週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

退職と起業のお知らせ

皆様にはいつもお世話になりありがとうございます。
さて、私事ですが、本日付を持ちまして大学を退職し、研究と教育の世界から引退することになりました。
在職中はひとかたならぬお世話になりました。
浅学の身ながらここまで勤め上げることができたのは、ひとえに皆様に支えられたおかげです。
深く感謝申し上げます。
ここ数年を振り返りますと、共同研究者と時間を忘れて議論をしたり、学生さんとともに学んだりした日々はとても充実しており、忘れることのできない大切な時間を過ごすことができました。

さて、今後ですが、本日付で株式会社アカデミック コラボレーション カフェ(「アカコラカフェ」と略します)という会社を設立しました。
これまでの経験を生かし、学問的な楽しさを落ち着いた雰囲気の中でコーヒーとともに味わう、というコンセプトのもと、カフェチェーン「アカコラカフェ」を展開していく所存です。
アカコラカフェでは僕が入れるハンドドリップコーヒーにこだわり、僕そっくりのアンドロイドに僕そっくりのAIを搭載することで、極上なコーヒーとテキトーな会話を楽しむことができます。
まずは7月をめどに銀座に1号店を開業する予定です。
来年より全国に展開し、まずは大都市を中心に順次開業してまいります。
思い入れのあります鳥取県につきましては、20年後くらいに47都道府県目の店舗として展開予定です。
20年後の知事には、「カフェのアカコラはありませんが、コナンのアオヤマは・・・」的なフレーズでですね、、、。

最後になりましたが、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
まずは、略儀ならがブログをもちましてお知らせ申し上げます。
株式会社 アカデミック コラボレーション カフェ CEO 谷中久和




追伸:
この記事があげられた本日は4/1です。
まあもちろん、ウソでございます。
もう少し、大学でがんばっていく所存です。
リアルタイムで見ずに信じちゃった人、ごめんなさい。

定期更新日である月曜日に次に4/1がやってくるのは2024年らしいですが、次こういうネタをやる気は今の所ないです、ヨ。


追伸の追伸:
なお、この記事がアップされたのは2019年4月1日でございます。
のちに来られた方のため、念のため。




丸善カフェにて。


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2019/03/16 20:17
休暇中。
定番丸善カフェにて。


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Update 2021/04/01
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肢体不自由児等の生理・病理・心理2019(鳥取大学)

授業内容


第1回  オリエンテーション(4/10)【資料電子版UP済】
     肢体不自由の概要(1)
第2回  肢体不自由の概要(2)(4/17)
第3回  肢体不自由の概要(3)(4/24)【資料電子版UP済】
     身体の構造と機能(概要),呼吸器まで
第4回  身体の構造と機能(概要)(2)(5/8)
      ~消化器,泌尿器まで
第5回  身体の構造と機能(概要)(3)(5/15)【資料電子版UP済】
     神経系の構造と機能(1)
      ~ニューロン
第6回  神経系の構造と機能(2)(5/22)
      グリア細胞~活動電位の生成・伝達
第7回  神経系の構造と機能(3)(5/29)
      ミエリン鞘~末梢神経
第8回  神経系の構造と機能(4)(6/5)
      中枢神経~大脳・ブロードマンの脳地図
第9回  神経系の構造と機能(5)(6/19)【資料電子版UP済】
      大脳の構造
     感覚器の機能と構造(1)
      最初~視聴覚とその機能
第10回 感覚器の機能と構造(2)(7/3)【資料電子版UP済】
      体性感覚
     大脳の機能(1)
      知覚系
第11回 大脳の機能(2)(7/10)
      運動系,言語(話しことば)
第12回 大脳の機能(3)(7/17)【資料電子版UP済】
      言語(書きことば),高次脳機能
     骨と筋肉の構造と機能(1)
      骨,関節の補助組織
第13回 骨と筋肉の構造と機能(2)(7/24)【資料電子版UP済】
      関節の構造,筋肉
第14回 試験(8/7,予定)
     


関連情報


自分で勉強したい人へ【準備中】
肢体不自由児等の生理・病理・心理に関する役立ち情報
肢体不自由に関する役立ち情報


連絡事項


授業の連絡事項



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Update 2019/08/06
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特別支援教育(初等)2019(鳥取大学)

