週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

論文を書く(研究をしよう 17)

研究計画を遂行しさえすれば、結果が出る。
研究計画が完璧なら、ほぼ研究は終わったようなもの。
あとはこれを発表すれば出来上がり。

研究発表には2種類の方法がある。
1つは口頭やポスター等で概要をプレゼンテーションするというもの。
学会発表や卒論発表会なんかがコレ。
これについては、発表をしよう、を参考にしていただきたく。
で、もう1つが論文による発表。
論文とは何かですでに詳しく書いているが、論文は読み手に研究を精査してもらうのが大きな目的になる。
精査には結果の再現可能性の検証も含まれる。
よって、それらが可能なように詳細な記述が求められる。

論文の具体的な書き方については、論文を読もうシリーズが参考になる。
基本的にあそこに書かれていることに気をつけながら執筆していけばよい。
ここでは、論文を読もうシリーズに書かれていない補足情報を書く。

まず、必ず以下の本を読んでから書き始めてほしい。
理科系の作文技術(木下 是雄)
最新版 大学生のためのレポート・論文術(小笠原 喜康)
新版 論文の教室(戸田山 和久)
(上記3タイトルの簡単な書評はこちら)
論文を書く、というのはある種の技術が必要。
その最低限の技術を知った上で書くのとそうでないのとでは、作業効率や出来に大きく影響する。
すぐ書きはじめたいのはわからないではないが、騙されたと思って書き方本に目を通してから書いてほしい。
論文がグッとよくなるだけではなく、ビジネス系の文書についても書く技術が上がることになる。

続いては具体的な論文執筆。
イントロと方法については研究計画が役に立つ。
計画の中で段落構成や根拠の先行研究は挙げているはずなので、これを読み手にわかってもらえるようにていねいに書く。
結果、考察、まとめは論文を読もうシリーズに補足することはない。
何をするパートなのかを頭に入れて、その筋から外れないように書きてほしい。

引用文献と引用の仕方、その書き方については まだ説明していないのでここで書く。
まず引用することについて。
先行研究を引用した責任は、先行研究の著者ではなく、引用して知見を載せた論文の著者にある。
「谷中ら(2018)はAがBであることを明らかにした」と引用したとしよう。
この場合、論文執筆者は谷中ら(2018)の研究結果を信じた、ということになる。
原典の論文に不正があった時を除いて、責任は引用した側にある。
よって、論文を精査して明らかに穴があって信じられない知見は根拠としては載せられない。
もちろん、問題のある研究として引用し、その穴を埋めにいくというような引用であれば問題ない。
時々、明らかに読んでいない研究論文や本をたくさん載せている人がいるが、これは論外。
絶対にやめてほしい。
卒論生にありがちな、読んだ本・論文を全部載せるのもよくない。
引用文献は必要最低限、きちんと引用しているもののみにすべき。

続いて引用の書式。
基本的には論文全体にわたって、引用符の付け方や引用文献リストの作り方が統一されていることが大事。
そこでオススメしているのが、学術誌を1つ決めて、その引用ルールをそのまま適用するというもの。
過去にタイトルの読んだ論文の中でしっかりしていると思った学術誌を1つ決める。
あとはその学術誌のホームページに行くと、論文投稿規定や執筆マニュアルがあるので、そこの引用ルールをそのまま真似する。
これで統一感は確実にとれる。
具体的な引用方法で迷いが出たら、その雑誌を何冊か取り寄せ、載っている論文を真似して書けばよい。
これは、書きはじめから気を付けておかないと、のちのち面倒なことになるので注意してほしい。

さあ。
あとは書くのみ。
え?まだ具体的によくわからない?
そんなあなたに、ラストアドバイス
調査で何十本も論文を読んだはず。
その中に、かなり参考になるよい論文があったはず。
そういう論文を何本か用意する。
信頼できる学術雑誌を何冊かそろえるのもよい。
論文執筆の際、そいつらを常に横に置いておき、表現に困ったら参考にする。
自分の使っている表現が、そいつらに載っていないのであればその表現は避ける。
これだけで、わりとよくなるよ。
時々先輩の卒論を参考にする人がいるが、どう考えてもクオリティはプロの書いたよい論文の方が上なことが多い。
良質で刊行された学術論文を頼ろう。

