週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

本の紹介,「あきらめない 働く女性に贈る愛と勇気のメッセージ(村木厚子(著),日経ビジネス人文庫)」

あきらめない 働く女性に贈る愛と勇気のメッセージ
村木厚子(著)
難易度:☆


村木厚子さんは、地方国立大学(高知大学)を出たあと、キャリア官僚として労働省に入省、事務次官まで上りつめた人。
僕は地方国立大学で教えているので、地方国立大学経由でこういうコースだってあるんだよ、という文脈で村木さんを紹介することがある。
村木さんが就職した時代は、女性がバリバリ働くことがそこまで一般的でない時代。
女性が働くということのロールモデルとしても紹介することもある。
そんな村木さんが書いた、公務員の説明書のような本は前にここでも紹介した。
本の紹介,「公務員という仕事(村木厚子,ちくまプリマー新書)」

さて。
なぜまた、彼女の本を扱うのか。
それは、前回の本とはちょっと趣が違う本で、これがおもしろかったから。

この本。
前半は、公務員として就職し、女性としてバリバリ働く半生を振り返った自伝的なエッセイ。
元々働き続けることを志向していたものの、それが可能な職はそこまで多くなかった。
村木さんが就職した1978年は僕が生まれる少し前。
法的にも社会風土的にも、女性が男性と同じように働くことが普通ではなかった。
そんな中で、働き続けるなら公務員と狙いを定め、地方公務員を志す。
たまたま、練習として受けた国家公務員試験に受かり、県庁よりも国家公務員の方が働き続けられそう、というところから国家公務員になることに。
そんな彼女が労働省の役人として、仕事に奮闘する日々が描かれる。

これがおもしろかった。
今でこそ女性が働くことが普通になっているが、そうでない中で働く女性としての先人の姿を知ることができる。
男性も女性もなく、家庭と仕事のバランスを取ることが普通になってきた現代で、働き方のロールモデルとして男女問わず参考にできそうな内容。
過去のダメだった部分がどう変わったかについても知ることができる。

で。
この本を読んだのには、もう一つ大きな理由がある。
今の若い人だと知らないかもしれないが、その昔、大阪地検特捜部を舞台として冤罪事件があった。
かなりひどい事件で、当時の特捜部の検事が証拠を捏造してまで事件をでっち上げ、最終的にそれがバレて特捜部長以下3人の検事が逮捕されるという事態に至った、というもの。
この事件の冤罪被害者が当時厚労省の局長だった村木さん。
逮捕されて、最初はマスコミから叩かれて、でも無罪になり逆にマスコミから被害者扱いされることになる。
その内幕や、被害者としての視点が知りたくて、この本を手に取った。

本の後半は、この話について詳しく扱う。
逮捕前の騒動から、逮捕、取り調べの様子、そして裁判で無罪が出るまでを、被害者の目線で淡々と描く。
事件を解説することが主眼の本ではないので、事件に巻き込まれた後の日常を、本当に淡々と、エッセイ調で綴る。
これがまた、大変おもしろかった。
こうやって無罪事件が生まれるのか、というのを知ることができる。
と、同時に、拘置所暮らしがどんなものなのか、ノンフィクション的に当事者目線で知ることができる。
好奇心の塊の僕としては、たまらなかった。

こういう本だと、生の感情むき出しで、加害者の不正義を訴えるものになりがち。
ただ、この本はそうではなく、あくまで淡々と、事件下の生活がどんなものだったかを描いていく。
検察への負の感情よりも、支援者へのポジティブな感情、自分への戒めなどで占められていて、これがまたいい。
普通の被害者本とは一味違う。
元官僚のノンフィクション本は何冊か読んだことがあるが、愚痴愚痴しい生の感情の溢れたものが多かったが、この本にはそういう感じが全くなく。
著者の人柄なのかもなぁ、と思いながら一気に読み切った。

かなりおすすめな一冊。




横浜かな。

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2023/12/09 16:27
GWだけれども。
職場にて。



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Update 2023/12/09
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ノートはいい,筆記具はいい No.2

このシリーズ、まさかの2作目(1作目はコチラ)。
ノートと筆記具というアナログツールがいかにいいか、という布教的な記事、その2。
ちなみに、その3もある。

なぜこのシリーズを書こうと思ったか。
最近、忙しさもあってか、週刊雑記帳が月刊化していた。
これは大変よくない。
久々に時間ができたので、iPadに向かってみるも、何も出てこない。
気づくとSNSいじったり、YouTube見たり、本や論文を読んだりしている。
疲れているとこんな感じになりがちで、一向に書けない。
で、初心に戻ってみた。

