会の年会費、学会参加の旅費からプリンターのインク代まで、いろいろな経費を賄わねばならない。
大学によってはこれにプラスして、光熱費や部屋代を取るところもあるらしい。
そんなわけなので、個人的には二桁万円前半、特に20万円を切ってくると、壊滅的に研究ができなくなると思っている。
で、実際そうなっている研究者が増えている。
というわけで、そりゃあ日本の研究力は下がるよね、と思うわけ。

長くなったが、日本の研究力低下について、現場で感じていることを時間と研究費の2つの視点から書いてみた。
さて、これを書いてみようと思ったのには理由がある。
この話、研究者仲間では共有されていて、SNSを含めて様々なところで発信されているのだが、どうも世間一般の人にちゃんと伝わっていないように感じていた。
特にSNSでは研究者が単に不平不満を言っているようにしか聞こえていないのではないか、と。
なので、なるべくわかりやすく、非研究業界の方に現状を伝えたいと思って書いた次第。

研究者は研究が好きで好きでたまらない人が多いので、時間と潤沢でなくとも細々と研究できる程度の研究費があればあとは勝手に研究する。
でも、大学、特に地方国立大の現状はそうはなっていない。
大昔にとある組織にいた時に、事務補佐の方に言われたことが心に残っている。
「先生方は研究したくてたまらなくて、研究するのが仕事なのに、その研究費がもらえないから研究できないってなんかもったいないですね。」
なかなか的を射ていると思う。




川崎にて。


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2018/10/25 8:04
出勤前。
自宅にて。


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Update 2018/10/25
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労働法を読む(雑学・読書のタネ1)

労働基準法をはじめ、労働関連の法体系を労働法という。
雇う側と働く側では力関係が違う。
その力関係の中で酷い目にあったり、逆にあわせてしまったり。
ある日突然、自分にやって来るかもしれない。
友人が当事者になって困るかもしれない。
法律的に何がダメで、何が正しいのか。
ダメな時はどのように対処すればよいのか。
コイツを知っているだけでだいぶ違う。
多くの人が社会に出て雇用されながら働くことになると思うので、コイツは学んでおいて損はない。
そんなわけで、今回は労働法関係の本をいくつか紹介する。
全ての社会人、これからの社会人におススメ。


「どこまでやったらクビになるか―サラリーマンのための労働法入門―(大内 伸哉 著)」


事例を中心に労働法について解説した新書。
会社に内緒でやっていた副業が会社にバレてしまった、上司が残業を認めないため残業代が出ない、など、さまざまなストーリーを紹介し、法律や判例をもとに法的なルールを紹介する。
内容はかなりくだけており、軽い読み物としてサクサク読める。
社会人にとっては身近な事例の法律上のルールを知ることができる。
当たり前だと思っていることが、意外と違法だったり合法だったりするのでおもしろい。

まずは知ってみたい、という人にオススメ。


「泣きたくないなら労働法(佐藤 広一 著)」


一般の人に向けて労働法について解説した新書。
一般的に必要になるであろう項目ごとに、法理や判例を紹介。
労働法の簡単な紹介、採用から始まり、労働時間、賃金、労働時間、退職と、基本的なことを実際の事例を混じえながら解説する。
とてもわかりやすく、初めての人でも簡単に読むことができる。
知識伝達型で学術的ではないが、働く人の基礎知識としてためになることがたくさん詰まった一冊。
社会人としている労働に関するルールをざっと知っておきたい人に1番のオススメ。


「労働法入門(水町 勇一郎 著) 」


労働法について、法学研究者が一般向けに書いた新書。
前2冊は労働に関する日本の実際的なルールを解説したものだが、この本はちょっと違う。
法とはなにか、なぜ労働法が必要か、など理論面からの記述が中心になっているのが特徴。
歴史的な背景、国・文化・宗教による労働観の違いや法への反映などにも触れられており、教養的な意味合いでとてもおもしろい。
日本の労働法の最低限の知識を学びつつ、法の趣旨や背景を深めることができるのがよい。
法律を理解するためには導入の経緯やそれを理解するための背景、それらの国際的な違いを知っておくことが重要だと思わせてくれた本。
ハウツー本とは一線を画してして、それがゆえにオススメな一冊。
僕はこれが一番好きだった。






都内のどっかにて


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2018/11/07 08:00
出勤途中。
汽車車内にて。


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Update 2018/11/07
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論文を読む〜イントロ編後編(研究をしよう 7)

さて、前回の続き。
ではそのイントロをどう読んでいくか。
どう批判していくか。

前回の記事で、イントロからは研究の意義を読み取るのだと書いた。
ただ、そもそもイントロにこいつがほとんど書かれていないものがある。
それっぽく先行研究は引用されているものの、研究の紹介にとどまっていて、研究の目的には全くつながっていない。
こういうのは結構ある。
その場合は、ちゃんと書かれていないため意義がよくわからない、という判断をすればよい。
そういう論文をつかまえてしまって、それをゼミで発表しなくてはならなくなってしまった場合は、素直にそう指摘できればそれでよい。
これは書き手の責任。

次に注意するのがロジック。
ロジックというのは理屈の正しさ、みたいな意味ね。
詳しくはこちらを参考にしていただいて。
イントロでよくあるのは、「AはBである。ゆえに、Cと言えるだろう。」と書いてあるのに、1文目と2文目がつながっていない、もしくはつながりがうすいというもの。
これをイントロ全体で続けていけば、間違った形で意義があるように感じてしまう。
いやいや、そんなこと言えないでしょ、と、きちんと批判したい。
ロジックに対する批判をいくつか積み重ねていくと、ああこの研究の意義あまりないね、とか、よくわかんないね、とかと判断できる。
ロジックに対する批判については分量が多くなりすぎるのでここでは書かない。
知りたい方は新版 論文の教室あたりを読んでいただければ。

