雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。

大学院へ進学したい人へ No.3 研究室探し

大学院へ行きたい。
そんな学生が身につけておくべきことは前回書いた。
今回は院進学先研究室の見つけ方。
先輩が大学院に大量に進学するような大学の学生さんは先輩から話が聞けるが、そうでない他大進学組も多い。
今回はそんな人たちに向けて。

大学院では研究をすることになるので、1人の教員もしくは1つの研究室に所属して研究をやることになる。
大学学部の場合、入ってから卒論の研究室を探すことになるが、大学院の場合はこれを入学前・試験前にやっておく必要がある。
行きたい大学院を探してから、その中で教員を選ぶ、というのではなく、広く日本・世界から指導してほしい教員を探し、その教員が所属する大学院を受験する、というのが普通のコース。
これをどうやって見つけるか。

一つ目は論文・著書からたどって行くコース。
興味ある論文をたくさん読んでいくと、頻出する研究者が出てくる。
これをリストアップしといて候補にする。
わりと王道の方法。
教科書なんかで引用されている研究者名を利用するのもよし。
こうやって探してきた研究者名でWeb検索をかけると研究室のホームページが出てくる。
どんな研究室でどんな論文を書いているのか。
院生はどの程度いるのか、規模はどうか、そんな情報を仕入れて進学するときの参考にする。

もう一つが、学会に参加するという方法。
学部生でも学会は参加できる。
学部生にとってはハードルが高く感じるらしいが、そんなことは全くない。
発表者は大御所から院生、時には学部生が自分の研究について発表している。
学会発表には口頭発表という壇上で大人数に向けて話しているものと、ポスター発表という、研究を伝えるために作ったポスターの前に立って来てくれた人にface to faceで説明するスタイルのものがある。
狙い目は、このポスター発表。
前もっておもしろそうな研究をピックアップして聞きに行く。
で、質問の後、実は進学する大学院を探しているんだ、とかなんとか切り出すと、研究室を見においでよ、となる場合がある。
口頭発表の場合も発表終了後に名刺もって同じように挨拶しに行くと、縁がつながる場合がある。
研究室の主催教員でなくとも、院生や研究員からつないでもらう、ということも可能。
ただ、この場合は大学3年生のうちに参加しておく必要がある。
4年生だと学会の開催時期が院試験から見て遅すぎることがほとんど。

指導教員から紹介してもらう、という方法もある。
指導教員は共同研究先、出身研究室、知り合いの研究者などとつながりを持っている。
自分の興味を伝えて、外の世界を見てみたい、と頼んでみよう。
ちょうどいい研究者の知り合いがいれば紹介をしてもらえるかもしれない。
うまくつながると卒論の段階から進学先の教員と研究できる場合がある。
ただ、これは頼み方に注意が必要。
教員によっては自分のところにいてほしい、と思う人もいる。
面倒くさいタイプだと、自分の指導に不満があるから出ていく、ととるような教員もいる。
なので、そういうタイプの教員に安易に頼んでしまうと後々ぎくしゃくする。
指導教員がどういうタイプかを見極めながら、どういう理由で研究室を移りたいか、をしっかり伝えて依頼する必要がある。
指導研究室の教員ではなく、専門が近い別の教員に相談してみるのもよいか。
他大院への進学を考えている学生さんは、卒論研究室選びの際もその辺をしっかり考えておく必要がある。
ちなみに僕は外に出ていけ派なので、よろこんで紹介する。

と、まあ探し方についてはこんなところ。
ではまた。




高松港にて

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2020/04/12 20:48
ひきこもり。
自宅にて。


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Update 2020/04/12
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教育やめたこと色々話

この大学で教えるようになって時間が経った。
もともとが教育がしたくてこの仕事を志したので、いろいろとやりたいことを試してはみた。
ただ、授業準備がゼロからなので初年度が一番忙しい、という前評判には見事に裏切られ、年々忙しくなってゆく。
その中で、忙しさゆえに消えていった実践たちと消えそうな実践たちを書き残しておくことにした。
遠い将来、事情が変わって忙しくなくなったときに、復活させる備忘録として。
なぜ忙しくなっていったのか、については、別トピックでまた書く。

