週刊雑記帳(ブログ)

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統計(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 6 )

さて、お次はこちら。
意外なものがやって来てビックリされた方も多いと思う。
これは人によるんじゃないの、うちの専門分野では使わないよ、とか、私の卒論で統計は使わない予定だ、という人も多いかもしれない。
でも、これは自分の専門分野で使う使わないを問わず、大学を出たからには最低限身につけておきたい能力だと思っている。
どういうことか。

まず、自分の卒論なんかでは使わない予定、というアナタ。
たしかに、研究の方法論では使わないのかもしれない。
ただし、アナタの研究は統計を使った過去の研究成果を一切無視する気なのだろうか。
数字を使った研究の中にはアナタの研究の土台となるものが多くあるはず。
コイツらを読み解くくらいには統計ができないと研究ができないのだ。

いや、私は数字を使う一切の研究を使わないからいいんだ、という人もいるかもしれない。
でもね、そんなこと本当に可能なのだろうか。
例えば、卒業して学校の先生になったとする。
理系じゃないし、統計なんて学ばなかったとしよう。
熱心な先生だと、目の前にいる子どもたちのために、色々な指導法を勉強すると思う。
研修会なんかでこんな指導するといいよ、なんて事を聞くかもしれない。
これらの知見のほとんどは数字を使った統計的なものだね。
だって、この指導法は感覚としてよいよ、なんて信じられないでしょ。
だいたいは根拠として統計的な数字があるはずだし、そうでないものは信じられない。
仕事に関係ないところでも、統計は出てくる。
コレをするとやせるよ。
子どもが賢くなるにはこうしたらよい。
この手の、誰もが気になる情報の根っこには数字があるし、統計が使われている。

いや、統計の専門的なことは専門家に任せて、私は結論だけ読むからヘーキ、という方もいるかもしれない。
ところがね、コレが曲者。
専門家と称する人が紹介する数字と結論が、必ずしも正しいとは限らないのだ。
そもそも数字を扱っている人の統計的な素養が乏しいかもしれない。
素養はあるけど、無意識のうちに恣意的になってしまっているかもしれない。
ひどいのになると、意図的に数字を悪用する。
数字というのはなんとなく説得力がある。
だから、統計的な素養なしに数字を示されると、なんとなく信じてしまう。
ここが悪用されるわけね。
悪用とまではいかなくても、間違うことは多々ある。

この時、基礎的な統計を知っているだけで結構自分で正しい判断ができるようになる。
そもそもこの数字の出し方じゃこんなことは言えないでしょ、とか、この人数の調査じゃ何も言えないよ、とか、そんな風に批判ができるようになる。
現代社会に生きる上で、コイツはすごく大事な能力だと思うんだ。
そのためだろう、高校までの数学においても近年統計が強化されている。
前回、 ロジカルな思考・批判的な思考が大事だということを書いたが、統計を知らないと当然これができない。
他の人が言っていることを無条件に信じなきゃならなくなる。
よくないね。

それともう一つ。
統計的な素養があると、思考パタンが少し変わる。
統計的な性質を知りつつ、さまざまな現象について考えることができるようになる。
データにはバラツキがあること、あらゆる物事は確率で動くこと、平均値は時にデータ全体を代表しないこと、因果は難しいこと。
こういうことを知ることによって、社会のあらゆることを別の視点から深く眺めることができる。
これは数字にだまされないように、と同じか、それ以上に大事だと思っている。

以上がすべての大学生に統計学んでおけよ、と勧める所以。

じゃあどうやって学べばいいか、といわれるとなかなか難しい。
統計学の授業を取っただけで習得するのはきついかもしれない。
やはり、ゼミや卒論をうまく使いたい。
自学するならまずは鳥居さんの「はじめての統計学」あたりがよいか。
学生さん同士で勉強会をやるというのもおススメ。





少し変わった角度から、旅行く人を。
羽田空港にて。


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2018/09/04 20:01
読書と書き物とコーヒーと。
鳥取駅スタバにて。


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Update 2018/09/04
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