雑記帳(ブログ)

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日本の研究力低下についての雑感

どうも、相対的に日本の大学の研究力が落ちているらしい。
他の国の発表論文数の伸びに対して日本のは伸びが悪かったり、影響力のある論文が相対的に少なくなったり。
正確な数字やそれを元にした議論は世の研究者がやってくれているので、そういうのはここでは書かない。
代わりに、現場にいる当事者の1人として雑感を書いてみようと思う。
あくまで雑感なので、厳密な数字や分析があればきっとそっちの方が正しいと思うので、そちらの方を信用していただきたく。

さて。
研究力が落ちている、ということに対して、これは当たり前だよなぁ、と思っている。
昔の(と、言っても僕は経験したことないので、伝聞と大学生の時の学生としての経験にはなるが)大学に比べて、教員のやる仕事が明らかに増えている。
つまり、研究に当てられる時間が減っている。
これに、研究費の減少が追い打ちをかける。

まず、教育。
これにかける時間は明らかに増えているし、それが求められている。
例えば、昔は出張で休講になっても、補講になる授業は少なかった。
が、これがお上の意向かなにかで15回必ずやらなくてはいけなくなった。
シラバスをしっかり作ったり、教育に関する研修をすることも増えた。
ちゃんと授業評価をやって、自己満足の適当な授業はなくすような取り組みもされるようになった。
つまり、教育をもっとしっかりやりなさいということだ。
僕はこれ自体はすごくよいことだと思っている。
が、昔に比べてこれに時間を取られることは間違いなくて、研究に充てていた時間は減る。
研究の質を少し落として、その分教育の質を上げようよ、という構造。
研究の質を落とさずに教育の質を上げるというためには、人員を増やすくらいしかないと思うのだが、そうはなっていない。
むしろ、国からの配分予算の減少によって教員はどんどん減っている。

この人員削減はさらに研究時間の減少を招く。
教育面だと担当授業が増える。
人員減による担当授業の増加は、通常の授業に比べて負担が重いことがある。
研究者は本当にごく狭い範囲について深い専門性を持っている。
元いた人の代わりにその授業を担当するということになった場合、ど専門から外れる可能性が高い。
そうすると、質の高い授業をするためにはかなりの勉強と最新知識のアップデートが必要になる。
これには相当な時間を必要とする。
ど専門や守備範囲の専門分野であれば、自分の研究活動をしっかりやることでこれらを兼ねることができるのだが、ど専門から外れれば外れるほどこれらに費やす時間が必要になる。
これはひょっとすると同じ業界人でも、近い専門分野の同僚教員がいる研究大学の人にはピンとこないかもしれない。

人員減は校務などの研究・教育外の仕事も増やす。
入試やカリキュラム作成、広報、学内の情報セキュリティなど、大学には結構な数の仕事がある。
人員が減ってもこういう業務は減らないので、仕事が回ってくる量が増える。
またまた時間が減るということになる。

昔に比べて増えた教育・研究以外の仕事も多い。
地域貢献や産業界との連携、大学改革、研究費不正使用に対応するための事務手続きの増加、多様な入試、教員免許更新講習、社会人学生のための休日講義などなど。
どれをとってみても一つ一つはこれからの大学として大事なことだと思うのだが、それなりに時間は必要である。
当然研究時間はさらに減るということに。

研究費減少の問題も大きい。
統計データだけ見ると、全体の研究費は増えているように見えるものもある。
政府はこのあたりの数字を前面に主張するが、これはちょっと違う。
僕らが減っていると考えているのは、大学から無条件で配分される自由に使える研究費。
昔は100万円近くあったらしいが、最近は地方国立だと50万円でもかなりもらっている方ではないだろうか。
10万円台や一桁万円、ひどいところだとゼロというところもあるらしい。
これでは研究ができない。
そこで登場するのが、コンペでとってくるタイプの研究費。
競争的資金と呼ばれるもので、科研費なんが有名。
時間をかけて分厚い申請書を書いて、勝ち抜くともらえる。
この申請書書きがまた大変。
大変な時間がかかる。
大変な時間がかかっても質のよい研究計画ができるので、それはそれで悪くないのだが、コンペで勝てなかった時が悲惨。
1円ももらえない。
昔だったら、大学からもらっている自由な研究費を使ってコンペで落ちた研究を細々と進めることができたのだが、今の水準だとこれが厳しい。
申請書で書いた研究計画に費やした時間はほぼムダということになる。
ちなみに採択率は科研費で3割弱くらい。

時間の話ばかりを書いたが、それでもちょっとでも研究費あるんなら研究できるのでは、と思う方もいるかもしれない。
ただ、思っている以上に、研究にはお金がかかる。
アイディア一つで、論文が書ける分野があったとしても、論文を出版するのにはお金がかかる。
英語の雑誌なら、投稿料と英文の校正料で最低数万円はかかる。
最近よく使われる、誰でも論文を見ることができるタイプの雑誌は、出版に20ー30万円かかることもザラ。
この時点で、そもそも年間研究費を超過してしまう人が結構いる。
論文を出版する、というだけでも難しい。
つまり、工夫でなんとかなるレベルの研究費水準ではないのだ。

研究には他にも大量にお金がかかる。
学会の年会費、学会参加の旅費からプリンターのインク代まで、いろいろな経費を賄わねばならない。
大学によってはこれにプラスして、光熱費や部屋代を取るところもあるらしい。
そんなわけなので、個人的には二桁万円前半、特に20万円を切ってくると、壊滅的に研究ができなくなると思っている。
で、実際そうなっている研究者が増えている。
というわけで、そりゃあ日本の研究力は下がるよね、と思うわけ。

長くなったが、日本の研究力低下について、現場で感じていることを時間と研究費の2つの視点から書いてみた。
さて、これを書いてみようと思ったのには理由がある。
この話、研究者仲間では共有されていて、SNSを含めて様々なところで発信されているのだが、どうも世間一般の人にちゃんと伝わっていないように感じていた。
特にSNSでは研究者が単に不平不満を言っているようにしか聞こえていないのではないか、と。
なので、なるべくわかりやすく、非研究業界の方に現状を伝えたいと思って書いた次第。

研究者は研究が好きで好きでたまらない人が多いので、時間と潤沢でなくとも細々と研究できる程度の研究費があればあとは勝手に研究する。
でも、大学、特に地方国立大の現状はそうはなっていない。
大昔にとある組織にいた時に、事務補佐の方に言われたことが心に残っている。
「先生方は研究したくてたまらなくて、研究するのが仕事なのに、その研究費がもらえないから研究できないってなんかもったいないですね。」
なかなか的を射ていると思う。




川崎にて。


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2018/10/25 8:04
出勤前。
自宅にて。


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Update 2018/10/25
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