授業内容


第1回 オリエンテーション(4/15)【資料電子版UP済】<
第2回 特別支援教育の概要(1)(5/7)
     ~特別支援教育の目的まで
第3回 特別支援教育の概要(2)(5/13)<
     ~自立活動,特別支援教育の方法,免許制度まで
第4回 特別支援教育の概要(3)(5/20)
     ~仕組み~
第5回 特別支援教育の概要(4)(5/27)
     現状から~歴史(養護学校義務制棚上げ)
第6回 特別支援教育の概要(5)(6/3)
     歴史~理念
第7回 特別支援教育の概要(6)(6/10)
     ICIDHモデル
第8回 特別支援教育の概要(7)(6/17)【資料電子版UP済】
     ICFモデル,二次障害
    子どもの身体のの発達
     考え方,出生前,新生児期
第9回 子どもの身体のの発達(2)(6/24)【資料電子版UP済】
     乳幼児期
第10回 子どものこころの発達(1)(7/1)
      理論,胎児期,乳児期
第11回 子どものこころの発達(2)(7/8)【資料電子版UP済】
      幼児期,児童期
第12回 障害の理解と支援(1)(7/19)
第13回 障害の理解と支援(2)(7/22)
第14回 障害の理解と支援(3)(7/26)【資料電子版UP済】
第15回 最終回(8/5)




関連情報


自分で勉強したい人へ【準備中】
授業に関する役立ち情報
特別支援教育全般に関する役立ち情報


連絡事項


授業の連絡事項



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Update 2019/08/04
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論文を読む〜結論・ラスト編(研究をしよう 11)

いよいよ、論文を読む編ラスト。
前回までに各論を書いたので、最後に結論についてとまとめ。

まず、結論。
イントロ、方法、結果、考察を精査して、その上で結論が本当に正しいのかを考える。
方法が正しくなくて結論が正しくない。
結果が甘くて結論は立証されていない。
考察で論理飛躍が起こっており、結論は推測の域を出ない。
こんなことは結構あるので注意が必要。
結論が正しかったとして、その学術的な意味はどうなのか。
この辺りをイントロと考察から考える。
まあつまり、結論については各論で見てきたことのエッセンスをギュッと凝縮したものというわけ。

これで、論文を読む、は一通りおしまい。
さて、結構大事なのがこのあと。
論文を精査して、そしてどうするのか。
なぜ論文を読むのかと言えば、それはその論文の内容を使いたいから。
自分の研究で使うとすれば、いい論文の結論を自分の研究の根拠にすることができる。
なので、まずは自分の研究の部品(根拠)として信ずるに値するか、というのを評価するのが読み終わった後にすること。
信用して根拠として使用した責任は、使用された側ではなく使用した側にある。
一つ間違うと自分の汗水流して行った研究の価値や信頼性がガラガラ崩れるので注意したい。

では、信用できないと評価した論文は使えないのか、というと、そんなことはない。
まずは、部分部分は使える場合。
例えば、方法と結果はしっかりしたものになっていて、その論文の結論に対する根拠にはなっていない場合。
結果の事実のみ信用して、自分の研究の根拠として使うことができる。
イントロはすごくよいが、その後が全然ダメで目的を達成していない場合。
これは問題点を指摘して、方法論を自分で組み立てることでよい研究になるかもしれない。
このように、ダメ論文でも部分部分は使える場合があるので、どこが使用可能か、自分の研究との関係で考えておくのが大切である。

ちなみに、自分の研究で使う、以外でもこれらのプロセスは役に立つ。
例えば、ある研究で報告されていることをもとに実践を行う場合であっても、論文の評価はきちんと行った上で、どこを信じ、どこがあやしいかを把握した上で行うのは有効であろう。
研究をする、というのは大学を出ると機会はあまりなくなると思うが、研究を読むとか使うということになると、結構機会は多い。
それゆえに、大学生のうちに論文の読み方はしっかりマスターしておきたいもの。

では今回はこのへんで。
次は論文の探し方、を書こうかと思っている。




福岡は中洲らへんだと思う。


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2019/01/30 08:17
出勤前。
鳥取ドトールにて。


