週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

院に行きたい人が知っておきたいこと(大学院へ行きたい人へ6)

僕は地方国立大の学部経由、大手国立大学・大学院(修士)というコースをたどった。
周りには院への進学を志す人がほとんどおらず、研究大学の学生なら当然知っていることを知らなかった。
そこで、当時の僕を想定しつつ、知っておきたいことをいくつか書く。

事前に指導教員にコンタクトをとる

当たり前のことなのだが、試験前に指導教員にコンタクト取っておくことがマスト。
僕は学部が研究研究したところではなかったので、そんなことは知らなかった。
学部生の時に受けた大学院は3つあったのだが、どの募集要項・案内にもそんなことは書いていなかったため、事前コンタクトを取らずに入試を受けるという暴挙に出た。
合格後進学先を決めるために各教員のところに話を聞きに行った際、どの教員からも驚かれ、あぁ事前訪問が基本なんだ、と知った。
内部進学や研究大学に学部からいる学生にとっては当たり前の話だったらしく、そんなの知らないよー、と思ったもの。

では、いつぐらいにコンタクトを取ればいいか。
3年生の後半か、遅くとも4年生の前期のうちに行っておきたい。
試験前に慌てて行くとあってもらえない可能性もある(試験の不正の可能性とか忙しいとか色々ある)ので、時間に余裕をもってアポを取りたい。

なお、会いに行くのであれば、その先生の著書や研究室の論文を数本は読んでから行くといい。
できれば、それらの論文と自分のやりたいことを結びつけて話をすることができれば吉。
慣れてなくて緊張するかもしれないので、あらかじめ聞きたいことを考えてから行くのも大事。
きっと有意義な時間になると思う。

授業以外は研究室が大学院生活の基本

大学院生も学生なので授業がある。
では授業以外は暇なのか、といえば全くそんなことはない。
基本的には研究室に机が与えられるので、そこで研究したり勉強したりすることになる。
大学生とは根本的に異なり、毎日登校して研究室に詰める、という生活になりがち。
修士の院に進学して1週間くらいで、あぁこれは給料が出ないだけで仕事をしている感覚に近いな、と思った。

研究室の運営スタイルにもよるとは思うが、僕が在籍した大学院2つについてはほとんどの研究室で平日に研究室が基本だったと思う。
これは分野によってちょっと異なるかもしれない。
バイト三昧でほとんど大学に行かない、みたいな生活を考えているのであれば、研究大学の大学院はやめておいた方が無難かもしれない。
この点は、研究室訪問などをして先輩たちに聞いてみるといいと思う。

経済的なこと

結構大事なのがこれ。
まず、大学院は学部に比べ奨学金の額が上がる。
大学院の中でも修士より博士の方が高い。
博士課程の場合、無利子奨学金の額が月2桁万円になる。

大学が経済支援をやっている場合もある。
多いのはアシスタントとして雇用するというもの。
修士だとTA(Teaching Asistant)、博士だとRA(Research Asistant)として雇用して、授業補助や研究補助として雇用することで経済的な支援をする。
他にも、独自の給付をやっていたり、奨学金を出していたりすることもある。
大学だけでなく、研究科単位、専攻単位、研究室単位で雇用による支援をやっていたりするので、経済的に不安がある人はこの辺りを調査して進学先の判断材料にしたらいいか。
なお、博士の場合、学術振興会特別研究員というのになって、最低限暮らせる収入と研究費をもらう方法もある。
これについては、次回詳しく書こうと思う。

経済的なことで大事なもう一つが、指導教員が研究経費を出してくれるかどうか。
大学院生ともなると、出張で学会に行くなんてイベントが増えてくる。
研究室によって、これらの経費を出張費として出してくれることがある。
また、ちょっとした書籍を購入してくれたり、PCを用意してくれることもある。
これは、研究室の教員がどれだけ研究費を持っているかで決まることが多い。
あとは、教員がケチか太っ腹か、も関係する。
経済的な面を重視する人は、この辺りもしっかり調査しておくといいか。
教員にそんなこと聞きにくいという人もいるかもしれない。
その場合は「学費以外に、学会参加とか研究経費とかにどれくらいお金かかるか教えて欲しい。学部生のうちにバイトして貯めておく。」と聞いたらいいか。
出してくれる教員なら、これの答えでそうとわかる。
ストレートにこれだけお金かかるから貯めておけ、と返ってきたら、出してくれないということ。


ではでは今日はこの辺で。
また。




f:id:htyanaka:20210329173041j:plain 鳥取市内にて。


-----
2021/03/27 21:35
休暇中。
北ジャススタバにて。


雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/03/27
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.

