週刊雑記帳(ブログ)

担当授業や研究についての情報をメインに記事を書いていきます。月曜日定期更新(臨時休刊もあります)。

論文の種類2〜原著論文やら展望論文やら(研究をしよう 5)

論文の種類の2回目。
査読ありとなしの論文があるよという話を前回したが、今回は別の種類分けの話。

学生さんと論文の読み合わせをしていると、時々先行研究のみの論文を持ってくる。
で、発表の段になって、この論文先行研究ばっかで自分で調べた調査とかがないんですよ、と言う。
これが今回紹介する論文の種類に関係する。

論文は大きくわけて原著論文と展望論文(総説論文、レビュー論文ともいう)にわけられる。
原著論文はなんらかの方法論をもとに、研究を発表するもの。
前に書いた、いわゆる研究に関する論文がこれ。
新奇性があり、新たになんらかの知見を生み出している。

で、もうひとつが展望論文(レビュー論文)と呼ばれるもの。
論文探しをしていると結構な確率でコイツに出くわす。
これは何かというと、ある分野の先行研究にどんなものがあるか出来るだけ集めてきて、それをもとに新たなアイディア(仮説とかモデル)を提唱するという論文。
方法論の記載がないのが特徴なのですぐわかる。
他人の研究を紹介しつつ新しいアイディアを提唱するというのは結構高度なことなので、初学者にはなかなか良し悪しの判定が難しい。
単なる先行研究の紹介になってしまっているものも多い。
なので、ゼミの発表なんかで使うのは避けたほうが無難。
ただ、その分野のことを知りたいという場合に手っ取り早く先行研究を見つけるためには大変便利なので、そういう使い方はあり。
データベースで検索するよりも効率的によい論文に巡り会える。

さて、これで論文の種類に関する大きなものは説明した。
あとは細々したものを少し。
論文を探してくると、表紙に「原著」「プレシーディング」「資料」「展望」とか書いてある場合がある。
これはその学術誌における論文の種類を示している場合が多い。
学術誌によって定義が異なるが、基本的に原著は原著論文、展望は展望論文のこと。
プレシーディングは学会発表をもとに作成した論文のことで、原著論文よりも質が落ちることがある。
ただ、これはその分野・学会によってバラツキが大きい。
「資料」は原著論文のレベルに至っていないが、なんらかの学術的価値があり掲載されているもの。
上記以外にも雑誌によって様々な種類を設定しているので、わからなかったらその雑誌のホームページに行って調べてみるとよい。
投稿規定というのがどのかに載っていて、そこを読むとよくわかる。

論文の種類についてはこんなもんか。
次回はいよいよ論文の読み方編。




飛行機は見てて飽きない。
羽田空港にて。

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2018/08/27 20:50
帰宅中。
汽車の中にて。


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Update 2018/08/27
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メリットとデメリットを考える

メリットとデメリットを比べて、よく考えて決める。
まあ、みんなよくやっていることだと思う。
さてここで少し思考実験をしてみよう。

ある重大な犯罪が起きたとする。
状況から考えるにこの人以外に犯人は考えられない。
ただ、決定的な証拠がない。
警察は法律に則った取り調べのみで、手荒な取り調べはしていない。
被害者は苦しんでいるのに、犯人らしき人は捕まえられない。
そんな中、そんなのおかしいよ、という世論が湧き上がり、少しくらい手荒な取り調べはやむなし、という流れになる。
あ、ちなみに、犯人らしき人は本当に犯人ね。
あなたはこの流れに賛成か、反対か。
どう考えるだろうか。

この場合のメリットは犯人を捕まえることができること。
デメリットはなんだろうか。
賢明なみなさんはお気付きのことと思う。
きっと、冤罪事件が増える。
そう、上の例は世にある冤罪事件の構図になってる。
世の中には手荒なことに弱い人がいて、無実なのに思わず自白してしまうことがある、というのは過去の事例からわかっている。
この場合は犯人なんだからいいじゃん、と思う人もいるかもしれないが、こういうのは全ての人に使われると思って考えないと間違う。
冤罪を防ぐか犯人を捕まえるか。
だいぶジレンマが伴うわけだ。

次の例。
生活保護費をもらうなりパチンコで使ってしまう人たちの様子が報道された。
不正にもらっている人たちもいるらしい。
生活保護、なくても生きていけるんですけどねー。」(プライバシーのため音声は変えております)
これを防ぐために生活保護費の要件を厳しくしよう。
さあ、どう考える?
要件を厳しくした時のメリットは不必要な生活保護費が減ること。
デメリットはすぐ出てくるかな。
たぶん、必要な人の中で生活保護を受けられない人が出てくる。
不景気の頃餓死者のニュースが出ていたが、そういうのは増えるんじゃないかな。
これが僕が考えるデメリット。
つまりこれも一見メリットしかないように見えるけど、だいぶジレンマの伴う事柄。

