週刊雑記帳(ブログ)

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本の紹介,「わが指のオーケストラ(山本おさむ,秋田書店)」

わが指のオーケストラ
山本おさむ(著)
難易度:☆


我が国の近代的な学校制度が始まったのは明治の初め。
わりと早い段階で各地に小学校が開設された。
しかし、障害児教育が義務化された(障害の程度によらず義務教育を受けられるようになった)のはかなり遅く、昭和44年になってから。
障害の重い子どもたちが最後まで取り残されていた。
では、それ以前の障害児教育は全くなにもやっていなかったかというと、そんなことはない。
重い子どもたちに先行して軽い子どもたち、肢体不自由児・病弱児・知的障害に先行して、視覚障害聴覚障害児の教育が行われていた。
視覚障害聴覚障害教育の歴史は古く、明治の初めに学校制度ができて数年で、初めての学校ができている。
大正時代には、全国の都府県に学校(盲学校・聾唖学校)の設置義務が課された。
(唖は「話すことができない」ことを意味する)

この本は、大阪盲唖院(のちに、大阪市立盲唖学校、大阪市立聾唖学校と変わる)に勤めた高橋潔という人の一生について描いた漫画である。
当時の聴覚障害者は喋ることができなかった。
よく考えればわかるのだが、耳が聞こえる者は、周りの大人たちの喋る言葉を聞いて、自然と言語を覚える。
ところが、生まれながらの聴覚障害者は言葉を自然と学ぶことができない。
発達心理学どころか心理学自体が始まったばかりだった当時、言語発達についての現代的な知見があるわけもなく、聴覚障害者は唖と呼ばれる状態に置かれていた。
このような状態だった聴覚障害児に対して、手探りで教育を行っていった、障害児教育の草創期が描かれる。

この本の見どころは大きく3つ。
1つ目は、聴覚障害児教育、ひいては言語教育の本質を知ることができること。
音のない世界で、どのようにして言語を獲得するのか。
言語がない、ということが人をどのような状態に置くのか。
これらのことを感じることができる。
障害を知ることで、障害のない発達に迫ることができるのもまた見どころ。
登場人物の聴覚障害児を通じて、言語発達、社会性の発達についても考えることができる。

2つ目は、聴覚障害児教育における手話と口話の歴史的な流れを知ることができる点。
聴覚障害教育の現場は、戦前から手話法と口話法の2つがあった。
手話法については説明する必要がないと思う。
ここでは口話法について少し。
口話法とは、聴覚障害のない人の口の動きを読み、発音の訓練をすることで聴覚障害のない人と同様に流暢な発音を身につける、というもの。
問題は、口話法を取得するのに手話は邪魔になる、という考え方があったこと。
口話法の普及は手話法の否定を伴うという構図を持つ。
戦前、聾学校は全国的に展開していたが、その口話法がどんどん席巻してゆく。
そんな中、この物語の舞台の学校は、手話教育を守り抜いた。
そんな歴史と、「なぜ」に迫ることもできる。

ラストは、障害児教育や障害児に対する偏見の歴史を知ることができる点。
日常場面の描写から、家族から、地域の人から、社会からどのような扱いを受けていたかを読み取ることができる。
視覚障害聴覚障害については、明治になる前から社会の中にいくらか居場所があった。
このため、知的障害や重度の障害に比べるとだいぶマシなのだが、それでもこんなに酷いのか、と感じることができる。
もちろんフィクションではあるが、論文等の文献から見てもそうそう外れた描写ではないと思う。
関東大震災時には、自警団によって朝鮮人が殺された、というのはよく知られていることだが、この時、聴覚障害者も間違って殺されている。
なぜなのか。
そういあったあたりから、広く社会のあり方についても考えさせてくれる。

聴覚障害教育に限らず、もっと広く障害児教育、教育について考えることができる良書。
教育のみならず、社会の一員として差別について考えるためにも読める。
現在絶版で買うことができないが、大学の図書館、地域の図書館に入っていることが多い(鳥取大学の図書館には蔵書あり)。
いい本で、多くの教育関係者がお勧めしている(同僚の先生も勧めていた)ので、ひょっとしたら電子書籍になるかもな、と思っている。
ぜひ読んでほしい。

ではでは。
今回はこの辺で。
また。




智頭駅にて。

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2023/06/24 8:27
出勤準備中。
福井の宿にて。



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Update 2023/06/24
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