大学教員(僕のなりたかったもの7)

いろいろと書いてきたが、いよいよコイツ。
これになりたいと思ったのは大学生の中盤ごろ。
もともと修士で他大の院に行くことは大学入学時から決めていた。
その延長線として大学教員という選択肢が出てきた。
理由はいろいろある。

まずは、大学教育に関わりたかった、というのがある。
当時、大学生をやりながら大学教育のまずいところをたくさん見てきた。
大学生の僕は教育学部で教員免許を取得しようとしていた。
なので、大学の教育のまずさが特に気になっていた。
今でこそかなり改善されたが、当時は古い時代の大学の空気がまだ残っていた。
よく練られていない授業なんて当たり前で、全然説明する気のない授業、ひどいのになると教科書棒読み、みたいなのまであった。
質問に行くこともよくあったのだが、全く教える気のない教員もいて、いろいろと思うところがあった。
研究者としては優れているのだろうが、教員としてはひどい、という教員もたくさん見てきた。
不遜にも、教えることについては僕の方が上手くやれる、と思ってしまったワケ。
なんでこんなことになっているのか、という観点で本もだいぶ読んだ。
その結果、これを変えるには、大学教員になるしかない、と思った次第。

もう一つは、身近の大学教員を見て、いいな、この仕事と思ったこと。
まず、とてものんびりしている。
遊びに行くとコーヒをいれていろいろ話をしてくれる。
飲み会やらご飯やらに連れて行ってもらったこともたくさんある。
仕事があまり忙しくなく、せかせかしていない感じがとてもよかった。
こんないい職業はない、と思った。
ただ、この点については、卒業後10年で大学業界の状況が一変してしまい、コレジャナイ感が半端ないことになるのだが、それについては書かない。

本を読んだり研究したり、が仕事になるというのもよかった。
先生方、専門の話をしているときはとても楽しそう。
好きな本をたくさん読めて、好きな研究を目一杯するのが仕事。
これは魅力的だった。
これも状況はずいぶん悪くなるのだが、根本的にはこの仕事のいいところだと思っている。

さて。
大学教員。
実は、これになりたかったのは修士の大学院生のかなり早い段階まで。
他大の院に行って、すごい先生方をたくさん見た。
すごい先生方は奇人変人の類が多く、これはオレには無理だな、と思うに至った。
博士余りの兆しも見え始めていた時代で、これは構造的にダメな業界だな、と思ったりもした。
修士1年の夏くらいには、すでに博士課程に進む気も大学の教員になりたいという気持ちもすっかり消えてしまっていた。
そんなわけで、修士も1年生の後半には並の就活生になっていた。

え、じゃあなんで大学教員をやっているかって?
これにはドラマよりも複雑怪奇なストーリーがある。
あるのだが、飲み会用のネタのためここには書かない。
正確には、書けない。

では、今回はこの辺で。
このシリーズ、あと1つある。
これからなりたいもの、についてはもっとある。




f:id:htyanaka:20210223105119j:plain 浜坂駅かな。


-----
2021/02/20 19:40
2月は大忙し。
鳥駅スタバにて。


雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/02/20
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.

本の紹介,「アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで(赤木 和重(著),ひとなる書房)」

アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで
赤木 和重(著)
難易度:☆


研究業界にはサバティカル休暇というものがある。
研究休暇とも言われる。
大学に何年か務めるともらえ、一定期間(長いと1年間)通常の業務が免除される。
この期間を利用して、充電したり研究したり他機関に留学に出たりする。

さて。
この本は、そんなサバティカル休暇を利用してアメリカに留学したとある研究者が書いたもの。
特別支援教育発達心理学を専門とする研究者がサバティカル休暇を利用してアメリカへ。
シラキュースという街に家族と住むことになった、その時の体験に考察を添えてをまとめたもの。
これが大変おもしろかった。

