週刊雑記帳(ブログ)

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やりたいことがない

やりたいことがない場合はどうしたらいいですか。
将来の職業、ゼミ選び、大学選び等々、何かを選択しなければならないとき、時々聞かれる言である。
今回はこちらで1本書いてみよう。

やりたいことがない。
なんかいけないことなような気がしてしまうのだが、僕は別に問題ないと思っている。
例えば、研究で考えてみよう。
卒業研究をしなくてはいけない。
だから、ゼミを選ばなくてはいけない。
すると、当たり前のように、やりたいことがわからない、やりたいことがない、というところに行き着く。
考えてみるとこれは当然のことである。
研究をしたことがないわけで、研究が何たるか、ゼミが何たるか、などがそもそもわからない。
研究したくて大学に入ったわけでもなく、義務として課されているからやらざるを得ず、選ばなくてはならない。
だから、やりたいことがない、となる。
これは、大学選びだろうが、将来の職業選びだろうか、同じ構図となる。
何というか、至極当たり前の状態だと思っている。

そういう人たちに、問うてみる。
生きている中で、「やりたいこと」が全くないのか、と。
おそらく多くの人は、音楽ならやりたい、映画は見たい、本をたくさん読みたい、友人とたくさん遊びたい、などなど、たくさんの「やりたい」が出てくるのではないだろうか。
そういうのがない人であっても、もっと小さな単位、例えば、これ食べたい、ここ行きたい、寝たい、ダラダラしたい、などなら出てくると思う。
やりたいことがない、は、選ばなくてはならない、その選択肢群にやりたいことがないだけ、ということなのだろう。

いやまて。
そうは言っても、選ばなくてはならない中に「やりたいこと」がないのが問題で悩んでいるんだ、という反論も出てこよう。
それはもちろんわかっている。
義務で課される何かの中に、やりたいことがない、というのは普通のことだよ、というのをまずは押さえておきたかった。
その上で。
やりたいことがない人へ向けて、少々のアドバイスを書いていく。

やりたいことがない場合は視点を少し変えてみよう。
例えば、ゼミ選び。
やりたいことがなくとも、おもしろそう、ならあるという人はいるのではないだろうか。
自分の磨きたい能力があって、そのためにゼミを利用する、という視点もあるかもしれない。
将来の職業につなげたい、なんか楽しそう、でもいい。
ゼミの教員やメンバーが良さそう、でも構わない。
そういうポジティブなものがない場合はどうしたらいいか。
その場合は、ネガティブでない、というのを基準にする。
嫌いじゃない、苦痛を感じない、やりたくなくはない、そういうのを満たすものを選ぶ。
これならある、という人は多いのではないだろうか。

その上で、一生懸命やってみる。
ある程度のクオリティに目標を定めて、ちゃんと取り組んでみる。
仕事なら、もらったお金に見合う仕事を必ずやる、というプロ根性でもいい。
卒業研究なら、ちゃんと仕上げたかっこいい先輩を目標にしてもいい。
とにかく、一生懸命やってみる。
一生懸命やってみる、というのは相当に大事。
というのは、一生懸命やったことの中から、やりたいこと、が見つかることがあるから。
おもしろいもの、好きなものが見つかることもある。
だいたい、一生懸命やらずにタスクとしてテキトーにこなしたものから、こういったことが生まれる可能性は低い。
これらは没頭した経験から生まれるものである。

一生懸命やった上で、やりたいこと・おもしろいものにならなかったらどうするのか。
その場合は、1サイクルやり切った上で、別の何かを探しに行けばいい。
その場合でも一生懸命やった何かからはかなりの学びを得ている。
自分で感じないだけで、一生懸命やらなかった場合と比べて、かなり色々な力が身についているはず。
対象がやりたいこと、おもしろいことに変化するのは、一旦対象を離れてみて、ということもある。
つらかった部活を辞めたあと、しばらくしてまたやりたくなった。
研究なんかもうこりごりと社会に出たものの、数年後に大学院に入り直した。
この類の話は枚挙にいとまがない。
このように、一生懸命やった経験が無駄になるということは全くない。

研究や部活のように一定期間で終わってしまうものではなく、仕事のように終わりのないものであれば続けてみるというのもまたいい。
仕事であれば、やりたいこと、でなかったとしても、他にやりたいことがなくて不満もないのであれば続けてみる。
この場合だと、お金に見合う仕事をする、というプロ根性のようなものが役に立つか。
お金をもらっている時間はとにかく一生懸命。
そうすると、やった仕事に対してあとから意味がついてくることがある。
世の中にいる職業上すごい人が、必ずしもやりたくてはじめたわけではない場合は多い。
生まれながらにしてやらざるを得なかった、学校卒業して生活のために始めた、そういった仕事を一生懸命続けているうちにすごい人になっていった人はわりと見る。
仕事を続けているうちに、その仕事に対する愛着が生まれ、技術・能力もすごいことになっていたというタイプ。
たいがいその場合は、その仕事自体がおもしろいものになっているはずだし、やりたいことへと昇華していることもまた多い。

つらつら書いたが、何が言いたいかといえば、やりたいことがなくてもいいよ、ということ。
そして、やりたいことがなくとも、一生懸命やるということが大事、ということも。

では、今回はこの辺で。 また。




秋ふかし。

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2025/11/24 11:01
休暇中。
鳥取市内にて。



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Update 2025/11/24
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