週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

本の紹介,「‪心の理論―心を読む心の科学 ‬(子安 増生,岩波科学ライブラリー)」

‪心の理論―心を読む心の科学
子安 増生(著)
難易度:☆☆


心の理論という言葉をご存知だろうか。
心理学の世界では知らない人がいないくらい有名。
僕も発達心理学発達障害系の授業で必ず扱うトピック。

心の理論。
簡単に言うと、他人が何を考えているかを知るという心理的な能力を指す。
エスパー的に他人の心を読むとかそういうことではない。
もっと単純な他人の心についての話。

例えば、Aさんが大切な本を自分の本棚にしまって出かけたとする。
Aさんが出かけている間、Aさんのお母さんがやってきて、本棚の本をちょっと借りていった。
Aさんが帰ってきて、その本を読みたいと思った。
Aさんはどこを探すだろうか。

そんなの本棚に決まっているだろう。
多くの方がそう考えることと思う。
では、なぜ、我々はそう考えるのか。
それは、Aさんの心「大切な本は本棚にある」を知っているから。
本当はお母さんが持っている、というのも知りつつ、Aさんの心はそうなっていない、というのがわかっている。
だから、Aさんは本棚を探すと答えることができるわけ。
このような他人の心を読むことができる能力を心の理論という。

この心の理論。
ちびっ子は発達していない。
よって、上記の例に正しく答えることができず、Aさんはお母さんのところに本を返してもらいにいく、と答える。
自分の心とAさんの心が分離できないわけ。
自閉症の子もこの心の理論が難しいと言われている。

長くなった。
本書はこの心の理論について、一般向けにわかりやすく解説した書。
心の理論が出てきた研究史から、理論的枠組み、その発達と自閉症との関係まで、詳しく解説する。
内容は平易でわかりやすく、心理学の知識がなくても読める。
教養レベルの心理学や発達心理学の知識があるとより楽しめる。
バロン・コーエン(自閉症と心の理論を結びつけた学者)のモデルを詳説しているため、専門的に勉強したい学部学生や院生、隣接領域の研究者も楽しめる。
巻末に文献一覧があり、ここからさらに専門的な文献にあたることも可能なのがまたよい。
もちろん、幼稚園や学校の先生にもオススメ。

授業の副読本紹介とこの記事を書くために読み直したけど、改めていい本だと思った。
このトピックに興味ある人だけでなく、心理学に漠然と興味を持っている人にもオススメ。

では。
今回はこの辺で。




f:id:htyanaka:20201206215415j:plain オレ、こういう画、好き。
横浜の片田舎にて。

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2020/12/06 19:14
仕事がりに。
スタバにて。



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Update 2019/12/06
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友人に教える(大学生のための学び方入門13)

いろいろ書いてきたこのシリーズ。
次はこれ。
友人に教える。
これは前に書いた「自分の言葉で説明してみる」の亜種。

大学ではテストや課題がある。
これは結構ヘビーなので、みんな四苦八苦する。
この時、教える役を買って出てみよう。
重宝される上に、自分の勉強にもなる。
どういうことか。

教えるという行為は、深い理解を要する。
やってみればわかるが、浅い知識で教えるのは難しい。
よって、教えるための前提として教える内容に対するそれなりの理解が必要になる。
これがために、資料や教科書の読み込みをしなければならない。
教えるためにこれらを読むと、漠然と読むよりは理解が進む、というのもよい。
教えるためには、ポイントを抑える必要があり、教えるための読み方をするようになる。
これが勉強になる。

教えるためには、自分の言葉で言語化する必要もある。
これにも高度な理解が必要。
この段階で理解が浅いことに気づける。
友人に教えている最中に理解の浅さに気づくこともしばしば。
よくわかっていないところがわかる。
何がわからないかがわかる、というのは、勉強する際に重要になるのはいうまでもあるまい。