いやいやまて。
犯人だけに厳罰を。
不必要な人からのみ生活保護費を取り上げればよいじゃあないか、と思われる人もいると思う。
それはね、僕は無理だと思っている。
統計を使っていろいろなことを見ていくということをやっているとわかるのだが、あらゆる事柄は確率で決まる。
で、その確率を完全に0%とか100%にするのは難しい。
どうやっても例外や思いがけずの値みたいなのが入ってくるのだ。
統計をかじったことのある人であればわかると思う。
何か制度ややり方を変えるというのは、この確率をいくらか動かすことだと考えている。
理想値に近づけることはできても理想値にすることはできない。
だから、そういうものだと思って考えなきゃならないと思うんだ。

ところで。
思考実験でメリットを考えるとき、目の前の事例からそれを考えたことと思う。
それに対して、デメリットはどうだっただろうか。
目の前の事例からいったん離れて、違う事例で考えたんじゃないだろうか。
そう。
デメリットに関しては想像力を働かせてこれをやらなければならない。
なので、メリットに比べてデメリットは見つけづらいし、場合によっては気づかないこともある。
デメリットに気づくには時間をかけてよーく考えることが必要。
自分では気づけないものもあるので、他人の意見からそれを拾うことも大事。
その上で、メリットとデメリットを並べて、意見や行動を決める。
簡単なようで意外と難しいのだよ。

そんなわけで、今回の話のポイントは以下の2点。
メリットとデメリットをちゃんと比べよう。
統計的な考え方は大事だよ。




見上げてごらん。
夜空の星を。
あっ、まだ昼だった。
九州のどっかかな。


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2018/08/31 11:49
出張移動中。
岡山市内にて。


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Update 2018/07/14
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論文の種類〜査読(研究をしよう 4)

今回は論文の種類の話。
なにそれ、論文に種類なんてあるの、と思われる方もいると思うが、ある。
そしてコレ、結構大事。

データベース(例えば、CiNii)で論文の検索してみるといろいろな情報が出てくる。
これが全部研究論文というわけではない。
まずここには手記とか単なる雑誌記事、専門的知見の紹介記事などが混ざっている。
まず、これらについて、前に書いた「研究とはなにか」「論文とはなにか」を参考に除く。
残ったやつの中にもまだ研究論文以外のものが混ざっている。
よく間違うのが学会発表の抄録。
これはA4で1-2枚でやたらうすいのですぐわかる。
これは学会発表の要約資料という位置付けなので論文ではない。
確かに研究的なものが詰まっているのだが、あくまで要約なので内容の精査・批判が不可能。
論文の要件を満たさない。

そんなわけで、残ったものがだいたい論文ということになる。
ここからが本題の論文の種類。
まずは査読あり論文か査読なし論文の2つにわけられる。
これは論文の載っている雑誌によるところが大きい。
査読の有無は初学者がだいたいのクオリティーを考える上で役に立つ。

では査読とはなにか。
論文をある学術雑誌に載せようという場合、審査をすることがある。
このプロセスを査読という。
まず、論文を書き上げた研究者は論文を査読ありの学術雑誌の編集部に投稿する。
すると編集部の担当者(レフェリーともいう)は、論文の分野を専門とする研究者数人に論文の批評をお願いする(批評する研究者をレビュアーという)。
レビュアーはそれぞれの専門的知見をもとに、論文に批評のコメントをつけてレフェリーに返す。
内容はココがダメとかココわからんとかココのロジックおかしい、とか、学生がゼミで教員からつけられるコメントと似ていて、それの数倍厳しいものと思ってもらえればよい。
それを見たレフェリーは、掲載するか、直させて再度検討するか、掲載拒否するかを決める。
掲載拒否された論文は基本的にその雑誌に載ることはない。
直させて再度検討の場合、レビュアーからのコメントを投稿者に送って、直すか反論するかしろ、と依頼する。
投稿者はそれに従い、直すべき部分は直し、反論する部分は反論コメントを作り、修正論文とコメントを再度レフェリーに送る。
レフェリーはそれをレビュアーに送り、再度批評コメントを依頼。
コイツが何度か繰り返される中で、レフェリーが掲載を決めた論文のみが載ることになる。
このプロセスは投稿者としては大変しんどくつらいつらい道のり。
ボロっかすに書かれるとへこむのは学生さんだけではないのだ。
対する査読なし雑誌は、研究者が〆切までに完全原稿を投稿し、そのまま掲載されることになる。

