前回のつづき。
大学教育の問題は、大きくは時間がないというところに帰結するということを書いた。
なぜ時間なのか、今回は具体的に掘り下げていく。
教育には手間がかかる
当たり前のことなのだが、教育には手間がかかる。
そして、当然ながらこの手間が授業の質を上げる。
例えば、授業中にリアクションペーパー(疑問などを聞くアンケート)をとる、という場合。
集めてきたリアクションについて、学生へ回答したり授業改善につなげたりする必要がある。
これらにはいくらか手間がかかる。
授業日誌をつける、というのも授業改善でよく紹介される方法。
授業をした後なるべく早く、学生のリアクションや感じた問題点などを振り返って記録しておく。
これは書くだけでなく、振り返って改善するための手間も必要。
授業する前に授業内容を見直しておく、というのも、経験上、授業の質に影響する。
以上は、僕の授業で実践していることなのだが、わりと手前はかかる。
1科目だと大したことないのだが、何科目もあると結構な時間になる。
FD(教育に関する研修)や授業改善のための書籍にはこれ以外にも色々な取り組みがあるのだが、時間を考えるとなかなか導入できない。
高大連携を意識した授業となると、高校での各科目の授業内容なんかも把握しておく必要がある。
これは自分の授業を教える上で大事にしているのだが、指導要領は時々変わるのでアップデートに時間が必要。
他にも、学生さんの質問対応や細々した相談への対応など、時間をかけるべきポイントはたくさんある。
これらは、一連の教育改革においても重要とされているポイントであり、各大学推奨していることでもある。
ここでは、授業をよくするための手法ばかりをあげたが、当然授業自体を作り込むのにも時間を要することになる。
このあたりの大変さは、
大学の授業作りの大変なところ(大学教員・研究者という生き物4 ) でも書いているので、よろしかった読んでいただいて。
教育改革・大学改革による時間減
文科省主導で進められたものもある。
例えば、出張で抜けた分の授業は原則として補講が必要になった。
シラバスはていねいに書くことが求められ、これをやらないと大学評価に影響する。
教職科目等一部科目については、教える内容がある程度決めらるようになり対応に時間がかかるようになった。
FDの実施や出席率などが大学評価に影響するため、実質的に教育がよくなるか否かにかかわらず出席を求められ時間が取られる。
なお、厳格な出席管理が求められ、かつ出席が成績に影響しない、というのも文科省主導の教育改革による。
これらの教育改革は、ある意味では質のコントロールに一役買ったところはあるが、時間は取られることになる。
教育以外の業務についても大学改革が進められてきた。
評価を厳格にする、研究費を外部からとってくる、などなど。
時代に合わせた、組織改革(学部改組、大学院改組等)もこれに当たるか。
これらは一つ一つについて、相当な時間を取られる。
つまりは、教育にかけられる時間は減少することになる。
人員削減による時間減
特に国立大学で顕著な問題。
国立大学は法人化されて以降、予算がちょっとずつ減らされてきた。
ちょっとずつなので大したことないと思われるかもしれないが、そうではない。
組織の経費のほとんどは固定費(人件費等)なので、自助努力で経費削減するには限界がある。
研究経費を削り外部資金で補う、くらいしかできない。
それをやり終わると、人件費に手をつけることになる。
しかし、現役の給料を下げることは労働法制上難しい。
このため国立大学においては、退職教員の後任を補充しないということでの人件費削減が広く行われてきた。
しかし。
後任不補充の場合であっても、やらなければならない授業は残ることが多い。
この場合の授業負担は、単に数が増えただけの負担では済まない。
大抵の場合は、専門外隣接分野の担当になるため、授業を作るための知識獲得など、多大な時間を要することになる。
また、入試業務等の分担業務の担当頻度が増えるため、その意味でも時間が取られることになる。
この辺りの話は、 日本の研究力低下についての雑感 にも書いたこと。
教育にかかる時間についての見積もりや議論がない
さて。
教育には時間がかかり、そのための時間が少ない、というのはわかっていただけたと思う。
ただ。
僕が一番問題と思っているのは,これらのような教育にかかる時間に関する見積もりや議論が全くないことである。
FDでも文科省系の改革でも大学経営者からの提案でも、教育をよくしようという提案はたくさん出てくる。
これ自体はとてもいいことだと思っている。
しかし、これらが出てくるときに、その時間をどう確保するか、という議論が全くないのである。
ただし、何をやるにしても時間が必要。
教育にかける時間は、そのまま教育の質に影響する。
そうであるはずなのに、時間をどう確保するかの議論を聞いたことがない。
これは、大学一般に言えることで、研究においても同様。
1つの授業科目に、準備時間や改善の方略も含めて一体どのくらいの時間が必要なのか。
それを見積もった上で、その教員に必要な時間を与える。
こういう基本的なことがおざなりにされている。
大学教員も労働者なので、1日の勤務時間というものが存在する。
おおざっぱに7時間45分働いているとみなして、残業代の発生しない方法で働いていることが多い。
しかも、大学教員は研究業務が主たる業務になる。
業務時間の半分を研究時間として、1セメスタあたり4科目担当だったと仮定して計算しても1科目あたりの準備時間は週に1-2時間程度しか取れない。
計算上は、1コマの授業準備・改善に使える時間があまり多くない。
1セメスタあたりの持ちコマは人員削減により相当に増えており、この2倍以上担当しているケースも見聞きする。
そうなると、どうあっても授業の質の低下につながる。
まあそういうわけで、大学教育の質向上のために一番大事なことは、時間の確保だと思っている。
時間やお金をかけずに質を向上させる、というのは初期の余裕がある時にしかできない。
もうその時期はとっくに過ぎたと思っている。
長くなった。
今日はここまで。
次回は、時間以外の問題点を書く予定。
ではまた。
ホームシック、横浜。
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2021/08/01 18:21
休暇中。
Drop In鳥取にて。
Update 2021/08/01
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