このシラキュースという街、アメリカの中では貧困が深刻な地区。
そんな最貧地区の公立学校に著者のお子さんが通うことになる。
学校に通う保護者から見た、アメリカのリアルな公教育の姿が描かれる。
最貧地区の公立学校というと荒れていて怖いという先入観があったが、意外にもそんなことはない。
ただ、貧困ゆえの問題はもちろん存在し、そのリアルな姿を見ることができる。

また、インクルーシブ教育や保育についても描かれる。
インクルーシブ教育とは、ざっくり言うと、障害のある者とない者が共に学ぶ仕組みのこと。
日本でもこの流れで教育政策が進められている。
この本では、シラキュースで見た異なる形のインクルーシブ教育や保育の実態が具体的な体験を中心にまとめられている。
日本とはまた違ったインクルーシブ教育の形があり、それぞれが示唆に富む内容で興味深かった。

この本は以下の3点が特におもしろかった。
1つ目は、アメリカの公教育の話。
アメリカでは新自由主義のもと、学校や教員の評価を行い、競争原理を使って予算配分や場合によっては学校の廃止を行なってきた。
これは、日本の教育改革を唱える人たちの主張とも共通するものがある。
一足先に改革を行なったアメリカの公教育とその制度について、その帰結としての実態を知ることができる。
日本のおける教育改革や教育に対する政治家の姿勢を考えるときの参考になる。
このトピックに関しては、 「崩壊するアメリカの公教育――日本への警告」 という本もおすすめ。

2つ目は、文化と教育の話。
海外、とりわけアメリカの取り組みは日本で参考にされやすい。
ただ、アメリカで成功しているものが日本でも成功するのか。
この点について、日米の教育現場や子どもたちの違いを紹介しながら、文化的な違いを考慮して考察。
アメリカの文化ゆえのアメリカの教育システムであり、アメリカ型を安易に日本に入れるとうまくいかない可能性についても考えさせられた。

3つ目は、超インクルーシブ教育の現場について。
著者のお子さんが後半に通った、小さな私立学校。
ここは5歳から中学生まで共に学ぶ学校で、異年齢教育が基本。
個人個人が違うことが前提の学校で、障害のある子どももたくさんいる。
ここで行われる超インクルーシブな教育について、具体的に描かれておりおもしろかった。
インクルーシブ教育とは何か、転じて、教育とは何か、考えさせられた。
詳しくは書かないので、ぜひ本文を読んでいただいて。
この部分だけでも決して損はしないと思う。


少し長くなったが、特別支援学校、小中高など学校種によらず、教員を目指すすべての人に読んでほしい本。
もちろん現職の教員にも読んでほしい。
自分の実践や教育に対する姿勢や哲学について、少し揺さぶりをかけられる、そんな本だと思う。
保育現場の話も厚く、幼稚園や保育園で働く人にもおすすめ。
もちろん、子を持つ保護者も楽しめる。
教育に興味あるすべての人にオススメな一冊。




福岡県のとある場所にて。


-----
2021/03/02 20:16
火曜日だけどお疲れ。
自宅にて。



本の紹介へ戻る
雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/03/02
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.

震災10年

あの日、僕は福井のとある大学にいた。
脳波実験をしていて、実験室の外で実験用のモニタを見ていた。
14時46分。
ゆっさゆっさと静かに揺れ始めた。
天井にぶら下げていた、予備の脳波電極がゆっくりと揺れていた。
小さくゆるい周期で少し長めのその揺れを感じながら、
あぁ、これは遠くで大きな地震が起こったな、と思った。

実験はすぐ終わり、後片付けをして、のんびりとPCのモニタを開いた。
大変なことになっていた。
近くの部屋の先生がテレビを持っていると言うので、中継を見せてもらった。
津波が街を流す映像は衝撃的であまりにも現実感がなかった。

数日後。
テレビは原発を映していた。
余談を許さない危険な状況だとアナウンス。
ある瞬間、アナウンサの慌てた声が響く。
建屋が、さっきまであった建屋がありません。

