週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

入学後からできる卒論対策

卒業研究、卒業論文
大学生も下の学年だと、先輩からその大変さを聞いていることと思う。
どんなものかイメージできないくせに、大変だという話だけは聞く。
ちょっと不安だなぁ、と思っている人も多いのではないだろうか。

卒研・卒論とは何か。
所属組織にもよるが、基本的には大学生の一番最後にやってくる、学んできたことの集大成と位置付けられている。
これをやるために、必要なことはあらかじめ学んでおき、授業があるのであれば単位を取っておく。
そのわりに、何をしておいたらいいのかは教えてもらうことが少ない。
まあ、大学というところはそういうのも含めて自分で考えて自分で行動せよ、というところなのだけど、それを言ってしまったらここで記事が終わってしまう。
そこで、今回は入学後からできる卒論対策について書く。
なお、卒論はそれ自体から得ることがかなり大きい。
前もって下学年のうちにやっておくべきことをやっておくと、より多くのことが学べる。
どんなことが学べるのかは、 研究(卒論・修論)で身につく能力(研究をしよう31) あたりを読んでいただいて。

しておくべきこと1:書き方の基礎を鍛える

卒論では当然ながら論文を書く。
結構な量の文章を書いていくことになる。
この時に、すでに基礎的な書く力がついていると強い。

この書く力は、大学1年生から大学生活の中で身につけることができる。
一番鍛えられるのは、日々のレポート課題。
これらをしっかりと書くと、結構鍛えられる。

しかし、ただ漠然と書いていてもあまり身にならない。
なるべく早い段階で、ここで紹介している本を読んでおく。
日々のレポートはこれらの本で書いていることを実践する場として活用する。
これだけで、結構書く力は身につくと思う。
これらの本を読むのは、早ければ早いほどいい。
教員によっては、頼み込めば添削をしてくれることもあるので、時々はそういった振り返りを入れる。
これらはやればやるほど力がつくと思って間違いない。

なお、研究系の書く力は、ビジネス系文書全般に共通している汎用性の高い能力。
卒論に生かせるだけでなく、就活のエントリーシートや社会に出てからのビジネス文書においても役にたつ。

しておくべきこと2:読む力を鍛えておく

研究を進めるには、たくさんの論文・専門書を読むことが必要になる。
この時、読む力、読む速度がものを言う。
下級生のうちから、そのあたりを意識して読む力を鍛えておきたい。

では、どうやったら鍛えられるのか。
これは、もう、たくさん読む、に尽きる。
読んだ文字の数だけ、力がつくと思っていい。
授業で推薦されるような本、論文を読むクセをつけておこう。
別に、専門分野に関係する本でなくてもいい。
何でもかんでも読む、雑食的に読みまくるというのがおすすめ。

読んでいてもわからん、というのは読書をあまりしない人からよく聞かれる。
わからなくてもいい。
とりあえず最後まで読む。
そして数をこなす。
これを繰り返すと、いつの間にかついているのが読む力。
大学1・2年生のうちにこれをやっておくと、後がかなり楽になる。

読む力については別記事も書いているので、そちらも参考にしていただいたて。
なお、この読む力には、英語力も含む。
研究論文は、英語で書かれているものも多いため、がんばれば読める程度に力を身につけておきたい。
英語力についてはこちらも参考になる。
僕は大学入学時点では英語が超絶苦手だったが、時間をかけて克服した。
どんなに英語が苦手な人でも、無理やり使わなければいけない環境に放り込まれるとできるようになるので、語学は時間なのだと思っている。

しておくべきこと3:幅広く知識を入れておく

研究をやるためには、当然ながら研究する分野を選ばなければならない。
分野を選ぶためには、選択肢となる様々な分野のことを知らなくてはならない。
分野選びは2年生か3年生の段階で行うことが一般的。
それまでにある程度選択肢とその中身を知らないと選びようがなくなる。
そのために浅いが幅広い知識を入れておく必要がある。

入れる知識は2種類。
1つ目は選択肢となる分野の概要。
所属している学部学科コース等によって、卒論時に選べる選択肢は決まっている。
選べる教員の授業を中心に、必要に応じて本を読むなどして、どの分野でどんなことをやっているのか知っておく。
注意が必要なのは、授業だけではもれる分野があること。
授業は同じ時間に複数設定されているので全部は履修できないし、カリキュラム上、卒論分野を決めた後の学年にしか履修できないものもある。
これらは意識して書籍から学んでおかないと、知識としては入ってこない。
選択できる所属組織の教員一覧から、専門分野の名前、専攻の名前を調べて、新書なんかを読んで内容をさらっておきたい。
まあ、そこまでせずとも、卒研究発表会に顔を出して、卒論生がどんなことをやっているか聞いておくくらいは必須。
これらは早ければ早いほどいい。
分野選択の間際にあわてて調査をするともれる情報が出てくる。

2つ目。
選択肢となる分野以外の教養的な知識も入れておきたい。
卒論が忙しくなってくると、全く関係ないことを学ぶ時間が減る。
しかし、それらの知識が卒論を進める上で意外なところで役に立つことがある。
選択肢外に面白い分野を見つけてしまい、院でそちらに進みたくなるかもしれない。
院に進まずとも、選択肢として用意されている分野と選択肢外の分野の内容を結びつけて研究をする、なんてことはあり得る。
専門とか研究とかのために学ぼうとすると視野が狭くなりがちなのだけど、視野を広げるためにあえて関係ないことをインプットしておくのはとても大事。
何が役に立つかはわからない。

しておくべきこと4:PCのスキルを磨いておく

今や、PCを使わずに卒業研究を進める、卒論を書くなんてことはありえない。
苦手だと言って避けるのではなく、ある程度使えるようになっておきたい。
タイプ練習するなど、特別なことをやる必要はない。
日々の授業やその課題を進める時に、ちょっと大変でもスキルが身につくように意識して作業すればいい。
特に、時短できるような技を教わったら積極的に使いたい。
たまに、PCに苦手意識を持つあまり積極的に避ける人がいるが、これは卒論最終段階で苦しむ。
一番忙しい時期に2倍3倍の作業時間が必要になる。
早めになんとかしておきたい。

これについては関連記事(PCのスキル(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 13 ))も参考にしていただいて。

しておくべきこと5:演習系の授業は全力で

さて。
大学では今まで話したことを総合的に学べる場として演習系の授業が用意されている。
調査実習、実験演習、〇〇プロジェクト、などなど、名前はいろいろ。
これらの授業は、元々研究を見据えて設定されている。
よって、研究する力をつけるための、各種必要なことが盛り込まれている。
そういうものだと意識して、手を抜かずに訓練の場として使うとそれなりに力が身につく。
たいていはグループワークになるので、手を抜こうと思えば手が抜けるのも演習系授業の特徴。
ただし、それをやると必要な力が身につかないまま卒業研究を迎えることになるのであとで苦しむ。
できるだけ全力で取り組むようにしよう。