では。
またそのうち。
ある程度かき切ったので、今後は単発トピックで書いていくことになると思う。





羽田にて。

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2019/12/15 0:56
もう寝よう。
自宅にて。


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研究計画を立てよう 後編(研究をしよう 16)

さて、前回仮の仮説やら目的を決めたところまで書いた。
今回はいよいよ、研究計画。

仮の目的が出来上がったら、この目的を導き出すためのイントロの骨子を作る。
イントロそのものを書くのではなく、イントロの段落構成を考える。
段落ごとに主張したいこと、を簡潔な一文で書いていく。
例えば、こんな感じ。
(1)人間の特性はのび太型とジャイアン型に分けられる
(2)のび太型の方がジャイアン型に比べて不利な点が多く適応的でないとされる
(3)のび太型の生活環境はストレスフル
(4)のび太型は不利な点の多さのわりに健康的
(5)ストレスフルな環境は精神疾患罹患率と関連する
(6)レジリエンスの高さはストレスを受け流す
目的:のび太型の適応的な側面として、レジリエンスの特性を明らかにする
仮説:のび太型はジャイアン型に比べてレジリエンスが高い
※上記内容はもちろん架空のもの

まあこんな感じ。
これらを眺めながら、論理構造(ロジックが通っているか)を検討していく。
各段落の主張はつながっているか、論理飛躍はないか、無駄なものはないか、必要な段落が抜けてないか、などなど。
この辺はすごく難しいので、教員をうまく使いたい。
作ったものを見せると、コメントしてくれると思う。
先行研究の読み込みの時に、上記点を意識しながら読むと論理構造を検討する力が鍛えられる。

これについて、各段落で主張したいことに対して根拠を与えていく。
(1)人間の特性はのび太型とジャイアン型に分けられる
谷中他(2011)、鳥鈴(2012)、出来杉(2015)・・・
レビューとして、島猫(2018)
(2)のび太型の方がジャイアン型に比べて不利な点が多く適応的でないとされる
谷中(2016)←質研究
(メモ)量の研究が見つからない、根拠として弱いか。これ探す

こんな感じで、根拠となる先行研究を書き加える。
見つからない場合は、問題点や今後の調査のポイントなども書き込んでおくと便利。

これをやっていくと、段落で主張したいことの根拠が見つからないことがある。
この場合、残念ながら当初の論理構造で目的に迫ることはできない。
論理構造を変えるか、目的自体を変える必要がある。
なお、根拠が見つからないということは、その段落で主張したいこと自体が研究のネタになることもある。
これを目的に研究計画を立て直す、というのもあり。

まだやることがある。
目的と仮説に、どういう方法論で迫るか、を決める。
ここまでにたくさん論文を読んでいるはずなので、方法論にもある程度詳しくなっているはず。
使う方法論を決め、具体的な方法を計画する。
分析方法もこの段階で決めておく。
これで、目的を達成できそうであれば、研究計画は完成、ということになる。

ただ。
この段階に来て研究計画がダメになることもある。
目的と仮説までがどんなに完璧でも、それに迫れる方法がない場合。
この場合、方法論自体を自分で工夫するか、あきらめるか、の2択になる。
特に、先行研究から簡単に思いつくネタが他の人によって全然研究されていない場合は、このパタンである可能性がある。
方法論的にどうやっても難しそうなら、早めに軌道修正も考えた方がよい。
もちろん、チャレンジングに方法論の開発に挑む、というのであれば、止めはしない。
研究者たるもの、そういう姿勢は必要だし、偉大な研究はそういう姿勢から生まれる。
ただ、かなりリスキーなことはお忘れなく。

