週刊雑記帳(ブログ)

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戦争の解像度のハナシ

「戦争の作品は怖いから観たくない」
こんな声を聞いた。
戦争に関する作品に限らず、語りや本、ドキュメンタリー番組も含めるとまあわりと聞く。
一人や二人じゃない。
結構、こういうことを思っている人は多いのではないか。
今回はこれについて書いてみようと思う。

まあ、気持ちはよくわかる。
火垂るの墓にしろ、はだしのゲンにしろ、あまりに悲惨な話なので、触れるだけで消耗する。
NHKのドキュメンタリーやノンフィクションだって、エンタメとしてのおもしろさは皆無である。
重苦しい気分になるので、避けたい、というのは、まあそうだよなぁ、と思う。
思いはするのだが、でも僕は意識して避けないようにしている。
なぜか。

一番は、戦争というものの解像度を上げるため。
人間の想像力なんて大したことない。
戦争を経験したことがない者が、なんの材料もなく戦争というものがどういうものなのか知ることは不可能に近い。
目の前で人が殺されるとか、上から爆弾が落ちてくるとか、逆に自分が人を殺すとか、そういうのは平時の僕らの経験からは想像できない。
頭ではわかっていても、実際にどういうことなのか、リアルな姿として理解することは無理である。
理性的な思考では想像だにできなかった、全く知らない事実が広がっていることは大いにありうる。
正確に、解像度を持って戦争を知った上で、戦争関連についての社会的・政治的な意見を持ちたい、というのがモチベーションの1つ。
無知なまま現在・未来の戦争についてあれこれ言ったり言わなかったりする無責任な世論の1人にはなりたくない。

戦争への解像度の高さは、戦争への抑止力になると思っている。
戦争中徐々に反戦機運が高まることや、戦争が終わった後戦争への忌避感がしばらく続くことがそれを物語っている。
戦争前は解像度が低かったのが、当事者として巻き込まれる人がどんどん増え、だんだんと戦争がどんなものかわかる。
最初は遠くで戦っている少数の兵隊さんだけの話だったのが、生活にじわじわ浸透してくる。
家族が兵隊に取られ、死んだり怪我したりして帰ってくる。
どんどん兵隊に取られる人が増え、兵隊として悲惨な何かを実際に経験する。
戦争に行っていない一般市民も爆撃やら攻撃やらに巻き込まれてえらい目にあう。
一人一人が実際に経験をして、解像度がマックスになったところで、戦争なんか懲り懲り、とおしまいがやってくる。
こうして、しばらくは安易に戦争をしなくなる。

日本は戦後、その「戦争は懲り懲り」を社会で共有する時代が長らく続いた。
なんせ、すごい数の人が戦争に行き、爆弾を落とされ、戦争を身近に経験した。
自分や家族、親戚、友人を含めると、戦争と無縁でいられた人は皆無だったはず。
あまりに経験者が多く、社会の戦争への解像度が高い状態が長期にわたって続くことになったのだと思う。
戦争世代の描いたものを読むと、戦争を憎む気持ちと再び戦争を起こさないという強い決意のようなものを感じることがある。
戦争経験者が多い時代、彼らが政治的な意見を持つことで戦争から遠ざかることができていた側面はあると思っている。
言い換えると、戦争世代が戦争を避ける役割を果たしていた、ということ。

時は流れ。
戦争を経験した人たちがどんどん年老いて鬼籍に入る。
僕らの世代だと、まだ祖父母などの身近な人から伝聞で戦争経験を聞くことができたが、若い世代だとそれすらも経験していない人たちが多数派になるのではないだろうか。
もはや、戦争経験者がその経験を持って政治的な意見を表明してくれる時代は終わった。
彼らが、経験をもとに若い世代を守ってくれる、そういう政治的意見を言う、ということはもうない。
各自が、残されたマテリアルにアクセスして戦争への解像度をあげるしかない。
無知ゆえに、後から後悔するような大人にはなりたくない。

もう一つ、経験談から学んだほうがいい理由がある。
経験談の語りを聴くとわかるのだが、語ってくれている人、かなりのエネルギーを持って後世に伝えようとしてくれている。
人は辛すぎる記憶は抑圧する。
そもそも、語りたくないし、語れないということも多い。
戦争経験を語れるようになるまで、何十年もかかることもあるし、語れないまま亡くなった人もいる。
ものすごく苦しみながら、それでも後進のためを思って語ってくれているものも少なくない。
そうやって残された戦争の記憶にまったく学ばず、無知なまま社会の一員として世論を形成して、戦争で若い世代を苦しめたら、まあきっとあっちの世界で戦争世代に厳しく怒られる。
そうならんように、主権者の1人として知っておく責任があると思うわけです。

以上は、僕が戦争系の話を意識して避けない理由。
人間には戦争を起こしやすい性質が備わっており、科学技術が進んだ近現代では戦争が回復不能なくらいの壊滅的な被害をもたらす、というのが今のところの結論。
で、解像度の高い戦争のイメージは、戦争への歯止めになる、というのもまた今考えていること。

まああくまで、僕の話です。
では、また。





秋のキャンパス。
あぁ、ネコになりたい。


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2025/09/24 21:24
休暇中。
横浜市内のサイゼにて。



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Update 2025/09/24
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