この演習系授業。
具体的に研究プロセスの一部を体験することになる。
すると、研究を進める上で必要なこと、やっておいた方がいいこと、に気づくこともある。
これらが見つかった場合は、この授業外で自主的に学んでおく、というのが大事。
もちろん、授業科目として用意されている場合もあるので、それらもうまく活用してほしい。
そもそも大学って、そういう場所。



つらつらと書いたが、長くなったので今回はここまで。
ではまた。




横浜のとあるえきにて。


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2023/02/05 15:08
ひきこもり。
自宅にて。


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学会へ行こう4〜学会の準備・フォロー(研究をしよう35)

学会へ行くことにした。
具体的に何をしたらいいのか。
今回はこんな人に読んでほしい記事。
学会に行く前にすること、行った後にしておいた方がいいことを書いていく。
これまでの関連記事はこちらで確認いただいて。

参加学会の検索と申し込み

ここの読者の場合、学会ってなぁに??という人もいることと思う。
自分の分野にはどんな学会があるかがわからない。
そんな人に一番おすすめなのは、教員に聞く、と言うもの。
ざっくりと卒論でこんな分野で研究したいんだけど、関連学会はどんなものが考えられるか。
これをできれば複数の教員に聞いてみよう。
なぜ、複数の教員なのか。
これは、教員によっては1つの学会にどっぷり、というタイプも多いから。
さまざまな学会を網羅的に知らない場合もあり得る。
偏らないためにも、何人かに聞いておくと間違いない。
教員の興味・研究フィールドと、自分の卒論の興味が異なる可能性は大いにある。

論文をいくらか読んでいる人は論文の雑誌からたどる方法もある。
読んできた論文のうち刺さった論文をいくつかピックアップする。
それらの論文の掲載されている雑誌うち、大学が発行している雑誌ではなくて、学会が発行している学術雑誌を探す。
あとは、どこの学会がその雑誌を発行しているか検索すればいい。
書誌情報には必ず雑誌名があるので、それをWebで検索かければ、出版主体が出てくる。
発行主体が大学か学会かわからない場合も、とりあえず雑誌名を検索かけるといい。

参加したい候補の学会名がわかったら次は学会大会の情報を探す。
学会へ行こう、とずっと書いてきたが、ここでいう学会とは、学術集会とか大会とか、学会の主催するイベントのことを指していた。
正確には学会とはさまざまな研究者が集まって作る組織のことを言う。
その学会組織が、年1回や2回、定期的に開催している研究発表イベントのことを学術集会とか学会大会などという。
言い方はその学会によって違うが、字面を見れば大体わかる。
多くの学会は過去の学会の情報を公開しているので、それでプログラムを確認、おもしろそうならその学会へ参加してみよう。

参加にはお金がかかることが多い。
ただ、学部生は激安のこともまた多い。
webで情報を確認して、お金がいくらかかるのか、調べておきたい。
また、参加に際しては事前参加登録をしておくのがおすすめ。
ほとんどの場合、割引価格が設定されているし、学会開催前にプログラムやWebサイト利用権などがやってくる。
事前準備もしやすいので、これはやっておきたい。

なお、当日参加も受け付けていることがほとんどなので、申し込み忘れた場合は当日参加の方法をwebで調べてから学会へ行くといい。

事前の下調べ

学会参加前にプログラムは一度眺めておきたい。
特に大きな学会の場合、複数のセッションが同時並行で行われているため、事前にどの時間はどこに行くか、ざっくりとチェックしておくといい。
当日の気分や聞いた上で別のセッションに行く、というのは自由。
自分の目的に合わせて、聞きたいセッションをゆるく決めておきたい。
なお、初参加で、広く卒論のネタ探しを目的としている場合はポスターセッションを中心に、かなり気になるシンポジウムや口頭発表等を入れ込んでいくのがいいか。

発表については、事前に抄録(研究の概要)が配られるのが一般的。
タイトルを眺めて興味ある、と思ったプログラムについては、抄録を確認して概要をチェックしたい。
概要を見ると、このセッションは違うな、となったり、これは絶対聞かなきゃならんやつだ!となったりする。

抄録はポスターや口頭発表についても1演題ごとにある。
まだ、学会うろつくだけでは理解が難しかも、と感じる人は、特に興味ある研究について事前にこれらを読み込み、当日聞きに行くというのも手。
全く知らん状態だと理解が難しくても、事前に情報があると理解ができる場合がある。
質問などもあらかじめ考えることができるので、当日の時間を有効活用できる。

事前の準備(研究内容以外)

・メモできるもの
歩き回って立って聞いてその場でメモすることが多い。
そのつもりでメモできる何かがあると便利。

・宿の確保はお早めに
大きな学会の場合、その都市の宿容量を圧迫することがある。
なるべく早めに宿を押さえおきたい。
福岡・札幌・仙台クラスの都市だと直前宿確保はかなり厳しいことが多い。
大都市でも他のイベントと重なったため宿確保が難しいことがある。
他の学会と同時開催などもあるが、最大の競合相手はジャニーズのコンサート。
これと被ると、宿の確保が相当に厳しくなる。
ジャニーズのコンサートと被ったため、泣く泣く学会の日程をずらした、という話を聞いたことがあるほど。

・名刺
大学院の進学を考えている人はマスト。
発表を聞いたあと、質問をしたあと、などなどに、名刺交換の機会がやってくる。
特に進学を考えていない人は学会名札をお見せするだけでいいと思うが、大学院の進学先を探している、後で連絡をとる可能性がある場合には簡単な名刺を用意しておくといい。
連絡先教えてくれたら、発表資料の電子版を送ってあげるなんてこともあり、あると便利なのがこいつ。
学部生で、とりあえず見て回るだけ、という場合はなくてもいい気はする。
お目当ての先生がいて、少し深くお知り合いになりたい、という場合は用意しておくといいか。

発表を聞いたあとに

学会で話を聞いて、なんとなく満足しておしまい、というのは避けたい。
後に残るように、発表を聞いた後にしておいた方がいいことがある。

まず、おもしろかった発表について。
タイトルや内容をメモする、以外にできることがいろいろある。
抄録以外の発表資料をその場で配っている場合は、それをもらっておく。
ポスター発表の場合は、ポスターのA4縮小版、口頭発表の場合はスライドを小さくした資料が多いか。
発表者がいる場合は、関連論文はもう出ているか聞いて、その書誌情報を聞く。
発表段階で、発表された研究内容が論文になっていることは少ないが、稀に出版されていることがある。
また、その発表研究の下敷きになった重要な論文を教えてもらえることもある。
学会から帰ってきたら、忘れないうちにそれらの論文を取り寄せて、読んでみる。

まだ論文化されていなかった場合でもその後論文化されることは多い。
本当におもしろい!と思ったら、著者名で時々論文検索かけると、論文化されたときに引っかかってくる。
名刺を持っている場合、論文化されたら教えてほしい、と名刺を渡すのも手。
相手に手間がかかるので、あまりたくさんやるものではないけど、本当におもしろいと思った発表を聞いた時はやることがある。

