週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

本の紹介,「15メートルの通学路(山本 純士 ,角川文庫)」

15メートルの通学路
山本 純士(著)
難易度:☆


久々のこのシリーズ。
紹介したい本は結構あるんだ。
ただ、書くにあたっては本を読み直しているので、ちと時間がかかる。
忙しいと、なかなかね。

言い訳はすんだので本題。
みなさんは病弱教育という言葉をご存知だろうか。
特別支援学校には視覚障害聴覚障害、知的障害、肢体不自由、に加えて病弱、という区分がある。
世の中には病気が原因で一般の学校で教育を受けられない子どもたちがいる。
病院に入院しており学校に通えない、頻繁に病院に通わなければならず地域の学校に通えない、等々。
このような子どもたちの教育を受ける権利を保障するための仕組みとして、病弱教育というものが行われてきた。
病院の敷地内や隣接地に病弱の特別支援学校を作り、そこに通う。
病弱の特別支援学校の学級(地域の学校の特別支援学級の場合もある)を病院内に設置し、院内学級として教育を行う。
これらの学校に所属する教員がベッドサイドに出張して教育を行う、という方法もある。

この本は、そんな病弱の特別支援学校の先生が書いた物語調のノンフィクション。
病弱の学校に異動になるところから始まり、病弱教育の現場での奮戦を短編小説のような要領で描く。
これがとてもおもしろい。
病気を抱える子どもやそれを心配する親族、一癖も二癖もある教員たち。
それらの個性がぶつかりながら、リアルで少しほろ苦く少しほっこりするストーリが展開される。
死と隣り合わせの子どもたちと周りの大人たち。
これらに教育の本質というか、生きるということの本質というか、そういったものを感じることができる。

表題になっている15メートルの通学路は、その中の一つの物語のタイトル。
小学1年生の女の子が入院している病室から教室まで通う廊下の距離。
これが15メートルだった。
もう手の施しようのないくらい重い病だった彼女。
やがて死に行く運命の彼女。
そんな彼女にとって教育とはなんなのだろうか。
教員としての苦悩と葛藤が描かれており、非常に考えさせられた。
途中で登場する、病気でなければ入学する予定だった地元の学校の校長先生もまた素敵でよかった。

他にも教育とは何かを深く考えさせられるお話がたくさん。
教員だから子どもの味方になれる。
そんなのは教員側のエゴなのかもなぁ、なんてことを読みながらぼんやりと考えた。
僕はこの本を何度か読み返しているが、読むたびに違う何かを得ているような気がする。
そんな不思議な本でもある。

特別支援学校の教員を目指す人には必読の書。
それ以外の学校の教員を目指す学生さんや現職の先生にもぜひ読んでほしい1冊。
もちろん教育とは全然関係ない人たちにもオススメ。
いろいろと得るものが多いと思う。

ではでは。
今回はこのへんで。
たまっている本の紹介記事、ぼちぼち書いていく予定。
長い目で見守っていただいて。




f:id:htyanaka:20201130233250j:plain たまプラーザかな。

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2020/11/30 23:27
ギリギリセーフ。
自宅にて。



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Update 2020/12/13
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高校教員(僕のなりたかったもの6)

さあいよいよ、今の僕を見て予想つくものが登場。
高校教員。
こいつになりたい、という時期がかなり長いこと続いた。
ただ、なりたい、と思った時期はかなり遅い。

僕はちょっと変わった経歴を持っている。
大学に2つ通っているのだ。
一つ目はさる地方国立の工学部系。
一年で辞めて同じく地方国立の教育学部に入り直している。
この辺の話は、飲み会ネタなので、お酒を飲んだ時にでも聞いていただければと。

2つ目の大学を選んだ理由の一つとして数学の教員免許というのがあった。
もともと友人に教えるのは嫌いではなかったため、あったらいいなというのが理由。
ただ、進学の主目的は別にあったので、あくまでサブという位置付け。
もともと金八先生が好きだったので、まあ選択肢の一つとして取っておくのもいいか、くらいな軽いノリだった。
当時の教員免許状には期限がなかったため、こういう思考になったのかもしれない。

