週刊雑記帳(ブログ)

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コピペはバレる

大学生になると、レポートというなかなか大変な課題に直面する。
どうしていいかわからない。
時間も取られる。
思わず、ネットに転がっている情報をコピペして、、、、なんて良からぬことを考えてしまうこともあるかもしれない。
ただね、それはバレる。
確実に、バレる。
大学教員を甘く見てはいけない。
今回は、なぜバレるのか、について書いていこうと思う。

大学生とレポート

さて。
なぜバレるのかを書く前に、レポートというものについて書いておく。

レポートは別に苦役を科すために出されるわけではない。
膨大な情報を調査して読み込んで、内容を整理して、文字として表出する。
教育的意図としては、その過程において、調査能力、情報の整理、大事な箇所の把握、まとめる力、文章力等々を磨くために出すことがほとんど。
これは高校までではあまり磨かれてこなかった能力。
ただ、卒業研究などで役にたつ力であるし、社会に出てもかなり重要になる汎用性の高い能力たち。
大学においてこれらの能力を磨いて欲しくて、レポートが高頻度で課される。

評価で用いられる場合は、授業における達成度をレポートを通じて測りたい、という意図による。
授業を受け身で聞くだけでなく、自分で色々調べることも授業の到達目標に含まれていることがほとんどで、そのためにはレポートによる評価が最適、というわけ。

ところで。
学問の世界では、他人の文章をコピペするというのは御法度である。
少し表現を変えて内容をほぼコピー、原典を打ち直し、というのも同様。
もしこれをやると盗用と認定され、一切の信用を失う。
大学教員であれば、懲戒処分(たぶん、クビ)は免れず、普通はもう業界に帰って来れない。
そのくらい重い行為である。

大学生というのは、受け身で知識を学ぶ高校生までとは違い、学問の世界でその端くれとして主体的に学ぶ者とみなされる。
高校生までを「生徒」、大学生を「学生」と区別して呼ぶのもこのせい。
当然、その学問の世界の端くれたる学生が「盗用」をやれば、厳しく教育されることとなる。
多くの大学では、カンニングと同等の扱いになり、懲戒の対象になるか、その期の単位が全部無効になる、というような処分がなされる。

ルール的にアウト、というだけでなく、自分の能力を磨く機会を失うことになるので、実にバカバカしい。
いかに未熟だろうが、一生懸命自分で書く。
こういう経験は裏切らないので、意識して課題に取り組むのがいいと思う。

様々なコピペレポートとコピペの特定手順

コピペには色々な方法がある。
丸まるコピペ。
複数サイトからコピペ。
教科書を打ち直し。
これらの表現を一部変える。
自分の文章とコピペ箇所を混ぜる。

これならばれんだろう、と思うかもしれないが、バレる。
バレる流れは、だいたい以下。
(1)何らかの違和感
(2)コピペ元の文書の特定
(3)レポートとコピペ元の比較とコピペ箇所の特定

バレるポイント1:違和感

コピペレポートに気づく最初は違和感。
じゃあ、違和感のないコピペすりゃいいと思うかもしれないが、アマイ。
この違和感は、コピペである以上、どうあっても生じる。

まず。
web上の情報を頼っている時点で、まーったく教えてもいない内容や間違った内容を含むことが多い。
一方の大学生は、授業を受けている時点で知識レベルは学習中のレベル。
知っているはずのない知識レベルのことが書いてあるわけだから、アレ、何だこれは?と違和感を感じる。
もちろん、自分でしっかりと勉強して書いていることだってある。
だから、違和感だけでコピペ認定はしない。
この学生はどこからこの情報を持ってきたのだろうか、と元になった情報を探すことになる。