教えていると、友人から質問をされることがある。
これもまた、深い理解を促す。
そもそも教えるために、出てきそうな質問を想定しながら勉強を進めることになり、この時点でかなり勉強になっている。
それでもなお、自分では気づけない疑問が友人から飛び出すことがある。
こいつは自分の理解の浅いポイントに気づかせてくれる。
質問を受けて勉強をし直すと、より深まる、というわけ。

こういうことを書くと、教える友人がいない、という声が出てきそう。
そういう場合は、友人に見せるつもりでノートを作る、というのもよい。
自分用のメモと称して、ブログか何かに表現してみるのもまたよし。
不特定多数に読ませる文というのは、内容の深い理解も含め頭をかなり使う。
これが勉強にならないわけがない。

ちなみに。
学術界の最高の学位は博士号。
博士は英語でDoctorと書く。
Doctorの語源はラテン語のdoceoに由来するらしい。
doceoは教えるという意味を持つ。
-torは行為者を指す。
つまり教える人という意味。
教えるという行為と知識の関係をよく表していると思っている。

ではでは。
また。




f:id:htyanaka:20201206215120j:plain 鳥取かなー。


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2020/12/06 20:23
仕事上がり。
スタバにて。


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Update 2020/12/06
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本の紹介,「15メートルの通学路(山本 純士 ,角川文庫)」

15メートルの通学路
山本 純士(著)
難易度:☆


久々のこのシリーズ。
紹介したい本は結構あるんだ。
ただ、書くにあたっては本を読み直しているので、ちと時間がかかる。
忙しいと、なかなかね。

言い訳はすんだので本題。
みなさんは病弱教育という言葉をご存知だろうか。
特別支援学校には視覚障害聴覚障害、知的障害、肢体不自由、に加えて病弱、という区分がある。
世の中には病気が原因で一般の学校で教育を受けられない子どもたちがいる。
病院に入院しており学校に通えない、頻繁に病院に通わなければならず地域の学校に通えない、等々。
このような子どもたちの教育を受ける権利を保障するための仕組みとして、病弱教育というものが行われてきた。
病院の敷地内や隣接地に病弱の特別支援学校を作り、そこに通う。
病弱の特別支援学校の学級(地域の学校の特別支援学級の場合もある)を病院内に設置し、院内学級として教育を行う。
これらの学校に所属する教員がベッドサイドに出張して教育を行う、という方法もある。

この本は、そんな病弱の特別支援学校の先生が書いた物語調のノンフィクション。
病弱の学校に異動になるところから始まり、病弱教育の現場での奮戦を短編小説のような要領で描く。
これがとてもおもしろい。
病気を抱える子どもやそれを心配する親族、一癖も二癖もある教員たち。
それらの個性がぶつかりながら、リアルで少しほろ苦く少しほっこりするストーリが展開される。
死と隣り合わせの子どもたちと周りの大人たち。
これらに教育の本質というか、生きるということの本質というか、そういったものを感じることができる。

表題になっている15メートルの通学路は、その中の一つの物語のタイトル。
小学1年生の女の子が入院している病室から教室まで通う廊下の距離。
これが15メートルだった。
もう手の施しようのないくらい重い病だった彼女。
やがて死に行く運命の彼女。
そんな彼女にとって教育とはなんなのだろうか。
教員としての苦悩と葛藤が描かれており、非常に考えさせられた。
途中で登場する、病気でなければ入学する予定だった地元の学校の校長先生もまた素敵でよかった。

他にも教育とは何かを深く考えさせられるお話がたくさん。
教員だから子どもの味方になれる。
そんなのは教員側のエゴなのかもなぁ、なんてことを読みながらぼんやりと考えた。
僕はこの本を何度か読み返しているが、読むたびに違う何かを得ているような気がする。
そんな不思議な本でもある。

特別支援学校の教員を目指す人には必読の書。
それ以外の学校の教員を目指す学生さんや現職の先生にもぜひ読んでほしい1冊。
もちろん教育とは全然関係ない人たちにもオススメ。
いろいろと得るものが多いと思う。