段落の論理構成、段落主張の根拠探し、方法論の選択、はいずれも並行してできるので、それぞれを参考にしながら同時並行的に検討修正をしていくと効率的。
そんなこんなを繰り返しながら、イントロの骨子(段落の主張とその根拠と論理構成)と方法まで書くことができたら、それが研究計画ということになる。
これがしっかりしていると、もうあとは手を動かすのみ。

なお、この方法はあくまで一例。
似たようなことをスライドで求める研究室もあれば、ラフにイントロを書かす研究室もあると思う。
最終的な研究計画の示し方はそこのルールに従ったらいいと思う。
ただ、ここで紹介した方法は研究計画を立てる際の整理にはかなり有効。
そのまま論文のラフスケッチにもなる。
中間発表や指導教員への進捗報告の資料としてもそのまま使える。

参考までに、研究計画の例(のびた、完成版)のファイルを置いておく。
よかったらどうぞ。

ではでは。
また。




あとひと息だよ。
羽田にて。

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2019/12/15 0:56
もう寝よう。
自宅にて。


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研究計画を立てよう 前編(研究をしよう 15)

ある程度、先行研究の読み込みが進むと、その分野で何がわかっていて何がわかっていないのか、何が問いになりうるのかがわかってくる。
分野にもよるが、そうなるまでに論文を3-40本読むことになるか。
この段階になると、ついに研究計画を立てる、ということが可能になる。
そんなわけで、今回は研究計画の立て方について。

研究計画を立てる。
何をすればいいのか。
簡単に言うと、論文のイントロと方法の骨子を作ること。
イントロとは、研究の目的・仮説を学術的かつロジカルに導き出す場。
もちろんその中に、学術的な意義も盛り込む。
イントロについての詳細は、論文の読み方イントロ編を参考にしてほしい。

さて。
論文をある程度読むと、その分野のいろいろなことがわかってくる。
先行研究でやられているのはここまでだな。
最新の研究を読んだけどここが甘い、こうやればよかったのに。
こういう視点での研究はたくさんやられているんだけど、こっちの視点での研究は案外少ないな。
こういう研究があればよいのになぁ。
これらが研究のタネになる。

こういうのが浮かんでくるようになったら、研究計画立てる前段階の論文読み込み時期にしっかり捕まえておきたい。
たいていすぐ忘れてしまうので、論文を読みながら思いつく側からメモをとっておくのがよい。
これらの研究ネタをもとに、読み込む論文の分野を絞り込んでいくと、研究ネタはどんどんはっきりとしたものに深化していく。

あと少しで、研究計画。
前述した研究ネタの中から、一番やりたいもの、一番意義のありそうなものを選ぶ。
次に、仮の目的を決める。
仮説も立つのであれば立ててみる。
研究ネタが思いつかない、目的が作成できないのであれば、論文の読み込みが足りない。
もう少し数をこなしてみよう。

仮の目的や仮説が決まったら、いよいよ研究計画を立てる。
が、長くなったので、また次回。




川崎だろうか。

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2019/12/14 22:21
大阪帰り。
スーパーはくと車内にて。


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イケイケお巡りさんとベテラン刑事とえん罪事件

その昔、家に帰るとポストに名刺が入っていた。
名刺には〇〇警察署 〇△課 巡査長 誰野誰太郎、とある。
名刺の後ろには、とある事件について聞きたいことがあるので連絡ほしい、とのこと。
知らぬ間に法を犯したか、冤罪事件か。
何かわからんがついに僕も逮捕か!
なんてことを考えつつ、非日常ワクワク感が勝り出勤途中に警察署に出頭した。

受付で名刺を渡すと、受付氏はどこかに電話。
受付氏に案内され、殺風景な会議室に通された。
しばらく待つと、2人の私服警官が登場。
疲れた年配おじさんと元気な若いにーちゃんだった。
両者とも、ザ・刑事といった雰囲気がバーンと前面に。
ははぁ、なるほど、これが世に言う刑事さん。