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Update 2019/01/30
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卒業後の大学の使い方

大学まで進んだ多くの人にとって、大学は人生最後の学校、ということになる。
大学は卒業してしまえばそれっきりなのか、といえばそんなこともない。
今日はそんな、大学卒業後の話。

困った時に行く

社会人になると時々困ってしまうことがある。
主には仕事だろうか。
仕事が大変すぎる、向いてないんじゃないか、職場の人間関係がその。
特に、最初の数ヶ月は結構きつい。
自由な学生時代から一転、お金に応じた働きが求められる社会人になるわけだから、その環境の激変さに精神がやられることはわりとよくある。
そんな時は大学時代の指導教官なり仲のよかった教員なりのところに出向いて、話をしてみよう。
なにかよいアドバイスくれるかもしれないし、思ってもみなかった解決策が出てくるかもしれない。
少しだけ長く人生を送っているのと、おかしな環境でおかしなことと戦いながら生きてきたおかしな人が多いのとで、困ったときの相談相手としては悪くないと思う。
友人や職場の人とはまた違った意見が聞けるはず。
なによりも、話を聞いてもらうだけで、楽になる。

学問に触れに行く

大学を卒業すると、本以外で学問に触れる機会は激減する。
そこでその種の刺激を求めて訪ねてみる、というのもよい。
社会に出て新たに興味を持つこともある。
課題に当たって何らかの知識が必要になることもある。
その辺の話をした上で、なんかいい本とか研究、方法論とかがないか、と聞いてみよう。
知ってる範囲できっとおもしろい本や論文、学び方などを教えてくれると思う。
特に課題とか興味とかなくても、なんかおもしろい本ないか、と聞くだけで、そういうのが出てくることも。

ターゲットとしている教員がいて、その教員のカバー範囲の分野で働いている場合は、定期的な勉強会を提案してみるのも悪くない。
もうそういう勉強会をやっていることもよくあって、その仲間に入れてくれるかもしれない。
余裕があれば新たに立ち上げた勉強会に参加してくれるかもしれない。
研究がやりたいということであれば、細々とやる共同研究なんか提案すれば受け入れてくれることもあるかもしれない。

遊びに行く

個人差はあるが、教員たるものやはり卒業生が遊びに来るのはうれしいもの。
なので、ただただ、遊びに行く、というのもよい。
近況報告がてら、フラッと行ってみよう。
きっとコーヒーくらい出してくれて、懐かしがりながら話を聞いてくれると思う。
大学生のころとはまた違った雰囲気や話を楽しめるかも。
ちなみに僕は大学の時の担任とゼミ教員とはまだゆるくつながっていて、数年に一度、フラッと顔だしたりメールを送ったりする。
その時だけは、少しだけ学生に戻った気分になる。
ただ、教員の方が年上なので、いつまでも、というわけにはいかない。
行けるうちに行っておくとよいと思う。

気をつけること

大学教員にとってたまに来る卒業生というのはうれしい。
なので、基本的にウェルカムな人が多いと思う。
本来の仕事に影響が出ない範囲で、相手をしてくれることが多いのではないか。
が、やはり個人差はあるので、そこは注意が必要。
個々の教員の個性をうまく読み取って、付き合ってほしい。
それと、本務の研究や教育が忙しい時にはあまり時間が取れないこともある。
この場合は本当に時間がないだけで他意はないので、そんなものだと納得していただきたく。
前もって連絡をして行くのはおススメ。
教員もそのつもりで予定を組んでくれるので双方助かる。



以上、卒業後の大学の使い方でした。
ここに書いてあることは、多少教員の個人差があると思う。
ただ、僕に限っては書いてある通りに考えている。

ではでは。
今回はこのへんで。




羽田にて。



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2019/03/16 19:37
休暇中。
毎度おなじみ丸善カフェにて。


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Update 2020/03/08
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大学の授業作りの大変なところ(大学教員・研究者という生き物4 )