ではでは。
今回はこのへんで。
たまっている本の紹介記事、ぼちぼち書いていく予定。
長い目で見守っていただいて。




f:id:htyanaka:20201130233250j:plain たまプラーザかな。

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2020/11/30 23:27
ギリギリセーフ。
自宅にて。



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Update 2020/12/13
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高校教員(僕のなりたかったもの6)

さあいよいよ、今の僕を見て予想つくものが登場。
高校教員。
こいつになりたい、という時期がかなり長いこと続いた。
ただ、なりたい、と思った時期はかなり遅い。

僕はちょっと変わった経歴を持っている。
大学に2つ通っているのだ。
一つ目はさる地方国立の工学部系。
一年で辞めて同じく地方国立の教育学部に入り直している。
この辺の話は、飲み会ネタなので、お酒を飲んだ時にでも聞いていただければと。

2つ目の大学を選んだ理由の一つとして数学の教員免許というのがあった。
もともと友人に教えるのは嫌いではなかったため、あったらいいなというのが理由。
ただ、進学の主目的は別にあったので、あくまでサブという位置付け。
もともと金八先生が好きだったので、まあ選択肢の一つとして取っておくのもいいか、くらいな軽いノリだった。
当時の教員免許状には期限がなかったため、こういう思考になったのかもしれない。

大学に入ってからもそんな緩やかな動機のまま時間が過ぎていった。
転機は大学4年生になってから。
夏前に教育実習へ行こうことになる。
これが大変おもしろかった。
母校実習として高校に4週間帰ったのだが、とても楽しい。
同級生が附属校実習でヒーヒー言っている中、かなり自由に伸び伸びとやらせてもらった。
だいたい何をやっても素晴らしいとしか言われないし、新任教員の要領で授業を任せてくれるし、放課後は部活動三昧。
実習の課題が休日にはみ出ることは一切なく、都内に遊びに行ったり部活に出たりとやりたい放題。
研究授業もかなり攻めた内容をやらせてもらい、賛否両論だったものの、本当に楽しかった。
そんなわけで、学部4年生というギリギリの段階で高校教員が将来の進路候補として踊りでることに。

ただ。
大学院には行きたかった。
もともと、高校生の頃から大学院には行く予定で、学部で教養を院で専門をというコンセプトで学部時代を過ごしてきた。
大学院に行くお金もバイトでコツコツ貯めていたので、大学院に行かないという選択肢はなかった。
そこで、少しペンディング
院に進んでから考えようということになる。

その後。
いろいろあって他にやりたいことが出てきた。
でも高校教員も捨てがたい。
そこで、さらにペンディングすることに。
ストレートの高校教員なんてたくさんいる。
社会人経験のある高校教員になろう。
そういう教員だって必要だ。
本気でやりたいことをやって、30歳の時にもう一度考えよう。
その時やっている仕事と高校教員を比べて、高校教員がよければ転身すればいい。
そう考えたわけ。

そんなわけで20代は頭の片隅に高校教員になりたい、というのがくすぶり続けていた。
そして30歳。
僕は大学で教員をしていた。
これがわりと楽しかったので、そのまま現在に至っている。

ただ、大学の教員と、高校の教員はやはり仕事の性質がちょっと違う。
時々、高校の先生になりたいなぁ、と思うことがないわけではない。





f:id:htyanaka:20201103180408j:plain 横浜、かなぁ。

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2020/11/02 16:21
今日は休暇なのだ。
鳥駅スタバにて。


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Update 2020/11/02
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ゼミで発表するときに気をつけること(研究をしよう21)

今回はゼミ発表の話。
研究論文を紹介する。
自分の研究進捗を発表する。
学部も後半になるとこういう機会が増えてくることと思う。
今回はそんなゼミ発表についてのTIPS。
ゼミの目的が何かについては前回の記事で書いたのでそちらを参考にしていただきたく。

