週刊雑記帳(ブログ)

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プログラマー(僕のなりたかったもの3)

わりと現実に落とし込めていたのがプログラマ
今でこそ心がどうとか、脳がどうとか言っているが、昔はコンピューターの人だった。

僕が小さい時はまだワープロが専用機として存在した時代。
もともと機械が好きだったので、コンピューターっぽいものに憧れがあった。
小学校時代はデパートのワープロ売り場に行っては、カチャカチャキーボードを叩いて遊んでいた。
別に大したことをしているわけでもなく、キーボードカチャカチャが純粋にかっこいい、と思っていたのだと思う。

中学生になると選択授業というのがあり、コンピューターを本格的にいじるチャンスがやってくる。
あの選択授業。
カリキュラム上はどういう立ち位置だったのか、今となってはわからないが、学年の全員が複数のプログラムから興味ある内容を選んで学ぶ、みたいな内容だったと思う。
並行して開講されていたのには英会話とかあった気もするので、だいぶ幅広い選択肢があったはず。
僕はもう迷いもなくコンピューターを選んだ。
そこでBASICという初歩的なプログラミング言語で運勢テストか何かを実装して喜んでいた。
初めて本格的にコンピューターをいじった回だった。

あまりにおもしろかったので、中3の進路選択で商業高校の情報科に進学すると宣言する。
親としては普通科経由大学進学を想定していたらしく、寝耳に水だったよう。
大反対され、オレは泣き叫び、最終的に普通科進学とセットでパソコンを買ってもらう、ということで妥協となった。
あの頃の熱量が懐かしい。

高校に入ってからはパソコンで遊びつつ、大学は情報系に入って勉強するんだ、と思っていた。
だが、大学受験で失敗する。
センターが振るわず、国立だと某地方大の電気電子工学科にしか受からなかった。
情報系は全滅。
仕方ないのでハードウェアとしてのコンピューターを極めるか、とも思ったが、やはりプログラムを勉強したく、仮面浪人ののち、情報系のコースに入り直した。
この情報系コースの選択にはほかにも理由があるのだが、これはまたそのうち書く。

大学ではさまざまなプログラミング言語を勉強した。
ただ、早い段階でプログラマになる未来は消えていたように思う。
プログラミング自体は楽しかったのだけれども、ほかにやりたいことができてしまった。
そんなわけで、プログラミングを学ぶことはただの趣味として楽しみつつ、全く別の未来を考え始める。
気が多い人間だったのよー。

ただ、この時学んだプログラミング技術はその後の仕事で大いに生きることになる。
将来役に立つ立たないで学ぶものを考えるべきではない、と考える実体験の一つがこれ。
楽しいなぁと思うものを興味の赴くまま勉強しても、将来役に立つことがある。

さて。
当時は考えもしなかったが、プログラマはその後結構お金になる職業へと変貌した。
あの時プログラマ志望のままだったら今頃お金持ちかなぁ、なんてことを考えつつ、でもあの時に戻れたとしてもプログラマはないな、と思っている。

まあそんなこんなの、なりたかったもの第3弾でありました。
このシリーズ何の役にも立たない単なる昔話なれど、そんなことは気にせず続ける予定。




季節ですな。
横浜か。

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2020/03/15 21:06
疲れとるのー。
自宅にて。


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Update 2020/03/15
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