補習

教育実習等のやむ得ない事情で授業が受けられないことがある。
特に所属しているところはミニ教育学部みたいなコースであるため、学生の教育実習の数が多い。
小学校へ行って、少し戻ってきて、すぐ中学校、ということになると、授業の4割くらいを抜ける学生が出てくる。
大学のきまりでは不利にならないようにしなければならないため、赴任後2年くらいは、補習授業をやることにしていた。
抜けた学生のうち希望者を集めて、授業の内容をもう一度しゃべる。
時間としては90分×5回×2科目分。
学生が少人数なのと、演習部分はあとでやっておいてもらうのとで、実時間としては実際の授業時間の2/3くらいになる。
手間はかかるものの、教育効果・学生満足度とも高い取り組みだった。
3年目に授業が増えたのを機にやりにくくなり、4年目にさらに授業が増えて完全に消滅した。

課外の勉強会(自主ゼミ)

前任校時代から統計学の勉強会をやっていた。
卒論には絶対に必要だし、現代教養としても必要。
そういったことから、毎年半年くらいかけての統計学勉強会をやっていた。
授業や自学で身につけてもらうのが本来なのかもしれないが、なかなかうまくいっていない。
そこで授業ではできないような少人数ゼミ形式の勉強会を開いていた。
みんなで本を読み込んで来て、わからないところを章担当学生に質問して解決するというスタイル。
これは教育効果が高く、全員が勉強するのでかなり力がつく。
が、これも3年目に余裕がなくなり積極的に声をかけなくなった。
積極的には声をかけないものの、やってと頼まれればやる、というスタンス。
気に入ってる実践ではあるものの、絶滅危惧種

映画鑑賞会

1,2年目まで実施。
授業で扱ったことに関連する映画を希望者を募って放課後に見る、ということをやっていた。
回数は半期に2回程度。
本当は月イチくらいで、いろいろな分野の先生の解説付きで名作を見る、なんてのをやったら楽しいだろうな、と思っていたが、拡充する前に忙しさに負けてついえる。
無念。

試験答案の返却と解説

僕のテストは難しいので、せめてアフターケアはしっかりしようと、答案の返却を実施している。
希望者には答案をざっと見て、できなかったところや答案のクセを個別に解説していた。
3年目くらいからつらくなり、どんどん簡素な説明になり、4年目からは一部科目でこれをやめた。
まだ学部専門科目ではこれをやっているが、いつかできなくなるのではないかと思っている。
同じく、試験の講評をA4で2-3枚ほど書いて還元しているが、これもいつまでできるか自信がない。

オフィスアワー以外の質問対応

僕が大学で本格的に教えるようになった時、一番最初に気になったのが学生に対する教員の敷居の高さ。
わからないことはもっと気軽に質問に行けばいいのに、必要以上に教員との距離を感じている学生が多かった。
そこで、僕の授業に限っては質問しやすい雰囲気を出すように心がけた。
オフィスアワーに限らず、研究室にいればいくらでも質問に答えるようにしている。
このため、試験前は身動きが取れなくなるくらい入れ替わり立ち替わり学生が質問に来るようになった。
最近は僕の担当外の授業・卒論の質問にくる学生もちらほら。
これ、結構時間を取られるのでなんらかの制限が必要かな、とも思うことがあるが、当面はこのまま運用の予定。
ただ、状況が大きく変わればわからない。


以上、教育裏話でした。
大学生の頃は思いもしなかった大変さと日々向き合っている。
ただ、おもしろいのでがんばれている。




そろそろいい時期。

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2020/03/08 17:17
久々休暇。
鳥駅スタバにて。


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Update 2019/01/27
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障害児等神経生理学研究2020(鳥取大学)

授業内容


第1回 オリエンテーション(5/12)
    脳と神経の基礎(1)
      最初~ニューロンの基本構造
第2回 脳と神経の基礎(1)(5/19)
      グリア細胞~主な受容体の種類
第3回 脳と神経の基礎(2)(5/26)
      シナプスの位置とシナプス後電位~ラスト
    脳と神経の基礎(1)
      最初~肉眼解剖学
第4回 脳科学の方法(1)(6/2,予定)
      細胞構築学~


    



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Update 2020/05/30
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肢体不自由児等の教育課程と指導法2020(鳥取大学)

授業内容


第0回 接続チェックなど(5/1)
第1回 オリエンテーション(5/13)
    肢体不自由の概要(1)
     ~最初~解剖学と生理学まで
第2回 肢体不自由の概要(2)(5/20)
     肢体不自由と解剖学~病因・疾患を知る利点まで
第3回 肢体不自由の概要(3)(5/27、予定)
     二次障害~
    肢体不自由教育の歴史(1)