福島には僕の友人がたくさんいた。
宮城も然り。
彼らの多くが多かれ少なかれ震災の影響を受けた。
ある友人は身内を津波で亡くした。
別の友人は子育てのため県外へ疎開した。

多くの人たちが原発の危険を嘆いた。
震災の被災者に同情した。
復興は重大な関心事だった。
原発はもはや動かすことは難しい空気感だった。
ある人はボランティアに参加し、ある人は募金をした。
僕も震災直後からおかしなテンションになった。
自分にできることを何かしようとした。
なんだか毎日フワフワした気分だった。

あれから、数年が過ぎ。
想定外の事態は想定し得ないという矛盾を抱えながらいくつかの原発は動き始めた。
震災関連の予算は減らされていった。
報道はどんどん減り、世間の関心も薄れていった。


震災から10年。
当時を振り返りながら、そんなことを思った。
いつまでも悪い出来事を見つめるのはしんどいことなれど、まだ終わっちゃいないのだよね。
まだ生活が震災前に戻っていない人もたくさんいる。
原発事故の後処理ままだ道筋すら見えない。
原発の事故が起きてしまった場合のことはその想定自体が欠落したまま。
忘れてはいかんよなぁ、と思った次第。




f:id:htyanaka:20210307194632j:plain 福島は心の故郷なのだよね。
残念ながら福島の写真は見つからず。
これは、横浜か。

-----
2021/03/07 19:47
日曜日おしまい。
鳥駅スタバにて。


雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/03/07
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.

夜行列車のはなし

今はもう残り少なくなったが、僕が大学生くらいまでは夜行列車というのが存在した。
夜に、東京駅、上野駅の在来線ホームに行くと、行き先案内板には全国の地名が並んでいた。
これらの駅に行けば、本当に全国各地どこにでも行くことができた。
南は西鹿児島(現・鹿児島中央)、北は札幌まであって、1時間に数本ずつ厳かに出発していった。
同じ行き先でも複数のルート・本数が用意されていて、それだけの需要があった。
例えば、今も残っている山陰方面行きのルートだと、今のサンライズ出雲のルートだけでなく、京都から豊岡を経て鳥取市を抜けて浜田へ至るルートもあった。
青森行きなんかはもっと多くて、オレが小学生の頃は10本くらいはあったと思う。

さて、この夜行列車。
コイツがとてもよかった。
側から見ていても特別感が半端ない。
ホームには旅人が溢れていて、それぞれが旅情というか旅愁というかそういうものを漂わせていた。
隣のホームは通勤ラッシュの日常なのだが、夜行列車のホームは別世界。
ゆったりとした空気が流れていて、旅のワクワクやら別れの寂しさやら、非日常の特別感があった。

これは日常にいる側から見ても同じ。
通勤ラッシュのホームでぼーっとしている時に、夜行列車が通過していくとうらやましくてたまらない。
車内にいる旅人がのんびりとビールを飲んでいたり、外の世界にカメラを向けていたり。
寝台車には浴衣がついていたため、浴衣でくつろぐ客なんかも。
ロビーカー(その名の通り車両丸々共用スペースのロビーになっている)や食堂車なんかがついていると、うらやましさは最高潮に。
まるで別世界。

これが、乗るという話なると、楽しさはひとしお。
流れる夜景自体もたまらないし、ホームの疲れたサラリーマンに対してちょっとした優越感も。
これらを見つつ、浴衣を着て音楽を聴きながらぼーっとする。
ちょっと気分を変えたい時は、ロビーカーやら食堂車やらに行って食事や飲み物を楽しむ。
寝台車だったりすると、疲れてきたらベッドに寝転がって本を読んだりする。
これがねぇ、たまらないんだ。

僕はこいつらにだいぶ乗った。
九州の祖父母宅への帰省、高校時代の友人たちとの旅行。
1番目の大学の地・秋田へ赴くときも上野から新潟経由の青森行きに乗ったし、大学院で札幌に行く時も北斗星という豪華な夜行寝台特急に乗った。
人生の節目なので、夜行列車旅情効果はいっそうだった。