まあそんな査読を経て学術雑誌に載った論文なので、査読なし雑誌に比べるとクオリティーが高いものが多い。
初学者が論文を選ぶのに査読ありの雑誌から選んでくるというのは当たり論文率を上げるいい方法である。
その学術誌に査読があるかないかはその学術誌のホームページに行けば大抵載っている。
ただ、あくまで論文はひとつひとつ自分で批評すべきものであることは忘れてはならない。
査読あり雑誌でもレビュアーがヘボければダメ論文でも載るし、査読なしでもしっかりとした論文はある。
しっかりと自分の目で見極めたい。

ちなみに。
同じ査読つき雑誌でも分野や雑誌によってその厳しさが変わる。
簡単に通る雑誌もあれば、かなりクオリティーが高くなければ通らない雑誌もある。
この辺については指導教員や大学院生あたりに聞いてみると教えてもらえる。

一般論になるが、学会の発行する学術誌は査読ありが多い。
大学が出す学術誌(紀要という)は査読なしが多い。
もちろん当てはまらないものもあるが。

今回は論文の種類についてもうひとつ書く予定だったが、長くなってしまったので、ひとまずここまで。
次回残りを書く。




九州と本州を結ぶ海底トンネル。
歩けるのであります。


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2018/08/26 20:17
もいっちょかいてみた。
鳥取駅前ドトールにて。


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Update 2018/08/29
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統計(なぜ学ぶのか、何を学ぶのか 6 )

さて、お次はこちら。
意外なものがやって来てビックリされた方も多いと思う。
これは人によるんじゃないの、うちの専門分野では使わないよ、とか、私の卒論で統計は使わない予定だ、という人も多いかもしれない。
でも、これは自分の専門分野で使う使わないを問わず、大学を出たからには最低限身につけておきたい能力だと思っている。
どういうことか。

まず、自分の卒論なんかでは使わない予定、というアナタ。
たしかに、研究の方法論では使わないのかもしれない。
ただし、アナタの研究は統計を使った過去の研究成果を一切無視する気なのだろうか。
数字を使った研究の中にはアナタの研究の土台となるものが多くあるはず。
コイツらを読み解くくらいには統計ができないと研究ができないのだ。

いや、私は数字を使う一切の研究を使わないからいいんだ、という人もいるかもしれない。
でもね、そんなこと本当に可能なのだろうか。
例えば、卒業して学校の先生になったとする。
理系じゃないし、統計なんて学ばなかったとしよう。
熱心な先生だと、目の前にいる子どもたちのために、色々な指導法を勉強すると思う。
研修会なんかでこんな指導するといいよ、なんて事を聞くかもしれない。
これらの知見のほとんどは数字を使った統計的なものだね。
だって、この指導法は感覚としてよいよ、なんて信じられないでしょ。
だいたいは根拠として統計的な数字があるはずだし、そうでないものは信じられない。
仕事に関係ないところでも、統計は出てくる。
コレをするとやせるよ。
子どもが賢くなるにはこうしたらよい。
この手の、誰もが気になる情報の根っこには数字があるし、統計が使われている。

いや、統計の専門的なことは専門家に任せて、私は結論だけ読むからヘーキ、という方もいるかもしれない。
ところがね、コレが曲者。
専門家と称する人が紹介する数字と結論が、必ずしも正しいとは限らないのだ。
そもそも数字を扱っている人の統計的な素養が乏しいかもしれない。
素養はあるけど、無意識のうちに恣意的になってしまっているかもしれない。
ひどいのになると、意図的に数字を悪用する。
数字というのはなんとなく説得力がある。
だから、統計的な素養なしに数字を示されると、なんとなく信じてしまう。
ここが悪用されるわけね。
悪用とまではいかなくても、間違うことは多々ある。

この時、基礎的な統計を知っているだけで結構自分で正しい判断ができるようになる。
そもそもこの数字の出し方じゃこんなことは言えないでしょ、とか、この人数の調査じゃ何も言えないよ、とか、そんな風に批判ができるようになる。
現代社会に生きる上で、コイツはすごく大事な能力だと思うんだ。
そのためだろう、高校までの数学においても近年統計が強化されている。
前回、 ロジカルな思考・批判的な思考が大事だということを書いたが、統計を知らないと当然これができない。
他の人が言っていることを無条件に信じなきゃならなくなる。
よくないね。

