週刊雑記帳(ブログ)

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大学でしか学べないこと(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか16)

大学で何を学ぶのか。
どうやって学ぶのか。
どの程度学ぶのか。
何を身につけるために、どう過ごすのか。
ちゃんと考えたことあるだろうか。
このシリーズ、何を学ぶのか、についてはわりとたくさん書いてきたが、なぜ学ぶのかについては少ないな、と思ったので、今回はこのネタで。
なお、関連記事としては それって大学生じゃないとできないこと?【番外編】(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 7 ) があるので、併せてお読みいただければ幸い。

大学生に問う。
あなたは何のために何を学ぶのだろうか。
単位のため、学歴のため、高いGPA、就職のため。
上記は能力をみがく、ということが目的になっていない答え。
将来のために、専門的な知識を高めたい、なんてのもあるか。
これは能力の向上が目的になっている答え。
週刊雑記帳をよく読んでくれる学生さんだとこの答えの人はわりと多いか。
やる気のある学生、高校生に聞いて回って、1番多いのもこの答え。
少数派として、研究能力を得たい、論理的な思考ができるようになりたい、楽しむため、なんてのも出てくるかもしれない。
これらは、わりと大学での学びの本質に近い。
まあ、でも大学生だとこんなものか。

さて。
これを大学教員に聞くと少し違った答えが返ってくる。
専門的な知識を得るのは前提として、とにかく知的能力を高めろ、というのがわりと出てくるはず。
ここで言う知的能力、というのは、知識量ではない。
論理的な思考力だったり、一般的に書いたり読んだりする能力だったり、難しいことを理解する能力だったり、それを説明する能力だったり。
頭を使って何かをする時に使う、根っこにあるたくさんの能力のことを指す。
具体的にどんなものがあるのか、については、身近な大学教員に聞いてみるといい。
高校でも専門学校でも予備校でもなく、大学でしか学べない専門知識以外のものって何か、と問えば様々なものが返ってくるハズ。
もちろん、大学教員にもいろいろいるので、残念ながらそういうことを深く考えていないタイプもいないではない。
なので、いろいろな教員に聞いてみるのがいい。
僕の場合は、週刊雑記帳の「なぜ学ぶのか、何を学ぶのか」シリーズに少しずつ書くようにしている。

読者の中には、なかなかあいまいなことを言ってやがるぜ、と思う方もいるかもしれない。
一方で、この能力が仕事を含めさまざまな場面で大いに役に立つ、というのは言うまでもなくわかっていただけるのではないだろうか。
ただ。
このちょっとつかみどころのない知的能力、ある程度訓練・経験を積んできた人にとって、他者のこれを見極めるのはわりと容易である。
1番簡単なのは、その人の書いたものを読むこと。
知的能力を訓練した人とそうでない人の書くものは、もう全然違う。
なんというか、本当に、一目瞭然で違うのである。
これは、話していてもわかる。
日常の会話、面接の質疑応答、発表などなど、その人がアウトプットするあらゆるものにこれが現れる。
地頭がよいと言われる人でも、知的能力をトレーニングしていない場合はすぐわかる。
大学教員の場合、ある程度この能力を使って仕事をしているので、話しているだけでその人の知的能力が磨かれているか否かがわかる。
おそらくこれは、企業の目利き人事担当者や、幹部、経営者クラスでもそう。
就活では、小論文のようなものを求められたり、面接があったりする。
どうあっても、これらのアウトプットの中に、自分の知的能力はにじみ出てしまう。
つまり、就活でいくら小手先の対策をしたところで、こういう根っこにある能力の有無はバレやすい、ということ。

