先日、授業でしゃべっていた時のこと。
ある学生さんから、学術論文についてこんなコメントがあった。
学術論文になっているものってすべて正しいんじゃないんですか?
これ、一般の人がよく犯す間違い。
世に出ている論文はあくまでなんらかの根拠をもとにロジカルに自分の説を主張したもの。
論文を書いた本人は当然正しいと思っていることが多いが、本当に正しいかはわからない。
論理展開がおかしくて正しくない。
データに不備があって正しくない。
限られた条件下でしか成り立たず、一般化できない。
こんなのは学術論文にはザラにある。
これらの不備は査読(第3者の研究者による論文審査)によっていくらか取り除くことが可能だが、それでも査読者がたまたまボンクラだったり、巧妙なやり方でうまくかわされることもある。
もうほぼツッコミどころがなく論文からは正しいとしか判断できないが、実は得られたデータは偶然そうなったに過ぎない場合だってある。
この場合は後の研究で検証すると結果を再現できないことになるのだが、1本の論文からは判断が難しい。
そもそも再現ができないというネガティブなデータは論文になりにくいという特性を持つ。
再現ができても、思いがけない限定条件が見つかって、現象の解釈や結論が間違いだったということだってありうる。
そんなわけで、学術論文は正しいと無条件で判断するのは非常に危険。
そして、この論文の正しさの判定は読み手に求められる。
こんな風に書くと何を信じていいのかわからなくなるかもしれないが、少なくとも1本の論文から判定可能な正しさについては、大学生が卒業までに身につける技術だと思っている。
なんのために、研究現場で勉強をしているのか。
なんのために、卒業に際し研究をして論文を書くのか。
そのあたりの答えの1つはここら辺にあるんじゃないだろうか。
と、いうわけで、学生諸君はここらへんを学ぶ気でゼミに卒論にがんばってね、という話。
論文の正しさの話は、別シリーズ研究をしようシリーズに詳しく書いているので、そちらを参考にしたりゼミや卒論で担当教員から学んでいただきたく。
ではまた。
下関かな。
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2018/11/19 1919:50
今日は休暇(扱い)なんだ。
鳥取駅スタバにて。
Update 2018/11/19
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