もともとブログ系の記事はノートに書きつけていた。
これは、こだわりでも何でもない。
昔はネットへのアクセスがあまりよくなかったせい。
カフェなどの出先でノートに書き、PCのある環境でデジタル化する。
仕方なくこのスタイルをとっていた。
そのうちiPadが手に入り、iPhoneのヘビーユーザになり。
徐々にデジタルで直接書く方式に移行していった。

しかし。
デジタル直接方式にはダメな部分もある。
一番は、その気の散りやすさ。
気が付くと「書く」以外のことをしている。
気が散りまくるのでなかなかアイディアが出てこない。
せっかく書き始めたのに、気づくとWebをさまよっている。
特に疲れている時にはコレがひどい。

ノートに書く方式だとコレが起きづらい。
おそらく、ノートしか目に入っていないのがよい。
さらに、利き手がペンでふさがっているのがとてもよい。
そもそもが面倒くさがりなタチなので、利き手のペンを持ち替えてまでスマホiPadに手を伸ばそうとはしない。
じゃまが入らないので、はかどるはかどる。

調べ物のためにデジタル機器に手を伸ばすこともあるのだけど、ノートが広げっぱなしになっているので、すぐに書いていることに引き戻される。
ADHD気質なオレにはピッタリ。

もう1つ、いいところがある。
それは、漢字変換機能や予測変換機能が使えないところ。
これは、「書く」ことに対してデメリットに思えるかもしれないが、違う。
細かな表現はコイツらがジャマをしてくることがある。
デジタルで書くと、手書きでは使わない漢字を使ったり、表現を使ったりしてしまうことがある。
漢字・仮名づかいは文全体のイメージを変えるので結構こだわっているのだけど、気づくとデジタル的な量産型の漢字・仮名づかいがい入り込んでくる。
これは予測変換によって出てくる表現なんかもそう。
まあ、便利さゆえのデメリットということなのだろうケド、自分の頭の中の文字と表出された文字に乖離が生まれて気持ち悪い。
頭の中の何かを文字にする前に候補を提示されてしまうので、ソイツに頭の中がひっぱられてしまう。
そうやって、なんか気に入らない文章が出来上がり、そのままお蔵入り、というのもよくある流れ。

まあ、そんなわけで、ノートにペンというアナログな方式の方がよく書けるよ、というオハナシ。
なお、このシリーズ、久々にアナログ方式で書いている。
やはり、デジタルとは違うな、というのを再認識するなどしている。

ではまた。
このシリーズ、もう一回だけ続く。




横浜ですかな。

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2023/11/05 14:55
2本目。
鳥駅スタバにて。



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Update 2023/12/04
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オレ、働きすぎを反省する

このブログ、ここのところサボり気味。
9月は1回のみの更新。
10月も同様だった。

なんでこんなことになっているかといえば、忙しかった。
発端は前期で、授業の準備と後始末で忙しく。
その合間に余計なお仕事を引き受け、もっと忙しくなり。
学会に行ったり非常勤講義に行ったり。
多忙、極み。
いろいろと重なり、1ヶ月ほとんど休みがなかったのが10月。
前期からじわじわ仕事が積まれていき、その結果の9月10月だった。

で。
おもしろいもので、忙しいと何も浮かばなくなる。
時間が少しできて、雑記帳でも書こうかとiPadに向かうも、全然何も出てこない。
結局、本を読んだり論文読んだりして、時間だけがすぎ。
時間切れとなって、まあもういいや、となるのの繰り返し。
まあしょせん趣味的に自発的にやっていることなので、別にいいや、と週刊雑記帳は休刊となる。

ただ。
問題は、よくよく振り返ってみると、仕事でもこれが起きている形跡があること。
ややエネルギーが必要な仕事の作業への突入が遅れがち。
論文を書くとか、授業のスライドを新たに作る、そういうのの構成を考える、というのは集中力が必要なのだけど、どうも効率が落ちている。
やりたくないけどやらなきゃいけない苦手な事務作業なんかもそう。
よって、ダラダラ作業が続き、帰る時間が延び。
結局、家でのんびりする時間、たっぷり寝る時間が犠牲に。
そうすると、さらに翌朝から疲労満載の状態で、効率が、、、、と。