演題そのもの以外にも情報がある。
それは、研究者に興味を持つ、というもの。
特に、発表を見ていると、ボス(指導教官)の名前が複数の関連研究発表に載っている場合がある。
多くは、連名発表者の一番最後に名前があることが多い。
こういう場合、大体ボス研究者の内容はある特定分野に散らばっている。
その研究者はその分野で研究を活発に行っている第一人者なことが多い。
おもしろいな、と思った分野にそういう研究者の名前を見つけたら、学会から帰ってきた後でその研究者の検索をかける。
この場合、論文検索サイトではなく、Google検索でいい。
すると、本人の個人ホームページが出てくる。
この中には多くの場合は研究業績一覧(論文リスト)が公開されている。
こられのタイトルをざっと眺めると、自分の気になる研究が隠れていることがある。
ホームページに研究業績一覧が見当たらない場合は、論文検索サイトでその研究者名を検索かけることで代用できる。
結構おすすめな、研究検索の方法。
大学院進学を考えている人の進学先選びでも、こいつは正攻法の一つだと思っている。

最近だと、研究者が実名でSNSをやっていることも多い。
おもしろいと思う発表をしている研究者がいたら、アカウントを見つけた上でフォローしてみるのもおすすめ。
研究は研究者の個人的な興味に基づいて行われるものなので、その研究者をフォローしていると、自分がおもしろいと思うような情報が発信されることがある。
おもしろそうな論文や研究のネタを探す新しい方法だと思っている。
なお、ご存じの方も多いとは思うが、僕のSNS ではこういう情報は一切出てこない。


長くなった。
今日はここまで。
ではまた。




皇居前の広場にて。


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2023/02/26 14:07
この時間くらいになると混み始める。
鳥駅スタバにて。


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学会へ行こう3〜学会の楽しみ方(研究をしよう34)

前回までに、学会の概要、発表の種類について書いた。
今回は、大学生(一般の人)の学会の楽しみ方について。
結構いろいろな楽しみ方がある。

卒論のネタを探す

大学生にまずおすすめなのがコレ。
ゼミなどで論文の探し方については学ぶ。
ただ、論文は読むのになかなか時間がかかる。
このため、数が稼げずテーマ選びに時間がかかってしまう。
また、知らないテーマのことはそもそも調べられないので、新しいテーマと出会うのは難しい。
このような問題について、学会はとても役にたつ。

参加して会場を歩き回って、発表を聞きまくろう。
卒論のネタを探すのが目的なので、とにかく見まくる聞きまくるのがよい。

特にポスター発表はおすすめ。
ポスター会場をすみからすみまで歩き回って、タイトルを眺めてみる。
その上で、おもしろそうなポスターをいくつかチェックしておいて、内容をじっくり見てみる。
大学生くらいだとよくわからないことも多いと思う。
そういう場合は、発表者に大学生で卒論のネタ探しに来た、説明してほしい、とお願いしてみよう。
おそらく、大学生のレベルに合わせてていねいに教えてくれることと思う。

ある程度、分野やテーマが絞れている場合は、その他の発表スタイルも役にたつ。
参加前にプログラムを見て、参加するセッションをチョエックしておきたい。
特にポスター会場以外は、当日探すと見たいものに気づかない場合がある。
事前にチェックしてスケジュールを立てておくと最大限楽しむことができる。

発表を聞いたら。
発表のタイトルと著者名をメモしておく。
抄録が公開されていることがほとんどなので、後で内容を振り返ることができる。
著者名とタイトルは後で関連情報を調べるのにも使える。
卒論のネタ探しなので、後で振り返れないというのは意味がない。
この辺のことは、次回詳しく書く。

卒論のテーマが決まらない!
何に興味があるのかさっぱりわからん!!
こういう学生さんは、一度学会をのぞいてみるといい。

知的好奇心を満たす

そもそも学会の存在意義はこれが大きい。
同業者が行なっている、今まさに明らかになりつつある最新の知見に触れて、ゾクゾクする。
これは大学生でも味わうことができる。

どんな問いで、どうやって調べたのか。
どこが新しくて、どのあたりがすごいのか。
これらのことが発表でわかると、おおお、まじか、すげぇとなることがある。
研究者でなくとも、これは味わえる。

大学生だと、そもそも研究の実際を知らないことが多い。
なので、それらに触れるだけでも知的好奇心が刺激される。
「おもしろい!」と感じることができるだけで、学会に行った意味がある。
学問の本質は純粋な知的好奇心、だと思っている。

各種研究技術を鍛える

研究では、問いの立て方、方法論、まとめ方、ロジカルな構成力、発表技術、質問力などなど、さまざまな技術が必要となる。
研究で必要な各種技術については、研究をしようシリーズを一から読んでいただいて。
学会では、これらの技術を鍛える、ということもできる。

例えば発表。
上手な発表は大変参考になる。
こういうのを見ておくだけでも勉強になる。
知らない方法論について、発表でざっくり知って、残りは後で調べて勉強、みたいなこともできる。
図の作り方、表の見せ方などは、見れば見るほど良し悪しがわかるようになる。
たくさん発表を眺めると、よく出てくる方法論などもわかるようになる。
帰ってから勉強してその方法論を押さえておく、なんてこともできる。
チュートリアル・教育講演のように、技術伝達が目的のセッションもあったりする。
このように、参加していろいろと聞くだけでも研究で使う各種技術が鍛えられる。

しかし。
なんといっても鍛えられるのが、質疑。
質問を一生懸命考えて、質問をしてみる。
これはかなり力になる。
質問については別シリーズにも書いてある通り。

質疑については特にポスター発表がおもしろい。
質問をしてその回答を聞いていると、それを後ろで聞いていた別の参加者が「でもさぁ、ここは〇〇ってことはないんですかね?」みたいな質問が飛んでくる。
これらのやり取りを聞いているだけで勉強になるし、内容の理解も深まる。
最初はわからないところと聞く、というだけでもいいので、ぜひ質問をしてみたい。
なお、いい質問、というのは発表者に残るもので、学会で一度すごい質問くれただけで印象に残り続ける場合がある。

学問の広がりを知る(就活に活かす)

わりと欠けがちな視点がこれ。
でもこれ、結構大事だと思っている。

学会にはその学問に関連するあらゆる研究テーマが並んでいる。
基礎研究から応用研究まで、自分の研究テーマや知っていることからかけ離れたさまざまな分野があることに気づく。
心理系だと、実験や質問紙を用いたゴリゴリの基礎研究もあるが、保育、教育、医療に関連した心理学の応用研究もある。
と、ここまではなんとなく知っていることが多いのだが、警察や自衛隊の組織の研究があったり、トヨタやホンダといった企業に属した研究者の研究があったりする。
企業や行政、そのほか、色々な分野から研究が出ていて、自分の卒論の分野がどのような職業と結びついているのか知ることができてとてもおもしろい。
研究やその分野はおもしろいのだけど、それが職業とどう結びつくかがわからん、ということについて、少し情報をくれる。
大学院博士課程までは考えていないけど、院の修士課程くらいまで行って、就職先の候補にしよう!なんてことを考えるかもしれない。

