週刊雑記帳(ブログ)

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戦争を考える

この国は何十年か前に国を滅ぼしかねない大きな戦争をやった。
この戦争での日本人の死者は300万人と言われている。
日中戦争が始まる前の人口が7000万人くらい。
人口比でもかなりの数字である。

うち、軍人・軍属以外が80万人くらい。
沖縄や国外にいた日本人が30万人くらい、内地でも50万人くらいが死んだのだそう。
残りは軍人・軍属の死者ということになる。
軍人・軍属は全部戦死か、というとそうではないらしい。
戦死者は半分もいかず、かなりの人数は病没・餓死だった、と。

当時の日本は結構遠くまで進出していた。 南はオーストラリアの手前、西は中国の中の方まで、戦線は広がっていた。
前半はまだよかったものの、中盤以降は補給がうまくいかなくなる。
理由は簡単で、かなり早い段階で空母を失い、制空権や制海権がなくなっていた。
戦争が始まって半年後のミッドウェー海戦で主力空母の全てと優秀な搭乗員を失っている。
しかし物資は日本から運ばねばならず、でも制空権や制海権がないからどんどん沈められる。
よって前線に物資が届かない。
ご飯がない、薬がない、弾がない。
これでは勝ち目がない。
それでも、補給を考えない作戦は実行される。
勝ち目がなくても降伏は許されない。
死ぬしかなくて玉砕する部隊もいれば、マラリアなどの病気や飢餓で命を落とす兵士もかなりたくさんいたという。

軍人・軍属以外の死者80万人は戦争の末期に集中している。
沖縄戦や空襲、爆撃によるものが多数を占めている。
徐々に占領していた土地が奪い返され、本土近くに相手方の基地ができていった。
すると、燃料の関係で限られていた空襲が増えることになる。
終戦の前年11月にサイパンを取られてからは本格化したという。
この直前にレイテ沖海戦というのがあり、日本海軍の戦力はほぼ消滅している。
ちなみに神風特攻隊による攻撃が始まったのもこの時期。

どう考えてもこの時期で戦争の勝敗はついている。
ここで負けを認めていれば、戦争の犠牲者はだいぶん少なかったに違いない。
でも、10ヶ月あまりダラダラと戦争を続けてしまう。
終戦の年、都市は次々と空襲されていく。
その間ドイツが降伏しても沖縄に侵攻されても一億総特攻などとバカげたスローガンであおり、ついには原爆を2発落とされ、ソ連軍が侵攻してきて、ようやく戦争を止めるに至る。
それでなお、8月15日の玉音放送を阻止しようという軍人グループがいたそうだから、負けるということがいかに難しいことかわかる。

僕はこの戦争で、死ななくていい命がたくさん失われたと思っている。
なんでこんな愚かなことが行われたのか。
大学生くらいからずっと考えている。
一つには、負ける勇気がなかったのかな、と思っている。
勇ましさ、には勇気はさほど必要ない。
名誉も保たれるし、同調者も現れやすい。
対して、負けるということは不名誉さを伴う。
特に勇ましさの集団的狂騒状態にある場合は、激しい非難を浴びかねない。
それでも冷静に考えて、負ける、という戦略をとることが大事な場合だってある。
しかし、これには不名誉さ、世論からの非難等があり、かなりの勇気が必要である。
戦前・戦中の指導層を見ると、どうもこの負ける勇気が足りなかったように感じる。
戦前にも戦中にも負けることで戦争を回避したり犠牲を少なくできたりするポイントはいくつもあった。
でも、その選択肢を取れなかったようなのだ。

本日は降伏文書に調印をし、戦争が正式に終わった日。
せっかくなので、このネタを載せてみた。
戦争はわりと簡単に起こると思っている。
自分が生きているうちはそうならないように、時々この問題を考えることにしている。




渋谷かなぁ。


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2019/09/02 01:55
寝なきゃ。
自宅にて。


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Update 2019/09/02
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