雑記帳(ブログ)

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おみやげ・サバイバル

僕は客先におみやげを持って行かない。
これは仲間内では結構有名で、社会人としていかがなものか、と自分でも思わないではないのだが、まあ持っていかない。
本日は、そんな僕の反社会人的な特性への言い訳的な記事。
例によって、何の役にも立たない。

まず。
おみやげという文化自体になじみがない。
遠足や修学旅行等々、おみやげ文化を学ぶ機会はたくさんあった。
おみやげのお相手は家族。
もちろん、僕もこの機会はあって、家族へおみやげを買ったかわいい回もあった。
小学校の時だったと思う。
みんながおみやげを買っている側で、僕も、となにかおみやげを買ったのを覚えている。
ただ。
帰って親におみやげをあげたところ、予想に反して怒られることに。
「いらないって言ってあったでしょ!」
まあ確かに、おみやげを買うお小遣いは通常とは別枠でせしめているわけで、わからないわけではない。
が、こういうのは心理学でも理論づけられているように、「おみやげ上げる→よろこばれる→うれしい→またおみやげをあげる」となるわけで、初回でそうならず、おみやげ文化を学ぶ機会を永遠に失うこととなった。
僕は悪くない。

しかし。
社会人になるとそうも言っていられなくなる。
無礼にならないよう、お世話になる感謝の気持ち等々、おみやげを持っていきたくなることもある。
が、これがなかなか大変。

まず、買うことが難しい。
だいたい、旅のスタイルからしてぎりぎりで、余裕をもって駅へ、なんてことになかなかならない。
駅について買う時間が確保できず、遅刻と天秤にかけた上で断念するというのがよくあるパタン。
幸いにして駅に余裕をもってついたとしても、買うことを失念してしまう、ということもしばしば。
これは僕の特性みたいなものなのでどうしようもない。
この関門でおみやげがなしになる、というのは結構ある。

続いて。
運よくおみやげが買えたとする。
しかし、僕は忘れっぽい。
小学校の時はランドセルを忘れたことがあるくらい、忘れっぽい。
当然、これはおみやげにも及ぶ。
網だなの上に乗っけたら最後、降りるときにはすっかり忘れているということが起こる。
そして、旅好きなので、乗り換えの多い旅程を選びがち。
乗り換えのたびにこの置き忘れリスクにさらされることになる。
ここで、おみやげ氏、生き残れないことが結構ある。

次。
乗り換えサバイバルも無事乗り越え、運よく目的地までおみやげが運ばれたとする。
ここで、安心してしまうのだね。
宿に忘れてしまう、というのこともわりあいある。
この場合、のちほど宿にて反省とともに僕の口に入ることになる。
メンタル的なダメージは大。
たいがい、相手先についてところで気づくが、場合によっては宿に戻ってきてから気づく。
本当に悲しい気分になるのだ。
ただ、この段階まで生き残ったおみやげ君は、いちおう誰か(主に僕)には食べられるので、まあそこまでかわいそうではない。
かわいそうなのは僕。

さあ。
宿から渡す相手のところで運ばれたおみやげ君。
ここまでくるともう大丈夫、と思いきや、そうでもない。
最難関。
渡すのを忘れる、というのがある。
この場合のメンタルダメージは計り知れない。
後で自分でおみやげを食す時の塩味はちょっと強めとなる。
ただ、この場合は奇跡の復活劇がないわけではない。
渡すのを忘れたおみやげを相手先に忘れてくるという、、、ね。

かくして、おみやげを買ったのに渡せなったという体験が、次回のおみやげを買うという行動を抑制し(専門的には負の強化という)、ますますおみやげは買われにくくなるという負の連鎖により、今にいたっている。

そういうわけであるから、決して不届き者でおみやげがないわけではなく、いろいろある、ということを理解していただけば幸い。
なお、届いた場合はものすごい確率で届いたと思っていただいて差支えないと思う。

ではでは。
また。




f:id:htyanaka:20210510073125j:plain 浜坂駅か。

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2021/05/09 23:02
ひきこもり。
自宅にて。


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Update 2021/05/09
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