他にも違和感を感じるポイントはある。
次は文章から感じる違和感。
学生さんはわからないだろうが、文章を書くにはそれなりの能力が必要。
Webだろうが教科書だろうが、プロが書いたものにはその能力が反映されている。
訓練中の大学生では書けないレベルの文章がレポートにあるわけで、あれ?となる。
複数のコピペ元がある場合、自分の文章が混ざっている場合はいよいよ違和感を感じる。
文章のレベルやクセが異なる文章が混在するわけで、出典が切り替わった箇所で文章の質が変わってしまう。
小説に作者のクセが出るように、専門的な文章であっても作者のクセは出る。
これは、書き手や読み手としてそれなりに経験を積んでいるとすぐ気づく。
ただし、コピペをする学生さんの能力では気付けないことが多い。
かくして、違和感を生じるレポートが出来上がる。
あとは、情報源を特定、という作業に移ることになる。
知識レベルに関しては、主体的に勉強した結果であることも多いが、この文章の違和感の場合はコピペである可能性が結構高い。
複数の友人のレポートを丸写しした場合なんかもこれにあたり、バレる。

バレるポイント2:コピペ元の特定

違和感を感じたら、情報源を探すことになる。
大学教員は、大学生が思うよりもずっと検索・調査する能力を持っている。
だって、仕事なんだもん。
先行研究調査において漏れがあっては、せっかく手間暇かけて進めた研究が論文にする段階でダメになることがある。
「〇〇である」と言い切るために、何度も何度も調査しまくる。
文書の存在はわかっているけど、一部の断片的な情報しかない場合でも、なんとかしてお目当ての文書を見つける。
こういうことは日常茶飯事なので、断片情報さえあればわりと簡単に引用元を見つけてこれる。

書籍から引用した場合でも同じ。
こういうこと言っているのはこの辺りの本だろうな、とあたりをつけて開くとまあ大抵あっている。
なんたって、教えている分野の本はある程度網羅していて、書いている人も知っている。
特定自体はそんなに大変じゃあない。

なお、最近はレポートをデータベースと付き合わせて、コピペ箇所を探すツールもある。

バレるポイント3:コピペ箇所の特定

コピペ元が特定できれば、あとは単純作業。
レポートのどの部分がコピペ元と同じかを特定する。
引用で許される範囲を超えて、ほぼ同じということになると、あえなく不正認定となる。
細部の表現を変えてあっても幹となる部分が同じだと、かなりの箇所が同じ文字となり、やはりバレる。

見抜く教員、見抜かぬ教員

ここまでつらつらと書いてきたが、大学教員であれば大学生のコピペを見抜くのは容易い。
それでも、コピペが指摘されずに通る場合はあるかもしれない。
この場合、別に大学教員が能力がない、というわけではない。
見抜いているのに、見逃している、という場合が多い。
そして、それは優しさでもなんでもなく、見捨てられている、と捉えた方がいい。
違和感を感じて、それを手間暇かけて特定、不正を報告する。
ものすごいエネルギーが必要である。
当然人によっては、そんな時間を使うくらいなら、熱心に聞いている学生のための教育に時間を割きたい、研究をする時間に使いたい、という場合もあろう。

こういう場合、真面目にやっている学生が、コピペ学生に対してずるい!と感じることがあると思う。
ちゃんと特定して、単位なんか出すな、と。
感情としてはわかる。
でもね。
そういう場合のコピペ学生。
単位はとれるけど、冒頭に書いたレポートの作成過程で身につく各種能力は身につかない。
教員にしても、まあ、別にそれでいいや、ということなのだと思う。
真面目にやっている学生は、その経験に応じて能力が身につくことは間違いないので、ずるいと思う必要はあまりない。
そしてこういうのは、年月を重ねるほど、差として出てくる。


以上、コピペはバレるよってお話でした。
なお、僕はレポート課題自体を出さない。
前に提案して強く反対されたゆえ。
代わりに、レポートで身につくような各種能力の教育は、演習や卒論系の教育活動でやることにしている。

ではまた。




たまには縦構図写真。
横浜すな。


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2023/02/04 18:13
ひきこもり。
自宅にて。


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