これはよくないな、と思っていた矢先。
職場に1ヶ月に1回出すことになっている勤務時間報告書を書いて驚いた。
時間外勤務が過労死ラインを超えている。
しかも、これは本務の時間だけなので、非常勤等の副業や原稿を書いている時間は含まれない。
ああ、これはダメだ。
ちょっと働き方を見直そう。
そのように大変反省したのが、1週間前のこと。

そんなわけだから、今週末はクリエイティブなエネルギーを取り戻すべく、少々充電。
いろいろあって金曜日の授業が消えたので、他の予定も整理。
金曜日を有給にして、木曜日夜の便で横浜別荘へと旅立った。
目的は「疲れをとる」の一点集中。
活動しすぎずちゃんと寝ることを第一に、
座右の銘:一生懸命のんびりしよう(by 野比のび太)を取り戻すべく、徹底的にのんびりと休暇を過ごした。
本当になーんもせず、ひたすらぼーっとするか本を読むか、ぼーっとするか、の繰り返し。
んでもって、休暇最終日、日曜の黄昏時にこれを書いている。

わりとスラスラとなんの役にも立たない文字列が生み出されるので、疲労回復の目的は達成されたよう。
今後は、今回の反省を活かして、のんびりをより大切に過ごしてまいろうと決意をした。
のんびりする→エネルギー増大→仕事はかどる→のんびりする時間が増える→のんびりする、の好循環を保ちたい。
元来、のんびりと生きたいのび太型の人間なため、とかく現代は生きにくい。
の、だけど、現代社会の風潮に媚びることなく、のんびりと生きようと決意を新たにした次第。

というわけで、本日はなんの役にも立たない、日記的な記事でありました。
明日、朝ラーメンを食べて帰る予定。
では、また。




これは、明日(月曜日)朝ラーする予定のラーメンの写真。

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2023/11/19 19:42
ぼーっとしている。
横浜市内のドトールにて。



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Update 2023/11/19
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本の紹介,「病気の子どもの教育入門 改訂増補版(全国病弱養育研究会(編),クリエイツかもがわ)」

病気の子どもの教育入門 改訂増補版
全国病弱養育研究会(編)
難易度:☆☆


病気の子ども、というのは世の中に結構たくさんいる。
考えればわかるのだが、病気になっていると、通常の教育制度では満足に教育を受けられない。
そこで、病気の子どものために用意されたいくつかの制度がある。
我が国では、そういう子たちへの教育を「病弱教育」と呼び、特別支援学校から特別支援学級を中心に、いくつか制度を整えている。
例えば、院内学級は有名だが、これは病弱教育の制度の一つ。
学校の先生が、学校を離れて子どもの元へ行って教育を行う「訪問教育」の一形態。
特別支援学校か小中学校の特別支援学級の教室を病院内に開設する、という方法。
この本は、そんな病弱教育について解説した、超入門書。

内容は、理論的・学術的な内容ではなく、実際の実践を現場の先生の目線で記述したもの。
堅苦しい教科書的な内容とは一線を画し、分野外の人にも読みやすい。
病気の子どもに対する心構えや心理的な特性から始まり、教科ごとの教育、就学前の保育・教育、医療や課題まで、かなり広範囲をカバー。
病弱教育の現場経験のある教員が、トピックごとに解説と実践例を紹介していく。
病弱教育とはどんなものなのか、まず具体的なイメージをつかむのに最適な内容。
病気の子どもは教育上どんなことに困っているのか、重い病の中で勉強はどんな意味を持つのか、などなど、病弱教育の実際を現場の先生の目を通じて知ることができる。
現場の先生の「これでいいのか」という自問自答のような姿勢も垣間見え、それもよかった。
ページ数は多いが、文は平易で、半日もかからず読み切ることができた。

この本。
2013年に初版が出て、2021年に改訂増補版として出た。
病弱教育系の本は教科書も含めて数が少なく、新しいものはあまり多くない。
改訂版であっても古い箇所が残っている、というのはよくあるが、この本はしっかり最新の内容に書き変わっている印象を持った。
特に、高校の病弱教育については問題点・課題が多いが、その部分についてもしっかり書かれている。
最新の病弱教育の事情を知る、という意味でも役にたつ。