「実は、とある事件を追ってまして。◯月×日夕方、ご自宅におられましたか。」と若いにーちゃん刑事。
確か、いた。
「その時、外で何か見ませんでしたか。」と続く。
「何か、とは?」と、僕。
「隣の畑に、車が入り込んでるのみてないですかね。」
そういえば、見た。
車が道路より一段低い畑に突っ込み、出れずに悪戦苦闘していた。
何度か自力で出ようとがんばっていたが、結局諦めて、仲間と思われる別の車に引き上げられて脱出していった。
その旨を話すと、おじさん刑事の目がキラリと光り、こう聞いた。
「車種、わかります?どんな感じの車だったか、だけでもいいんです。」

ただ、車を見た当時は日もだいぶ暮れかけていた。
暗くて正直車種なんて全くわからない。
力強い走りをしていたので、四駆かもしれない。
その旨を話した。
「よく、思い出してください。」
にーちゃん刑事がそう言った時、ふいに部屋の電話が鳴った。
おじさん刑事が取ると、ふんふんと少し話し、どこかに呼ばれたのか部屋を出て行った。

部屋には僕とにーちゃん刑事が残された。
にーちゃん刑事は心なしか前よりも元気になったように見えた。
彼が僕に問う。
「四駆ってどんな感じでした?」
そんなこと言われてもわからない。
「オフロードみたいな車ですか?」
うーん、そんな感じがしないでもない。
僕は煮え切らない態度。
「もしかして、ランクルではなかってですかね。」
うーん、まあそうと見えなくもないような。
走りはそんな感じのパワフルさだった。
やはり煮え切らない感じでそう伝えた。

そこに、おじさん刑事が帰ってきた。
にーちゃん刑事、おじさん刑事に手柄を立てたかのように喜び勇んでこう言う。
「やはり、ランクルだったそうです!」
えー、それは言い過ぎ、と思った時だった。
「それは、どうやって聞き出したのか。」とおじさん刑事。
「車種を言ったら、そうだって谷中さんが。」と、若刑事。
おじさん刑事は、ああ、と言い、若い刑事さんに何か用事を言いつけ、若刑事氏はどこかへ行った。

部屋には僕とおじさん刑事だけになった。
おじさん刑事は僕の方を見てこう言った。
「せっかくきていただいたのに、ごめんなさい。もう、谷中さんの証言は使えません。車種がなんであったか、情報を与えずに証言を聞き出さなければ意味がないんです。今回はこちらから車種を言ってしまった。これでは証拠としての力はないんです。本当に、ごめんなさい。」

ははぁ、なるほどな、と感心した。
早く犯人を捕まえたいだろうが、証拠は証拠。
恣意性を排して真実に迫る。
こうやって冤罪を防いでいるのだろうな、と。
これって、研究にも、あらゆる仕事にも通ずる姿勢だと思うのだ。
頭の中に正しいと思っているストーリーがあって、ほしい証拠がすぐそばに転がっている。
でも焦らず手続きを踏んで恣意的にならないようにして、きちんとした証拠にする。
プロとして大事なことだなぁ、と。

ただ、にーちゃん刑事が同じような心構えの刑事さんと組んでたら、と思うと少し怖くもなった。
おそらく、事件はスピード解決するのだろうが、ごく稀に冤罪を作り上げてしまう。
これもまた、研究はもちろん、どの仕事でも起こりうる話。
気をつけなきゃな、と思った次第。

まあそんなこんなのお巡りさん話。




たまにはこういう記事も書いてみたいと思っている。
これは横浜か。


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2019/12/08 22:56
日曜が終わる。
自宅にて。


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Update 2019/12/08
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文献を整理しよう(研究をしよう 14)