そもそも、研究発表者が職業研究者でないことも多い。
現場で働きながら、困り感を研究の形で解消したい、調べたらまだわかっていなかったので研究をしてみた、などなど。
それぞれのモチベーションで、現場の問題を研究という形に落とし込んで発表している。
将来、研究のフィールドに進む気がない人でも、現場で研究という手法を活かす、という働き方を知っておくことは大変意義がある。
社会に出てみるとわかるのだけど、わかっていないこと、問題だらけのこと、というのは多いもので、こういう時に研究が選択肢になる、というのを知っておくのは悪いことではない。
自分の目指している職業についている人の発表を聞いて、現場の問題をどう研究に落とし込んでいるのか知ってみるというのは自分の卒論のモチベーションにもつながる。
ポスター発表だと、ざっくばらんに話ができることも多いので、研究以外でも有益な情報を得られるかもしれない。

大学院の進学先を探す

ちょっと打算的だけど、王道でかなり有効な方法がこれ。
大学院に行きたい、でも、研究室が選べない、という相談を受けることがある。
論文を読む、本を読む、ネットで情報を調べる、というのもいい。
ただ、学会をうまく利用するのも手。

やり方は簡単で、ポスター発表あたりをぶらぶらする。
興味ある発表を聞いて、質疑をする。
それが教員だったら、大学院を考えていて、いろいろ情報を集めている、と言ってみる。
受け入れが積極的な研究室の主宰者だったら、ここで名刺交換となることが多いと思う。
そうでなくても、研究室訪問の連絡をするハードルがグッと低くなる。

気になっている研究室がすでにある場合にも使える。
前もって、プログラムでその研究室の教員もしくは院生の発表をチェック。
その上で、そのテーマについて少し勉強(論文を読んでおくなど)して、当日発表を聞きに行く。
あとは、ここの研究室の進学を考えている旨を告げれば、名刺交換となったり別に話を聞く時間をもらえたりする。

この方法。
大学院生がどのレベルの発表をしているか、その教員やラボメンバーの雰囲気などについて、直接触れることができる。
大学院レベルでも、研究室ミスマッチは起きるので、こういうやり方で相性を見ておく、というのは悪くない。
学会なので、分野の教員が一斉に集まっていて、一気にこれができるのもまたよい。


と、まあこんなところか。
このシリーズ、もう少し続く。
ではまた。




横浜の港にて。


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2023/02/23 20:02
今日はお休み。
鳥駅スタバにて。


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学会へ行こう2〜学会発表のスタイル(研究をしよう33)

前回は学会とはどのようなものなのか、その概要について書いた。
今回からは具体的に詳しく書いていく。
初回のテーマは発表スタイル。

学会発表というと、発表者がステージに立ち、たくさんの聴衆に向けて講演をする、そんなイメージをお持ちの方が多いと思う。
確かにそういうものもある。
ただ、そうでないものもある。
今回は様々な発表スタイルと、その楽しみ方を書く。

発表スタイルを書く前に、学会全体の話を少し。
学会というと、発表会場が一つだけあって、期間中ずっと話を聞く。
そんなイメージを持たれている方もいると思う。
小さな学会だと、そういうタイプのものもあるかもしれない。
ただ、多くは、複数の発表会場で同時並行で発表が行われ、聞きたいものを自分の興味に応じて聞きにいくスタイル。
ずっと聞いている必要はなく、興味のある演題がない時間帯は聞いたことのまとめをしたり他の研究者と交流をしたり休憩したりする。
会場にはそのための休憩スペースが設けられていることが多く、会場併設のカフェやレストランも参加者同士の交流で混み合っている。
もちろん、会場外へ出てご飯等の休憩に行くことも自由。

次は、発表スタイルごとに書いてゆく。

口頭発表

聴衆の前に出て、持ち時間内で自分の研究について話すスタイル。
スライドや手元資料をもとに、自分の1つの研究成果について紹介するというもの。
学会発表というと一般的にはこのイメージを持つ人が多いのではないだろうか。
口述による卒論発表会をイメージしていただければ大きくははずれないと思う。

学会の場合、演題募集に応じて応募し発表演題が決まる。
多くの場合は、応募のあった演題についてテーマごとにいくつかのセッションにまとめられ、分野ごとに同じ会場や時間帯で発表プログラムが組まれる。
例えば、心理系の学会だと、A会場の9:00-11:00は「発達」、B会場の9:00-11:00は「認知」などのようにセッションが設定され、それぞれの演題の内容に合わせてプログラムに組まれていく。

通常、セッションごとに司会進行役の「座長」が置かれている。
多くの場合は、セッションの分野で有名な研究者が充てられており、司会進行や聴衆と発表者の橋渡しをする。
博士課程の院生クラスになると、「座長」は知っている人の場合が多い。
発表は、決められた時間しゃべり、あとは質疑、という流れ。
時間は厳守(それをやらないと、後ろの時間帯の発表者が発表できなくなる)で、座長は結構シビアに時間を切ってくる。
質問は、フロア(聴衆)に何かないか、と問いかけ、なければ座長が2、3質疑をする、ということが多い。

口頭発表のいいところは、会場で座っていると次から次へとその分野の最新研究が流れてくること。
ある程度その分野のことを知っている場合は、先端研究のアップデートにつながる。
悪い点は、発表者との距離が遠く、時間が限られていること。
精神的にも時間的にも質疑のハードルが高く、気軽な感じはない。
質疑も他の聴衆と時間を共有しているので、しょうもない質問はしにくいし、しない方がいい。

学生だと、口頭発表は発表の勉強にもなる。
発表者は、発表に慣れた人も多い。
どのように発表するのか、そのお手本になるものが多い。
しゃべり方、スライドの構成・デザイン、出てくる質疑やその受け答えなどなど。
本職や院生クラスが、学内の卒論・修論発表会では見られないクオリティの発表をしてくれるので、とても勉強になる。
ダメな発表ももちろんあるのだが、いい発表に混ざっているので、ダメな感じが結構目立つ。
それを反面教師として自分の発表の参考にする、というのもまた勉強になる。

ポスター発表

研究者だと一般的だが、それ以外の人だと、なにそれとなるのがこのスタイル。
学会にもよるが、規模の大きな学会ほどこの発表が多い。
口頭発表よりもポスターの方が演題数が多いという学会はわりとある。

ポスター発表とは。
各発表者が研究発表に関するポスターを貼り出し、その前に待機して見に来てくれた人に説明するというもの。
ポスターは映画などの大判ポスターを思い浮かべてくれればいい。
A0サイズ(横1m弱×縦1m強)等の大判ポスターが貼れるボードが発表会場にずらっと並んでおり、そこに用意したポスターを貼る。
演題数は、学会によって異なるが、大規模なものだと数百にもなる。
ポスターには、研究の目的、方法、結果、考察、結論のキーポイントが書かれており、これを使って発表者が解説する。
貼る時間、発表者が待機する時間が決められているので、その時間帯にお目当ての発表を聞きに行くというスタイル。
口頭発表同様、演題はテーマごとにまとめられているので、ぶらぶらとポスター会場を歩きながら、ポスターを眺めては面白そうな発表を探す、というようなことができるのがこのスタイルの特徴でもある。