大学に入ってからもそんな緩やかな動機のまま時間が過ぎていった。
転機は大学4年生になってから。
夏前に教育実習へ行こうことになる。
これが大変おもしろかった。
母校実習として高校に4週間帰ったのだが、とても楽しい。
同級生が附属校実習でヒーヒー言っている中、かなり自由に伸び伸びとやらせてもらった。
だいたい何をやっても素晴らしいとしか言われないし、新任教員の要領で授業を任せてくれるし、放課後は部活動三昧。
実習の課題が休日にはみ出ることは一切なく、都内に遊びに行ったり部活に出たりとやりたい放題。
研究授業もかなり攻めた内容をやらせてもらい、賛否両論だったものの、本当に楽しかった。
そんなわけで、学部4年生というギリギリの段階で高校教員が将来の進路候補として踊りでることに。

ただ。
大学院には行きたかった。
もともと、高校生の頃から大学院には行く予定で、学部で教養を院で専門をというコンセプトで学部時代を過ごしてきた。
大学院に行くお金もバイトでコツコツ貯めていたので、大学院に行かないという選択肢はなかった。
そこで、少しペンディング
院に進んでから考えようということになる。

その後。
いろいろあって他にやりたいことが出てきた。
でも高校教員も捨てがたい。
そこで、さらにペンディングすることに。
ストレートの高校教員なんてたくさんいる。
社会人経験のある高校教員になろう。
そういう教員だって必要だ。
本気でやりたいことをやって、30歳の時にもう一度考えよう。
その時やっている仕事と高校教員を比べて、高校教員がよければ転身すればいい。
そう考えたわけ。

そんなわけで20代は頭の片隅に高校教員になりたい、というのがくすぶり続けていた。
そして30歳。
僕は大学で教員をしていた。
これがわりと楽しかったので、そのまま現在に至っている。

ただ、大学の教員と、高校の教員はやはり仕事の性質がちょっと違う。
時々、高校の先生になりたいなぁ、と思うことがないわけではない。





f:id:htyanaka:20201103180408j:plain 横浜、かなぁ。

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2020/11/02 16:21
今日は休暇なのだ。
鳥駅スタバにて。


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Update 2020/11/02
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ゼミで発表するときに気をつけること(研究をしよう21)

今回はゼミ発表の話。
研究論文を紹介する。
自分の研究進捗を発表する。
学部も後半になるとこういう機会が増えてくることと思う。
今回はそんなゼミ発表についてのTIPS。
ゼミの目的が何かについては前回の記事で書いたのでそちらを参考にしていただきたく。

さて。
発表の目的は情報共有や助言、発表技術の向上など。
助言を受けるにしても、「伝える」ということが大変重要になる。
伝わらなければ情報共有も助言も得られない。
ここを意識してゼミ発表に臨みたい。

図と表を最大限使用する

ゼミをやっていて初期に目立つのが論文本文や用意した資料を読み上げるというもの。
特に論文紹介時にはこれが目立つ。
しかし、論文というのは重要なものについては図や表が用意されている。
もちろん、図表の内容は本文中にテキストでていねいに書かれてはいる。
ただ、それなのになぜ図表が論文中にあるのか。
それは図や表の方が読み手に伝わりやすいから。
なので、論文紹介時にはイントロや考察の論理構造の説明を除き、記載されている図表を最大限利用したい。
本文のテキストと図表に重複がある場合、発表時は基本的に本文は読まず、図表を聞き手に示した上でその解説をする。
本文中にしか書かれていない重要な情報(例えば統計検定の有意性の話など)は、図表を参照しながら口頭で追加で説明する。
こうすると聞き手は非常にわかりやすくなる。

これは自分の研究を発表する場合にも使える。
ちょっと手間にはなるが、なるべく図表を作成して視覚的にわかりやすく説明してみよう。
その図表は論文としてまとめる際に、そのまま使えるものになる。

ちなみに、この図表術。
自分の分野の論文を読みあさってある程度読んだ本数が増えてくると、図表を見るだけで結果のだいたいの概要をつかめるようになる。
このレベルに達するためには、日頃から図表を活用するように心がけておこう。
これは発表者としてだけでなく、読み手としても意識しておくことが大切。

聞き手は無知であると心得る

これはある程度読んだ論文数が増えて知識がついてくると起こる。
自分の知識レベルが上がると、他人もそれを知っていると前提で話してしまう。
しかし、他者は他者の興味に合わせて知識を身につける。
自分の知っていることを他者は必ずしも知っているわけではない、ということは心の片隅に置いておくようにしたい。
これはゼミのメンバの研究領域やこれまでやってきたこと、にも依存する。
数人くらいのメンバのゼミであれば、それぞれのやっていることを頭に浮かべながら説明を考えよう。
その辺りがよくわからないようだったら、知っているか確認を取りながら発表を進めていく、というのもあり。