今回はダラダラ書いているこのシリーズ。
前回までに論文の読み方、探し方などを書いた。

ある程度文献を読むと次の問題に直面する。
どこかに書いてあったのだが、どこに書いてあったのか思い出せない。
たくさん読んだはずなのに、あまり覚えていない。
まあよくある話。
そんなわけだから、将来そういうことが起こることを前提として、早いうちから読んだ文献について整理しておく必要がある。

では、どうやるか。
以下の4点は押さえたい。
①論文は電子化する
②論文は記号や番号で管理
③読み終わったら必ず論文の要点をまとめる
④エクセル等を使ってデータベースを作る

論文の電子化

読んだ論文、読む論文は電子版を保存しておきたい。
紙版を図書館で取り寄せた場合は、スキャナで取り込んで電子版を作成しておきたい。
自分は紙派だという人は、それはそれでよい。
が、紙版をなくす事、紛れて見つからない事はよくあるので、必ず電子版は保存しておくこと。
これは、後々見つけやすくする事が目的なので、次に説明する番号・記号管理による番号や記号をファイル名として使うのがよい。
まとめてやろうとすると大変なので、取り寄せのタイミング、読むタイミングなど、ポイントを決めて徹底するのがオススメ。

番号や記号で管理

論文やそのファイルは番号や記号を使って管理する。
番号について。
例えば読んだ順でも取り寄せた順でもデータベースに登録した順でもなんでもよいので、とにかく各論文に数字を振る。
論文1つが固有の番号を持つようになれば、番号で論文を探せるようになるので文献管理がグッと楽になる。
続いて記号。
これは、例えば、第一著者名字+出版年というようにつける。
谷中久和・鳥取太郎・鳥鈴花子の2018年の論文なら、谷中2018のようにつける。
記号のみ管理の場合は、同じ年に複数の論文が出てることがあるので、それを区別する必要がある。
その場合は、登録・保存順に、谷中2018、谷中2018bのように記号化する。
番号方式は、データベース管理上楽なのに対し、記号方式は直感的にどの論文かを理解できるのが特徴。
僕は番号式と記号式を両方使っていて、p129(谷中2018)のように管理している。
電子版本文ファイルは、p123(谷中2018).pdfのように保存して、1つのフォルダに入れてある。
名前で検索かけてもすぐに見つかるし、番号で探すのも容易。
番号と記号は後述するデータベースに登録しておく。

論文の要点をまとめる

論文を読み終わったら、必ず2,3行で要点をまとめるようにしよう。
これは将来忘れるであろう自分へのメッセージ。
「注意機能の発達に関するfMRI研究。〇〇課題を使用して、右の前頭前野が年齢依存的に活動大。課題に難あり。知見としては使えず。」
のような感じで書く。
後から自分が読んで、内容をうっすら思い出せるような要点の記述がベスト。
全く無関係で自分の研究と無関係な場合も、その旨書いておくと、同じ論文を間違えてまた読んで時間を浪費するのを防ぐことができる。
この情報は後々データベースに登録して検索で見つけたいので、同じ意味の言葉はなるべく統一しておくのもポイント。

データベースの作成

研究をやっていくとたくさんの論文を読むことになる。
人間の記憶やノート等のアナログな方法も使えないことはないが、こういうのはコンピュータの得意分野。
データベース等を構築して効率よく管理したい。
市販の文献管理ソフトやデータベースソフトなどを活用する方法もあるが、文献管理程度ならExcelでも十分に対応可能。
写真はExcelの例。

f:id:htyanaka:20191201225421p:plain
Excelデータベースの例
横一行が1つの論文に対応するようにし、縦一列が各項目と対応するようにする。
各項目は、論文番号、記号、著者、論文名、雑誌名、巻号、出版年、ページ、内容メモ(要点を書くところ)などか。
電子版にすぐアクセスできるのであれば、論文番号、記号、内容メモのみの簡素なものでもよい。
以下に、Excelファイルの雛形も置いておくので、必要な人は落として使っていただければ。
Excelデータベースの雛形ファイル