ポスター発表の醍醐味は、なんといっても発表者との距離の近さ。
ポスターの前で会話をするように発表者から説明を聞くことができる。
聞き手の知識レベルに合わせて話してくれる発表者も多く、話をする前に、こちらの情報(どのフィールドで研究している人か、学生なのか臨床家なのか、研究者なのか等)を聞いた上で、話し方を変えてくれることが結構ある。
口頭発表よりも基礎的な確認の質問がしやすく、議論がしやすいのもポスター発表の魅力。
教科書で見るようなすごい先生が、ふつーにポスターの前に突っ立っていて気軽に教えてもらえるというのは、他のスタイルにはない醍醐味。

僕は発表者としても聞き手としてもこのスタイルがかなり好き。

シンポジウム

口頭発表に似ているが、ちょっと違うのがこれ。
簡単にいうと口頭発表のセッション丸々企画してしまう、といった感じ。
例えば、「学習障害の基礎メカニズムと支援」のように、シンポジウムのテーマが設定される。
時間は口頭発表の1セッションと同じくらいで、2時間程度が多いか。
この枠内で、企画者が各研究者にオファーを出し、発表をしてもらい、シンポジウム全体として何らかのメッセージを出す。
学習障害の例だと、基礎研究に〇〇先生、支援に関する研究に××先生、まとめの討論役に大御所の誰それ先生、というように、企画者が人を充てていく。
発表者は、企画に合わせて、自分の過去の研究を発表したり、研究のレビューをしたりする。
討論役や企画者が最後に発表を受けて議論し、議論を聴衆にもふって、シンポジウムとして問題提起を行う、結論を述べる、というような流れ。
企画は口頭発表やポスター発表と同じく、一般に募集する場合と学会の大会役員が企画する場合の2つがある。
前者の方がマニアック、後者の方がバランスが取れたものになりがち。

シンポジウムの良いところは、そのテーマについて様々な角度から掘り下げられるところ。
よくオーガナイズされたシンポジウムは勉強になり、刺激を受ける。
口頭発表とは異なり、発表者が必ずしも1つの最新研究を発表するとは限らないのが特徴。
発表によっては1つの研究を議論するというのはできないかもしれないが、過去の研究も含めて重要な研究を学べるという意味では役にたつ。
難点は、シンポジウム全体として当たり外れがあること。
口頭発表の場合は、1つ1つに当たり外れがあり、セッション全体で全部外れということは少ない。
対してシンポジウムは、シンポジウムの企画とそのオーガナイズがへぼいと全部外れという場合がありうる。

招待講演・受賞講演

学会の目玉として企画されるのがこれ。
基本的には口頭発表だけど、1つの研究だけをしゃべる口頭発表とは異なり、発表者の裁量で自由にしゃべるのがこれ。
「講演」ということはそういうこと。

招待講演は、学会大会役員が大物研究者を選んできて、お越しいただいて喋ってもらうというもの。
かなりの大物なことが多いのが特徴で、大変勉強になり刺激になる。
大きな学会だと、海外から呼ぶことも多く、英語で聞けることが前提であることもある。
キーノートレクチャーという名前がついていることもあるが、大物に講演してもらうという意味ではほとんど同じもの。

受賞講演も、大物の講演。
学会では学会の中でとてもすごい人に賞を贈ることがある。
この受賞者に記念講演をやってもらうのがこれ。
受賞するくらいの研究業績がある大物が、自身の研究を中心に話を組み立てた内容を聞くことができる。
こちらは、その人の研究史みたいなのが聞けることがあり、とても刺激になる。

これらの講演は、発表者の研究テーマについてざっくり学ぶ時に役にたつ。
研究をする者としては、コツコツ、綿密に進める一連の研究の話を聞くのもまた楽しい。

チュートリアル・教育講演

学会参加者に、学んでもらう、というのを目的に設定されているのがこれら。
研究発表ではなく、あくまで、技術や知識の伝達が目的。
対象者は、専門から少し外れた研究者だったり、研究者以外のその分野の実践家だったり、様々。
分析方法、最新の研究からわかったこと、新しい技術的なレクチャーなどなど、が並ぶ。
これらについて、その分野の一線の研究者が教えてくれるので大変役にたつ。

大学生や大学院生だと、これらをいくつか狙って参加するのも手。
取りこぼしがないように、あらかじめプログラムで提供されているものを確認しておきたい。
最近だと、事前予約が必要な場合もあるので、情報に注意しておくことが必要。

出版社・企業ブース

学会はお金がかかるので、学会に関連した出版社や企業にお金を払ってもらい、企業ブースを出してもらうことが多い。
いわゆるスポンサーってやつ。
例えば、神経系だと実験ソフトの会社や脳波計の会社などがデモ機などを出している。
心理系の学会だと、心理系の専門書・教科書の出版社は大集結している。

ここも結構おもしろい。
特に学生さんだと、出版社ブースがおすすめ。
ほとんどの出版社が、学会に関連した出版中の本をブースに並べて売っている。
本の数としては、丸善本店の教科書・専門書コーナを凌駕するほど並んでいる。
その分野に興味を持っている学生さんだと、あれも欲しい、これも欲しい、となるはず。
それらの本の著者が、その会場のどこかにいるわけだからちょっと不思議な場でもある。

学会公式懇親会

夕方から夜にかけて、懇親会なるものが設定されていることがある。
ここは、参加者同士が交流する場。
立食形式で、酒を飲みながら、というようなことが多い。
なお、強制参加ではないので、参加しない発表者も結構いる。
僕もここにはほとんど参加しない。
学会終わったら、一人でどこかに遊びにいくか、少人数の研究者・学生グループと飲みに行くのがほとんど。

僕が過去に参加した懇親会は、海外の学会で、ポスター発表の会場がポスターそのままに懇親会になるというやつだけ。
お酒を飲みながら、ポスターの前で自分の研究をしゃべったり、気になる発表のところに行って議論したりできて、とてもおもしろかった。
なんとかかんとかパーティーという名前がついていた気がする。
日本でもやればいいのにーと思うものの、日本だと業界外から批判が来そう、と思ったり思わなかったりする。


と、まあ、長くなったが、学会発表のスタイルは書き切った気がする。
これらを参考に、事前にプログラムと睨めっこしながら自分の目的に応じてどれを聞くか戦略と立てて参加することになる。
なお、これらはもちろん典型例で、学会の規模や文化によってスタイルは多少異なるので悪しからず。

次回は、目的別楽しみ方について書く。
ではまた。




横浜にて。


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2023/02/19 20:16
ひきこもり。
自宅にて。


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Update 2023/02/19
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年度末の大学教員は絶望的に忙しい(大学教員・研究者という生き物 10)