それともう一つ。
統計的な素養があると、思考パタンが少し変わる。
統計的な性質を知りつつ、さまざまな現象について考えることができるようになる。
データにはバラツキがあること、あらゆる物事は確率で動くこと、平均値は時にデータ全体を代表しないこと、因果は難しいこと。
こういうことを知ることによって、社会のあらゆることを別の視点から深く眺めることができる。
これは数字にだまされないように、と同じか、それ以上に大事だと思っている。

以上がすべての大学生に統計学んでおけよ、と勧める所以。

じゃあどうやって学べばいいか、といわれるとなかなか難しい。
統計学の授業を取っただけで習得するのはきついかもしれない。
やはり、ゼミや卒論をうまく使いたい。
自学するならまずは鳥居さんの「はじめての統計学」あたりがよいか。
学生さん同士で勉強会をやるというのもおススメ。





少し変わった角度から、旅行く人を。
羽田空港にて。


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2018/09/04 20:01
読書と書き物とコーヒーと。
鳥取駅スタバにて。


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Update 2018/09/04
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論文とはなにか(研究をしよう 3)

では論文とはなにか。
僕が考えるのはコレ。
なんらかの事実をもとに、ロジカルに自分の主張を展開する文章。
研究をまとめた論文としては事実とロジカルさと主張は絶対に必要。
まあだいたい全学問分野で共通しているのではないだろうか。
これらにプラスして、やった研究の大事なポイント、つまり、
(1)新奇性(New)
(2)意義(Significance)
(3)正しさ(Correctness)
が盛り込まれたものということになる。
やった研究を論文にまとめるわけだから、これは当然。

さて。
これらに加えてもう一つ大事なことがある。
なにかわかるだろうか。
それは内容の精査・批判が可能なこと。
その論文と同じことをやって、同じ結果や主張が得られるか試すことが可能か、が問われる。
この点が学会発表とは決定的に異なる。

なぜ精査・批判が可能でなければならないのか。
それは研究とは、その内容が正しいか、わからない類のものだから。
もちろんやった本人は正しいと思っていることが多い。
しかし、他人から見るとロジックがおかしかったり、事実があやふやだったりして、結論・主張がおかしいことはよくある。
場合によっては本人も結論・主張に無理があることを承知で論文にしている場合すらある。
これを見破らなくてはならない。
そのために必要最低限の精査できる情報が載っていなくてはならないわけ。
学会発表などのプレゼンはどちらかというと情報を素早く伝えることが目的になるので、精査可能な細かい情報までいらない。
代わりにわかりやすく全体を知ってもらう、ということが重視される。
同じ研究の発信でも目的が違うわけですな。

まあそんなわけで、論文どんなもんかはわかっていただけたと思う。
さて。
前の記事で論文から研究を学ぶんだ、みたいなことを書いた。
じゃあどんな論文でもただ読めば学べるか、というと、そういうわけでもない。
なぜならば、世に出ている論文というのは玉石混交なのだ。
よい論文というのは意外に少ない。
分野にもよるが、10本読んで1本も当たりに出会わないなんていうこともよくある。
うまく当たり論文に出会えれば、それを参考に研究や論文の書き方を学ぶことができる。
ハズレの場合は役に立たないかというとそんなことはなくて、それを他山の石として、批判して改善点を考えることで学べる。
最初のうちはゼミや指導教員をうまく利用しないと難しいが、慣れてくると自分でもできるようになる。

ハズレ論文にはパタンがある。
ひとつは研究の要件がハズレなパタン。
これは論文の内容を精査・批判するために必要な情報はあり、論文としてはしっかりと書けているものの、研究内容(コンテンツ)がよくないためにハズレなもの。
こういう論文は勉強にはなるし、学びにもつながる。
自分の研究を考えるときに肯定的な文脈で使うことはできないものの、役には立つ。
そもそも研究をやっていると、思いがけない結果や事実が後から出てきて、研究の要件(特に意義)が下がってしまうことはよくある。
こういう研究を見つけた場合は、同じ著者の別の論文を探すと当たりに出会えることがわりとある。

もう一つのハズレ論文のパタンは、内容の精査が不可能な場合。
これは、もうどうしようもない。
ここの記述が不十分で精査ができないので、研究が信じられない、という評価になってしまう。
例えば、こんな事実があるよ、と引用している先行研究の書誌情報が不十分でその研究論文を取り寄せることができない、なんてのがある。
方法論の記載が不十分で、再現して確かめることができない、なんてのもこのパタン。
研究を学ぶ、という意味では得るものが少なくて、残念。
ただ、なぜか職業研究者が書いたものにこの種の論文が混ざっていることがあるので、注意が必要。