関連情報


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肢体不自由に関する役立ち情報


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Update 2020/05/24
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肢体不自由児等の生理・病理・心理2020(鳥取大学)

授業内容


第0回  接続チェックとか(5/1)
第1回  オリエンテーション(5/13)
     肢体不自由の概要(1)
       最初~解剖学と生理学まで
第2回  肢体不自由の概要(2)(5/27)
       肢体不自由と解剖学~二次障害・褥瘡まで
第3回  肢体不自由の概要(3)(6/3,予定)
       重複障害児~
     身体の構造と機能(概要)

     


関連情報


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肢体不自由児等の生理・病理・心理に関する役立ち情報
肢体不自由に関する役立ち情報


連絡事項


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Update 2020/05/30
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プログラマー(僕のなりたかったもの3)

わりと現実に落とし込めていたのがプログラマ
今でこそ心がどうとか、脳がどうとか言っているが、昔はコンピューターの人だった。

僕が小さい時はまだワープロが専用機として存在した時代。
もともと機械が好きだったので、コンピューターっぽいものに憧れがあった。
小学校時代はデパートのワープロ売り場に行っては、カチャカチャキーボードを叩いて遊んでいた。
別に大したことをしているわけでもなく、キーボードカチャカチャが純粋にかっこいい、と思っていたのだと思う。

中学生になると選択授業というのがあり、コンピューターを本格的にいじるチャンスがやってくる。
あの選択授業。
カリキュラム上はどういう立ち位置だったのか、今となってはわからないが、学年の全員が複数のプログラムから興味ある内容を選んで学ぶ、みたいな内容だったと思う。
並行して開講されていたのには英会話とかあった気もするので、だいぶ幅広い選択肢があったはず。
僕はもう迷いもなくコンピューターを選んだ。
そこでBASICという初歩的なプログラミング言語で運勢テストか何かを実装して喜んでいた。
初めて本格的にコンピューターをいじった回だった。

あまりにおもしろかったので、中3の進路選択で商業高校の情報科に進学すると宣言する。
親としては普通科経由大学進学を想定していたらしく、寝耳に水だったよう。
大反対され、オレは泣き叫び、最終的に普通科進学とセットでパソコンを買ってもらう、ということで妥協となった。
あの頃の熱量が懐かしい。

高校に入ってからはパソコンで遊びつつ、大学は情報系に入って勉強するんだ、と思っていた。
だが、大学受験で失敗する。
センターが振るわず、国立だと某地方大の電気電子工学科にしか受からなかった。
情報系は全滅。
仕方ないのでハードウェアとしてのコンピューターを極めるか、とも思ったが、やはりプログラムを勉強したく、仮面浪人ののち、情報系のコースに入り直した。
この情報系コースの選択にはほかにも理由があるのだが、これはまたそのうち書く。

大学ではさまざまなプログラミング言語を勉強した。
ただ、早い段階でプログラマになる未来は消えていたように思う。
プログラミング自体は楽しかったのだけれども、ほかにやりたいことができてしまった。
そんなわけで、プログラミングを学ぶことはただの趣味として楽しみつつ、全く別の未来を考え始める。
気が多い人間だったのよー。

ただ、この時学んだプログラミング技術はその後の仕事で大いに生きることになる。
将来役に立つ立たないで学ぶものを考えるべきではない、と考える実体験の一つがこれ。
楽しいなぁと思うものを興味の赴くまま勉強しても、将来役に立つことがある。

さて。
当時は考えもしなかったが、プログラマはその後結構お金になる職業へと変貌した。
あの時プログラマ志望のままだったら今頃お金持ちかなぁ、なんてことを考えつつ、でもあの時に戻れたとしてもプログラマはないな、と思っている。

まあそんなこんなの、なりたかったもの第3弾でありました。
このシリーズ何の役にも立たない単なる昔話なれど、そんなことは気にせず続ける予定。




季節ですな。
横浜か。

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2020/03/15 21:06
疲れとるのー。
自宅にて。


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Update 2020/03/15
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校長先生と仕事の話

遠く昔、高校生だったころの話。
当時の僕はドラムと出会い、狂がつくほどドラム漬けの毎日だった。
朝早く登校して、0限補習をサボってドラム練。
3時間目ののち早弁をし、昼休みはドラム練。
部活(吹奏楽部)の時間は当然にドラムをひたすら叩く。
母校は定時制もあったため、部活後も20時くらいまではドラムが叩ける。
まあ、言葉通り、ドラム漬けな日々だった。
あまりにもドラム三昧だったため、校内では「ドラムの人」で個人認識が可能なほどだった。