病気の子どもの教育について、具体的なイメージを掴みたい人におすすめ。
現場で教員をやっていて、病気の子どもと関わることになった、なんて教員がまず最初に読んでみるのにおすすめな本。
特別支援教育や病弱教育について学んだ大学生が、次にこの本を読んで実際の現場を知る、というような使い方もできる。
特別支援教とは、障害のある子がいる場は全部特別支援教育の場となる、という考え方。
当然通常学級で学ぶ病気の子どももいる。
教員になるのであれば、特別支援学校の教員でなくとも関わる可能性がある。
そんなわけだから、小中高の教員を目指す大学生や現役の小中高の教員にも広く読んでほしい。

なお、病弱教育の現場を知る本としては、以下もおすすめ。
「15メートルの通学路」(山本 純士 ,角川文庫)
「15メートルの通学路」は、1人の教員の視点からリアルな現場を描いたもので、「病気の子どもの教育入門」は複数の教員の視点を分野網羅的に整理して紹介した内容。
どちらも、よいですヨ。




にこたま、ダヨ。

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2023/11/12 16:48
休みはよき。
鳥駅スタバにて。



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Update 2023/11/12
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ノートはいい,筆記具はいい No.1

わりと誤解されがちなのだけど、僕はわりとアナログな人間。
もちろんIT系は苦手ではないので使いはする。
でも、そればかりではなく、アナログな手段も併用している。
例えば、ノートと筆記具。
僕に会ったことある人は見たことある人も多いことと思うが、僕はiPadとA5ノートを常に持ち歩いている。
で、ワイシャツの胸ポケットにはボールペンと万年筆が。
筆記具を持ち歩くために仕事着がシャツスタイルになっていると言っていいくらい手放せない。
ITの人と思われがちなので、気づくと意外に思うらしい。

iPadでもPCでも同じことできるし、ノートである必要はないんじゃん?!と思われる方もいるかもしれない。
が。
これが全然違う。
デジタルではできないことがアナログなノートではできる。
もちろん、デジタルの方が得意なこともある。
両者は別物で、用途(と気分)によって使い分けるのが有効だと思っている。

デジタルのよさは僕も十分認めていて、存分に使っている。
ただ、今回のテーマからは外れるので、そのよさについてここで改めては書かない。
問題はアナログなノート。
何がいいのか。
とにかく、自由度が大きい。
IT機器もいろいろなことができるようになったのだけど、まだまだ、したいことがパッとできない。
考えをメモするのに、ノートだとパッと書きつけられるし絵も書ける。
間違えたら2重線でさっと消して書き換えたり、欄外に書き加えたりも簡単。
IT機器でもできないことはない。
ただし、ひと手間、ふた手間かかり、まだまだアナログなノートの方が便利。
IT機器だと「今コレがしたい」に対応できないことが多いということ。

書く作業についてもノートの方が便利なことが多い。
まず、直しの履歴が全部残る。
2重線で消したり、追記を矢印で挿入したり、そういう風に書いていけば、何をどう直したのかがよくわかる。
デジタル機器で書いていくとこれが残らない。
ちょっと前に書いて消したフレーズが、別の場所で生きたり、全体のバランスの中で復活したり、というのはアナログな方法ではよくある。
ワープロソフトでも履歴を残すことは出来はするものの、かなり見づらく、創造力はあまりくすぐられない。

全体を振り返るのもアナログな方が得意なことが多い。
ノートや紙をパラパラめくりながら、内容をざっと見直したり、必要な情報を探したり、というのはデジタルよりも強い。
これは紙の書類、本にも共通すること。
デジタルだと無目的に振り返る、というのはやりづらい。
何気なくノートをめくって見直す、そうすると過去の自分の有用なメモに気づく、なんていうのはノートならでは。

さて、このネタ。
十数行で終わる簡単な読み物を想定して書き始めた。
しかし、思いのほか書くことが多くこんなに長くなってしまった。
そしてなお、いくつか書ききれなかったことがある。
そんなわけだから、まさかの続編を書くことにする。

結局何が言いたいかというと、ノートと筆記具はいいよ、というコト。
この時代でも、道具としてまだまだ役に立つ。

では今回はここまで。
また。




高松港にて。


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2023/11/05 13:35
久々の休日をのんびりと。
鳥駅スタバにて。



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Update 2023/11/06
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日本語の論文は必要

英語は研究業界の共通語である。
よって研究者は英語で論文を書くべきである。
日本語の論文なんて不要。
研究業績としては評価しない。
この業界にいると、そういう極端なことをおっしゃられる方にお会いする。
と、いうか、それがスタンダードで疑われてすらいない分野もある。

