週刊雑記帳(ブログ)

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素朴な理解、論理的な理解、学術的な理解 No.1

今日は知識や理解について考えてみる。
知識とは、自分が知っていること、理解していること、などの総称。
一方で、理解とは知ることやわかるかること、その道筋といったところか。
正しい理解の先に正しい知識があるが、正しい理解なく正しい知識を手に入れることもできる。
そして、これらについては、確からしさを軸として、レベルのようなものがある。
それらを切り出してきて名前をつけたのが、素朴な知識、論理的な知識、学術的な知識。
素朴な理解、論理的な理解、学術的な理解というのも同様に考えることができる。
なお、切り出して名前をつけたらこうじゃないか、という程度の話なので、当然これらのラベルの中間的なものもの存在する。

先に、知識と理解の関係から。
正しい知識は正しい理解なく手に入れることもできる、と先に書いた。
高校までの知識がこれにあたる。
高校までの教科書の内容は、基本的に専門家が大勢集まって内容の是非について吟味に吟味を重ねて作ったもの。
内容については現時点で専門家集団が正しいとしているものしかのらない。
よって「正しい」という前提で知識を身につければいいので、例えば丸暗記なんかだと、理解を欠いて知識だけを身につけている場合がありうる。
間違った理解なんだけど、知識自体は正しいことを身につけている、なんてこともある。
これが、前の段落で正しい理解なく正しい知識を手に入れることもできる、と書いた所以。

その上で、まずは素朴的な理解・知識から。
僕らは学問なんかしなくても、自分の経験から知識を構成し物事を理解していく。
例えば、学問上の物理学の知識がなくとも、物が落ちることを知っているし、物が落下し始めたころより落下が始まってから時間が経った方が物の速度は速いということを知っている。
このように、経験を通じて、直感として理解してたり知識として知っていたりすることがほとんどである。
このことを僕は素朴な理解、知識と呼んでいる。
「素朴」という命名は僕のオリジナルではなく、発達心理学ではこういう知識・理解を素朴理論と名づけ、学問的な理論と分けてこころを理解するために使っている。
先の物理の例だと、発達心理学では素朴物理学、と呼ばれている。

で、この素朴な理解・知識。
当然のことながら、積んできた経験の量と質によって、正しさが変わる。
例えば、物理現象の素朴な知識・理解。
赤ちゃんのころなんかは、もう全く正しくない。
テーブルの角に落ちるようにコップを置いて(コップの底のほんのちょっとしかテーブルに載っていない)、結果落ちて大惨事、なんて場面にでくわした方は多いと思うが、これは経験が足りていないせいで物理現象の素朴な理解・知識が弱いから、とも言える。
物理現象の経験なんていうのは、動けるようになったくらいから日常的に積むことができるので、早い時期にわりと正しい物理現象の知識が身につくようになる。

問題は、この素朴な理解と知識、間違いやすいということ。
学術的な知見を調べてみると、素朴な知識とは異なっていて驚く、というのは誰しもが経験したことあると思う。
なぜこういうことが起こるのか。
1つには自分の経験できる事柄には限界があるというのがある。
考えてみるとわかるのだが、1人の人が経験できる量は限られており、学術的な知識を作り出すデータなどに対して量・質とも圧倒的に少ない。
よって、個人の経験では学術的な知識のベースとなるデータが足りないがゆえに、間違う、ということが起こりうる。
さらに、個人の経験というのは偏る。
あくまで、自分が過ごしてきた環境下での経験しか積めないので、ある特殊な一事例の経験ということにしかならない。
当然、ざまざま条件を試したりたくさんの人のデータをまとめてたりして組み立てられた学術的な知識とは正した確からしさの点でかなうわけがない。
よって、素朴な理解と知識が間違っている、ということが起こる。
くれぐれも誤解しないでほしいのが、素朴な知識と理解の全てが間違っている、ということではない。
だいたいは正しい知識と理解なのだが、時々間違いが混ざったり他者には当てはまらなかったりということが起きやすいということ。

もう1つ。
素朴な理解の弱いところがある。
それは、経験から直感的に無意識で得た知識や理解であること。
このため、複雑な思考が入っていない。
ところが、一見こうなんだけど、筋道を立てながらよくよく考えてみると違うな、みたいなことはよくある。
素朴な理解にはこれがない。
これが故に間違うこともしばしばある。

このように、素朴な知識・理解というのは間違いやすい。
これをもう少し深く理解するには、論理的なそれらと学術的なそれらの性質を理解するといい。
いいのだが、やたら長くなってしまったので、続きは次回。
論理的と学術的な知識・理解を、素朴なそれらと比較しながら書いていく。
その上で、それらを意識することの重要性と難しさなどを書いていきたいと思っている。
あと1回か2回か、お付き合いいただきたく。

では今回はこの辺で。
また。





尾道の山の上から。


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2025/04/19 21:09
出張中。
福井市内にて。



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Update 2025/04/19
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