〇〇について定義をせよ。
僕が時々授業の課題などで出すもの。
課題を出された側として、覚えた定義や辞書の言葉をそのまま引き移す、というのが多い。
実はこの「定義をせよ」課題。
ぼんやりなんとなく出している課題ではない。
この種の課題、本気で取り組むと、ものすごく自分の能力が鍛えられる。
時々この種の課題を出して、学生の能力を鍛えたい、という意図がある。
さらに言うと、セルフでこの課題に近いことに取り組んでもらって、日々能力を鍛えてほしいなぁ、と思って課題として散りばめている。
かなり、意図的に設定した課題だったりする。
〇〇について定義せよ。
この課題をしっかりこなすには、対象についての知識、深い理解が欠かせない。
特に、教育とか障害とか発達とか、一般的かつ専門的に使用される用語であればそう。
たくさんある具体的な事例や、素朴な使われ方、多様な理解のされ方。
こういったもの達から本質的な意味を理解し、その上でその理解にあてはまる言葉を割り当てる。
こういった行為が定義にあたるため、対象について相当に詳しくないとオリジナルの定義など作ることが出来ない。
定義というのは、〇〇について深く知っているからこそ、可能なのである。
そんなわけで、この課題の意図の1つ目は対象について深い理解を促す、というもの。
これは、本気でやると相当に時間を使うし相当に知識レベルを上げる。
もう一つ、大きな意図がある。
それは、一般的な言語能力(書く力)を磨く、というもの。
書く力を身につけたい、という願望は身近な大学生からもよく聞く。
物を書く能力というのは、段落や文の順序やロジックといった構成能力に関するもの、徹底的に他者の視点に立った文章の作成、などいくつかの異なった小さな能力(部品と言い換えてもいいか)に分解することができる。
定義をすることで鍛えられる書く力は、これらとは違って、言語化能力という言語運用能力の基礎的なもの。
頭の中には深く理解した知識が存在する。
しかし、それは言語という形で存在していない。
外の世界から仕入れてきた、頭の中だけに存在する非言語の何か、という形で存在している。
読書によってインプットした情報でさえ、文字という情報ではなく、いったん非言語な何かに変換して保持していることが多い。
定義をするということは、これらの、頭の中にある非言語情報を言語化する行為に他ならない。
当然、やればやるほど言語化する能力を磨いていくということになる。
なお、大学生はこれが意外とできないらしく、長文を綴る前の段階で止まってしまうことも多くあるらしい。
定義せよ課題によって、そのあたりの能力を磨くとともに、この種の課題で能力が磨けることに気づいて欲しい、という意図がある。
この能力の磨き方については別の記事にも書いているので、そちらも参考にしていただければ。
ただ、この課題には弱点もある。
それは他人の言葉を安易に借りることが可能なこと。
専門家や言葉のプロが作り出す定義についつい頼りたくなってしまうし、その方が楽。
しかし、それをやってしまうと、課題の裏に隠れた意図が無効になる。
この部分をコントロールできないのが、課題として弱い点。
まあ、こればかりは言葉で説明して理解してもらうしかない。
今回のこの記事も、そういったモチベーションで書いている。
この記事を読んでくれたみなさまが、重要性に気づいて日々の課題に取り組んでいただけると喜ぶわけです。
もちろん、課題に限らずセルフで定義せよ課題を日々の勉強やらレポートやらに埋め込んで時間を使う、というのをやっていただけると、なお喜ぶ。
では、今回はこのへんで。
定義は、奥が深いよ。
ではまた。
横浜、かな。
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2024/10/20 19:52
わりとヘビーな仕事を終えたところ。
鳥駅ドトールにて。
Update 2024/10/20
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