ただ、僕はこの意見は間違っている、と思っている。
今回はこのネタについて。

なぜ、英語なのか

なぜ、論文は英語で書くべきなのか。
これは、英語が研究業界の共通語として認識されているから。
使用人口は非常に多く、英語が母国語でなくても研究者であれば英語ができることが多い。
そもそも、その言語系が必ずしも研究や高等教育に耐えられるとは限らず、母国語で研究ができないという国の人もいる。
こうなると最初から英語を使うことになり、研究業界における英語使用率が上がる。

そんなわけであるから。
英語で論文を書くと、世界の人に読んでもらえる。
限られた、閉じられた社会ではなく、広く世界に成果を発信して、批判にさらされてダメなものは淘汰され、いいものは他の研究に影響を与え、世界の研究業界の発展に寄与する。
査読(論文の審査)も英語であれば全世界の研究者によって行われることになり、母国語のみよりはレベルが高くなる。
こういったことを通じて、世界的に研究が進んでいき、専門知が発展していく。
知識は人類全体の財産である。
よって全世界で共有して発展させていくのがよい。
まあそんなところか。

この意見自体には異論はなく、その通りだと思っている。
ただ、僕の場合、知識を共有する人の範囲が業界スタンダードとズレている。

想定読者は誰か

これは当たり前のことなのだが、論文は誰かに読んでもらいたいから書く。
誰に読んで欲しいのか。
主に世界の研究者に読んでほしい、ということになると、これは共通語の英語で書く、というのが理にかなっている。
世界中の研究者に問うて、誰かがそれを受けて別の研究をする。
問題があれば、叩かれたり議論になったりする。
そういう営みを通じて人類の知識が積み上がっていく。

ところが。
これが分野毎に異なる場合がある。
文化や社会制度などの違いから、日本国内の研究者間でまずは情報を共有したい、という場合もある。
例えば、日本の教育制度の問題点について論じるときなんかは、想定読者は国内の研究者ということになる。
この場合、いちいち英語で書く必要はない。
というか、文化や社会制度が大きく異なる海外研究者向けに書く場合と、それを共有している国内向けに書くのとでは書き振りが異なり、後者の方が深い議論が可能。
英語で書く方が質が低くなりかねない。

想定読者が研究者でない場合もある。
例えば、教育系だと現場の先生、医療系だと現場で働く看護師や福祉職の人だったりする場合があるか。
行政で生かすということになると、公務員にも読んでほしい。
この場合、英語で書くと読んでほしい人に読んでもらえない。
医療系で研究しない医者がターゲットという場合なら、まあ読んでもらえるかもしれないが、多くの非研究者は英語という時点で敬遠をする。

想定読者は誰なのか、は結構大事なポイント。
分子生物や物理学など、世界共通の知を作っている分野の人にはわからないポイントかもしれない。

学生教育と分野の発展のため

僕は脳科学や心理学の中でも、実験を用いた研究を専門とする。
研究室の運営方針としては、自分で興味ある分野を探して自分で研究テーマを探す、というものなので、必ずしも学生さんが実験をやるとは限らない。
が、それにしても、あまりにも実験を選ぶ学生さんが少ない。
というか、一時期まで皆無だった。

今どきの学生さんにとって実験はつまらないのかなぁ、などとずっと思っていた。
しかし、ある時に気づいてしまった。
脳科学や心理学の実験研究は、人類共通のこころの機能の解明を目指しており、想定読者が世界中の研究者となりがちなため、日本語の論文がかなり少ない。
その点、面接や観察を用いた質的な研究、日本語の質問紙を用いた研究は日本語の論文も多い。
すると、日本語で書かれた論文から入る学生さんは、実験研究の論文にたどりつくことなく、研究テーマが決まってしまう。

いやいや、英語で読めよ、と思うかもしれない。
でも、大学院生ならともかく、大学生くらいだと英語で論文を読むのはハードルが高い。
それでも、論文の存在に気づけば英語でも読む。
ただ、探すところまで英語、ということになると、相当にハードルが高くなる。
結果、日本語の論文が多い分野を卒論のテーマとして選ぶ学生さんが増える。
学生さんの多くは学問以外の分野で働くことになるので、卒論で研究をかじった人は業界外からその研究分野の応援団になってくれる可能性があるが、そういう人が著しく減ることになる。
長い目で見ると、分野の発展にとってかなりのマイナスだと思う。