この整理システムを作り上げておくと、この後のステップでかなり役に立つことになる。
研究計画を作り始めるまでに役に立たない論文を含めると数十本、完成する頃には3ケタの論文を読むことになる。
早めに手を打っておくと、後々の混乱や非効率さを防ぐことができる。

ではでは。
また。




横浜かな。
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2019/12/01 18:17
仕事上がりに。
鳥取市内にて。


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教員から学ぶこと(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 11 )

専門や教養を学ぶ。
英語力や統計能力を身につける。
ここまでそんなことを書いてきた。
ただ。
これらについては、大学に入らなくても身につけることができる。
現代社会は出版業界が確立していて、あらゆる知識は書物経由で目に入れることができる。
インターネット上にもかなりの情報が転がっている。
ニュースやTedなど、生の英語やアイディアに触れることも簡単にできる。
そう考えると、大学で学ぶ意義とはなんであろうか。
改めて問い直してみたい。

「僕は大学に専門知だけを学びにきたのではない。書物では学べないことをあんたら(教員達)から学ぶために来たんだ。」
これはかなり年上の知り合いが大学生の時に大学教員に言い放った言葉。
これはある意味的を射ている。
専門的な知識技能を身につける。
教養を身につける。
大学で身につけるべきさまざまな能力を身につける。
これらを学ぶとき、教員から学べる、というのが大学の1つの醍醐味だと思っている。

教員から学ぶと言ってもいろいろなものがある。
まずは効率よく学ぶ、というもの。
教科書にしろ専門書にしろ論文にしろ、教員はその道のプロ。
上手く使うと、書籍のみで学ぶよりもはるかに効率的に学ぶことができる。
教科書を読んでから、授業を聞いてみよう。
本でわからなかった箇所が驚くほどよくわかる場合がある。
いや、アイツの授業は下手だから本の方がマシ、と思う方。
質問に行ってみよう。
多対一の授業形式ではわからなくとも、一対一ではわかることが多い。
騙されたと思って実践してみるといい。
これだけで、かなりの時短で教科書の内容を理解することができる。

教員から学べることはこれだけではない。
教科書等の書籍には書いていないことを学べるのも大きい。
よくよく授業を聞いてみよう。
教科書に載っていることだけを話している教員なんてほとんどいない。
教科書のたった1文をかなりていねいに、説明していることがある。
今研究中で、まだ教科書に載っていないホットな内容をレクチャーしてくれる場合も多い。
授業の途中にアドリブでポロっと話したことが、実はものすごくおもしろい場合もある。
授業中に全くメモしていなかったり、全く聞く気がない人がいることがあるが、これはかなりもったいない。
このスタイルで身につく専門性が教科書のレベルを超えることはほぼないと言っていい。
そして、専門家なら誰でも知っていることなのだが、教科書の内容って薄っぺらいんだ。
幅広い内容を字数制限がある中で書くわけだから、これは仕方ない。
だからこそ、教科書以上の内容を学ぶ意識で授業に臨むのは結構大事。
これらについては質問をするというの手法もかなり有効。
書籍以上で授業以上な何かを手に入れることができることと思う。

それ以外にも、教員から学ぶことはある。
大学教員というのは変わり者が多い。
ちょっと社会に出てからは出会えないタイプの人間わんさかいる。
おかしな経験をしてきた人。
我が強くて長いものに巻かれないタイプ。
専門分野で天才的な才能を持つ研究者。
何でもかんでも知っている教養人。
本当におもしろい人がたくさんいるので、大学にいるうちに関わってみるといろいろと得るものがあると思う。
自分の専門分野に限らず、専門外の学問やら読書やらが大好きな人間も多いので、そういう教員と仲良くなるとおもしろい本を紹介してくれたり雑学の話を聞かせてくれたりすることもある。
案外そういうところで、一生ものの何かを手に入れたりすることがあると、個人的には思っている。