他人は前に話したことは忘れている前提で発表する

これは結構大事。
他のゼミメンバはあなたが前回までに話したことをおそらく覚えてない。
それも思った以上に覚えていない。
これには教員も含む。

なので、それを前提で発表しよう。
基本的にはその回の発表だけ聞いて理解が可能、という構成で話す。
前回までに話した内容が必要な場合は、その回を休んでいた人でも理解可能なようにダイジェスト的な説明を入れておく。
前回までの内容をすっかり忘れていた聞き手も、これをきっかけに思い出してくれることもある。
少なくとも、聞き手が乗り遅れてチンプンカンプンということはなくなる。
前提が共有されていないために発表内容をわかってもらえない、というのは非常にもったいない。


以上、ゼミでよく見るワナを元に、注意点を書いた。
これらの発表技術は社会に出てからも役に立つ。
ぜひ実践して技術を向上させてほしい。

ではまた。




f:id:htyanaka:20201103165117j:plain 羽田かな。

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2020/10/26 14:03
休憩中。
丸善カフェにて。


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Update 2020/10/26
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中古本のすすめ(大学生のための学び方入門12)

大学生はお金がない。
僕も大学生だったのでよくわかる。
そこで、有効活用したいのが中古本。
新品よりちょっとばっちいかもしれないが、用途としては全く問題がない。
お金を浮かすにはかなり有効で、僕は今でも結構使う。

中古本を利用するには何種類か方法がある。
1番おススメしているのがネットを使用する方法。
Amazonで本を検索するとマーケットプレイスという欄がある。
ここから中古本を買うことができる。
たくさん売れている本は1円+手数料数百円で手に入る。
数千円する教科書や専門書はここで手に入れるとかなり節約することができる。
教科書はもちろんのこと参考図書や興味ある本をとりあえず手元に置いておきたいときなんかも便利。
ベストセラー本なんかは供給が多いので、相対的に安くなる。

このネットを使う方法の大きなメリットは絶版本も手に入ること。
書籍というのはいい本であってもマニアックであれば絶版になってしまうことが多い。
これらの本の中にはおもしろい本もたくさんある。
こいつらが結構な確率で手に入るのもネット中古本市場の魅力。


ネット以外にも方法がある。
学生街であれば街の中古本屋に行くと、授業教科書系の本が手に入ることがある。
先輩が授業後や卒業時に売っていくので、そいつらを手に入れることができる。
この方法の場合、実店舗に行くので他に気になる本なんかも物色できるのがよい点か。
僕は東京の神田神保町に行っては、中古本を買いあさるということをやる。
この界隈は中古本屋がたくさんあって、新品本屋ではもうお目にかかれない魅力的な絶版本たちと出会える。
これがたまらないんだ。


知っている先輩から買い取るという方法もある。
サークルや学科・コースのつながりを利用して、聞いてみれば売り手が見つかるかもしれない。
この場合先輩も儲かるので、Win-Winなのもよい。


さて。
この中古本作戦。
特に教科書の場合は、自分が売り手になるということもできる。
Amazonマーケットプレイスは自分が売り手になることもできるし、後輩に安く譲ることもできる。
中古本で仕入れてキレイに使えば、購入代金のほとんどが戻ってくるということも考えられる。
悪くないでしょ。


では、教科書を中古本で買って教員は怒らないのか。
これは大丈夫だと思う。
授業で使っている教科書が新品か中古本かなんて見分けがつかない。
しかも中古本でそろえてはいけないという決まりもない。
授業実施上の支障がないのであれば文句を言われる筋合いの話ではない。


最後にもう一つ。
版落ち本を使うという高等テクを紹介しておく。
医学や生命科学系で多いのだが、専門書・教科書が分厚くて高額ということが結構ある。
自分で1冊持っておきたいものの、ちょっと高すぎて手が出ない。
こういう経験をお持ちの方、結構いるのではないだろうか。

本には新しさを示す単位として版と刷がある。
刷については基本的に中身をいじらず、在庫がなくなると新しく製造してこの数字を1つ増やす。
1刷りの本がなくなったら、2刷りが出てくるという要領。
一方で、版というのは内容に変更がある。
初版よりは2版、2版より3版の方が内容が新しい。