さて。
発表の目的は情報共有や助言、発表技術の向上など。
助言を受けるにしても、「伝える」ということが大変重要になる。
伝わらなければ情報共有も助言も得られない。
ここを意識してゼミ発表に臨みたい。

図と表を最大限使用する

ゼミをやっていて初期に目立つのが論文本文や用意した資料を読み上げるというもの。
特に論文紹介時にはこれが目立つ。
しかし、論文というのは重要なものについては図や表が用意されている。
もちろん、図表の内容は本文中にテキストでていねいに書かれてはいる。
ただ、それなのになぜ図表が論文中にあるのか。
それは図や表の方が読み手に伝わりやすいから。
なので、論文紹介時にはイントロや考察の論理構造の説明を除き、記載されている図表を最大限利用したい。
本文のテキストと図表に重複がある場合、発表時は基本的に本文は読まず、図表を聞き手に示した上でその解説をする。
本文中にしか書かれていない重要な情報(例えば統計検定の有意性の話など)は、図表を参照しながら口頭で追加で説明する。
こうすると聞き手は非常にわかりやすくなる。

これは自分の研究を発表する場合にも使える。
ちょっと手間にはなるが、なるべく図表を作成して視覚的にわかりやすく説明してみよう。
その図表は論文としてまとめる際に、そのまま使えるものになる。

ちなみに、この図表術。
自分の分野の論文を読みあさってある程度読んだ本数が増えてくると、図表を見るだけで結果のだいたいの概要をつかめるようになる。
このレベルに達するためには、日頃から図表を活用するように心がけておこう。
これは発表者としてだけでなく、読み手としても意識しておくことが大切。

聞き手は無知であると心得る

これはある程度読んだ論文数が増えて知識がついてくると起こる。
自分の知識レベルが上がると、他人もそれを知っていると前提で話してしまう。
しかし、他者は他者の興味に合わせて知識を身につける。
自分の知っていることを他者は必ずしも知っているわけではない、ということは心の片隅に置いておくようにしたい。
これはゼミのメンバの研究領域やこれまでやってきたこと、にも依存する。
数人くらいのメンバのゼミであれば、それぞれのやっていることを頭に浮かべながら説明を考えよう。
その辺りがよくわからないようだったら、知っているか確認を取りながら発表を進めていく、というのもあり。

他人は前に話したことは忘れている前提で発表する

これは結構大事。
他のゼミメンバはあなたが前回までに話したことをおそらく覚えてない。
それも思った以上に覚えていない。
これには教員も含む。

なので、それを前提で発表しよう。
基本的にはその回の発表だけ聞いて理解が可能、という構成で話す。
前回までに話した内容が必要な場合は、その回を休んでいた人でも理解可能なようにダイジェスト的な説明を入れておく。
前回までの内容をすっかり忘れていた聞き手も、これをきっかけに思い出してくれることもある。
少なくとも、聞き手が乗り遅れてチンプンカンプンということはなくなる。
前提が共有されていないために発表内容をわかってもらえない、というのは非常にもったいない。


以上、ゼミでよく見るワナを元に、注意点を書いた。
これらの発表技術は社会に出てからも役に立つ。
ぜひ実践して技術を向上させてほしい。

ではまた。




f:id:htyanaka:20201103165117j:plain 羽田かな。

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2020/10/26 14:03
休憩中。
丸善カフェにて。


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Update 2020/10/26
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中古本のすすめ(大学生のための学び方入門12)

大学生はお金がない。
僕も大学生だったのでよくわかる。
そこで、有効活用したいのが中古本。
新品よりちょっとばっちいかもしれないが、用途としては全く問題がない。
お金を浮かすにはかなり有効で、僕は今でも結構使う。