問題は。
この能力、こいつを伸ばすことを意識して訓練をしないと身につかない。
そして、この能力を磨くことができる唯一の教育の場が大学なのである。

いやまて。
他の学校は?という疑問もあろう。
例えば、予備校。
予備校というのは試験のパスを目的とした教育機関である。
試験の得点を上げるというところに特化している。
よって知識量を増やす、という部分と、試験テクという部分に最適化されている。
この最適化のせいで、大学でやるような知的能力のトレーニングは省かれる。
というか、大学でやるようなやり方は試験をパスするという点では非効率なのでやらない。
では専門学校はどうか。
これも、専門知識を身につけることに特化しており、知的能力のトレーニングにあまり重きを置かれない。
小中高の教科なんかもやはりそう。
共通しているのは、身につけようとしている知識自体は答えが決まっていること。
知識が正しいか、何でそんな知識になるのか、そういう部分に対して注意を向けて頭を使う必要があまりない。

ひるがえって、大学の場合。
学ぶ知識自体が正しくない可能性がある。
常に、本当か?何でそうなるんだ?どういう理屈でその考え方になるんだ?ということを考えなくてはならない。
評価もそう。
レポートでは「自分の考え」を問われることが多い。
答えのない問い、人によって答えが異なる問いに対して、筋道をを立てて自分で思考して、考えを他者にわかるように表出する必要がある。
これが各種知的能力のトレーニングになる。
その最終形が卒業研究・論文で、コイツにはものすごい時間をかけて取り組むことになる。
この過程で受ける知的能力のトレーニングは相当なもの。

こういった教育、小中高までに受けただろうか。
「探求」がそれにあたるのだろうが、どうしても知的能力のトレーニングの要素は薄くなり、やってみました的な内容になりがち。
これは、小中高の学校という組織の専門性がついてきていない、探求の時間では知的能力のトレーニングをするのには時間が少なすぎる、などの理由がある。
大学の場合、研究機関であり設備制度が整っているのと、大学教員が研究者であることが多いので、トレーニングの資源が豊富。
これは、研究活動や大学の授業作り自体がかなりの知的能力を要するため。
大学という研究と教育が一緒になっている場であるからこそ、指導者、環境の両面から知的能力を磨くのに最適なのである。
なお、社会に出てもこれらを磨く場はあるが、かなり運任せになってしまう。
仕事で運よく知的能力を磨ける場や上司に会えることはある。
が、職場というのは知的能力を磨くことが目的の場ではないし、そういう人や活動で満ちあふれてもいない。
そう考えると、大学というのがいかに知的能力を磨くのに最適な場か、わかっていただけるのではないだろうか。

ただ。
この知的能力。
漠然と過ごしていても勝手に磨かれる、というものではない。
本人がこれを磨くことを常に意識して、大学の日々の生活を送る必要がある。
授業もレポート等の課題も、ただやっつける、というだけではあまりこの能力は磨かれない。
楽に単位を取る、というのはもちろんのこと、いい成績を取る、というのを目的にしてしまうとやはりトレーニングにならない。
知的能力を磨く、という目的をもって、プロセス自体がトレーニングになるように工夫をする必要がある。
その上で、間違ったやり方でトレーニングになっていない、ということにならないよう、教員に助言を求める。
まあ、ある意味では筋トレとさして変わらない。
ちゃんとした指導者に指導してもらってちゃんとしたトレーニングをしっかり行えば、しっかりと筋肉はつく。
筋肉は裏切らない、と筋トレ好きは言うが、知的能力も全く同じ。
そして、この能力、4年間で本当に差がつく。
ゼロのまま卒業していく学生もいれば(こっちが多数派)、4年間みっちり伸ばしていく学生もいる。
そして、伸ばした組は、卒業後も自分でちょっとずつ伸ばしていくはずで、これが後々大きな武器となる。

このあたりのことは、いろいろな大学教員がいろいろなところで言っている。
言っているのだが、なかなか伝わらない。
この記事を読んで、ちょっとそうかもな、と思ってくれたアナタ。
よかったら、以下にも目を通してみてはいかがか。
“大学での知的トレーニング”楠木建(1995)
僕の駄文と違って、とても整理されてまとまっている。

では、今回はこの辺で。
また。




これは横浜。


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2025/04/03 21:09
出張中の宿で書いている。
札幌市内にて。



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Update 2025/04/03
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