次に、根拠を疑ってみる。
多くの場合は先行研究で明らかになった事実を根拠にあげ、ロジックでつないで自分の研究の目的へとつなげる。
引用というやつ。
ところが、この引用がそもそも間違っていることがある。
「谷中(2018)はラーメンには依存性があることを明らかにした」という引用をしていたとしよう。
ところが、谷中(2018)を読んでみると、そんなことはどこにも書いていない。
「ラーメンは醤油が一番人気であることがわかった。ラーメンには依存性があるのかもしれない」と書いてあるだけだった。
なんてことはよくある。
谷中(2018)を読んでみたところ、確かに結論で「ラーメンには依存性がある」とあるのだが、谷中(2018)の様々なところがダメで、この結論言えないでしょ、ということもある。
もし引用した根拠の有無がその研究の意義に大きく関わるとすれば、こういう点を見つけることでその研究の意義がガラガラと崩れることになる。
大事だね。
ちなみに先行研究を引用したものの、先行研究がダメで引用している事実を言えないような場合、この責任は引用した先行研究の著者ではなく引用した人にある。
肯定的に引用する、ということは、書き手は先行研究を信じて受け入れたよ、ということになるのだ。
他にも、根拠として複数の文献をあげているのに、そのすべてが学術論文ではなく一般記事で根拠としては薄弱という場合もある。
これらをひとつひとつ批判しながら、全体としての研究の意義を考えるわけ。

さあ。
以上をやってなお、批判点が見つからない場合。
それはとても意義のあるよい論文な可能性がある。
自分の研究を進める上でかなり役にたつかもしれない。
こういう論文はかなり数が少ないので、覚えておいて自分が書くときのお手本として使ってみるのもよいと思う。
ただ、意義の判断は難しいもので、批判点が見つからないから意義が大きい、というものでもないのが困ったところ。
あくまでイントロに書き手が書いているはずの意義を読み取ろう、という話で、意義の大小についてはまた別の問題。
読み取った内容から自分で判断するしかない。
プロの研究者でも一つの論文に対する評価はわかれることがよくあるので、ここで判断基準を簡単に書くのはなかなか難しい。
書き手がイントロで意義を書ききれていないにもかかわらず、意義の大きい研究というものもないわけではない。
研究の意義、大変難しい。

そんなこと言われても困るよ、何か教えてよ、という人のために。
研究の意義とは何か。
それは新奇性以外の、その研究をやる理由。
なんでそれをやったの?という質問に対して、誰もやってないから、以外の理由すべてが意義につながると思っていただければよい。
それらの理由の価値が、意義の大きさにつながるわけ。
まあ最初は基本に忠実に、そいつらをイントロから読み取るというのを地道にやって行くしかない。
いつか気が向いたら、意義についてのみをテーマに記事を書いてみようと思っている。

そんなわけで、この記事ではイントロの読み方について、ポイントをいくつか書いてみた。
ただ、残念ながらいくら理屈を知ったところで経験には勝てない。
なので、ゼミの時間などを活用して数をこなすなど、積極的に経験を積んでほしい。

次は方法の読み方について書く予定。




門司港駅にて。


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2018/09/23 16:31
移動中。
スーパーはくと号の車内にて。


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Update 2018/09/23
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本の紹介,「知能指数―発達心理学からみたIQ (滝沢 武久,中公新書)」

知能指数―発達心理学からみたIQ
滝沢 武久(著)
難易度:☆☆


特別支援系の授業や心理学を教えていると、時々出てくるのが知能指数(IQ)。
知的障害だとIQがいくつ以下で、こんなテストがあるよ、というように教科書で扱われる。
が、結局のところIQってなぁに?
具体的にはどんなものなの?
そもそも知能ってなんだ?
という疑問に対しては教科書の記述からはよくわからない。
じゃあ本はというと、IQは世の中で結構使われているわりに、新書クラスの簡単な本が少ない。
この本はそんなIQについて、ビネー系と呼ぼれるテストを中心に解説した新書。
この本はかなりわかりやすく解説してくれている数少ない好著。
同種の本をいくつか当たってみたが、この本、かなりよい。

ビネーはIQテストをはじめに作った人。
全てのIQテストの源流といってもいいか。
この人が作ったIQテストは現在の日本でもよく使われており、鈴木ビネーや田中ビネーが有名。
このビネーテストを中心に深く掘り下げていく構成。
IQの基本的な考え方と意味。
IQテストができるに至った背景。
IQテストの歴史的な変遷。
新しい知能観と新しいテスト。
このようなことについて、さまざまなIQテストとそれらが作られる過程を通じて知ることができる。
もともとビネーは子どもの知能を測ることを目指して知能テストを作ったので、発達的な視点が豊富なのもこの本の特徴。

IQに関する基本的なことはこの本1冊で十分学ぶことができる。
1971年の本とかなり古い本なので、内容はやや古めだが基本を学ぶという意味では特に問題はない。
特別支援系の教員を目指す人、心理学を学んでいる学生さんで、IQがいまいちなんのことかわからない人は必読。
IQテストを日々実施している臨床家でも、歴史的な変遷や各テストの理論的な背景をよく知らない人であれば楽しく読める。
IQ系の本では一番おすすめな1冊です。
この本、かなり古いため現在は絶版になっているが、時々Amazonに中古が出る。
図書館にも入っていると思うので、そちらで手に入れるのも手。




にくきゅうは、よい。



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Update 2018/10/13
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