先日とある人と話していたところ、大学の授業って、研究の延長線上にあるのでしょ?と聞かれた。
研究で得た知識を使ってそのまま授業できるでしょ、というような意味だったと思う。
うーん、、、まあ、理念的にはそうなのかもしれない。
が、実際はそう簡単でもない。
そんなわけで、今回は大学の授業について、作り手の視点から書いてみようと思う。

研究領域は学問分野のごく一部

まず前提として。
大学教員の専門性は狭くて深い。
特に研究している専門領域ともなると、みなさんが想像しているよりもはるかに狭い。
例えば、僕の専門は心理学と脳科学
では、論文を書いている領域はというと、心理学の中の、認知心理学という領域の中の、高次認知機能の中の注意機能やら抑制機能やらの中の、そのまたごく一部になる。
これが前述の心理学でどのくらい狭いのかというと、500ページの教科書があったとしたら、まあよくて数ページといったところ。
心理学というタイトルで90分×15回の授業をやるとすれば、自分の研究の話はいいとこ30分といったところではないだろうか。
このくらい狭い。
大昔は教科書なんか無視して、自分の研究の話のみ延々としゃべるタイプの教員もいたが、これは多くの学生のためにはならない。
網羅的にまんべんなくやろうとすると、どうしても自分の研究の話は30分程度になってしまう。
それでも隣接研究分野は論文を読む機会が多いので、研究をやっていれば特に何かしなくてもしゃべることはできる。
ただ、これができるのは90分授業で2回くらいか。
残りのほとんどの分野は、勉強して作り込んでいくことになる。
これは授業のレベルにも関係していて、教養レベルだと自分の研究分野の話は少なめ、専門科目だと多くなる。
大学院の授業だと、研究分野とその隣接にほぼ収まってくれることも。

近接領域の授業

自分が研究していない分野の授業を持つこともある。
たいていは近接分野で、受け持てる教員がいない等の理由で一番近い分野の人が担当する。
この場合は自分の研究の話は一切できない。
その分野についてうっすらとはわかるものの、体系的な知識がないという状態で授業を作らねばならないということもしばしば。
そのため、本格的に勉強してから授業を作ることになる。
こういうのはたいてい、資格を出すため、とか、必修科目とか、諸事情で削れない科目においておこり、本人が望まない形でやってくる。
何らかの理由でそういう科目の担当者がいなくなった場合、隣接分野の誰かがやらねばならぬのだ。
また、改組等により組織で決まったから、という理由で降ってくることもある。
今まで一番すごいな、と思ったのが、他大学のとある実学系理系学部で、所属全教員が理系基礎科目を教える、と決まったため、基礎物理や基礎数学といった基礎科目のいずれかを担当しなくてはいけなくなったケース。
どの基礎科目にも対応してない分野の先生が、数学を担当することになり、大学生以来死ぬ気で数学を勉強するはめになったとか。
このシリーズ、時間をかければできなくはないのだが、多大な時間コストがかかるのでなかなか大変。

検定教科書がない

高校までは検定教科書というものがある。
文科省によって学習指導要領というものが定められており、この中でその学年で学ぶべき内容が指定されている。
検定教科書はこの学習指導要領に基づいて作られている。
検定教科書は専門家に入念にチェックされ、基準を満たしたもののみ、世に出ることになる。
学習指導要領も、専門家が議論を積み重ねて作るもの。
つまり、高校までは内容については十分吟味された上である程度決まっていて、使う教科書も質の高いものがあるというわけ。
じゃあ大学はというと、学習指導要領も検定教科書もない。
大学の教育内容は最先端の学問であり、教員一人一人によって内容が考えられるべき、とされている。
「学問の自由」のうち「教授の自由」の基本的な考え方。
そんなわけで、学習指導要領のようなものが作れないし、検定教科書もない。
すると大学の授業では高校と違って教科書探しから始まる。
教科書用に書かれた本は同じ科目のものでも内容はだいぶ異なる。
この中で自分の教えたい内容を含むものを探さなければならない。
しかも検定というチェック過程を経てないので、間違いが含まれることが結構ある。
内容が古くなっているところもある。
それらのチェックもしなくてはならない。
他人が書いた本がそのまま自分の教えたいことに当てはまることはほとんどないので、複数の本や資料を用いて独自の教材を作っていくことになる。
うまく教科書になる本が見つかればいいが、担当科目によってはそもそもそういう本がないこともある。
この場合はゼロから資料作りということになる。
最先端の知見に関しては、教科書が対応するまでには時間がかかるので、自分で論文や政府統計などをもとに毎年アップデートする必要がある。
この辺は高校までの授業と大学の授業の大きな違いである。

