週刊雑記帳(ブログ)

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アナウンサーとか裏方とか (僕のなりたかったもの2)

今では目立つのも人前でしゃべるのも好きではなくなったが、ちびっ子の時分はこれらが大好きだった。
そんなちびっ子も小学生になる。
そしてそこで、ある人たちに目を奪われることになる。
それは放送委員会のお兄さんお姉さん方。
全校集会やら給食やら運動会やらで校内放送を取り仕切る。
ああ、あれやりたい。
少年は切に、熱狂的に、そう思った。
しかし、委員会活動は高学年のお仕事。
憧れのまましばらく口に指をくわえて見ている生活が続く。

転校などの関係もあって、放送委員会には入れたのは6年生の頃。
友人と校内放送の取り合いをしながら、1年間を送った。
給食放送で朗読をしたり、連絡・召集のアナウンスをしたり。
そんなわけだから、当然将来の夢もそっち関係になる。
当時の僕は、将来絶対にアナウンサーになるんだ、と心に決めていた。
テレビもいいが、ラジオもいい。
そんなふうに考えていた。

そんな僕も中学生になる。
相変わらず放送委員会に所属し、あれやこれやどっぷり委員会活動にはまっていた。
最初はしゃべる欲が強かったのだが、だんだんその欲がなくなり、代わりに裏方仕事が好きになっていった。
カメラワークをしたり、字幕を入れたり、編集をしたり。
各種イベント用の音楽テープを編集したり、集会の放送系設備準備をしたり。
P兼、D兼ADみたいなことをやっていた。
これがとても楽しかった。
特に3年生の時は、給食は教室よりも放送室で食べる方が多かったし、イベントは全て放送ブースで指示を送る位置に陣取っていた。
裏方視点からの思い出しか残っていない。
本当に楽しかった。

そんなわけだから、この時期は将来なりたいものの候補のひとつに、放送局(裏方)スタッフ、というのがいた。
映像編集したり、裏方スタッフとして音響やったり、そういうののプロになりたかった。
今はそういうのになりたいとは全く思わないが、今でもそういうプロを見ると心からかっこいいと思うのは、この当時の影響だと思っている。
この系は形を変えて、大学生まで生き続けることになる。
が、その話はまた今度。

ではまた。




パイロットに憧れた時期もあったな。
羽田空港にて

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2019/07/12 21:17
花金。
横浜にて。


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Update 2019/07/12
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