その昔、僕の授業ができるまでという記事を書いた。
その中で、教科書や副読本についても少し触れた。
ただ。
教員にとってのこれらの本と、一般の人が考える僕らと教科書との関係、だいぶ乖離しているのではないかと思うことがある。
そこで、そのあたりのことをもう少し掘り下げて書いてみようというのが、今回の記事の意図。
まず、教科書や副読本。
学生時代のことを思い返すと、教科書は指定されているほうがありがたかった。
しかしながら、実際には指定されていない科目も多かった。
授業というものは一生懸命聴こうとするもののどうやっても聞き逃しや眠くて落ちるというようなことがあり、教科書のない科目は復習が難しくて勉強に難渋した思い出がある。
これらの授業に対する度に、なんで教科書を指定してくれないんだろう、と疑問だった。
一方で、自分で書いた教科書を売りつける教員もいて、それもまた反感を持ったもの。
まあ僕は絶対買わなかったけど。
これらについての「なぜ」の答えは僕が教える立場になって知ることになる。
大学の授業は、基本的に教える人ごとに内容や構成が異なる。
たとえ、教養の心理学のような概論・入門であってもそう。
これは、教員によって学問領域の中での専門が異なり、学問全体の知識やイメージ図が異なるせい。
また、90分×15回は領域の内容を全て扱うにはあまりにも時間が少なすぎる。
さらにいうと、授業を通じて何を教えたいか、という授業設計の考えも人によって異なり、授業に取り上げられるものや広さ深さが変わってくる。
これについては、別の記事として書いてあるので、詳しくはそちらを読んでほしい。
つまり。
教員間で授業コンテンツが共通していない、ということ。
自分のオリジナルの内容があって、それが他人の授業内容と完全に一致しない。
他人が書いた教科書を前提として授業を展開するのではなく、自分のコンテンツがまずあって、そこに適切な教科書を充てなければならない。
基本的に教科書がないのが前提なのが大学の授業なのである。
これが大学の授業において、教科書がない授業がたくさん存在する理由。
教科書がある授業というのもあるじゃあないか、という反論もあるだろう。
この場合は、2パタンが考えられる。
まずは、教科書を決定し、それに合わせて授業をデザインする場合。
もう1つが、自分の授業デザイン・コンテンツにあった教科書を探してきて指定するパタン。
僕が教科書代わりに参考図書としてあげる本は後者の意味合いのもの。
いずれの場合も、ただ授業をやることに比べてると手間暇がかかる。
なお、新規開講科目で科目全体のイメージがない場合は前者の意味合いで教科書を指定して授業を作っていくこともある。
ただ、この場合でも数年やると知識が増えて科目全体のイメージが出来上がってくるので、元の教科書が段々と合わなくなってくる。
教科書に載っていないことばかりしゃべりやがるぜ、という教員がいるのはこのせい。
だいたい、研究者は教科書に詳しくない。
なぜなら、専門分野の知識は論文なり学会発表なりで仕入れてくる。
本については読みはするのだが、学部学生に教えるために書かれたいわゆる教科書ではなく、専門書を読むことがほとんど。
教科書に載っているようなことは8割方知っているので、わざわざ日常的に読んだりしない。
研究を進める上では教科書はほとんどなんの役にも立たない。
教科書を調査する、というのは純粋に教育業務ということになる。
自分の頭の中にある授業デザイン・コンテンツと合う教科書を探し、対象学生の役に立つかどうかを吟味するために読む。
内容が間違っていることもあるので、紹介に耐えうる本なのかも吟味のポイント。
他の人がどういう授業を構成するのか、それを調査する教材研究的な意味合いもある。
が、研究目的に転化されることはなく、あくまで教育目的に限定される。
で。
難しいのは、自分の頭の中にある授業デザイン・コンテンツと合う教科書が見つからないこと。
というか、世の中の大学生向け教科書を見てみればわかるのだが、どれも大きく違うわけで、これは教員間で内容を一致させるのがどれだけ難しいかということを物語っている。
内容の正しさ、難易度まで、ドンピシャとなると本当になかなかない。
結局のところ、僕の場合は教科書の指定をあきらめ、自分の単元ごとに複数の参考図書をあげる方向に落ち着いた。
どうやっても適切な教科書が見つからない場合は、資料を充実させて対応するくらいしかできない。
最近は、ブログに補足記事を書く、ということもやる。
こうなってくると、自分で教科書を書いた方が早いんじゃないか、という気になってくる。
おそらく、単著もしくは少人数で書かれた教科書はこうやって出来上がっている。
当然、自分の授業をもとに教科書を著しているわけだから、自分の授業の教科書としても最適ということになり、教科書に指定されるということになる。
経緯からして、その教科書が授業内容を網羅した最適な教科書、ということはわかっていただけたことと思う。
これが、授業担当教員が自著を教科書指定する主因。
なお、僕は内容が人によって異なることを意識して、複数の教科書を読んで見る、というのをお勧めしているのだが、今回のトピックからは外れるので書かない。
教科書自著指定について。
実は、もう1つ理由がある。
学術書というのは、すぐ絶版になる。
特に、売れないと初版1刷でおしまいとなり、手に入らなくなる。
せっかく教科書として書いたものの、これ読めば授業内容学べるよ、という紹介ができなくなってしまう。
よって、できれば絶版にならない程度に売れてほしいと思うもの。
儲かるということは教科書クラスだとあまり聞いたことがなく、買ってほしい動機は絶版になってほしくないというのが大きいと思う。
教科書を書くなんていうのは、実入に比べて手間暇が全くつり合わないので、基本的には儲けるために書くという発想にはならない。
まあ、人によるとは思うが。
で、この絶版。
自分で書いた教科書だけの問題にとどまらない。
教科書や参考書、副読本など、すべての紹介する本に絶版のリスクがある。
せっかくがんばって教科書・参考図書・副読本の調査を行なったものの、数年後には絶版というのはよくあるパタン。
絶版ではないが、内容が古くなって使えなくなる、というのもまたよくある話。
その法律は変わった、あっちの制度は拡充された、あぁこの概念は学術的なアップデートがあった。
あぁ、教科書・副読本が対応してないじゃあないか、、、。
その度に、別の本を探して、、、、を繰り返すことになる。
ね、大変でしょ?!
涙涙の物語がそこにはですね。
それでも、授業で紹介した本を学生が持っていたり感想くれたりすると、やらなきゃなぁとなる。
僕の授業で紹介する本については、これに加えて図書館に入っているか否かの調査、入っていなかったら入れてもらう、というのもやる。
これはちょっとしたテクで、絶版になっても有用であれば紹介し続けることができるというメリットがある。
もし、教員でこれを読んでいる人がいたら実践してみてほしい。
絶版本問題が少しだけ軽くなる。
長くなった。
今回はこの辺で。
また。
たぶん学内
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2025/09/06 19:30
学会上がりに。
仙台市内にて。
Update 2025/09/06
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