基本的に論文は、この学会誌に載っているから素晴らしい、とか、この研究者が書いたものだから信じられる、といったものではない。
同じ研究者が書いたものでもいいやつもあれば悪いやつもあるので、それぞれ自分で読んで評価する必要がある。
これは載っている雑誌についても同じ。
この学会誌に載っているから無条件で信じられる、といった姿勢は間違うことになるので厳に慎みたい。

論文の評価は、論文から研究を学ぶ上でも大事だが、研究する上で事実を抑える上でも重要。
自分はこの論文の主張は信じて、コイツは信じない。
信じた先行研究の事実の積み上げの上に、自分の研究がのっかる。
間違うとね、自分の研究の価値がガラガラと崩れる。
こわいですな。

今回は論文について、総論的なことを書いた。
次回は論文の種類について書いてみようと思う。




飛行機を、ドアップで。
羽田空港にて。


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2018/08/26 19:35
日曜の黄昏時も終わってしまった。
定番鳥取ドトールにて。


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Update 2018/07/14
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経県値2018

経県値というサイトがあってですね。
コレは何かというと、自分の住んだり行ったり泊まったりという都道府県の色地図を作ってくれるというもの。
で、値として経県値というものを出してくれる。
だいぶ前に流行ったので知っている方も多いか。

職業がら異動と出張が多いのに加え、旅好きときているため、ここの地図がカラフルになるのが楽しくてたまに遊ぶ。
で、久々にやってみた結果がコレ。
やなかの経県値2018

ふーむ。
前回、福井時代に空白だった山陰両県に色がつき、いくらか色が増えた。
坂本龍馬が好きなわりに、まだ高知がなくて、ここは近いうちになんとかしたい。
あとは沖縄かー。
ああ、行きたい。
とても、行きたい。
居住色はもうこれ以上増えなくていいと思っている。

コレはアプリもあるらしいので、興味ある人は遊んでみるとおもしろいよ。




旅、好きですからなぁ。
佐用駅かな。
これから姫新線に乗ろうというところでパチリ。


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2018/08/30 08:12
出張の旅路。
汽車の車内にて。


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Update 2018/08/30
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研究とはなにか(研究をしよう 2)

まずはここから。
ここでいう研究とは学術研究のこと。
卒業研究はこいつの端くれということになる。
夏休みの自由研究とか就活の時にやる業界研究とかとはちょっと違う。
さて。
研究とはどんなものか、答えられるだろうか。

「テーマについて勉強してまとめる」
これは研究とは言わない。
そんな論文見たことある、という人もいるかもしれないが、これは違う。
何が違うのかは論文のところで詳しく説明する。
「実験なり調査なりをしてデータを集めてまとめる」
うーん、近くなったがこれも違う。
これでも研究にならないものもあるし、データを集めなくても研究になるものもある。
「まだわかっていないことについて、調査してまとめる」
これだと、だいぶ研究っぽい。
が、まだあまい。

研究とはなにか。
人によって定義は異なるが、僕の考えるものはこう。
ある学問分野で(1)まだわかっていないもののうち、(2)明らかにする価値があるものについて、(3)何らかの方法論を用いて明らかにすること。
(3)については明らかにしたことが正しいかどうか、が大事になる。
つまり、研究に必要なものは以下の3点ということになる。
(1)新奇性(New)
(2)意義(Significance)
(3)正しさ(Correctness)
前段で書いた例がなぜ研究と言えないのか、わかっていただけただろうか。

ところで。
研究をしよう、と思った時、まず最初にやるのが先人たちの研究を知る、ということ。
実は研究にはよい悪いがあって、(1)から(3)を満たしていたとしても、全部同じように評価されるわけではない。
(1)から(3)にはレベルがあって、それぞれのレベルによって研究そのものの評価が高くなったり低くなったりする。
その辺も含めて、まずは先人の研究から学んでいくのが早道なのだ。
じゃあどうやって研究と出会うかというと、これは学会発表なり論文ということになる。
学会発表をやってから論文にすることが多いので、論文の方が学会発表よりも完成度の高い研究が多い。
よって、まずは論文を読もう、ということになる。
ゼミで研究論文を読むのはそういう意味がある。
このシリーズでも論文の読み方から入る。
論文の読み方はそのまま書き方にもなるので、しっかりマスターしたい。

では今回はこの辺で。




夏×ローカル線
浜坂駅にて。


つづく

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2018/08/23 12:42
お昼休み中。
職場にて。


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Update 2018/08/23
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