久々のこのシリーズ。
学部情報系スタートで、修士は光deがまんの脳機能、研究員+博士はMRIで注意の脳機能、まで書いた。
さて。
前回のお話をマニアックに覚えておられる方しかわからないと思うが、僕は修士了後、就活ののちに研究員になり、その後博士課程に進んだ。
で、研究員として雇われていた研究プロジェクトは、0歳児を5歳もしくは10歳まで追いかけるというものだった。
僕の出番は4歳児の脳機能計測だったため、最初の4年は出番がない。
そこで、準備期間に好きなことをしようと、MRI de脳機能計測に手を出した、というところまでは書いた。
ところが、である。
この研究プロジェクト、しっかりコケる。
5年は確定、つまり4,5歳児の脳機能計測までは計画に織り込まれていたのだが、これがコケた。
ある日、プロジェクトの偉い人に手招きされる。
偉「ヤナカくんヤナカくん、プロジェクト、ポシャった。」
ヤ「はあ」
偉「3年で終わる」
ヤ「え。じゃあ4歳児には」
偉「うん、ならない」
ヤ「え。お仕事は?」
偉「3年でおしまい。就活よろしく!」
ヤ「・・・」
まあ、国の大型研究予算あるあるではあるが。。。
困った。
実に困った。
何が困ったって、プロジェクトの終了時に僕は院の在学期間が半年残っており、博士号がない。
新たな職を探すのがかなり困難なのである。
しかも、博士は親の援助は一切なく、親も無職ゆえ頼み込んでもなんともならない。
もはや生活費をどうするか、どう生きていくかレベル。
いやぁ、人生いろいろある。
学費は貯金でなんとかなるのだけど、生活費はもはやなんともならない。
仕方ないので、高校の非常勤講師(←一応、数学の免許がある)で食いつなごうか、などと教育委員会に講師登録に行ったり、専門学校・大学の非常勤を探したりなど奔走した。
おりしも、大学の後輩が世界旅行に行こうと誘ってくれたので、それも悪くないなぁ、などと考えたりもしたり。
が、僕はギリギリのところで運がいい(のか、悪いのか)。
光の脳機能計測ができる助教を探している、という話が舞い込んできた。
うちのラボでそれが使えるのは僕しかいななかったので、ボスに推してもらい、福井へと飛んだ。
約束は3年。
光の脳機能計測装置を使う、という触れ込みだったのだが、病院のMRIも使えるという。
常駐していたのは教育学部の障害児教育コース(障害児心理学)、コラボレーターが医学部の精神科という状況。
ここで、ようやく障害の分野に足を踏み入れる。
自閉症関連の脳機能計測やらなんやらを経験した。
僕がメインで回していた研究は発達の基礎研究で、定型発達の研究もまたやった。
常駐していたのが教育学部だったので、教育学部の授業を兼担したり、卒論・修論指導をしたりもした。
光の脳機能計測については、技術アドバイザー的なスタンスにとどまっていて、サポート要員的な役をこなした。
発達心理学やら教育心理学あたりに足を踏み入れたのもこの時期だった。
もう一つ。
この時期に覚えたことがある。
それは、脳波計測。
もともと福井大学の教育学部は脳波が強かった。
ただ、時代の趨勢は教育実践に重きが置かれていて、当時のボスが脳波部隊の最後の生き残りだった。
ちょうど、脳波計の更新やら計測環境の立ち上げやらがあったので、光の脳機能計測装置とともにそれをやって、自分の実験も一つ回した。
これらの経験は、直接今に生きている。
しかし。
3年の任期なんてあっちゅーま。
福井はもっといたかったのだけど、プロジェクトはおしまい、優秀な兄さま方がいて、ちいと僕がここに残るのは難しそう。
よって、任期3年目は就活に明け暮れ、来る日も来る日も公募書類を出しては、益々のご活躍をお祈りされる手紙を受け取る日々。
なかなか心が折れそうな毎日を過ごすのだが、それは研究変遷記とは違うので省く。
では今回はこのへんで。
また。
機内から見たレインボーブリッジ
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2025/12/29 22:31
休暇中。
横浜市内にて。
Update 2025/12/29
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