もう一つある。
多くの大学生・大学院生は、学位論文を日本語で書く。
この時、質のよい日本語の論文がたくさんあると、これらがお手本になる。
質のよい日本語の論文の存在は教育上極めて重要で、日本の大学教育の質に大いに影響する。
これは学生教育をやるようになって気づいたこと。

税金で研究をする意味

前にSNSで、研究に税金を投入する意義を問うのを目にしたことがある。
なぜ、税金で研究をするのか。
海外で研究したものをそのまま輸入すればいいじゃないか。
別に海外に行ってその国のお金で研究すればいいじゃないか。
基礎研究なんてどうせ人類共通の知な訳だし、国にお金ない今、それより重要な分野もあるでしょ。
この問いに対して、問われた研究者たちも唸ったもの。

僕は、これの答えの一つが、母国の社会に研究知を還元することだと考えている。
そして、その手段として、日本語で質のよい論文を書く、というのが大変有効だと思っている。
もちろん、日本語の専門書や一般書でもいいのだけど、一次情報として研究成果が日本語でアクセスできる、というのはアドバンテージがある。
読み方は特殊な訓練が必要なのだけど、日本語でアクセスできることで知が研究業界の外にも開かれる。
研究者ではなくても、なんとか読んで研究知にアクセスできる。
母国語で書かれていることで、これができる人が大幅に増える。
その社会に広く知が還元されるのであるから、税金で研究を行う意義は大いにあるということになる。
この特殊な形が、前段で書いた学生教育に活かす、だったり、研究者以外の想定読者に活用してもらう、だと思う。

幸いにして、AI翻訳技術はどんどん向上している。
今後は、母国語で論文を書いて、訳したものを各国の人に読んでもらう、というやり方だってあるのではないかと思っている。

なお、米国の研究予算は世界でも群を抜いて多いという。
これは、米国社会が研究について理解がある、ということの現れ。
ただ、その背景として研究が母国語(英語)で行われていることと無関係ではないと思う。
税金で行った研究がすべて英語で研究者以外もアクセスできる形で論文になる。
これが米国社会の恩恵にならないわけがない。



と、まあ、日頃から考えていたことをまとめてみた。
科学や研究の記述に耐えられない言語系もある中、日本語はこれが可能。
だったら、母国語で科学や研究をできるメリットを最大限活かす、という視点も必要なんじゃないだろうか。
そんなわけで、僕は日本語の論文は必要という立場。

では、また。




ニコタマか。


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2023/09/22 20:55
花金に酒も飲まずに。
川崎にて。



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Update 2024/01/19
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実験協力者募集ー注意に関する研究(大人)(残,男34,女34)

面接調査の概要

心理実験室において、映像を見て手を動かす認知課題を行ってもらいます。
また、課題に関連した簡単な面接と質問紙に取り組んでもらいます。

謝礼

500円の図書カード

調査日程

2023年12月下旬~2024年1月中旬

調査時間

30分程度(説明含む,状況により時間は前後します)

調査場所

鳥取大学地域学部棟4F谷中実験室(4510)
https://goo.gl/maps/BKoLjChGXzgLjT9X6

調査協力者の条件

・18歳以上の大学生
・視力(矯正でもOK )
・色覚が正常な方
・閉所恐怖症でない方

詳細な研究説明書

研究説明書(pdf)

申し込み方法

件名にに「成人心理実験参加希望」とし、本文に下記必要事項を記載の上、メール(アドレス:b20n5203h〔あっとまーく〕edu.tottori-u.ac.jp,〔あっとまーく〕の部分は@へ変えてください)にて申し込みください.
下記必要事項は、調査協力者として参加いただく方を決めるためにのみ用います.
いただいた必要事項の情報をもとに,調査協力者間の属性(必要事項②~⑥)に偏りが生じないようにご参加いただく調査協力者の方を決定いたします.
調査協力者の偏りのため、ご参加いただけない場合がございますのであらかじめご了承ください.
ご参加いただけない場合でも,その旨のご連絡をいたします.

必要事項:
①氏名(フリガナ)
②年齢
③性別
④生年月日
⑤希望の日程(可能な日をたくさん書いていただけると助かります)

注意事項

・メールの返信は平日休日ともに行います
・3日を過ぎて返信がない場合は,メールが届いていない可能性がありますので再度お申し込みください
・なるべく授業の合間等,ついでに行っていただけるように日程調整を行います


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Update 2023/12/25
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