週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

なぜ、落単者を救済しないのか

大学生の心配事のうち、結構大きなものが、単位。
思ったよりも試験ができず単位が落ちた。
この単位が取れないと、卒業や資格が取れない。
ゆえに、落ちた単位をなんとかしたい、という気持ちになる。
そして、気持ちだけでではなく、実際になんとかしようと行動を起こす人も現れる。

ただ。
基本的に、一度落ちた単位をなんとかする、ということはできない。
特に最近はそう。
今回は、全国の大学生に向けて、このことについて書く。
なぜできないのか、なぜ頼まれると困るのか、この辺りの裏事情を知っていただき、潔く諦めていただければ幸い。

不正となり懲戒処分になる

そもそも、落ちた単位をなんとかすることは規則上できない。
一度単位が落ちた、ということは、科目の成績として不合格だったということ。
もし、合格として単位が復活するとすれば、成績の見直しの上、採点ミスが見つかることくらいしか考えられない。
なので、疑義表明(単位は取れていたはず!という主張)であれば、まあ正当な働きかけなので、問題にはならない。
ただ、多くの場合は、成績が足りなかったことを認めた上で、単位を出して欲しい、というお願いになる。
この場合、決まった手続きの中で到達目標に至らない、と判定されたものを、どういう理屈でかは知らないが、出して欲しいということを言っていることになる。
なんとかしてほしい人は、藁にもすがる思いで、あまり考えていないのかもしれないが、教員に対して裏道の不正を持ちかけていることになる。
そして、この不正、教員側にはなんのいいこともない。
泣いて頼まれて、とか、そういう感情にほだされて仕方ないなぁ、ということがほとんどではないだろうか。

が。
これ、不正は不正なのである。
だから、バレると大変なことになる。
そして、不正をしているのは学生ではなく教員であるところがポイント。
本来落ちているはずの単位を不正に出した、ということになり、大学から懲戒処分になる。
最近ではこのへんかなり厳しく、懲戒処分されたという他大の事例を耳にすることがある。
当該教員が、懲戒は重すぎだろうと、裁判所に訴えた事例も知っているが、裁判所の判断は懲戒処分は妥当というもの。
つまり、業界としても社会としても、もはやこの種のお目こぼしは許されない、ということ。
一度、成績が不可だったものは、泣き落としをしようが何をしようが、一介の教員にはなんともしようがない。
あきらめてほしい。

また、これらの事例、なんで不正がバレて懲戒になったかも考えてほしい。
きっと、救済された側が言ってはいけない秘密を誰かにしゃべり、そこから足がついているはず。
いくらか前に、同じことをした人が、それをあろうことか漫画にして公表して、大炎上していた。
なお、この場合もさかのぼって怒られるのは、当時のなんとかしてくれた教員である。

教育的に問題

僕は単位を落とす時、もう一度聞いたほうがその人のためになる、と思って落とす。
ようは、授業で想定している到達度に達していないから落とす。
このまま、お情けで単位を出してしまうと、その未熟な知識のまま単位だけが認定され、永遠に勉強する機会を失う。
これは、あまり教育的ではないと思っている。
もう一度勉強してもらって、到達目標を達成した上で単位をとってもらう、というのは、教員としての責務である。
到達目標に達してもいないのに単位を出すというのは、まあ、教育の放棄的な部分がある。
僕はしたくない。
実際に、落とした学生の何割かは次の年ものすごい勉強をして優秀な成績で単位を取る。
落とすのも大事だなぁ、と毎年思わせてくれる。

いや、でも卒業が、資格が、という意見はあると思う。
が、1個の単位が取れる話と、卒業ができる、資格が取れる、という話は別物。
卒業に関わるから、資格に関わるから、到達目標に達していない科目の単位を出してよ、というのは主客が逆である。
到達目標に達して所定の単位が揃うから、卒業できるのだし、紐づいた資格が取れるのである。

公平性の問題

個別にお願いして単位をなんとかしてもらう。
例えば、到達目標に達するように別個課題を出してもらって、、、、という考え方もあろう。
が、これも問題がある。
履修生間の公平性が保てないのだ。
ある人は潔くあきらめたのに、ごねた人はなんとかなってしまう。
これがいいわけがない。

公平性について思考実験を少々。
救済を頼みに行ったところ断られた。
が、別の学生は仲良いからと救済された。
腹が立たないだろうか。
でも、頼みに来た人のみ救済する、情にほだされて救済する、というのはこれと同質。
やってはいけない。

先に懲戒処分になる話を書いたが、懲戒処分が妥当か争った裁判では、この公平性の問題が懲戒処分が妥当であることの根拠の1つになっている。
公平性が大事、というのは僕も大いに同意するところ。

手間の問題

単位をなんとかしてくれ、というお願い。
お願いする方はわからないだろうが、対応する方は結構手間である。
お願いする方は、1人の教員に対してだろうが、お願いされる方は、複数の学生が相手となる。
その一人一人に対して、答案を確認し、追加課題を考え、それを採点して、成績修正の手続きを取る、ということを行わなければならない。
呼んで話を聞いたり、メールで連絡を取ったり、というのも何人もいるとやはり大変である。
手間な上に、不正であり、公平性が損なわれ、教育的でもない。
多くの教員が救済お願いについて困るのもこれらの部分が結構大きいのではないだろうか。

僕の場合、教育的であれば手間については気にしない。
よって、試験前であればどんなくだらない質問でも基本的な再説明でもなんでもするので、どんどん研究室に来るように言ってある。
ただ、試験後のこういう手間についてはお断りしている。
なお、来年度の勉強のためにダメだった点を知りたい、勉強の仕方を知りたい、といった要望については、余力ある限り対応している。
が、やはり忙しい中手間を取られるので、他の業務との兼ね合いでできないことも多い。
このへんは、他の教員であっても事情は同じだと思う。


参考資料:落第生を再試験で救済しようとした大学教授が懲戒処分を受けた事件 (弁護士 師子角允彬のブログ)
以下の僕の記事も参考にしていただいて。
試験関連の記事リンク集

今回はこの辺で。
また。




いつしかの、姫路城。

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2025/09/21 17:16
暮れゆく日曜日。
横浜市内にて。



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Update 2025/09/21
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