あれから、時が経ち。
九州行きの夜行は全廃され、東北方面も北海道行きも無くなった。
福井在住の時に使っていた、しぶとく生き残っていた北陸夜行も消え、岡崎時代に使っていた東京行き夜行快速も先日ついに廃止された。
あの大変よかった夜行列車を思い出しつつ、時代の移り変わりを感じている、というわけ。
復活しないかなぁ、と思えど、難しいだろうなぁ、とも思う。

なお。
前半に書いた通り、実はまだ全廃ではなく、山陰・四国と東京を結ぶ便に2本、残っている。
興味がある方は、なくなる前にぜひ乗ってみるといいよ。
本当に、たまらないんだ。

では。
今回はこの辺で。




f:id:htyanaka:20210228230913j:plain サンライズ出雲車内にて。
浴衣付き、個室。
岡山かな。

f:id:htyanaka:20210228230917j:plain 車内でシャワーも浴びれるのだよ。
これがなかなか便利。


-----
2021/02/20 21:06
今週末は休み。
鳥駅スタバにて。


雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/02/20
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.

本の紹介,「電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ(すずらんの会,角川文庫)」

電池が切れるまで 子ども病院からのメッセージ
すずらんの会(編)
難易度:☆


世の中には、病気のため通常の学校に通うことができない子どもたちがいる。
ただ、我々には教育を受ける権利があるため、これを保障するために様々な仕組みが用意されている。
院内学級はそのうちの一つ。
正式名称を訪問教育という。
教員が家庭に出向く教育、病院のベッドサイドで教育を行う等、様々なバリエーションがある。
院内学級はその名の通り、病院内に教室を設置し、そこに入院中の子どもたちが通ってくる。
院内学級にも2種類あり、地域の小中学校の特別支援教室(病弱・身体虚弱)として設置するものと、特別支援学校(病弱)の分教室として設置するものがある。
この本は、前者の院内学級についてのもの。
なお、後者については 別の本を紹介しており、そちらもオススメ。

この本は、長野県のとある小児病院に設置された院内学級に通う子ども達の作品をまとめたもの。
詩や文章を中心に、絵などの美術作品も収録。
病弱教育を受ける子どもたちは、抱えている病気も様々。
長期入院だけど治るものから、何度も入退院を繰り返すもの、余命があるもの、など多様。
ある日突然命を落とすようなこともある。
そんな子どもたちの声を聞くことができる。
この本の作品はもともと誰かに向けて書かれたものではなく、教育の中で出てきたもの。
それだけに子どもたちの本音のようなものに触れることができる。

本の後半は保護者や教員、本人など、当事者たちの想いを綴った文章が載る。
これがまたよい。
作品を書いた子どもの当時の状況、院内学級を経て医療職を目指している将来の本人、院内学級の先生の解説等々。
普段知らない世界のリアルを垣間見ることができる。

病弱系の授業の副読本として調査したが、そうでない全ての学校の先生やその卵にもぜひ読んでほしい本。
もちろんそれ以外の子どもと関わる全ての人にもオススメ。
いろいろ考えさせられることと思う。

では今回はこの辺で。
また。




f:id:htyanaka:20210220184312j:plain 大好きな横浜にて。

-----
2021/02/20 18:02
今日は大変のんびりモード。
鳥駅ドトールにて。



本の紹介へ戻る
雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/02/20
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.

成功の理由と失敗の原因と格差社会の話

成功するとお金持ちになり、そうでないとお金持ちになれない。
ある職業は収入が多く、ある職業は収入が少ない。
同じ会社でも、地位によって収入に格差が生じる。
仕事ができる人は富み、仕事ができない人は貧する。
新自由主義の中で、当たり前に受け入れられているこの考え方は、本当に正しいのだろうか。

まず、仕事のできるできない、成功するしないについて。
これらが自己のがんばりや生き方の結果としての能力差によって生じる場合、これらによる格差は正しいように思える。
しかし、本当に自己のがんばりや生き方のみで能力差は決まるのだろうか。
まず、人は生まれながらに持っている能力や特性が違う。
ものすごくがんばって成績上位にいる人もいれば、ほとんどなにもしなくても成績上位になれる人もいる。
また、能力をみがくのに適した生まれ持っての性格特性(気質)もあるはず。
さらに、生まれ育った環境も人それぞれ違い、能力をみがくのに適した環境やそうでない環境がある。
これらは自分で選び取ることができない上、能力差を生み出す要因としては大きい。
生まれながらにどうしようもない理由で能力差が生まれることは大いにあり得る。
これに加え、運の要素も大きい。
さて、そういう側面のある仕事の出来不出来や成功するしないに対する格差はどの程度正しいのだろうか。