大学の授業は準備に時間がかかる

そういうわけなので、大学の授業というのはちゃんとやると相当な準備時間が必要になる。
僕の場合、新規開講科目を90分しゃべるのに、資料作成だけで1-2日丸々使う。
前年度開講科目でも、90分授業の資料アップデートと準備に1-3時間かかる。
これ以外に、研究分野から外れた授業の場合は勉強時間が必要になる。

僕が大学の時、週に数コマしか授業しない先生方を見て、なんて楽な仕事なんだ、と思ったが、全然そんなことはなかった。
まあでも、業界人以外にはなかなかわかりにくいよなー、と思った次第。


以上、大学の授業のウラ側でした。
ではまた。




お気に入りのスタバ。


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2019/03/10 7:55
これから出勤さぁ。
鳥駅ドトールにて。


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Update 2019/03/10
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本の紹介,「大学とは何か(吉見 俊哉,岩波新書)」

大学とは何か
吉見 俊哉(著)
難易度:☆☆☆


大学とは何か。
こう問いかけられた時、さっと答えられるだろうか。
大学を目指す高校生や現役の大学生に問うてみると次のような答えが返ってくる。
専門的な知識を学ぶところ。
これはある意味では正しいが、十分ではない。
少しわかっていると、学問や研究をするところ、なんて答えが返ってくることもある。

では大学教員だとどうか。
最先端の研究を行うとともに、その知識を学生に教えるところ。
学問の方法を学ぶところ。
教養を身につけるところ。
まあ、そんなところだと思う。

なぜそうなのか、という問いだとどうだろう。
例えば、専門的な知識を学ぶ。
なぜ、大学なのか。
専門学校でそれを学ぶのと何が違うのか。
なぜ、研究と専門知識の教授が同居しているのか。
大学で教養教育を行う意義は?
なぜ、教養と専門教育が同居しているのか。
学生はおろか、大学教員であっても答えに窮する人、いるのではないかと思う。

本書はそんな問いを一緒に考えよう、というもの。
記述は大学の歴史がメイン。
中世に始まる大学がいかなる成り立ちをしていたのか。
その後印刷技術の発展によりなぜ衰退したのか。
研究との同居はどうして始まったのか。
こうした問いに対し、大学の歴史をなぞることで迫ることができる。
オクスフォードやケンブリッジといった伝統校も昔は今とはだいぶ違う役割を担っていた。
当たり前のことなのだが、ちゃんと知ることで、僕らが持っている大学像は現代の形であることを再確認できる。
研究が主務であるというのを無批判に受け入れている教員も多いが、あくまで教育が中心で、そこに研究がうまくはまった、というのが正しい理解であるように感じた。
ただ、本書はそれを超えたもっと大きな視点からの大学の役割を考えさせてくれる。

本書は海外の大学の歴史を概説したあと、我が国の大学史についても詳説する。
これがまた、おもしろい。
戦前の帝大・旧制大学がどんなものであったか。
新制大学がどのような理念のもとに出来上がったか。
学生運動がその後の大学政策にどのような影響を及ぼしたか。
現在行われている大学改革の源流はどこにあるのか。
この辺りを詳しく知ることができるのがまたよかった。
わりと大昔に、今の大学が持つ問題点が挙げられているのには驚いた。
これらの歴史を踏まえて、現在の大学やその仕組みを見てみると、今までとは違ったものに見えてくる。

全ての大学教員・大学教員を目指す人におススメな一冊。
これからやってくるであろう大学大変革時代、このくらいのことは知っておきたいもの。

大学とは何か。
考えるのが仕事である当事者の大学教員でも意外と深く考えていないのではないだろうか。
しかし、とても深くて大事な問いだと思う。
もちろん、受験生・学生を含めた全ての人にとっても。




神宮球場にて。



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Update 2018/12/30
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