まあ、そんなんなわけで、教員から学ぶ、というのは意識しておいても損はないよ、という話。
ではまた。




渋谷ですな。


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2019/11/24 23:24
仕事終わり。
自宅にて。


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Update 2019/11/24
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できないことは才能かもよ

大学生くらいになると、まあうすうす気づく思う。
人の能力って、生まれながらに平等ではない。
生まれながらに、歴然とした差が存在する。
同じ勉強をするにしても、血の滲むような勉強量が必要な人もいれば、一度聞いただけでさしたる努力もなく理解してしまう人もいる。
生まれながらの才能って、やはりあるのだ。
なんて夢も希望もない話を始めるんだ、と思われた方もいるかもしれない。
が、そんなことはないので、最後まで読んでいただきたく。

さて。
僕は今、先生を目指す大学生にいろいろ教えるのを仕事にしている。
地方の国立大学で、東大や京大のようにトップレベルの大学ではない。
そのせいか、時々あるタイプの学生さんに会うことがある。
自分の専門分野について、生まれ持った才能という点で自信がないというのだ。
専門分野を深める速度が遅く、劣等感というかコンプレックというか、そういうのを持っている。
TOEICが900点超えのような、高い英語力があるわけではない。
東大数学科のような高度な数学能力などない。
読んでいる人の中でも、思い当たる人、いるのではないだろうか。

ただ。
僕は「できない」というのも才能だと思っている。
何をバカなことを、と思われるかもしれない。
でも、よく考えてほしい。
「できない」というのは生まれ持ってその領域に特別の才能がある人は経験できないのだ。
経験するにしても、かなり高度なところでしかそうならない。
彼らは「できない」経験をしたくとも簡単にはできない。
一方で、「できない」経験をなんの努力もなくたくさんできてしまう人もいる。
生まれ持った才能と言えないだろうか。

こんなこと書くと、そんな才能なんの役にも立たない、バカにすんな、と怒られそうである。
でもね。
この才能は、教員になる、という点では武器になる。
多くの場合、学校には多様な子どもたちがいる。
当然、つまずくのは日常茶飯事である。
この時、自分でもつまずいた経験がある、というのが、役に立たないわけがない。
どこが難しいのか、わかる。
どうやって克服したのか、知っている。
つまずいた時の教え子の気持ちがわかる。
これは強い。
「できない」が多ければ多いほど強い。
トップのスーパーエリート学校の教員になるとか数学者や通訳などの専門家になるとかでない限り、高度な専門的能力よりも、教える力の方が役に立つ。
そして、「できない」を克服した数が多いほど、教える力は持ち上がる。

逆に専門領域の才能にあふれていて、その上で学校の先生になった場合、教え子の「できない」を理解するのに多大な努力を要することになる。
その努力をしなければ、難しくて何言ってるかサッパリわからない先生、というのが出来上がる。
小中高大と、そういう先生を見てきたのではないだろうか。
もちろんそういう先生も才能あふれるトップ層の生徒・学生には必要なのだが、それでは困る生徒・学生の方が多い。
そういう先生になりたいということであれば、確かに「できない」経験は役に立たないということになるかもしれないが、教員を目指す学生さんでそこを目指す人にはほとんど会ったことがないし、需要もそんなに多くない。
そう考えると、先生になる上で「できない」は才能になりうる。
ご理解いただけただろうか。
もちろん、教員志望でなくともどんな分野でも後進を育てる立場にはいずれなる。
そのときにも「できなかった」経験はきっと役に立つことと思う。

そんなわけだから、あまり専門的に才能ないんだ、なんてなげく必要はないよ、という話。
まあ「できない」を「できなかった」にするための努力は必要だけれども。
もう少し自信を持ってもよいと思う。
必要な専門性はのんびりと上げていけばいい。


ではまた。




オレの野球の才能はあんまだった。
克服も努力も大してしなかった。
でも楽しかったし、いまだに好き。


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2019/10/13 19:51
休暇中。
鳥駅ドトールにて。


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Update 2019/10/13
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