そんなことをやっていれば、当然学業成績は奮わない。
高3の夏の三者面談では、このままでは国立はどこも受からないと言われ、親は嘆き悲しんだなんてことも。
我が家の掟で私立はダメ、国立受からなきゃ家出て働いて自立せよ、ということだったので、結構シビアな状況。
ただ、僕自身は打ち込んでいるものを投げ出してなにが受験だ、と思っていた。
受験をいいわけに好きなことを我慢すれば、この先ずっとそういう生き方をする羽目になる。
9月の文化祭までやり切って、残りを死ぬ気でやれば国立の下の方くらいにはかするだろう。
そんな根拠のない自信を持っていた。
まあそういうわけで、ドラム狂はドラムを叩きまくり、そのまま文化祭まで突っ走った。
その後、文字通り死ぬ気でがんばり、センターでこけるもまあ最低ラインの国立大は後期でひっかかった。

この時の経験はその後かなり力になる。
それまではわりと平凡で目立たない奴だった。
何かを本気でやった、というのの初の回だったと思う。
こういう経験はやはりあると強いもので、大学以降の自分の物事の進め方に大いに影響をしている。
ドラムは一生の趣味になり、こちらも人生において欠かせないものにいなった。
そういうわけだから、高校のドラム三昧生活がなければ今の自分はないなと思うほど大事なイベントとなっている。

さて。
そんなドラム三昧な生活。
後日談がある。
卒業して数年後に教育実習で母校に帰った時の話。
実習の最後の方で打ち上げと称して飲み会が開かれた。
もう母校から異動していなくなった先生も何人か駆けつけて、プチ同窓会のような飲み会が開催された。
その席上での思いがけないことを聞く。

当時僕は朝から晩までドラムを叩いていた。
まあ、よく考えればわかりそうなものなのだが、当然のごとくご近所から苦情が来ていたというのだ。
しかし、当時僕はそんなことを聞いたことも注意を受けたこともなかった。
どうしてか。
それは、当時の校長が必死でかばってくれていたからなんだそう。
ご近所には、あれは教育の一環だと頭を下げて回り、やめさせることを是とはしなかった。
おかげで僕は得難い経験を積むことができた。

おそらく彼にとっては、近所迷惑だから少し控えるようにと僕に注意する方が簡単な選択肢だった。
そして多くの働く大人はそうすることと思う。
その方が怒られないし、トラブルは避けられる。
しかし、この校長先生は自分の教育者としての信念の方を優先した。
生徒のことを常に考えて、自分の仕事哲学に重きを置いて、判断をしたのだろう。
それを僕に告げるでもなく、もちろん誰からか感謝されるわけでもなく、ただ淡々と自分の仕事としてそれをやった。

これ。
働くようになって思うのだが、結構すごいことだと思っている。
働きはじめは自分の信念・理想を持ち合わせていることが多い。
ただ実際には、上司に怒られ、組織の理不尽にやられ、厳しい現状に妥協し、現実と理想はどんどん離れていく。
自分の身はかわいいもので、言い訳をしながら自分のためになることを選択しがちになる。
自分の本来の役割はわかっているものの、言い訳をしながら役割を放棄して易きに流れやすくなる。
しかし、それでも彼は退職間際の年齢で、こういう仕事をした。
出世は早い方ではなかったので、まあそういうことなんだろうと思う。

以上、僕が働くにあたって大事にしているエピソード。
僕の仕事人のモデルのひとつになっている。
自分でも、とは思うものの、これがね、難しいんだ。
職業人としての年を重ねるごとに彼の偉大さを感じているところ。

さて。
君たちはどんな職業人になるのだろうか。
どうあってほしい、みたいなことは言わない。
悩みながら楽しみながら、自分が満足できる職業人なってくれること願っている。
ただ、大変な時はがんばりすぎず、ほどほどにね。
仕事なんて定年まで走るマラソンみたいなものだから、つぶれるほどがんばっても仕方ない。

ではでは。
卒業おめでとう。
4年間どうもありがとう。




横浜にて。


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2020/03/22 23:05
休暇中。
自宅にて。


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Update 2020/03/22
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