仕事の価値によってお金が決まるんだ、という意見を聞くこともある。
例えば、経営者は新しい価値を生み出していて、単純労働者は新しい価値を生み出していない。
だから、収入に差が開くのだという論。
これも一見正しそうなのだが、本当だろうか。
確かに、腕一本で起業したり経営したりする人の仕事の質は高く、仕事の価値は高いかもしれない。
でもね。
じゃあその人の下で実務をこなしている人の仕事はその人よりも価値が低いのだろうか。
末端の社員の仕事の価値は低いのだろうか。
そんなことはないと思う。
会社という組織はみんなでお金を稼いできて、それをみんなで分配する仕組み。
稼いできたお金は、投資家に分配して、経営者から末端社員までやった働きに応じて分配して、将来稼ぐための投資に回す。
働きに応じて、という部分に、仕事の価値という理屈が使われる。
しかし。
そもそも仕事の価値って誰が決めているのか。
それは経営者や管理者等の雇い主側にいる人たち。
末端の社員などの雇われ側は自らや上司の仕事の価値を評価できない。
どうやっても、決定できる人たちの仕事の価値は高くなり、それ以外の人の仕事の価値は低くなる構造になっている。
だって、一生懸命働いている人たちはみんな自分の仕事の価値は高いと思っている。
決定プロセスがこんなにも不公平な仕事の価値という概念に対して、お金の大小がつくのはどの程度正しいのだろうか。

いや、探せば代わりのいる人の仕事の価値は低いんじゃないか、という声も聞こえそうだが、それは単に労働市場の需給の問題。
仕事の価値の高い低いの問題ではない。
労働市場は分野ごとに異なっていて、その分野の労働供給(労働したい人の数)と労働需要(雇いたいポストの数)のバランスで決まる。
例えば、イラスト描きの場合、どんなに仕事の腕がよくても、供給過多になっているため単価が低くなる、という話を聞いたことがある。
これは、あらゆる職種に言えること。
そして仕事上の能力は労働市場内でのみ有効なものが多いため、市場間の労働力の移動は起こりにくい。
そもそも最初にどの分野に進出するかは運の要素がかなり強く、その後の分野の需給がどう変化するかも予想が難しい。
かくして、自分の能力とは関係なく高賃金・低賃金が決定してしまう。

さあ、こう考えてみると、収入格差がなんのために存在するのか。
ちょっと考えさせられてしまう。
格差をどの程度許容するかはその社会が決めることと聞いたことがある。
僕は社会の構成員みんながそれぞれ力を発揮できる社会をよい社会と考えている。
このため、がんばっている人が報われるために、そこにいくらかの賃金格差が生じるの悪くないと思っている。
ただ。
現在の日本の格差は、昔に比べるとかなり大きくなっている。
少し行きすぎな気がしていて、これ以上格差が進むのはいいことだとは思っていない。

ちなみに。
大きな格差を許容するには、特に大事なことがあると思っている。
それは格差競争が生まれによって不公正にならないこと。
これには教育を受ける権利が平等でなければならない。
悪すぎる家庭環境については手厚いサポートがいる。
お金持ちが儲けた分うちいくらかを税金という形でわけてもらって、これらを充実させる必要がある。
もちろんこれだけでは先に書いた様々な個人レベルでの問題は解消しないのだが、これがないと親の格差が子の格差につながってしまう。
それゆえ、こいつが特に大事だと思っている。
ただ、これらについては現在の格差を容認するほど充実しているとは思っていない。

そんなことを考えた。
あなたはどう思うだろうか。




f:id:htyanaka:20210208075334j:plain 羽田にて。

-----
2021/02/07 22:33
ゆっくり休んだ。
自宅にて。


雑記帳トップへ戻る
HPへ戻る


Update 2021/02/03
Since 2016/03/06
Copyright(c) Hisakazu YANAKA 2016-2021 All Rights Reserved.