中古本を利用するには何種類か方法がある。
1番おススメしているのがネットを使用する方法。
Amazonで本を検索するとマーケットプレイスという欄がある。
ここから中古本を買うことができる。
たくさん売れている本は1円+手数料数百円で手に入る。
数千円する教科書や専門書はここで手に入れるとかなり節約することができる。
教科書はもちろんのこと参考図書や興味ある本をとりあえず手元に置いておきたいときなんかも便利。
ベストセラー本なんかは供給が多いので、相対的に安くなる。

このネットを使う方法の大きなメリットは絶版本も手に入ること。
書籍というのはいい本であってもマニアックであれば絶版になってしまうことが多い。
これらの本の中にはおもしろい本もたくさんある。
こいつらが結構な確率で手に入るのもネット中古本市場の魅力。


ネット以外にも方法がある。
学生街であれば街の中古本屋に行くと、授業教科書系の本が手に入ることがある。
先輩が授業後や卒業時に売っていくので、そいつらを手に入れることができる。
この方法の場合、実店舗に行くので他に気になる本なんかも物色できるのがよい点か。
僕は東京の神田神保町に行っては、中古本を買いあさるということをやる。
この界隈は中古本屋がたくさんあって、新品本屋ではもうお目にかかれない魅力的な絶版本たちと出会える。
これがたまらないんだ。


知っている先輩から買い取るという方法もある。
サークルや学科・コースのつながりを利用して、聞いてみれば売り手が見つかるかもしれない。
この場合先輩も儲かるので、Win-Winなのもよい。


さて。
この中古本作戦。
特に教科書の場合は、自分が売り手になるということもできる。
Amazonマーケットプレイスは自分が売り手になることもできるし、後輩に安く譲ることもできる。
中古本で仕入れてキレイに使えば、購入代金のほとんどが戻ってくるということも考えられる。
悪くないでしょ。


では、教科書を中古本で買って教員は怒らないのか。
これは大丈夫だと思う。
授業で使っている教科書が新品か中古本かなんて見分けがつかない。
しかも中古本でそろえてはいけないという決まりもない。
授業実施上の支障がないのであれば文句を言われる筋合いの話ではない。


最後にもう一つ。
版落ち本を使うという高等テクを紹介しておく。
医学や生命科学系で多いのだが、専門書・教科書が分厚くて高額ということが結構ある。
自分で1冊持っておきたいものの、ちょっと高すぎて手が出ない。
こういう経験をお持ちの方、結構いるのではないだろうか。

本には新しさを示す単位として版と刷がある。
刷については基本的に中身をいじらず、在庫がなくなると新しく製造してこの数字を1つ増やす。
1刷りの本がなくなったら、2刷りが出てくるという要領。
一方で、版というのは内容に変更がある。
初版よりは2版、2版より3版の方が内容が新しい。

最新版が出ると旧版は基本的になくなり、中古本市場も急落する。
これを狙う。
自分が専門家で細部も含めて新しくなければならないとかでない限り、内容をざっと知りたいという用途であれば旧版で問題はない。
本の性質にもよるが、総論的な書籍の場合は新旧で大幅に内容が変わるということはあまりない。
一部アップデートされていたり、加筆修正されていたりはあるものの、全体で見ると大した量ではないことが多い。
新版と旧版中古本の価格差を考えるとリーズナブルだと思う。
2万円の本が数百円で買えるということもよくあるので、このテクはぜひ活用したい。
ただ、制度が変更になったとか法律が変わったとか定義が変わったとか、そういう系統の本は古いと使えないこともある。
この辺りの旧版の情報の古さが気になる場合は、専門の教員に新版で何が新しくなったのか(なってそうなのか)を聞いてみてから買うというのがいいと思っている。


ではでは。
今回はこの辺で。




f:id:htyanaka:20201103165458j:plain 羽田空港にて。

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2020/11/01 18:52
あっという間に日が暮れる。
鳥駅スタバにて。


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Update 2020/11/01
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がんばった奥歯の話