久々このシリーズ。
年度末、1月から3月。
この時期の大学教員は忙しい。
絶望的に忙しい。
いや、ほんと。
今回は、なんで?を書いてみる。

まず、卒論総仕上げの季節。
これは、最終学年になればわかるが、結構大変。
そして、この大変、は指導教員にも波及する。
計画的に余裕をもって進めばいいのだけど、もちろんそんなことはなく。
もうギリギリになった卒論生から次から次へと質問や相談がやってくる。
余裕ある組は書き上げた論文を出してきて、コメントを求めてくる。
これがひっきりなしに、しかもそれぞれのテーマでやってくるので、やってもやっても終わらない、ということになる。
年末、紅白を見ながら卒論に赤入れ、なんていうのは大学教員間ではよく聞く話。

加えて、学期末。
質問OKのオーラを出している教員だと、試験前は質問にくる学生も増える。
試験前は質問で予約がいっぱい、というようなこともしばしば。
当然試験については、その実施や採点、成績処理もある。
これも結構時間を取られる。
採点の祭典、なんてシャレが、大学教員からもれてくることもある。

学期末に加えて、学年末でもある。
学年末特有のイベントもかなりやってくる。
例えば、演習系の科目だとまとめや発表会などが設定されていたりする。
すると、これに対応して質問・相談・指導が増える。
卒論や試験前質問にこれが重なると、目がまわるくらいには多忙になる。

これくらいなら、なんとかなるのだが、まだまだある。
年度末は事務や研究もまとめの季節。
各種〆切のお仕事がやってくる。
チームで研究をやっていると、まとめの会議に呼ばれたりもする。
年度末に研究ミーティングは集中する傾向があり、あっちいったりこっちいったり。
そのための研究やそのまとめもまた、集中する。
卒論生が論文の〆切に追われている中、その後ろで教員自体が論文の〆切に追われているなんてことはわりとある話。
事務系の仕事もまたこの時期は多い。
予算の〆、書類の〆、各種手続きの〆、〆〆〆。
特に事務作業が苦手な教員は、やられる。

そろそろ、許したれ、と思うのだが、そうは問屋が卸さない。
入試のシーズン到来である。
国立大だと、共通試験、推薦、前期、後期、とこの短い期間に詰めこまれる。
これ、当たり前なんだけど、誰かが試験問題を作り、誰かが会場を設営し、誰かが試験監督をする。
ミスの許されないお仕事で、気が張り詰めるのもこの種の仕事の特徴で、大変疲れる。

そして、トドメが、次年度の準備。
シラバスのこの部分をこう書きましょう、システムが変わったので新たな入力よろしく、新入生の配る資料の作成・確認してね、などなど。
多種多様にわりとたくさんある。
年度ごとに各種係の担当がえがあるもので、その引き継ぎなんかもある。

かくして、この時期は絶望的に忙しい大学教員が量産される。
字面で見るとなんとかこなせそうな気がしないではない。
ただ。
一つ一つの仕事はそこまでではないのだけど、量がある一定レベルを超えたあたりからわけがわからなくなってくる。
作業中に、急ぎの仕事が入って中断してその仕事に移っている最中に、コンコン質問いいですかの最中に、電話で「センセイ、〆切過ぎたあの書類出てません!」的な感じで、あれ、オレ最初何やってたんだっけ???みたいになることがしばしば。
これはオレ特有の問題かもしれないが。
そんなわけだから、ぜひ、やさしさをもって見守っていただいてですね。


では、今回はここまで。
また。




東京都内にて。


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2023/02/12 17:50
ふむー。
鳥駅スタバにて。


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Update 2023/02/12
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コピペはバレる

大学生になると、レポートというなかなか大変な課題に直面する。
どうしていいかわからない。
時間も取られる。
思わず、ネットに転がっている情報をコピペして、、、、なんて良からぬことを考えてしまうこともあるかもしれない。
ただね、それはバレる。
確実に、バレる。
大学教員を甘く見てはいけない。
今回は、なぜバレるのか、について書いていこうと思う。

大学生とレポート

さて。
なぜバレるのかを書く前に、レポートというものについて書いておく。

レポートは別に苦役を科すために出されるわけではない。
膨大な情報を調査して読み込んで、内容を整理して、文字として表出する。
教育的意図としては、その過程において、調査能力、情報の整理、大事な箇所の把握、まとめる力、文章力等々を磨くために出すことがほとんど。
これは高校までではあまり磨かれてこなかった能力。
ただ、卒業研究などで役にたつ力であるし、社会に出てもかなり重要になる汎用性の高い能力たち。
大学においてこれらの能力を磨いて欲しくて、レポートが高頻度で課される。

評価で用いられる場合は、授業における達成度をレポートを通じて測りたい、という意図による。
授業を受け身で聞くだけでなく、自分で色々調べることも授業の到達目標に含まれていることがほとんどで、そのためにはレポートによる評価が最適、というわけ。

ところで。
学問の世界では、他人の文章をコピペするというのは御法度である。
少し表現を変えて内容をほぼコピー、原典を打ち直し、というのも同様。
もしこれをやると盗用と認定され、一切の信用を失う。
大学教員であれば、懲戒処分(たぶん、クビ)は免れず、普通はもう業界に帰って来れない。
そのくらい重い行為である。

大学生というのは、受け身で知識を学ぶ高校生までとは違い、学問の世界でその端くれとして主体的に学ぶ者とみなされる。
高校生までを「生徒」、大学生を「学生」と区別して呼ぶのもこのせい。
当然、その学問の世界の端くれたる学生が「盗用」をやれば、厳しく教育されることとなる。
多くの大学では、カンニングと同等の扱いになり、懲戒の対象になるか、その期の単位が全部無効になる、というような処分がなされる。

ルール的にアウト、というだけでなく、自分の能力を磨く機会を失うことになるので、実にバカバカしい。
いかに未熟だろうが、一生懸命自分で書く。
こういう経験は裏切らないので、意識して課題に取り組むのがいいと思う。

様々なコピペレポートとコピペの特定手順

コピペには色々な方法がある。
丸まるコピペ。
複数サイトからコピペ。
教科書を打ち直し。
これらの表現を一部変える。
自分の文章とコピペ箇所を混ぜる。

これならばれんだろう、と思うかもしれないが、バレる。
バレる流れは、だいたい以下。
(1)何らかの違和感
(2)コピペ元の文書の特定
(3)レポートとコピペ元の比較とコピペ箇所の特定

バレるポイント1:違和感

コピペレポートに気づく最初は違和感。
じゃあ、違和感のないコピペすりゃいいと思うかもしれないが、アマイ。
この違和感は、コピペである以上、どうあっても生じる。

まず。
web上の情報を頼っている時点で、まーったく教えてもいない内容や間違った内容を含むことが多い。
一方の大学生は、授業を受けている時点で知識レベルは学習中のレベル。
知っているはずのない知識レベルのことが書いてあるわけだから、アレ、何だこれは?と違和感を感じる。
もちろん、自分でしっかりと勉強して書いていることだってある。
だから、違和感だけでコピペ認定はしない。
この学生はどこからこの情報を持ってきたのだろうか、と元になった情報を探すことになる。