最新版が出ると旧版は基本的になくなり、中古本市場も急落する。
これを狙う。
自分が専門家で細部も含めて新しくなければならないとかでない限り、内容をざっと知りたいという用途であれば旧版で問題はない。
本の性質にもよるが、総論的な書籍の場合は新旧で大幅に内容が変わるということはあまりない。
一部アップデートされていたり、加筆修正されていたりはあるものの、全体で見ると大した量ではないことが多い。
新版と旧版中古本の価格差を考えるとリーズナブルだと思う。
2万円の本が数百円で買えるということもよくあるので、このテクはぜひ活用したい。
ただ、制度が変更になったとか法律が変わったとか定義が変わったとか、そういう系統の本は古いと使えないこともある。
この辺りの旧版の情報の古さが気になる場合は、専門の教員に新版で何が新しくなったのか(なってそうなのか)を聞いてみてから買うというのがいいと思っている。


ではでは。
今回はこの辺で。




f:id:htyanaka:20201103165458j:plain 羽田空港にて。

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2020/11/01 18:52
あっという間に日が暮れる。
鳥駅スタバにて。


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Update 2020/11/01
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がんばった奥歯の話

数年前の話。
奥歯が痛くなった。
冷たいものを飲んだ時にしみるのだ。
こういうのはまったくがまんしないタイプなので、早速歯医者に行った。

歯医者先生曰く、親知らずが虫歯になっているとのこと。
横向きに生えていて、治療ができないので抜くしかない、という見立て。
これは仕方ない。
大きな病院の予約を取り、メスを入れて、痛さにも耐えて、虫歯親知らずとバイバイした。

抜いた時の痛さがだいぶ取れてきたので、よおし、そろそろ冷たい水を飲もう。
グッバイ、あのしみる嫌な感覚。
が、しかし。
冷たい水を口に含んだ瞬間、くるんだ、あの感覚。
ナオッテナイ。

早速GoTo歯医者。
先生曰く、あー、これは隣の歯でしたねー。
虫歯が見えるので治療しておきましょう、とのこと。
ふむー。

で。
治療が終わり、家に帰り、麻酔が切れたので喜び勇んであれを。
よおし、そろそろ冷たい水を飲もう。
グッバイ、あのしみる嫌な感覚。
が、やはりくるんだ、あの感覚。
ナオッテナイ。

GoTo歯医者アゲイン。
歯医者先生曰く、それは知覚過敏かもしれませんねー。
まだ抜いたばっかなので、そのうち歯茎が上がってきて治るかもしれません。
少し様子を見ましょう。
ふむー。
まあそうしようか。
というか、他に選択肢がない。

で。
そうこうしているうちに、海外出張に旅立つことになった。
すでに別記事に書いた、カナダ出張。
もうしみるのは慣れているので、特に気にせずに旅立った。
学会に参加し、現地のご飯を食べ、何事もなく旅は終盤へ。
学会も最終日、旅立ちの前日の昼ごはん時、それは起こった。

場所は、バンクーバで見つけた気に入ったレストラン。
ここの焼きそばにしては太すぎて歯応えのある不思議な焼きそばを食していた。
気に入って出張中何回か食べたメニュー。
この歯応えのある麺を噛んでいたその時だった。
っ!!
奥歯が大変な違和感。
倒れたというか、とにかく経験したことのない痛さ。
あの知覚過敏疑いの歯。
鋭痛さではなく、どこかにぶつけたような、じわじわとした痛さ。

その後、温かいものを口に含むと治るものの、常にジンジンと痛い。
スタバでコーヒを仕入れては、口に含んだりしつつ、ごまかしごまかし。
その夜はジンジン痛く寝るのに難渋した。

そして、帰国の日。
やはり、ジンジンと痛いので、空港のスタバでコーヒーを注文。
そして、そいつを口に含んだ、その瞬間だった。
この世のものとは思えない絶望的な痛みがやってきたのだ。
大袈裟ではなく、何かが終わったような、そういう痛みだった。
しばらくその場から動けなくなり、息も耐え耐えやっとのことで飛行機に乗る。
もはや温かい飲み物では痛さが増幅し、冷たい水が唯一痛みを和らげることに気づいたのは出発して数時間してから。
帰国後は痛みは引いたものの、奥歯の感覚がなくなっていた。

早速、歯医者へ。
話を聞き終わった先生。
あー、それは、死にましたねー、神経。
あまりに痛いとねー、がんばって死ぬんですよ、神経。
ほら、検査の反応ないでしょ??