数年前の話。
奥歯が痛くなった。
冷たいものを飲んだ時にしみるのだ。
こういうのはまったくがまんしないタイプなので、早速歯医者に行った。

歯医者先生曰く、親知らずが虫歯になっているとのこと。
横向きに生えていて、治療ができないので抜くしかない、という見立て。
これは仕方ない。
大きな病院の予約を取り、メスを入れて、痛さにも耐えて、虫歯親知らずとバイバイした。

抜いた時の痛さがだいぶ取れてきたので、よおし、そろそろ冷たい水を飲もう。
グッバイ、あのしみる嫌な感覚。
が、しかし。
冷たい水を口に含んだ瞬間、くるんだ、あの感覚。
ナオッテナイ。

早速GoTo歯医者。
先生曰く、あー、これは隣の歯でしたねー。
虫歯が見えるので治療しておきましょう、とのこと。
ふむー。

で。
治療が終わり、家に帰り、麻酔が切れたので喜び勇んであれを。
よおし、そろそろ冷たい水を飲もう。
グッバイ、あのしみる嫌な感覚。
が、やはりくるんだ、あの感覚。
ナオッテナイ。

GoTo歯医者アゲイン。
歯医者先生曰く、それは知覚過敏かもしれませんねー。
まだ抜いたばっかなので、そのうち歯茎が上がってきて治るかもしれません。
少し様子を見ましょう。
ふむー。
まあそうしようか。
というか、他に選択肢がない。

で。
そうこうしているうちに、海外出張に旅立つことになった。
すでに別記事に書いた、カナダ出張。
もうしみるのは慣れているので、特に気にせずに旅立った。
学会に参加し、現地のご飯を食べ、何事もなく旅は終盤へ。
学会も最終日、旅立ちの前日の昼ごはん時、それは起こった。

場所は、バンクーバで見つけた気に入ったレストラン。
ここの焼きそばにしては太すぎて歯応えのある不思議な焼きそばを食していた。
気に入って出張中何回か食べたメニュー。
この歯応えのある麺を噛んでいたその時だった。
っ!!
奥歯が大変な違和感。
倒れたというか、とにかく経験したことのない痛さ。
あの知覚過敏疑いの歯。
鋭痛さではなく、どこかにぶつけたような、じわじわとした痛さ。

その後、温かいものを口に含むと治るものの、常にジンジンと痛い。
スタバでコーヒを仕入れては、口に含んだりしつつ、ごまかしごまかし。
その夜はジンジン痛く寝るのに難渋した。

そして、帰国の日。
やはり、ジンジンと痛いので、空港のスタバでコーヒーを注文。
そして、そいつを口に含んだ、その瞬間だった。
この世のものとは思えない絶望的な痛みがやってきたのだ。
大袈裟ではなく、何かが終わったような、そういう痛みだった。
しばらくその場から動けなくなり、息も耐え耐えやっとのことで飛行機に乗る。
もはや温かい飲み物では痛さが増幅し、冷たい水が唯一痛みを和らげることに気づいたのは出発して数時間してから。
帰国後は痛みは引いたものの、奥歯の感覚がなくなっていた。

早速、歯医者へ。
話を聞き終わった先生。
あー、それは、死にましたねー、神経。
あまりに痛いとねー、がんばって死ぬんですよ、神経。
ほら、検査の反応ないでしょ??


、、、、。
がんばって死ぬ。
神経はがんばって死ぬ。
その後しばらく、パワーワードとして頭をくるくる回ってました、とさ。

ふむー。




f:id:htyanaka:20201101234436j:plain まとめると、太い麺が奥歯を倒し、
その隙間を伝ってコーヒーbyバンクーバー空港スタバが神経に必殺一撃、
神経がんばって自殺、ということらしい。
写真は銀座かな。


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2020/11/01 20:06
日曜日が終わるも、明日も休暇。
鳥駅スタバにて。


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