他にも違和感を感じるポイントはある。
次は文章から感じる違和感。
学生さんはわからないだろうが、文章を書くにはそれなりの能力が必要。
Webだろうが教科書だろうが、プロが書いたものにはその能力が反映されている。
訓練中の大学生では書けないレベルの文章がレポートにあるわけで、あれ?となる。
複数のコピペ元がある場合、自分の文章が混ざっている場合はいよいよ違和感を感じる。
文章のレベルやクセが異なる文章が混在するわけで、出典が切り替わった箇所で文章の質が変わってしまう。
小説に作者のクセが出るように、専門的な文章であっても作者のクセは出る。
これは、書き手や読み手としてそれなりに経験を積んでいるとすぐ気づく。
ただし、コピペをする学生さんの能力では気付けないことが多い。
かくして、違和感を生じるレポートが出来上がる。
あとは、情報源を特定、という作業に移ることになる。
知識レベルに関しては、主体的に勉強した結果であることも多いが、この文章の違和感の場合はコピペである可能性が結構高い。
複数の友人のレポートを丸写しした場合なんかもこれにあたり、バレる。

バレるポイント2:コピペ元の特定

違和感を感じたら、情報源を探すことになる。
大学教員は、大学生が思うよりもずっと検索・調査する能力を持っている。
だって、仕事なんだもん。
先行研究調査において漏れがあっては、せっかく手間暇かけて進めた研究が論文にする段階でダメになることがある。
「〇〇である」と言い切るために、何度も何度も調査しまくる。
文書の存在はわかっているけど、一部の断片的な情報しかない場合でも、なんとかしてお目当ての文書を見つける。
こういうことは日常茶飯事なので、断片情報さえあればわりと簡単に引用元を見つけてこれる。

書籍から引用した場合でも同じ。
こういうこと言っているのはこの辺りの本だろうな、とあたりをつけて開くとまあ大抵あっている。
なんたって、教えている分野の本はある程度網羅していて、書いている人も知っている。
特定自体はそんなに大変じゃあない。

なお、最近はレポートをデータベースと付き合わせて、コピペ箇所を探すツールもある。

バレるポイント3:コピペ箇所の特定

コピペ元が特定できれば、あとは単純作業。
レポートのどの部分がコピペ元と同じかを特定する。
引用で許される範囲を超えて、ほぼ同じということになると、あえなく不正認定となる。
細部の表現を変えてあっても幹となる部分が同じだと、かなりの箇所が同じ文字となり、やはりバレる。

見抜く教員、見抜かぬ教員

ここまでつらつらと書いてきたが、大学教員であれば大学生のコピペを見抜くのは容易い。
それでも、コピペが指摘されずに通る場合はあるかもしれない。
この場合、別に大学教員が能力がない、というわけではない。
見抜いているのに、見逃している、という場合が多い。
そして、それは優しさでもなんでもなく、見捨てられている、と捉えた方がいい。
違和感を感じて、それを手間暇かけて特定、不正を報告する。
ものすごいエネルギーが必要である。
当然人によっては、そんな時間を使うくらいなら、熱心に聞いている学生のための教育に時間を割きたい、研究をする時間に使いたい、という場合もあろう。

こういう場合、真面目にやっている学生が、コピペ学生に対してずるい!と感じることがあると思う。
ちゃんと特定して、単位なんか出すな、と。
感情としてはわかる。
でもね。
そういう場合のコピペ学生。
単位はとれるけど、冒頭に書いたレポートの作成過程で身につく各種能力は身につかない。
教員にしても、まあ、別にそれでいいや、ということなのだと思う。
真面目にやっている学生は、その経験に応じて能力が身につくことは間違いないので、ずるいと思う必要はあまりない。
そしてこういうのは、年月を重ねるほど、差として出てくる。


以上、コピペはバレるよってお話でした。
なお、僕はレポート課題自体を出さない。
前に提案して強く反対されたゆえ。
代わりに、レポートで身につくような各種能力の教育は、演習や卒論系の教育活動でやることにしている。

ではまた。




たまには縦構図写真。
横浜すな。


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2023/02/04 18:13
ひきこもり。
自宅にて。


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Update 2024/01/11
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国会議員の報酬は多すぎない

国会議員の歳費(給与・報酬)を減らすべきだ。
身を切る改革として、国民感情に配慮して、などなど、さまざま理由からこの主張がなされる。
ただ、僕はこの主張には反対。
民主主義という仕組みを維持するために、今の水準の歳費は必要という立場。
今回は、このことについて書いていこうと思っている。

歳費の現状

歳費についてはまず、憲法に規定がある。

第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。(日本国憲法

そりゃあ、我々の代議員なので、それなりの人に就いてほしい。
歳費が「相当額」というのは、まあ妥当だと思う。

じゃあ、この「相当額」がどんなものなのか。
これは国会法に規定がある。

第三十五条 議員は、一般職の国家公務員の最高の給与額(地域手当等の手当を除く。)より少なくない歳費を受ける。)(国会法

基準としては国家公務員の給与が使われる。
「相当額」としては妥当な基準じゃないだろうか。
国会議員が公務員をコントロールしていく、というその立場・職責から考えても、国家公務員よりも有能な人材になってほしい。
給与も当然、それに見合った額ということに。
なお、国家公務員の最高額は、指定職8号俸(事務次官他)の俸給月額1,175,000円(令和4年11月18日、一般職の職員の給与に関する法律)。
この俸給表は、毎年、民間の給与水準について調査の上、官民の差が生じないように改定される。
基本的には国民の給与と連動して決まっていると考えてよい。

実際の歳費額は,国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律で規定。

第一条 各議院の議長は二百十七万円を、副議長は百五十八万四千円を、議員は百二十九万四千円を、それぞれ歳費月額として受ける(令和4年4月22日、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律)。

これを見ると、国家公務員の最高額と国会議員の給与の差は俸給月額で12万円ちょい。
そこまで大きくないことが分かる。

これ以外に手当(国会法第三十八条 議員は、国政に関する調査研究、広報、国民との交流、滞在等の議員活動を行うため、別に定めるところにより手当を受ける。)が支給されるが、これらは経費的な性質のもので給料とは異なるのでここでは論じない。
国会議員の給料が高すぎる、と主張している人たちの中には、歳費として明示している額にこの手当を混ぜていることがあるので注意が必要。
その場合はかなり高額をもらっているように見えるが、あくまで経費なので歳費として考えるべきではない。


つらつらと歳費の現状を見てきた。
この歳費を高いとみるか安いとみるかはばらつくだろうが,妥当な額だというのが僕の感想。
国会議員は任期が定まっていること、衆議院議員の場合は解散などで急に失職することがあること、選挙で勝てないと無職になること、などを考えると、この額はそこまで高額とは思えない。

報酬が高くなければいけない理由

民主主義の仕組みを考えた場合、議員報酬は国内労働者の中で比較したとき高くなければならない。
なぜか。
答えは簡単で、議員になるハードルがかなり上がってしまうから。
これは議員になれる人が限定されることを意味する。
どういうことか。