、、、、。
がんばって死ぬ。
神経はがんばって死ぬ。
その後しばらく、パワーワードとして頭をくるくる回ってました、とさ。

ふむー。




f:id:htyanaka:20201101234436j:plain まとめると、太い麺が奥歯を倒し、
その隙間を伝ってコーヒーbyバンクーバー空港スタバが神経に必殺一撃、
神経がんばって自殺、ということらしい。
写真は銀座かな。


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2020/11/01 20:06
日曜日が終わるも、明日も休暇。
鳥駅スタバにて。


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Update 2020/11/01
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記者(僕のなりたかったもの5)

細々と続けているこのシリーズ。
いよいよ大学生に。
僕は入学前から大学院(修士)にいく予定だったので、大学では幅広く学ぶことを主眼に置いていた。
幅広く学んだ上で、大学院で特定の分野の専門性を深めようというハラ。
大学学部はリベラルアーツ(教養)をメインに考えていた。
そうは言っても、将来の進路のことも考えていて、前に書いたプログラマや放送局の裏方、映像制作の人、などをおぼろげに将来の進路ととして思い描いていた。
あとは、数学の高校教員というのもあったか。
これはまたいずれ描く。
そこで、幅広く情報系を学べて教員免許状も取れる大学として、教育学部のゼロ免コース(教員免許状を必修としないコース)の情報系に進むことにした。
各大学からカリキュラム表を取り寄せた結果、候補は3つくらいに絞られ、その中の一つに進学することになる。

さて。
大学に進んだあと何をしたかといえば、本を読みまくった。
もともと幅広く教養を身につけたいと思っていたので、暇さえあれば本を読んだ。
本自体は専門だけではなく、かなり幅広く興味の赴くままになんでも読んだ。
誰かがおもしろいと言えば取り寄せ、教員の部屋に遊びに行けば本だなを物色し、本屋の新書・文庫コーナで新しい分野の本を探した。
今の雑食系読書習慣はこの時期についたと思う。

その結果、いいなと思うようになったのが、記者。
当時、よく読んだ本の著者に立花隆さんという人がいた。
この人は読書の鬼で、本の重さで自宅を2度物理的に傾けたり、図書館みたいな自宅を建てたり、増え行く積読本を見てサラリーマンをやめたり、と、とにかくぶっ飛んだ人だった。
彼はサラリーマン時代は記者さんで、辞めたのちも物書きとして活動していた。
で、彼の書く本がことごとくおもしろかった。
田中角栄のことを調べては記事を書き、最終的に首相退陣に追い込んだのや有名な話。
科学ライターとしても有能で、彼の書いた科学系の本は他のサイエンスライターの書く本とは一線を画していた。
ああ、こういう仕事人いいな、と思ったわけ。

もともと、マスコミ業界には興味があったのは前回までに書いた。
アナウンサや技術的裏方などなど。
ただ、大学時代いろいろと本を読んだ結果、コンテンツそのものを作る人に興味を持つようになった。
様々な社会問題などを読むにつけ、それを伝える人になりたい、と。
一般向け科学系の本にへぼいものが多かったのもきっかけの一つ。
難しい科学をわかりやすく翻訳して紹介する人がいてもいい、そんなふうに思った。

で、これらができる仕事、と考えると記者ということになる。
科学部か政治・経済系の記者になって、日々各仕事をする。
好きな本も読み続けられる仕事でもある。
とてもよい、と思ったわけ。

ただ、これは大学院に行くかそれとも学部卒でそっち系に進むかで悩んだ時に、選択肢としては落ちることになる。
理由はわりと僕らしいものなのだが、ここには書かない。
その後、大学院修士課程に入るもかなり早い段階で博士課程進学に興味を失う。
修士課程在学中に就活が開始することになった。
なので大学院修士課程修了時の進路として再び出てきても良さそうなものなのだが、なぜか出てこなかった。
よって進路としてはお蔵入りとあいなった。

ただ。
コイツは未成熟なまま僕の中のどこかにいるような気がしている。

今回はこの辺で。
ではまた。




f:id:htyanaka:20201025234815j:plain 多分鳥取市内。


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2020/10/25 23:45
休暇中。
横浜にて。


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Update 2020/10/25
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本の紹介,「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗(加藤 陽子,朝日出版社)」