例えば、議員報酬が自分の収入よりも低かったらなろうと思うだろうか。
いくら国ため、公のためと、崇高な志はあっても躊躇するのではないだろうか。
議員報酬の方が多少高かったとしても、現在の雇用が無期で安定している場合はトータルでは損をすることになりかねない。
独り身ならまだしも、家族がいる場合は家族が難色を示すだろう。
少なくとも生活水準が下がるなどの形で、家族が迷惑を受ける。
議員になる、という極めて大事な民主主義上の権利行使が経済的な問題から難しくなるというわけ。
報酬が低いと参政権の一部が制限される、ということ。

では、議員報酬が低い場合、何が予想されるだろうか。
この場合、議員報酬よりも低い収入で働いている人、収入の低さを別の収入で補える人、といった人たちが議員の有力候補ということになる。
有為な人材を広く世の中に求める、ということは難しくなる。
例えば、事務次官など、国家公務員の幹部級が国を憂えて議員に転身すると、大損をすることになってしまう。
極端な話、議員報酬をゼロにすれば、お金持ちしか議員にならなくなる。
そうなった場合の国の政策は、お金持ちに有利なものになるのは想像に難くない。

もし、報酬が低かったら他に何が起きるか。
おそらく不正や利益誘導が増える。
役得的に得をしようとするものが現れるだろう。
そうでなかったとしても、議員の職務の手を抜いて、副業(場合によっては本業)に精を出す者が増える。
選挙にお金がかかる、というのが本当であれば、議員報酬が低い以上それで補う以外に方法がなくなる。
そして、それをやったもの(もしくは、元々お金持ち)が、選挙で強くなる。
構造的にそうなるので、これは仕方ない。

ちゃんと仕事しない議員が出ても、咎めづらくなる。
あんな安い報酬で働いてくれてるんだから、仕方ないよね、となる。
報酬が少なくなり、ボランティア性が高まれば高まるほど、選ぶ側・選ばれる側双方にそういう意識が現れる。
そして、このような政治がいいものとは思えない。


このように、高い報酬には、(1)経済的な理由で議員になれない人を減らす、(2)高い報酬に見合う働きを期待する、(3)報酬は十分あげているのだから不正なことはしてくれるな、という意味合いがあると思っている。
これが僕が議員報酬は減らすべきでない、と考える理由。

なお、一部地方議会の議員については、すでにこの問題が顕在化している。

よくある議員報酬高すぎる論への反論

論1:諸外国との比較

諸外国と比べて、日本の国会議員の報酬は高すぎる。
わりとよく見る主張。
これは2つの点から、間違っていると思う。

まず、元のデータの正しさの問題。
日本のデータは歳費以外の手当・経費を含んでいることが多い。
「報酬が高すぎるから下げろ」との主張の場合、高さを強調するあまり、このように高く見える計算をしがち。
そうであっても、諸外国の報酬額が同じ計算方法ならいいのだが、それが同様であるかどうかがわからない。
そもそも制度自体が違うので、経費的な「手当」は別の仕組みで実現されている可能性があり、それがどのように精査されているのかわからない。
このあたりは、その国の制度を一つ一つ精査した上で数字を算出しなくては意味がなく、政治学者などの専門家しかできないはずなのだが、出典がそうなっていないものが多い。
比較自体、ナンセンスなものが多い印象を受けている。

続いて、2つ目。
仮に、データが正しいとして。
諸外国に比べて高いこと、低いことに、一体どんな意味があるのだろうか。
議員候補者は、日本国内の日本人である。
国内の物価、平均的な年収、将来の生活設計、文化や労働関係の制度・慣習。
これらによって、その国の人が求める報酬のレベルは変わる。
転職が当たり前の国と、無期雇用の獲得が難しい国では、同じ報酬額でもその価値は異なる。
福祉が高度に発達している国では、将来に備えるための報酬はあまり必要ない。
このように、報酬の価値は国によって大きく異なるので、国際比較自体が無意味だと思っている。

元々、日本国内に住む日本人の中から、有為な人材に国会議員になってもらうという話。
そう考えると、国会議員の報酬は同じく日本国内で得られる他業種の報酬額との比較で決まるべき性質のもの。
歳費の現状の項目でも書いた通り、元々そういう仕組みになっている。


論2:財政的な理由

我が国の財政が厳しいので支出を抑えるために必要、というのも聞く。
ただ、効果のわりに弊害が大きいというのが僕の考え。
衆議院の定員は465人、参議院の定員が248人(公職選挙法第4条)。
ざっと、700人。
一人当たりバッサリ1000万円(約半分)くらいカットしたところで70億円にしかならず、たいした節約にはならない。
日本の一般会計予算が100兆円くらいなので、焼石に水というか。
節約できる額に対して、ここまでに書いた弊害の方がはるかに大きい。

気持ちよくお金出して、しっかり働いてもらう方がいい。

国会議員の人数を減らす論も、同様の理由であまり意味がないと思っている。
議員が減るということは多様性が減るし、議論による政策・予算の調整が減るので、民主主義的にはマイナス。
これは、気が向いたら別のところで書く。


論3:報酬に見合う働きをしていない

これはね、お気持ちはよーくわかる。
寝ている議員さん、へんなこと言う議員さん、自分の欲得に走る議員さん。
あれで、この報酬額かよ、と思うことはある。

ただ。
だから下げたらいい、は反対。
まず、ダメな議員さんに合わせて下げたら、報酬額はその議員さんのダメな行動に合わせられることになる。
議員としての働きの水準をそれで認めることになってしまう。
あくまで、求める仕事の水準があって、それに合わせて報酬額が決められるべきもの。
求める仕事の水準は理想的な方がよく、安易に下げるべきではない。
ダメな議員に文句を言うことができるのは、期待する仕事に対して相当の報酬を払っているからだと思う。

反対の理由はもうひとつ。
報酬を下げよう、で注目されるダメ議員の後ろには、真面目に一生懸命、しっかりと仕事をこなす議員さんもいる。
そして、しっかりと仕事をこなす議員の姿というのは、あまり目を引かれない。
議員報酬を下げるということは、ダメ議員に釣られて、こういう議員さんの報酬を下げることでもある。
報酬下げの議論をするときは、ダメ議員を思い浮かべるだけではくて、評価している議員さんを思い浮かべるのも大事だと思っている。
そうすると、安易に下げよう、という発想にはなりにくい。
ダメ議員は、期待される水準の仕事をしていないという評価なわけだから、選挙で落とすというのが筋。


まとめ

報酬下げ論。
その多くは感情的なものだと思っている。
感情からスタートして、もっともらしい理屈を選んでくる。
ただ、こういう場合、論理的に物事の良し悪しを判断しにくくなっているもの。
一度立ち止まって、自分の感情を認識した上で、論理的に考える。
これは、あらゆる社会的な問題を考える上で有効。
まあ、なかなか難しいのだけど。


すごい長くなってしまった。
今回はこの辺で。
ではまた。




横浜だよ。
帆船だよ。


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2023/01/15 15:58
コーヒと休暇。
鳥駅スタバにて。


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