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗
加藤 陽子(著)
難易度:☆☆


僕が二十歳の頃からずっと知りたいことの一つに、なぜ日本はあの無謀な戦争をしたのか、というのがある。
学校で学んだことや常識では、どう考えても無謀な戦争。
じゃあなんで戦争に突入したのか。
教科書には載っていない、その理由というか答えというかそういうものを求めて色々と読んできた。
この本はその問いについて、一定の解答を与えてくれるものだった。

本書では満州事変の事後処理、三国同盟、戦争直前の日米交渉、という3つにポイントを絞って戦争が起こった理由について迫っていく。
これらのポイントは多くの歴史本でよく取り上げられるもの。
筆者は近代史の歴史研究者。
彼女を講師として歴史好きの中高生を対象に行った講義を書籍化したもの。
ただ自説を展開していくという講義ではなく、中高生と対話しながら史料を丁寧に読み解いて事実を推察していくという内容。
これが大変おもしろかった。

当時中国にいた日本軍(関東軍)が満州事変を引き起こし、それが戦争へとつながっていったことはよく知られている。
が、本書では事変後に調査にやってきたリットン調査団に注目する。
この調査団は国際連盟が派遣したもので、報告書にて問題解決のための提言を書いている。
この内容について、詳しく見つつ背景情報と照らして読んでいくと意外にも日本にばかり不利とは言えないということを紹介する。

次が、ドイツ・イタリア・日本が結んだ三国同盟
これがアメリカの態度を硬化させ、戦争へと進む転機となったことはよく知られている。
ではなぜ日本はこの同盟を結ぼうと思ったのか。
どんなメリットがあって誰が進めたのか。
その辺りに迫る。

最後のトピックは戦争直前の日米交渉。
戦争に突入する年の4月に野村吉三郎駐米大使とハル国務長官を主として始められたこの交渉は双方にとって戦争準備のための時間稼ぎと言われることがある。
が、意外にも双方本気で戦争回避のために本気で交渉をしていた。
そのことを史料をもとに読み解いていく。
日本政府もアメリカ政府も強硬派和平派の双方がおり、内部での政治的駆け引きの結果、国としての人格のようなものが現れる。
当たり前だけど忘れがちな視点を再認識することができる。
ハルノートという戦争を決定づける内容の通知がいかにしてなされたか。
日本軍の内部において、アメリカが怒るポイントについて読み違いが存在した。
人々が忌避する戦争がなぜ起こってしまうのか、ヒントとなるものが得られた。

以上、本書の内容を軽く書いたが、この本の醍醐味は歴史的な内容のみにあらず。
筆者と中高生のやりとりがとてもおもしろい。
歴史好きとはいえ、筆者が発する問いに対する中高生の答えがすごい。
ああそうも考えられるか、よく中高生でそんなこと考えられるな、というような答えが頻発し、とても感心した。
これはどうも筆者も同じようで、中高生の答えを端緒として講義の内容自体が深まったように感じた。

また、筆者の展開する史料の読み方もおもしろかった。
簡単な歴史本だと事実と考えられるものの羅列に過ぎないのだが、この本では一次資料を丁寧に読み、様々な史料を合わせることで事実を推察していく。
おそらく、これが歴史研究の方法なのだと思うのだが、とても刺激的だった。
見えないものを見ようとする、というのは僕の専門分野である心理学についても同じ。
心理学では対象から直接データを得て、データを根拠に心を推察をする。
歴史学でもやり方は違えど本質は同じだということを感じることができた。
最近は歴史研究者でもない人が歴史を語ることがあるが、これは大変危険なことだなとも思った。
この方法論を学んでいない人の言説は間違っている可能性が高いということも改めて感じた。

歴史好きな人であれば、中高生から読める本だと思う。
ぜひ多くの人に読んでほしい名著。



追記:
これを書いている最中に、筆者の加藤陽子さんが日本学術会議の会員への任命拒否に巻き込まれるという事案が発生した。
彼女の著作を何冊か読む限り、真っ当で王道を行く研究者だと感じていた。
それだけに、今回の政府の介入には恐怖を感じた。
多くの近現代史の歴史研究者が紹介する戦前日本の空気に今どんどん近づきつつある、というのが僕の率直な感想。
昭和初期の人たちは、戦争で負けるまでそんな空気と国家の異常さに気づけなかった、というのは我々が歴史から学んでもいいことだと思っている。




f:id:htyanaka:20201018224704j:plain 鳥取市内にて。

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2020/10/17 18:27
読書と論考とコーヒーと。
駅前スタバにて。



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Update 2020/10/17
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